地味な双子の姉として『身代わり聖女』を命じられましたが、新天地での私の仕事は『魔王のメンタルケア』でした
「――いいわね、ライラ。あなたは今日からセフィナとして魔王領へ行くのよ」
豪奢なシャンデリアが輝く王宮の広間。そこに響いたのは、慈しみなど欠片もない実の父――現国王の冷酷な声でした。
私の目の前では、双子の妹であるセフィナが、わざとらしく目元をハンカチで拭っています。その唇が、私にだけ見える角度で「勝ち誇ったように」歪んでいるのを、私は見逃しませんでした。
「お父様、お姉様にこんな役目を押し付けるなんて……。でも、魔王は恐ろしい怪物だと聞きますわ。絶世の美女である私が行けば、何をされるか分かったものではありませんもの。……ごめんなさい、お姉様。私の代わりに、生贄になってちょうだい」
白々しい。
私たちは双子ですが、いわゆる「光と影」のような関係でした。
セフィナは輝くような金髪に、宝石のような青い瞳を持つ、誰が見ても愛らしい「美の聖女」。
対して私は、くすんだ砂色の髪に、焦点の定まらない灰色の瞳。おまけに魔力量も測定不能なほど低く、いつしか「出がらしの聖女」だの「地味すぎる姉」だのと蔑まれてきました。
今回、隣接する魔王領との和平条約の一環として、「聖女を一名、親善大使として派遣する」という条件が提示されました。
建前は親善大使。ですが、その実態は人質、あるいは魔王の空腹を満たすための供物。
死地に向かう役目を、王家は「価値のない方の娘」である私に押し付けることに決めたのです。
「……分かりました。お受けいたします」
私は静かに頭を下げました。
この国に未練はありません。毎日、妹の引き立て役として罵られ、食事さえ満足に与えられない生活。それならいっそ、魔王に食べられてしまった方がマシかもしれない。そんな自暴自棄な気持ちもありました。
「物分かりが良くて助かるわ! これ、私の古いドレスだけどあげる。魔王様も、少しは着飾った女の方が食べ応えがあるでしょうしね」
セフィナが放り投げたのは、流行遅れで裾がボロボロになったドレス。
私はそれを黙って拾い上げ、最低限の荷物だけをまとめて、翌朝、黒塗りの馬車に乗り込みました。
見送りは一人もいませんでした。
***
魔王領への道中は、まさに「絶望」を形にしたような景色でした。
空はどんよりとした紫色の雲に覆われ、枯れ果てた木々が幽霊のように立ち並んでいます。馬車を操る御者も、いつの間にか角の生えた魔族に代わっていました。
(……ああ、本当に死ぬんだわ。私)
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私は冷え切った自分の手を握りしめます。
数日の旅を経て、ついに目の前に現れたのは、空を突き刺すような禍々しい尖塔を持つ「黒鉄城」。魔王の居城です。
馬車が止まり、扉が開かれます。
そこに立っていたのは、執事服を完璧に着こなした、眼鏡の魔族でした。
「ようこそおいでくださいました、聖女セフィナ様。……いえ、失礼。ライラ様とお呼びすべきでしょうか」
私は心臓が跳ね上がるのを感じました。
「な……ぜ、私の名前を?」
「我ら魔族は、嘘を見抜くのが得意でして。……まあ、事情は察しております。王家が『本物』を惜しんで、地味な方の娘を身代わりに寄越したのでしょう?」
執事――マルバスと名乗った男は、侮蔑の色を見せるかと思いきや、深い溜息をつきました。
「正直、助かります。今の陛下に、あの派手で騒がしい妹君が来られたら、城が物理的に崩壊していたところでしたから」
「……え?」
「さあ、案内しましょう。我が主、魔王ゼス様がお待ちです。ただし……」
マルバスは真剣な表情で私を見つめました。
「陛下は現在、非常に『不安定』です。命の保証はいたしかねますが、どうか……どうか、陛下の話を最後まで聞いてやってください」
――そんなに恐ろしい怪物なの?
