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 テディ・ベア/あるいは、誰が運転手をふたたび殺したのか



 

 あなたは――


 漫画やアニメのキャラクターに本気で恋をしたことがあるだろうか?

 

 架空の登場人物の死を、現実の死のように嘆き悲しんだことがあるだろうか?


 私はある。どちらも。




 ◇




 これは、私が体験した不思議な十週間の物語だ。

 あるいは罪の告白でもある。

 かなり奇妙な内容だが、よかったら聞いていってほしい。

 多分、そんなに時間はとらせないと思う。




 ◇





 まず自己紹介からはじめよう。

 私の名前は、茶虎(ちゃとら)レモン。中堅の、といえば聞こえはいいが、だいぶフレッシュさを失い業界での処世術が板についてきた漫画家である。

 その日の朝、いつものように靴下の裏にスクリーントーンの屑をつけたまま、私は仕事場のソファーで眠りこけていた。

 今週も無事に原稿を脱稿し、つかの間の休息を楽しんでいたのである。

 と、そこへけたたましい音。

 携帯が着信したのだ。“ロッキーのテーマ”は担当編集のイイダバシちゃんである。

 原稿を取りに来たのだろうか? とテーブルの上をまさぐり、私は電話に出た。


「……あぁい、茶虎でしゅ」


『あ! レモン先生ですか! 起きてください! 大変です! ネットで先生の漫画が炎上しちゃってますよぅ! ダイッ! エンッ! ジョォオオオオ!』


「ひゃっハイ!?」


 入社して三年目のイイダバシちゃんはほとんどパニックに陥っていた。

 泣きそうな声で事の経緯を説明しはじめる。

 半分寝呆けていた私は、彼女の話を聞いているうちに、顔がさーっと青ざめていった。

 一度電話を切り、携帯でネットにつなぐ。

 私が週刊ハクションで現在連載している漫画「大いなる眠り姫」でとんでもないミスが見つかったというのだが――

 教えてもらったまとめサイトなるものにアクセスした。

 そこにはこうあった。



【大いなる眠り姫】死んだはずの運転手がなぜか生きている件wwwwwww


・あれ? この運転手、前々回くらいで死んだよね? なんでしれっと登場してんだ?


・ほんとだwwwwwwwなんで生きてるんだこいつ?wwwww


・作者バカスwwww編集仕事しろwwwww


・説明なーんもないよね?wモブキャラだから作者も死んだこと忘れていた?



 私は「くわっ」とのけぞった。

 その後も罵詈雑言。デビュー作に遡ってまでの悪口のオンパレードである。

 他にも類例として、有名な作画ミスの画像――技をかけられているジェロ○モが、次のコマでなぜかそれを見て驚いている――が貼られていた。

 正直頭を抱えた。

 自分でも信じられないレベルの“ミス”だった。

 ……ああ、そうとも。認めますよ。殺したの、忘れていたんだよ! てへぺろー!

 と、ここでまた“ロッキーのテーマ”

 電話に出ると、今度はイイダバシちゃんではなく編集長の声がした。


『あ、レモン先生ですか。お疲れ様です、ウマゴメです』


「は、はい! レモンであります!」私は直立不動の姿勢を取った。


『徹夜明けのところ申し訳ないんですが、今からそちらにお邪魔します。善後策を話し合いましょう』

 有無を言わさぬ口調で編集長はそう告げると、電話を切った。




 ◇




 およそ三十分後。

 編集長と、目を真っ赤にしたイイダバシちゃんが仕事場に来訪した。

 多分、タクシーの中でメチャクチャ説教されたのだろう。可哀想に、と思うと同時に自分がしでかしてしまったミスの重大さにいやな汗がどっと噴き出る。

 二人は過去に掲載した原稿の束と、打ち合わせのメールをプリントアウトした紙束を両手に持っていた。

 大慌てで掃除した応接間に二人を通す。

 ソファーに座るなり、編集長は、


「まず、冷静に状況を整理しましょう」


 と言った。

 私は神妙な顔で頷く。

 編集長はこれまでのプロットを確認しはじめた。

 私が連載している漫画「大いなる眠り姫」は、いわゆるハードボイルド&アクションモノである。

 ストーリーはこうだ。

 日本で有数の資産家一家が、ある時何者かの襲撃を受ける。生き残ったのは末娘のリニだけ。病院で蘇生した時、彼女は頭部に銃弾を受けた影響で、復讐以外の感情をすべて失ってしまっていた。資産を相続した彼女は、かつて凄腕のスナイパーだった男を家庭教師に雇い、狙撃の腕を磨く。そして家族の仇を討つために孤独な戦いをはじめるのだった。


