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テディ・ベア/あるいは、誰が運転手をふたたび殺したのか
「ええええええーっ……ちょっ、ちょっま、ちょっ待って!」
私は叫んだ。
振り返れば、ヤツはそこにいた。
上田六郎。
柔らかそうな髪に爽やかな瞳。悪戯っぽく口の端を上げてこちらを見ていた。二次元そのままではなく、彼が現実にいたらこういう少年だろうなというリアルな肉体を持っている。
自宅の仕事部屋は、遊ぶものがあるとサボってしまうので、非常に殺風景だ。
上田六郎はいま、戸口に寄りかかって腕組みしている。
「何をそんなに驚いているんです?」と彼は言った。
「……とりあえず、自分の正気を疑っています」と私。「あともう一つ。いまものすんごーく怖いこと想像しちゃって、それで動揺している」
「なんです?」
「それはさ――」
私は描きかけのネームを彼に突きつけた。
「これ。あんたの影が映っていない。これどういうことかっていうと――もしかして、ひょっとすると、リニの自作自演というか、あんたは彼女にしか見えてないんじゃない?」
「ん?」と六郎は首を傾げた。「ごめんなさい……ちょっと意味が」
「つまりね。全部、彼女の妄想ってこと。新しい運転手がリニにはろくろーに見えている。町を一緒に歩いているように思えても実際には一人。だから影が映らない。ぜーんぶ、リニが見た幻で、ろくろーは彼女の脳内にしかいない……あんたは既に死んでいるから……」
唇が震えてきた。
「……ちくしょう。これならハードボイルド的に説明がつく……」
なんでだろう。泣けてきた。
悲しくて仕方なかった。リニが妄想の六郎と会話しているのを想像すると涙が止まらない。
そんな私を六郎はじっと見つめていたが――
「……涙」
ぽつりと言った。
「――え?」と私。
「泣いてくれるんですね。リニお嬢様のために」
「…………」急に恥ずかしくなる。「……わ、悪い? キモいと思うなら思っていいよ。自分の作ったキャラを想って泣くなんて、ド変態もいいとこよね!」
すると六郎は首を振った。
「いえいえ。嬉しいんですよ。あの人に感情移入して本気で泣いてくれる。それだけで果たすべき使命をほとんど果たしたようなものです。――そして安心してください。確かに僕は死んでいますけど、物語に登場したからには僕は存在します。幽霊だろうと、妄想だろうと、役割がある限り存在していることになるんです」
「幽霊かー」と私。「てか、果たすべき使命って何なのさ?」
いい加減教えてくれてもいいと思う。
しかし六郎はフッと微笑んで、
「それは薄々気づいているんでしょう? 先生は作者だもの」
「いや確信は持てないよ。まあ、こういうことかな? ってのはあるけど。ていうか、あんたこのままいくともう一度死ぬよ。今度こそ」
「構いません」断言した。「覚悟の上です」
「でもさ、それって私の責任だよ……。もっと早くあんたたちを知れば――私がもっと真面目に作品に向き合っていれば……ハッピーエンドを用意してあげられたのに……」
そう。
そうすれば、リニと六郎の笑顔をエンディングにしてあげられた。
それが不可能なのは、私のせいなのだ。
六郎は、しかし、それでも優しく声をかけてくる。
「キャラクターの死って何だと思いますか?」と彼は言った。「たとえば、キャラが死んでもスピンオフで復活できたりするわけですよね。過去編とか、IFの世界で。僕らの死はそこにはありません。だから怖くはありません」
なんかもう、アカンかった。
悲しくて悔しくて、うぇっうえええと嗚咽を漏らしてしまった。
「それより先生? 風邪にはご注意を」と六郎。「目が覚めたら、先生はカエルがひっくりかえったようなポーズで、お腹丸出しで寝ていたことに気づくでしょう。今日くらいはベッドで寝てくださいね。本当に作者急病なんて洒落になりませんから――」
その言葉の直後、私はハッと目が覚めた。
椅子から転げ落ちて床に伸びていた。
本当だ、カエルがひっくりかえったみたいだった。
◇
連載は進み、ついにリニは敵の『組織』の本拠地に乗り込む。
痛快なアクション!
本当はこの戦いで、リニは敵の親玉と相討ちになる予定だった。
しかし、私はもう、リニを殺そうとは思っていない。
ここで死ぬようなキャラクターではないと気づいたからだ。
彼女は生き残るだろう。
◇
『……そうですかあ。六郎くんは幽霊でしたかあ……』
「うん。リニが死ぬのを救うためにほんの少しだけ蘇ったんだ。だから目的を果たしたら成仏しちゃうと思う。ここだけちょっとファンタジーだね」
『そうですかー……』
「最終回は別れのシーンになりそう。リニを泣かすことになると思うよ。なんとかしたいんだけどね。あれから色々考えて、少しでもハッピーエンドに持っていこうとしているんだけど。どうしても出来ない。なんとかしたいんだけど……出来ない……」
『ピカッと光って謎のパワーで蘇ることができたら、どんなにかいいんですけどねえ』
「そーだよねぇ。それが出来たら……。でもそれだけはダメ。嘘だもん。自分が信じていないことを読者に信じさせるって最低だから……だから」
「だから……私、六郎を殺すよ」
◇
○ラストバトル
絶対絶命のピンチがリニを襲う!
リニの拳銃は弾が切れ、敵の親玉はロケットランチャーを持ち出してきたのだ。
ニヤリと笑う親玉。その時、ハーレーダビッドソンにまたがった六郎が!
六郎「リニお嬢様ー!」
リニ「ろ……ろくろー!?」
バイクがドギャッ! と親玉の顔面にタイヤのあとを残す!
ひそかに床に撒いておいたガソリンにライターの火を投げるリニ。
リニ「メリー……クリスマス……!」
爆発炎上する敵の本拠地から飛び出すハーレーダビッドソン。大勝利!
◇
――現在、最終回の修羅場中である。
結局、八週間後というのは最終回のことだったわけだ。
お別れの時間が近づいていた。
私は懸命にペンを動かしながら、心の中でカウントダウンをしていた。
描きたくない。でも締め切りは容赦なくデッドラインの奈落と共にやってくる。
ラスト三ページ。
ふいに私は机を立ち上がった。
アシスタントのみんなが、ぎょっとして私を見つめた。
つづく 4/5