私は震える足を叱咤し、長い回廊を歩きました。やがて辿り着いたのは、重厚な装飾が施された大寝室の扉。
マルバスが扉を開くと、そこには濃密な「闇」が漂っていました。
部屋の隅々まで行き渡る、重苦しい、粘り気のある空気。それは魔力というより、もっとドロドロとした「負の感情」の塊のようでした。
部屋の奥、巨大な天蓋付きのベッドに、その男は座っていました。
漆黒の髪を乱し、血のように赤い瞳には深い隈。
鋭い角が頭から生え、逞しい肢体からは、触れるものすべてを破壊しそうな暴力的なまでの威圧感が放たれています。
彼こそが、世界を恐怖に陥れる魔王ゼス。
彼は私をギロリと睨みつけると、地を這うような低い声で言いました。
「……また、聖女か。もういいと言ったはずだ。祈りも、光の加護も、今の俺には吐き気がするだけだ」
その声には、怒りよりも――深い「疲弊」が混じっていました。
「帰れ。さもなくば、今すぐここで食い殺してやる」
普通の聖女なら、ここで泣いて逃げ出すか、結界を張って抵抗するでしょう。
けれど、私は違いました。
私はかつて、ブラックすぎる王宮で「誰からも評価されず、ただ黙々と書類仕事と調整をこなす」日々を送っていました。その中で、精神を病んでいく同僚や上司を腐るほど見てきたのです。
今の魔王様の目は、それと同じでした。
これは「王」の目じゃない。――「過労とストレスで限界突破した中間管理職」の目だ。
私は気づけば、震えを忘れて一歩前に踏み出していました。
「……魔王様。お食事の前に、まずはその重苦しいカーテンを開けてもよろしいでしょうか? あと、その枕。高さが合っていません。首を痛めますよ」
「……あ?」
魔王ゼスが、呆然とした声を漏らしました。
***
「な……何を言っている。俺は魔王だぞ? 今にもお前を殺そうとしている男に、枕の心配だと?」
「殺されるにしても、不衛生な部屋は嫌なんです。私、地味な性格なもので、散らかった部屋を見ると落ち着かなくて」
私はマルバスから掃除用具をひったくるように受け取ると、まずは窓辺に駆け寄り、遮光カーテンを勢いよく開けました。
魔王領の空は暗いですが、それでも外の空気を入れるのは基本です。
「ぐっ……光が……」
「光の魔法じゃありません、ただの日光です。我慢してください。それから、失礼しますね」
私はベッドに近づき、魔王が背負っている大きなクッションを叩いて形を整えました。
さらに、荷物からこっそり持ってきた「鎮静作用のあるハーブのポプリ」を取り出し、サイドテーブルに置きます。
「……なんだ、この匂い。鼻が曲がるような聖なる香水の匂いとは違うな」
「ただの草です。私の唯一の特技が、薬草の調合なんです。派手な奇跡は起こせませんが、安眠のお手伝いならできます」
私は彼の真っ赤な瞳を、真っ直ぐに見つめ返しました。
近くで見ると、彼は確かに恐ろしい姿をしていますが、その肩は驚くほど強張っています。
「魔王様。あなたは最近、まともに眠れていないのではないですか? 食欲もなくて、何を見てもイライラして、でもやらなきゃいけない仕事(侵略や統治)は山積みで、逃げ出したいのに逃げ場所がない……。違いますか?」
ゼスは言葉を失ったように絶句しました。
その沈黙こそが、肯定の証でした。
「……ふん。人間ごときが、俺の何を知っているというのだ。俺は魔族の頂点だ。弱音など許されない」
「一人で抱え込むから、魔力が暴走して部屋がドロドロになるんです。これを放置すると、部下の方々も疲弊しますよ。現に、マルバスさんは泣きそうな顔で私をここに案内しました」
私はぐいっと身を乗り出しました。
「私は『身代わり』として捨てられた、価値のない聖女です。だから、あなたを救うような大層な祈りは捧げられません。でも、あなたの愚痴を聞き、部屋を整え、胃に優しいスープを作るくらいならできます」
