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入学式

鏡に映った自分を見た。映った顔はいつもと変わらない。

でも今日からは大学生。これから入学式。期待と不安が入り混じる。


2年前、東京にくるときの気持ちに似ている。

でも今は不安よりも期待のほうがはるかに大きい。

あの時、「20歳年上の男を好きになって、その元妻の養子となる」

なんて予言をされても、馬鹿げたことと笑うか怒ってしまっただろう。

あの日、旦那様の家に行かなかったら、花見の誘いを断っていたら、

あの夜、旦那様の連絡先を持っていなかったら、

こんな朝を迎えることはなかった。

「人生、思わぬところで変わるんだな」と独り言。

駅に向かう道も今までとは違う道に見える。


西荻窪駅についてホームに上ると、東西線直通がやってきた。

「ラッキー!」と乗り込む。席もすぐに見つかった。

午後1時の入学式には十分、間に合うな。

落ち着いてから気が付いた。早稲田の出口は進行方向とは逆だ。

エスカレータで降りてすぐに乗ったから、この車両はホームの

真ん中あたり。少し遠いけど仕方ない。

「階段昇ったほうがいいかなぁ」そんなこともこれから

学習していくんだろう。


見渡すと自分と同じように新品のスーツを着た、いかにも

新入生という姿がちらほら見える。

みんな同級生になるのかな...。年齢的にはみんなより

2歳上になるのか。向かい側には丸顔で大きな目の

ショートカットの女の子が座っている。


「隆文、本当は小さくて、ちょっとぽっちゃりの

目がパッチリした子が好みなんだよ」と母さんが

言っていたことを思い出す。

「それってまるで母さんじゃない」と反論したら

「あら当然でしょ。私が隆文の最初の女なんだから。

あんたがいくらがんばっても、それだけは変わらないね」

と胸を張られた。

「旦那様、本当はあんな子のほうが好きのかな...」

少し気になった。

キャンパスの中を案内してほしかったのだが、

旦那様も母さんも仕事で入学式には来れなかった。


やがて早稲田駅に到着。電車を降りると、さっきの子も降りてきた。

「やっぱり同級生か」

ところが彼女は思っていたのとは違う方向に歩き始めた。

お節介じゃないかと迷ったが、声をかけることにした。

「あのぉ、早稲田の新入生ですか?」

「はい」彼女が振り返った。

「入学式だったら、こっちだと思いますよ。

私も行きますから、一緒に行きませんか?」

と彼女が進んでいたのと反対を指す。

「すいません。ありがとうございます。

私、方向音痴ですぐ間違えちゃうんです。」

まばゆいばかりの明るい笑顔を見せた。

「先輩は何年生なんですか?」と彼女。

「私も新入生ですよ。」

それを聞いたとたん、

「なーんだ。私、田中真理恵。真理恵って呼んでね。」

彼女は笑いながら手を出した。

「私は涼音、林涼音。」私もそういって握手した。

入学式の会場に着くころには、二人とも文学部で第二外国語として

フランス語を選択していることがわかった。

真理恵は「運命の出会いだね」とニコニコとよく笑った。

こんな子は友達が多いんだろうな。


入学式が終わり、真理恵と学内を見て回ることにした。

学内はどこもサークルの勧誘で一杯だった。

「涼音は何かサークルに入るの」と真理恵。

「まだ考えてないんだ。」と私。

「じゃあ、私と一緒に...」と真理恵が言いかけたときだった。


「あら、森野さんのところの涼音さん?」

横から声をかけられた。

振り向くと、見覚えのある長身の美しい女性がこちらを見ていた。

「池田さんの慶さんですか?お久しぶりです。

日本に戻られてたんですね。」

「雅彦の仕事の関係で2週間だけ戻ってきたの。

井の頭の義母がさびしがっていたわ。

あなたがいなくなったって。あなた今年の新入生?」

「はい。でも慶さん慶応なんじゃあ?」

「うん、今日はこの子のお手伝い。」と隣の女性を紹介した。

「慶の妹の中澤怜です。法学部の3年生。」

髪はショートだが慶によく似ている。

「文学部に入ったばかりの林涼音です。よろしくお願いします。」

軽く会釈した。


「その子はお友達?」慶が聞くと

「田中真理恵、同じく文学部1年です。

あの中澤慶さん、怜さんですよね。

握手させてください。」

真理恵は、まるで芸能人に会ったかのように二人に握手した。

慶は微笑みながら、こう言った。

「田中さんがマリ、涼音ちゃんが林でリンか...。

早稲田のマリリン、いいわね。

わかった、二人ともチアに入ろう。」

玲もフンフンうなづいている。それを聞いた真理恵は

「ありがとうございます。お二人に声をかけていただけるなんて

光栄です。必ず入ります。」

と深々とお辞儀をした。


「ねぇ、どういうことなの?」

中澤姉妹が去った後、私は真理恵に聞いた。

「あの中澤姉妹に声かけられたんだよ。

チアに入るっきゃないっしょ。」

私が目を白黒させているのを見た、真理恵は

「もしかして慶さんの知り合いなのに、中澤姉妹を知らないの?

