魔法のくすり
深夜0時。
レザノフのおっさんを見送ってから数刻。
カウンターでビールを滑らせ、シェイカーを振り、酔っ払いのケンカを仲裁すること3回。
ようやくダイニングバー『猫の尾』も場が落ち着いた。
やれやれ。
オリーブを一粒つまみつつ、俺は大量のグラスとジョッキを流し場でジャブジャブ洗った。
「ああ、おなか減った!ねぇまだいいわよね?何か食べさせて~!」
カウベルを鳴らして入ってきたのは、常連のレティだ。
赤いミニスカートに、明るい金髪のウェーブヘア。
髪を掻き上げる仕草に野郎どもの視線が釘付けだ。
さすが、その道の玄人というべきか。
「よぉ、レティ!今日はいつもに増してベッピンだな!!たまには俺たちの相手もしてくれよ!!!」
「チューしてくれ!」
「ハグしてくれ!!」
「なんなら殴ってくれてもいい」
「踏んでくれ!」
入口近くのテーブルで夕方から居座って、すっかり出来上がっている親父どもの冷やかしが飛んだ。
なんかマニアックなリクエストが混じってたぞ?
「シェラトンホテルの最上階を予約してくれたら天国見せてあげるわよ?私のためにせいぜい稼いできてちょうだい?」
色っぽいウインクひとつに親父たちが色めきたった。
うーん、あいかわらず親父どものあしらいが上手い。
レティはオッサンのヤジを鮮やかにかわしてカウンター席についた。
「この時間だとオードブルか、ホットサンドとか、簡単なモンしかできないけど?ドリンクはマティーニだよな?」
「そうよ~って、あらショーン、久しぶり!私の好み覚えててくれたんだ?感激!デートしてあげましょうか?安くしとくわよ?」
カウンターにでっかいオッパイを預けて頬杖ついて艶っぽく笑う。
商売とわかっていても、つい引っかかりそうになるよなぁ。
「俺今完全なボウズだから。家賃も払えない有様でさ。また今度誘ってよ」
「あら、そうなの?じゃあまたね」
話の切り上げ方も実にあっさりしたもんだ。
ちょっと素っ気なく感じるぐらいの、この引き際を心得ているところも彼女の人気の秘密なんだろう。
氷が満たされたミキシンググラスでジンとベルモットをステアして、ショートのカクテルグラスに流し込む。
カクテルピンを刺したオリーブを飾って、恭しくレティにサーブすると、彼女は手元にあるボトル瓶をじっと見つめていた。
手の平サイズで乳白色。
黄金色のプッシュノズルとボトルの首に掛かっている百合の花のチャームが高級感を漂わせている。
「なんだい、それ。なんだか高価そうだなぁ」
「ああこれ。『魔法のくすり』よ!」
「?」
くすり???
俺はよっぽど変な顔をしたんだろう。
レティはぷっと吹き出した。
「『魔法薬』っていう名前の幻の美容液よ。月面のセレブのなかでも限られた人間にしか手に入れられない超レアコスメなの。一塗りで5歳若返るって評判で、全世界の女性の憧れの秘薬なのよ」
うっとり見つめて、美容液のボトルにキスをする。
若返る、ねぇ…
なんか人類最強の某 東洋美女 連想しちゃったよ。
「そんな希少なシロモノ、どこで売ってたんだい?」
「昨日のお客、如何にも宇宙から来た気位の高い嫌みな男でね。我慢して付き合ってあげたのに、別れ際になって払いを値切ってきたのよ。だから隙をねらってスーツケースの中を覗いてみたの。そしたら綺麗な瓶がたくさんあったから・・・」
1本くすねた、と。
たくましいなぁ。
「持って帰って調べてみたらびっくりよ!まさか 魔法薬とはね。もう2、3本パクッとけばよかったわ~」
「それで使い心地はどうなんだい?ホントに若返った感じがするのかい?」
「まだ試してないのよ。今晩お風呂の後に使ってみるつもり!あぁワクワクするわぁ」
宝物を手に入れた子供のように、レティはボトルに頬ずりした。
ネックにかかっている百合のチャームが揺れるたび、酒場に合わない涼やかな音色がチリンチリンと小さく響いた。
「レティは今のままで充分綺麗だと思うけどね」
「ありがと。でももっと綺麗になりたいの。それが女ってものなのよ」
まぁ確かに、ムキムキになれる筋肉増強剤とかあったら俺も欲しいかも...。
なんて、どうでもいいことを考えながら、俺はカウンターでクラブハウスサンドを作った。
ターキーが品切れなので有り合わせのサーモンを挟んだが、ケチャップの代わりにクリームチーズを使ったので味はまず間違いないだろう。
「わぁ、美味しそうね。いただきます」
俺が作ったクラブハウスサンドもどきでも、レティは嬉しそうに完食してくれた。
若返りの魔法に頼らなくても、下町の女神の笑顔はとても眩く美しかった。