桜子編 6
一方、山本少尉は 爆撃の夜は 帰宅をしなかった。
雫子は ずっと起きて待っていたが、嫌な予感が胸を過ぎった。
爆撃のあと 二日後の夕方、ボロボロの軍服にすすだらけの 山本少尉が やっとのことで 戻ってきた。
「少尉、お怪我は?」
雫子が その姿をみて玄関を 飛び出していく。
「いや、大丈夫です。基地が 壊滅状態で・・・申し訳ありません、連絡できずに・・」
少尉は 伏し目がちに 震える声で言った。
「お風呂を、 お風呂を沸かしますから・・」
雫子は 慌てて薪を焼べに風呂へ向かう。
「雫子さん・・」
少尉が呼び止めた。
「は、はいっ」
「い、いえ、なんでもないです。」
雫子は 少尉に微笑んだ。
それは 心からほっとした安堵の表情だった。
その顔をみた 少尉は 次の言葉が言えずにいた。
少尉は 風呂から上がると黙って 部屋にこもり、なかなか出ては来なかった。
家族は 心配していた。
基地が壊滅状態で 命があっただけでも よかったはずだが、少尉はきっと、今まで 苦労を共にした仲間や、大事にしていた兵器を失っている。
なんと 声を かけよう・・・・。
翌朝、家族が朝食をとっていると 昨日とは違う、凛とした いつもの少尉でみんなの前に 現れた。
「突然ですが、皆さんにお別れを言わなければなりません。」
「基地が 壊滅状態の今、生き存えた私は どこか別の基地に転属されると思います。それまで 実家にいるようにとの上官からの命令がありました。」
「少尉・・・」
雫子は涙をこらえて台所に走って行った。
凛子が 心配して その後に続いた。
母は 聞いた。
「基地はそんなに酷い状態なのですか?」
「はい。私も死んでもおかしくない状況でした。ですが、仲間たちに助けられました。」
「少尉、おつらいでしょうから これ以上はお聞きしません。ですが もうこちらには・・・」
「はい。昼前にこちらを出発して 広島に帰ります。実家にて 指令を待ちます。荷物の整理は 済ませてあります。・・・長い間大変お世話になりました」
みな 少尉になんと言っていいかわからず、黙りこんだ。
急に来た少尉との別れを受け止めきれないでいた。
少尉は立ち上がり、台所に向かう。
「雫子さん、最後に私の絵のモデルになってくれませんか?」
凛子は 台所にうずくまって泣く、雫子の背中をそっと 叩いた。
「はい・・・」
女学生たちは 食事を終えると 少尉にお別れをいい、家を出た。
「必ず、手紙をくださいね。」
「少尉、どこへいても ご無事をお祈りしています。」
「少尉、いろいろありがとうございました。書いていただいた絵は 大切にいたします。」
女学生たちは 涙ながらに別れを告げた。
家には 母と萌子、少尉と雫子の四人だけが残された。
母は萌子と一緒に 洗濯を始めた。
二人の間に 会話はなく、黙って 少尉は 雫子をモデルに 絵を描いていた。
お互いに 気持ちを心に伏せたまま・・・
やがて 少尉の出発の時間が近づいて来た。
絵は まだ未完成だった。
「必ず、完成させて、あなたに送りますから。」
「はい。きっとですよ。そして、私たちのこと、どこへ行かれても 忘れないで・・・」
最後は 言葉にならない。
「雫子さん・・」
「はい」
「・・いろいろありがとう。あなたがいてくださったから 厳しい訓練にも耐えられた。」
「また どこかで。来世になるかもしれませんが・・・来世では あなたのような伴侶を持てるといいですね」
少尉は 母に
「戦地におられる美月さんにもう一度 お会いしたかったです。よろしくお伝えください」
「はい。少尉殿もお元気で。」
あまりに突然の 涙の別れだった。
少尉が出て行ったあと、雫子は 母に行った。
「これでよかったのよ。所詮 雲の上の人ですもの」
母は不憫で涙が止まらなかった。
数日後、少尉から、手紙と 完成した絵が届いた。
しかし、転属先は 機密ということで 書かれていなかった。