繰り糸を切った操り人形
アイツの存在はまさに風だった。突然とやってきて一瞬で閉ざされていた俺の世界を壊し、俺を外へと掻っ攫っていった。アイツは自由に生きていた。周囲の目を気にせずに自分の心に忠実に生きてきた。
そして……突然いなくなった。
俺は学校というものに通っていなかった。俺の住む国では学校は義務ではなかった。裕福な家庭では家庭教師で済ませたりすることも結構ある。逆に貧乏な家庭では学校に行かずに子供の頃から働いたりする事も結構ある。俺はどちらかといえば前者に近い。
俺の父親はでっかいマフィアのボスをしている。俺の中に才気を見出したらしい父親は俺にあとを継がせるため教育を施した。いや、教育という言葉では不適切だろう。父親は人形を作ろうとしていた。自分と同じ考えを持ち、自分の命令には忠実に従うそんな操り人形を・・・。そのために俺は学校にも行かず様々な訓練を受けた。格闘訓練、人身掌握術、英才教育…一日のほとんどをそうして過ごしていた。
十歳になった頃には人を殺した。それはガラス細工を壊すようでとても簡単な事だった。標的に向かって引き金を引く、それだけで一つの命が儚く散った。なんて簡単なんだと呆気に取られた。
俺が十六歳となった頃、もくろみ通り、俺は父の操り人形と成り果てていた。余計なことは考えず、その場を乗り切るのに必要な事を考える事に思考する。そして父親からの任務は忠実に仕上げる。そしてその生活を普通だと思い何の疑問も抱かずに淡々と生きていた。
そして、俺はアイツと出会った。あの日、俺は頭の軽そうな男達に囲まれていた奇麗な黒髪と黒い眼を持った少女を見た。助けたのはただの気まぐれだった。男達をかるくのした俺の力を見てアイツは恐れるでもなく、利用しようとたくらむでもなく、ただ純粋な笑顔を向けた。そんなことは初めてだった。そんな顔を俺は見たことがなかった。それから俺とアイツはたまに会って軽く話したりした。
俺はアイツに会える日が毎日待ち遠しかった。こんな感情は初めてだった。俺はこの名も知らぬ感情をはっきり言ってもてあましていた。ある日、ファミリーの中でも数少ない俺と普通に話してくれる男に俺は、このもてあまし気味の感情について相談してみた。俺の話を聞き終えると彼は驚いたようで、見事に固まった。そして、とても嬉しそうに笑って俺に言った。それは恋だ、と。そして、ついにお前にも春が来たんだなぁ、と俺の頭をなでた。後のほうの台詞の意味がよくわからなかった。だがその時、俺はこの感情が恋と言うことを知った。正体不明の感情の名前を知った事により少し安心した。
いつもふとした時にアイツの笑顔が浮かんできたり、アイツの事が気になったりとすることに最初は戸惑っていた。だが少しするとそれも不快なものではなく、むしろどこか心踊るようなものだった。こんなものも初めてだった。あいつに会ってからどうも初めてなことがたくさん俺に起こっている。
そんな俺に、彼は一つ助言をくれた。女には花を贈るといいらしい。後、花言葉を考えて贈ったほうがいいらしい。花言葉なんて知らない俺に彼は花言葉図鑑を貸してくれた。何でそんなものを持ってるのかは聞かないでおいた。
助言どおり、俺はアイツに花を贈った。"ストロベリーフィールド"、あいつの母国であるニホンという国では"センニチコウ"と呼ばれる花だ。花言葉は・・・いや、恥ずかしいからやめとこう。アイツは少し驚き、チョイスに首をかしげ、そしていつものように俺に「ありがとう」と微笑んだ。
俺はこの暖かい日々に終焉が来るなんて考えてもいなかった。だが、その暖かい日々は崩れてしまった。製作者である父親が、己の作品である人形の異変に気づいたのだった。徹底的に調べられ、アイツの存在が知られたのだった。そして俺にとって恐ろしい計画が立てられた。
そんなことは露知らず、俺はいつもの通り父親の任務を受けていた。だがおかしなことに今日は父親も任務へついてきた。そのことに特には疑問を持たず、俺たちは標的がいるという場所へ車を向かわせた。
標的がいると言うアパート、その一室にいたのはアイツだった。縛られ、猿轡をかまされていた。戸惑う俺の耳元で父親はささやいた。殺せ、と。すると、俺の手は腰の銃を掴みアイツに狙いを定めようとしていた。とっさに俺は嫌だ!と叫び、銃を収めようとした。だが俺の意図に反して俺の体は父親の命令どおりに動いた。"教育"の成果だった。
プシュッ プシュッ
サイレンサーの取り付けられて銃から銃弾が放たれた。そして、目の前でアイツが息絶えるのを俺は見ることしか出来なかった。呆然としている俺の肩をたたき、父親はよくやった、と俺を褒めた。その瞬間、俺の中で何かが切れた。
プシュッ プシュッ プシュッ
気がついたときには父親はただの肉塊へと成り果てていた。
その日、俺は自分を縛る繰り糸を断ち切った。
―2006 9.17 ** ** ここに眠る―
一つの墓の前に俺は立っていた。墓の前にはあの日と同じ"ストロベリーフィールド"の花があった。
「俺、今はちゃんと人間でいられているはずなんだぜ。これもお前のおかげだよ。俺はお前に出会ったから人間になりたいと思えたんだ」
アイツの墓の前で俺は報告をした。アイツは俺が人間であるとよく言っていた。そうだ、と俺は思い出したように言った。
「そういえば、あの日の俺があげた花の花言葉知ってるか?」
その時、墓地の入り口の方で控えさせていた部下が俺を呼んだ。
「また来るよ。今度はそうだな、シオンの花を持ってくることにするよ」
その時、一陣の風が吹いた。気持ちの良い風に俺は軽く微笑みを漏らした。
ストロベリーフィールドの花の花言葉は"永遠の恋"、シオンの花の花言葉は"君を忘れない"なんだぜ。
悲恋……のつもり。