その1.お父さんがやってくる
拝啓お父さん、お母さん、ばあちゃんへ
元気にしてますか? わたしは相変わらずの施療院と工房をかけまわる日々です。大変だけど、充実した日々をおくってるんだよ。もちろん、本業の医学の勉強も頑張ってます。
大変と言えば、もうすぐ誕生祭がはじまります。お父さんのほうが詳しいのかな。正確には『ティル・ナ・ノーグ誕生記念祭』っていって――
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「また手紙?」
なかばあきれたような声に手を止める。そこには普段の見慣れた作業着とは違ってモスグリーンのツーピースを身につけた友人の姿。
「変かな」
「変じゃないけど、あんたもよく続くよね」
わたしもいつもの仕事着じゃなくて、紺色の下履きに黒の帯でしめた上着といった白花の服装をしている。
「約束だから仕方ないじゃない」
友人のクレイアに唇をとがらせて再び手紙にむかう。確かに、こんなとこまで手紙を書くのって変わっているのかも。でも一度週間づいてしまったものはなかなかぬけそうにはないみたい。
わたし、イオリ・ミヤモトが医学を学ぶために東の国、シラハナから西の大国の大都市、ティル・ナ・ノーグを訪れてはや二年。一通りの行事は体験したし生活習慣も身についた。そんな中で一度も欠かしたことがないのは故郷に手紙を書いて送ること。
現在はグラツィア施療院で医学の勉強をしつつ友人兼相方の工房を手伝う日々。時に同郷の藤堂夫妻が経営する藤の湯を訪れたりティル・ナ・ノーグでできた友人の家に遊びに行ったり。もちろんここまで来るまでに紆余曲折がたくさんあって。そういった日々の出来事を手紙にしたためて逐一知らせる、これが家族と交わした約束だった。
一つは手紙を書くこと
二つは変な意地をはらないこと
そもそも遠いシラハナからアガートラム王国に旅立つことを許してもらったのは手紙で現状を報告するというお母さんとの条件をのんだから。だから、こうして友人の家に泊まりにきたさなかでも手紙を書いているというわけだ。
「『お父さんのほうが詳しいのかな』って、あんたの父さんって、ここ(ティル・ナ・ノーグ)に来たことがあるの?」
手紙を横目で見やりつつクレイアが問いかける。
「『来たことがある』じゃなくて『もともとここにいた』の」
わたしのお父さん、イザム・ミヤモトは生まれも育ちもここティル・ナ・ノーグの人間。そもそもわたしがここへ来たのは異国でより高度な医学を学びたいと思ったから。お父さんの生まれ故郷を一度は見てみたいって気持ちももちろんあったんだけど、なぜか当人に真っ先に反対されてしまった。
『絶対嫁には出さないからな。彼氏なんてもってのほかだ!』なんて変な心配をされて、それから――
「…………」
「今度は何?」
ペンを握っていた手を止めたことに気づいたのか、クレイアが首をかしげる。
「ちょっと嫌なこと思い出して」
筆をとめて、こめかみに指をあてる。
何度も言ってるけど、わたしの家はわたしとお父さんにお母さん、ばあちゃんの四人ぐらし。正確には飼い犬のユウタが一匹いるけど二年前に家を出てから一度も会ってない。
「嫌な事って?」
みんな元気にしてるのかな。怪我とか病気とかしてないといいんだけど。
そんなことを考えていると再び友人からの問いかけ。嫌というか、思い出したくないというべきか。嫌ってはいないんだけど度を過ぎているというか。
悩んで悩んで、また悩んで。
「イオリ?」
「お父さんのこと思い出してた」
わたしの故郷はシラハナだけど、わたしのお父さんはちょっと事情が違っている。わたしの黒い髪はシラハナ生まれのお母さんゆずり、青い瞳はティル・ナ・ノーグ生まれのお父さんゆずり。お父さんのティル・ナ・ノーグでの名前はイザム・フロスト。異国から単身シラハナにやってきて、お母さんと知り合い結婚。そしてわたしが生まれたというわけ。
友人に告げたのはわたしの父親、イザム・ミヤモトのことだった。
お父さんが嫌いなのかと視線での問いかけに肩をすくめる。わたしを育ててくれた両親だ。嫌いになるはずがない。ただ、ちょっとというか、かなりやっかいな一点をのぞけば。
「あたしから言わせれば、それってぜいたくな悩み」
一通りの事情を話すとクレイアが眉根をよせた。
