向
「ただいま」
帰宅後、返事はないのは承知していたけど、挨拶をする。しかし、
「おかえりなさい」
と母親の返事がして、玄関に姿を見せる。しかも、すでにエプロン姿。
あれ? どうしてだ?
「遅かったじゃない。どうしたのよ?」
ああ、そうか。マシロと話してたから、少し遅くなったのか。とはいえ、いつも7時すぎないと起きてこないというのに。いつも通りじゃない時間に不安を与えてしまったのかもしれない。
「ランニング仲間、って言えばいいのかな。少し話してた」
「あら……あんな早朝に走る人、あなたの他にいたのね」
「そうらしい」
確かに、あんな早朝にランニングするのはかなり奇特な人だろうな。
「もう朝ごはん食べちゃう?」
「少し汗かいたから、先にシャワー浴びるよ」
「わかった、その間に準備してるから」
「ありがと」
オレはジャージの上着を脱ぎつつ、風呂場に向かった。
翌日、オレは信号を渡ったところで待ち構えていたマシロと合流して、流すように走る。というのも、やはり彼女のペースはオレの通常の時よりも遅く、だからと言って置いていくのも忍びなかったからだ。
「なあ」
いつもより遅いペースなため余裕があり、マシロに話しかけた。彼女は少し上がった息の間から、切れ切れに、
「な、なに、よ?」
「この場で一つ聞いておきたい、というか……」
まあ、ありていに言えば、
「今こうして走っているのが義理なら、無理しなくていい。てか、付き合う必要はないからな」
「む、むりなんか、して……ないわよ。これ、は、ワタシが、したいから、してる、の!」
……だいぶ無理してんだろ。
結局、彼女は譲らず、いつもより遅くはなったものの、予定していた距離を走り終えた。
マシロは少しへばったのか、膝に手をついて息を整えていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫よ。いつもよりペース早いから、体力消耗しただけ」
彼女は彼女なりにペースを合わせてくれていたらしい。ま、お互い様ってわけだ。
「ふぅ……」
最後に大きく息をついて、
「じゃ、行きましょうか」
「ああ」
どこに、とはあえて聞かなかった。
歩き出した彼女の背中を追っていたのだが、彼女は速度を緩め、
「隣に並びなさいよ」
そう、促した。オレは肩をすくめてそれに従う。
行き先は住宅街を抜けて駅に向かい、それを超えたところにあるちょっとした歓楽街、的なところ。カラオケやゲームセンターなどがあり、少し物足りないラインナップかもしれないが、とりあえずの欲求は満たせるレベルの、そんな感じの場所。
その一角に、ネットカフェがある。そこが最終的な目的地らしい。
慣れた足取りで24時間営業らしいそのネカフェに入っていくのを追う。手慣れた様子で受付を済ませた彼女は、オレの腕を引いてブースへ。
2人掛けソファと1台のPC。頼りない薄い壁で仕切られたブースの中にある主なものといえばそれだけだ。
カップル用、なんだろうな。いや、いかにカップルと言えど、1つのPCで事足りるのか? 疑問は浮かんだが、気にしないことにして、
「で、ここである意味は?」
「まあ、これから話す、というか見せるわよ」
それよりも、と彼女はオレの顔、それから体へと視線を動かし、
「汗が気になるなら、シャワー借りれば? ナイトパック用に、別料金払えば使えるわよ。ワタシの誘いだし、もちろん代金は持つわ」
オレは自身の体を見下ろし、
「…………」
というか、シャワーの匂いをさせての帰宅ってどうなんだ? いや、その前の、この容姿の整った少女と二人きりになる前にシャワーを浴びるのってどうなんだ? 色々とダメな気がする。
回答。首を横に振る。
「そう……アナタが浴びるなら、ワタシもついでにと思ったけど、いいならいいわ。このまま話を続けましょ」
何が正解だったかはわからないが、とにかく、色々と誤解を招きそうな事態だけは回避できたようである。
トスン、とソファに腰かけた彼女は、隣に座れと手で示す。
オレも大人しくそれに従い、彼女はその間にすでに電源の入っていたPCを操作する。
「じゃ、アナタにやってもらいたいことの1つ目を説明するわね」
真面目なマシロの表情に、オレは知らず背筋を伸ばして傾聴の姿勢を取った。