 さて、問題の運転手とは、上田六郎という名前のキャラクターである。

 サングラスをかけた少年で、屋敷のお抱え運転手を務めている。

 先々週、リニと六郎が乗るリムジンは、敵の組織に襲われて、サブマシンガンで蜂の巣にされてしまった。直前でリニは車を脱出したものの、六郎は血だるまになっている。

 ところが、だ――

 今週発売の週刊ハクション。最後のコマに私はこんな絵を描いてしまった。



○リムジンの前に佇むリニ

 リニ「あいつらの息の根を止めてやる。今度こそ――」

  六郎、畏まってリムジンの扉を開ける。

  ↑↑


 アオリ「ついに最終決戦……!?」 次号へつづく。



 次号へつづく、じゃねェエエエエエエ! と内心雑誌を破りたい気持ちになった。

 いや、編集長の前でそんなことしないけど。

 編集長は苦虫を噛み潰した顔で、


「念のために確認しておきますが、伏線ってわけじゃないですよね?」


「ああ、いえ……」私は首を振った。「そういう意図はないというか、リニの出撃シーンをいつもの手癖で描いてしまったというか、眠くて朦朧としていたというか……」


 頭を下げた。


「申し訳ありません、編集長! これは私のミスです!」


「いいえぇ……あだじが悪いんですぅ」とこれはイイダバシちゃん。「チェックが甘いがらぁ……だからレモンせんせえの責任じゃないですぅう」


「まあまあ、誰が悪いかをこの場で追求しても意味がない。それよりも、どう辻褄をあわせるかでしょう」


「あの……単行本で修正というわけにはいきませんか?」


 私はおそるおそる提案してみた。

 最後の一コマだけなのだ。六郎を画面から消してしまえば……。

 しかし、編集長はかぶりを振る。


「いいえ――それは駄目です。勿論、これだけ炎上した後では遅いということもありますが、一度出版されたものは事実となるのです。なかった事にするのは創作者の姿勢としていかがなものでしょうか」


「まあ……確かにそうですよね……」


「レモン先生には、この六郎という少年がなぜ再び登場したのか、そこを描いてもらわなければ」


「うーん、といいましてもねェ――」


 唸って腕を組んだ。

 上田六郎というテキトーな名前からもわかるとおり、私はこいつを完全にモブ扱いしていた。サングラスをかけて瞳を見せないのは、こいつはモブですよ、という記号なのだ。


「あ、そうだ!」私はぽんと手を打つ。「上田六郎は確かにサブマシンガンで蜂の巣にされました。しかし、奇跡的に一命をとりとめた、というのは? 確かにまあ、説得力はありませんけど。でもまあ、そういう可能性がなくもない――」