「そうなのかな」
確かにぜいたくな悩みかもしれない。目下の悩みが二年ぶりに会う父親のことなんて。そりゃあ、もっともっと医学を勉強しないとって悩み、志はあるけど一日中ため息をつくような悩みはまずない。そういう意味では確かにぜいたくなのかも。
「クレイアは悩みってないの?」
興味本位で聞いてみると、もちろんあるとの返答があった。じゃあどんな悩みかと尋ねると、それは内緒との声。
「聞くだけ聞いといてずるくない?」
「勝手にべらべらしゃべる、あんたが悪い」
なんだか理不尽な気がする。
「嫌いじゃないなら、なんで嫌なことになるのさ」
「急に思い出したの」
シラハナを旅立つ前のこと。お父さんやお母さんと交わした約束のこと。なぜか、お母さんよりもお父さんの方が泣き出しそうな顔をしていたこと。
と言うよりも、実際に男泣きしてお母さんにたしなめられていたこと。
ティル・ナ・ノーグについてから約二年の間、里帰りは一度もしたことがない。シラハナまで帰るのに片道で七日間、往復で半月の期日と船代がかかるのはもちろんのこと、単純に勉強や工房の手伝いで忙しいというのが理由だ。手紙はちゃんと書いて送っているから音信不通にしてるってことはないんだけど。それでも、ものすごく嫌な予感がしてならない。
きっかけは、昨日届いたお母さんからの手紙だった。なんでも近々こっちに様子を見に来るらしい。
「父親がやってくるだけでしょ? そんなに心配することないじゃん」
「普通の家ならね」
ここで小さなため息ひとつ。確かに普通の家なら久しぶりって笑って出迎えて、場合によっては抱擁でも交わせば立派な再会シーンになりそうな気がする。
普通の家なら。と言うよりも、普通の父親なら。
「普通じゃないってこと? 喧嘩でもして家を飛び出したわけでもあるまいし」
そこで黙り込んでしまったわたしを見て『まさか本当に!?』とクレイアが心配そうな眼差しを向ける。答えられなかったのは、ちょっとだけ本当だったから。本当に喧嘩別れになりそうだったところをお母さんがとりなしてくれて、ティル・ナ・ノーグに無事たどりついて。
「それで、あたしに泣きついたわけか」
「だって……」
お父さんがやってくる。
結局のところ心配だったのはこの一点。異国の地で二年ぶりの再会。楽しみである反面それ以上に心配だった。何がと聞かれても答えようがないけど胸の中でくすぶるなにか。良くないことが起こりそうな、と言うよりもややこしいことになりそうな、漠然とした不安。
お父さんが来る準備と不安を払拭する意味もかねて、施療院が休みの日にクレイアの家に泊まりがけで遊びに来ていた。
「元はティル・ナ・ノーグの人間だったんでしょ? だったら有名どころの林檎にすれば」
「そういうのでいいのかなあ」
「話を聞いてる限りじゃ親バカっぽいし、可愛い娘の手料理でも食べさせてあげればイチコロなんじゃない?」
眉を寄せるわたしに続けてこの台詞。そういうもんだろうか。確かにシラハナだとわたしとお母さんが料理を作っていた。おいしいって食べてくれてたけど、あの頃からあまり上達してないし、そもそもティル・ナ・ノーグの料理も数えるほどしか作れない。
「いっそのこと、あたしの家で林檎料理でも作る?」
「本当に思い浮かばなかったらお願いするかも」
うかない表情のまま書きあがった手紙を封筒に入れていると、ぺしっと額をはたかれた。
「ほら行くよ。家でごろごろしてたら、それこそせっかくの休みが台無し」
「わかってるってば」
そんな会話をしながら友人の家を出る。
その時はまだ、ごく普通の平和な一日だった。
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イオリへ
こちらから手紙をおくるのは久しぶりですね。
元気にしていますか? 私もお父さんも、おばあちゃんも元気にしています。
と、いいたいところだけれど。
残念ながら約一名が暴走してしまって。
近々お父さんがそちらへ向かいます。お仕事の関係みたいだけど、半分以上が口実だと思います。心配だからあの子も同伴させました。いざとなったら私達よりもよっぽど頼りになるんじゃないかしら。
この手紙が行き違いになってないことを願って。何かあったらまた連絡ください。
くれぐれも、あの人が暴走しないよう気をつけて。
宮本瑠璃