信じられない。こっちに来なさい。教えてあげる。」

強引に私を生協の書店にひっぱり込むと雑誌を手渡した。

「ほらこれ。慶さん」

そこにはニッコリ笑ってポーズをとっているチアリーダーの写真。

少し前の写真のようだ。

「三田のカサブランカ」とタイトルがついている。

「中澤姉妹と言えば六大学チアリーダーの中でも特に有名なんだよ。

特に慶さんは歴代人気No.1とまで言われるほどなんだから。

玲さんも人気があるけど、残念ながら慶さんほどじゃないんだ。

チアリーダーでも特に人気のある人には、花のニックネームがつくの。

慶さんはサブランカ。素敵だよね。」

花の名前をつけるっていうセンスはどうかと思ったけど、

たしかに慶には美しい白いユリの花のイメージはぴったりだ。

「私、ずっとチアリーダーに憧れてたの。

だから一緒にやろう、チアリーダー。」

「なんで私も一緒なの?」

「練習厳しいって聞くから、一人じゃ怖いんだ。

しかも慶さんと知り合いなんでしょ。もう逃げられないよ。」

思ってもみないことになった。

悪くはなさそうだけど、旦那様はどう思うだろう?

それに忙しくて旦那様のところにいく日が少なくなってもいやだなぁ。

真理恵には親に相談してみると言って、ちょっと待ってもらうことにした。

「ちゃんと考えてよね」真理恵もしぶしぶ納得した。


学内を一通りまわって午後3時。

私が吉祥寺の隣駅に住んでいると知った真理恵に頼まれ、

井の頭公園に案内することになった。

平日とはいえ、この時期、花見客が多い井の頭に行くのは気が

進まなかったが、真理恵のニコニコした顔を見たら、嫌とは言えなかった。


公園に向かう途中、以前バイトしていたハンバーガーショップの

前を通ると、店長さんから声を掛けられた。

「今日から大学生だって?午前中に森野さんから聞いたよ。

時間ができたら、またバイトしてね。待ってるよ。」

そうか旦那様、午前中にここを通ったんだ。そう思うと急に寂しくなった。

そういえば旦那様と関係なく井の頭公園に来たことなんてなかった気がする。

旦那様と一緒に歩いているとか、買い物から旦那様の家に帰るときとか。

ここを通るときはいつも旦那様のこと考えながら歩いてたな。


そのまま進み、階段を降りると途中から池が見えてきた。

ボートが沢山、浮かんでいる。

「恋人がボートに乗ると弁天様が嫉妬して別れちゃうんだよね。」

と真理恵。

「私が知っている人はファーストデートで乗って、

それから15年後に結婚して、さらに3年後に離婚したんだって。

『あれが嫉妬のせいだとしたら、えらく気の長い神様だ』って言ってたよ。」

そう言うと真理恵が「何それ」と笑った。

母さんから聞いた話だ。

ボートに乗ったら、どんな景色が見えるんだろうと気になっていた。

でもそれで万が一にも旦那様と別れるようなことになったら悔やみきれない。

それが怖くて、いまだにボートに乗ったことがなかった。


橋を渡り切って、右左、どっちに行けばいいと真理恵が聞く。

旦那様の家は左側。ここはいつも左に曲がっていたな。

そう思ったら涙があふれて来た。

あと7年も一緒に暮らせないかと思ったら、急に会いたくなった。

寂しくて涙が止まらなかった。先週も会ったじゃないと思っても

抑えられなかった。


私が急に泣き出したのを見て、真理恵が慌てた。

「涼音、どうしたの?大丈夫?」

空いていたベンチに二人で座った。


私はこれまでの経緯を一通り話した。

真理恵は真面目に聞いてくれたが、納得はいっていないようだ。

「会いたければ会えばいいじゃない。」とこともなげに言う。

「仕事の邪魔するわけにはいかないよ。」

と言っても気にしない。

「とりあえず家まで行ってみようよ。

今日は打ち合わせで出かけてるんでしょ?」

結局、真理恵に引っ張っられて旦那様の家の前に来た。

真理恵がいきなりインターフォンを押したのには驚いたが反応はなかった。

「いないみたいだよ。」

私の言葉に

「ちぇ、見てみたかったな、涼音の旦那様。」

真理恵は悔しがった。

私はなんだか恥ずかしくて早く帰りたかった。

「もう帰ろう。」

渋る真理恵の手を引っ張った。

その時、背中から声をかけられた。

「また会ったね。」

いつの間にか慶さんがそこに立っていた。

「チアのこと考えてくれた?」

「ええ、まぁ、まだ考え中なんです」

曖昧な返事しかできなかった。


「あれ?フェアリー、どうしたの?」

丁度、そこに旦那が帰ってきた。

「どうしたというほどのことは無いんですけど。」

口ごもっていると、真理恵が急に大きな声でしゃべり始めた。

「森野さん、すいません。

私は涼音さんの友人の田中と言います。

涼音さんはチアリーダーやりたいんです。

でも涼音さんは森野さんが反対するんじゃないかって心配しているんです。

お願いします。チアリーダーをやることを許してやってください。」

そう言って頭を下げた。

「そうなの、フェアリー?」

旦那様は怪訝そうな顔をした。

「ええ、まぁその...」

慶さんが見ている前で否定なんてできなかった。

「僕は賛成だよ。好きなことやればいいよ。」

旦那様の返事を聞くと、慶さんは池田さんの家に入っていった。

真理恵はニヤニヤ笑っている。


「フェアリー、折角来たんだし、お茶でも飲んでいかない?

後で二人とも車で送るよ。」

「ありがとうございます。お邪魔します。」

私よりも前に真理恵が返事した。

真理恵がニコニコ顔で私の手を引っ張った。

「旦那様に会えてよかったね。」なぜか憎めない。

「人生、思わぬところで変わるんだな」とまた独り言が出た。

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