「なんのために?」と編集長。「奇跡的に助かった、これはまあ良いとします。しかしキャラに奇跡が起きるからには、それなりに理由なり出番なりが必要ですよね?」


「うーん、理由……つまり役割、か……」


「どのみぢダメですよお」イイダバシちゃんが言った。「六郎くんは死んでまずぅ。明言されていますもん」


「え? マジ?」


「ほら、先週。リニちゃんが北島先生に会いに病院を訪れるシーンでずう」


 と、イイダバシちゃんが取り出した原稿を私は見た。

 リニが病院のロビーにやってくる。

 背景にテレビがあり、ニュースを流している。



○病院ロビー

ニュースキャスター「殺害されたのは、上田六郎さん十八歳――現在警察は目撃者の情報を」



「あっちゃあああああああああああああああ」


 頭を掻き毟った。

 ていうか、え? これ私が書いた? え? 書いてないよ。記憶にないんだけど? アシスタントの誰かの仕業じゃないのか、これ? 背景が寂しいからって。

 ダメだ、詰んだ! 私は絶望した。

 この漫画はハードボイルドなのである。でっじょぶだ、だっごんぼーうで生きけぇる! というわけにはいかない。死は、死なのだ。


「ふぅむ」


 編集長は原稿を見て――


「うふふっ」


 笑った。いや、笑い事ではないのだが。

 私のジト目に気づいた編集長は、オホンと咳払いをした。


「と、とにかくです。来週は作者急病ということで、おやすみにしましょう。いまは先生も動揺しておられる。態勢を立て直し、案を練りましょう」


「え……それはありがたいのですが。でもまたネットでなんて叩かれるかと思うと……」


 そうなのだ。きっと、作者逃げたなと思われるに違いないんである。

 しかし、編集長はニヤリと妖しく笑い、


「ピンチの時が最大のチャンスをいう言葉をご存知ですか」


「……え?」


「来週は『大いなる眠り姫』の特集ページを載せましょう。いままでのストーリーや登場キャラを読者におさらいしてもらうんです。そして最後に読者にこう挑戦する。再び現れた上田六郎! なぜ? 彼は一体何者なのか!? と」


「ちょちょちょ――」


「こうすれば、これは予定通りのストーリーということになります。ネットではさまざまな考察がはじまるでしょう。いやぁ、盛り上がりますよ、きっと」


「煽ってどうすんですか!」


「というわけで、先生には、なぜ六郎が再び現れたのか誰もが納得する理由を描いてもらいます。いや、描かねばならないのです」


「無理だ!」


「いや描けます。……描けます、よね?」


 編集長の目がギラリと輝く。

 私は、頷くしかなかった。




 ◇




 その日の夕方。

 私はアシスタント諸君に緊急招集をかけた。

 事の経緯を話すまでもなく、彼らは炎上のことを知っていた。共犯者めいた目配せを交わし、なぜかたった今知ったという演技をするのだが、残念だがバレバレである。私に気を遣っているのか、それともとぼけるのがマナーだとでも思っているのか。

 とにかく私は頭を下げた。


「頼む! みんな、知恵を貸してほしい。どうにかして上田六郎を生き返らせなければならないんだ。それもハードボイルドに!」


 アシスタント君たちは困ったようにお互いの顔を見合わせた。


「といわれても――」

「困っちゃうよね」

「俺たちが口を出していいかわかんないし……」


「いや! いいんだ! ガンガン口を出してくれい!」


「でも、これは先生の作品ですし」アシスタントがいっちゃいけない台詞、ワースト3をさらりと言いやがる。「先生がご自分でお考えになったほうが……」


「いや、ヒントだけでもいいんだ! なんでもいいから!」


「というか、何かの伏線だと思っていたよな」と、他のアシスタント君。


「え?」と私。「君は六郎がまた出てきたのに気づいてたのか?」


「ええ、まあ――」


「言っておくれよ! 頼むからさあ! そういうのは指摘してほしいよ!」


 でもぉ……とか口ごもるアシスタント君。と、また別の子が、


「先生。いつも作業がギリギリになるのも原因の一つだと思いますよ」と言った。「だから私たちも見逃しやすいし、書き直ししてたら“落ちる”から指摘しにくくなるんです」


 うっと言葉に詰まる私。

 筆が遅いのは常々面目なく思っているし、方々に迷惑をかけてきた。

 アシスタント諸君は「デジタル環境があればなあ」とよくぼやくのだが、しかしそれ、人数分のぱちょこんと液タブが必要ってことだろう? そんな金、どこから沸いてくんだ!

 それに。

 これはアシスタントのみんなには口が裂けても言えないが、筆が遅くなるのは理由があって――実は、私は「大いなる眠り姫」という作品に飽きていたのだ。

 無口ヒロインが人気だから、という理由でリニというキャラを造形したが、どうにも彼女のことが好きになれなかった。何を考えているのかわからないし、人間味がなさすぎて感情移入できない。

 復讐心以外の感情がないリニは、相手が誰だろうと容赦なく殺す。

 ほとんど台詞がなく、無表情だ。

 誰にも心を開こうとしない。誰にも。


 リニを描いていて楽しくない。

 イイダバシちゃんと具体的な話をしたわけではないが、物語は佳境を迎え、エンディングまでまっすぐに突き進んでいた。

 そして私は。

 最終回で、リニを殺そうと思っていた。




 つづく 1/5

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