私は彼の大きな手を、そっと両手で包み込みました。
驚くほど熱く、そして小刻みに震えている手。
「魔王様、いいえ、ゼス様。今日から私の仕事は、あなたの『メンタルケア』です。……文句は、寝てから仰ってください」
最強の魔王が、毒気を抜かれたように「……好きにしろ」と呟いて横になったのは、それから数分後のことでした。
翌朝、私は魔王城のメイドたちに囲まれていました。
魔族のメイドたちは、角があったり肌が青かったりと様々ですが、一様にその表情は暗く、目の下には深い隈がありました。
「いいですか、皆さん。陛下が荒れていたのは、性格のせいだけではありません。『環境』が悪すぎたのです」
私は腕まくりをして、メイド長に指示を出しました。
まず着手したのは、城内の「換気」と「採光」、そして「溜まりに溜まった書類の整理」です。
「聖女様、ですが陛下は光を嫌いますし、我らも闇の中で過ごすのが習わしで……」
「それは『疲れすぎていて刺激に敏感になっている』だけです。ずっと暗いところにいたら、心まで腐ってしまいます。あと、この廊下の隅の埃! これが魔力を澱ませ、皆さんの呼吸器を痛めているんです」
私は現代知識――というより、前世のブラック企業で学んだ「メンタルヘルスの基本」と「効率的な5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)」を叩き込みました。
最初は戸惑っていたメイドたちも、私が魔法で汚れを落とすのではなく、重曹やクエン酸に似た性質の薬草を使い、物理的に城を磨き上げる姿を見て、次第に協力してくれるようになりました。
その日の昼食。私は厨房を借りて、ゼス様のために特別なスープを作りました。
魔界の食材は毒々しい色をしていますが、適切に処理すれば滋養強壮に優れています。
「……何だ、これは。白いな」
起きてきたゼス様が、ダイニングの椅子に座り、不機嫌そうに皿を睨みました。
「根菜のポタージュです。今のあなたの胃腸は、分厚いステーキを受け付けません。一口ずつ、ゆっくり飲んでください」
「指図するなと言っただろう……」
毒づきながらも、ゼス様はスプーンを口に運びました。
一口。二口。
その瞳が、わずかに見開かれます。
「……優しい味がする。毒など入っていないだろうな」
「毒を入れるくらいなら、もっとマシな暗殺を考えます。それより、午後からは一緒に庭を歩きましょう。日光浴はセロトニン……いえ、『幸福の魔力』を出すのに不可欠なんです」
「セロ……? 訳のわからんことを。俺は忙しいのだ。人間領への進軍計画を練らねば……」
「却下です。そんな充血した目で地図を見ても、まともな判断はできません。一時間の散歩か、私の膝枕での強制昼寝、どちらがいいですか?」
ゼス様は顔を真っ赤にして絶句しました。
最強の魔王を相手にここまで強気に出られるのは、私が「いつ死んでもいい」と思っていたからですが……最近は少し、考えが変わってきました。
この不器用な魔王を、もう少し健康にしてあげたい。それが、捨てられた私の新しい「仕事」になったからです。
***
一方その頃。
ライラを追い出した側のアルカディア王国では、異変が起きていました。
「……どういうことだ! なぜ、王宮の結界が弱まっている!?」
国王の怒声が、会議室に響き渡ります。
かつては眩いばかりに輝いていた王宮の至るところで、壁にひびが入り、庭の花々は枯れ始めていました。
「それが……聖女セフィナ様が祈りを捧げても、以前のような効果が得られず……」
「馬鹿な! あの子こそが真の聖女。あんな地味なライラなど、何の役にも立っていなかったはずだ!」
そう、この国の誰もが勘違いをしていました。
セフィナの放つ派手な光の魔法は、あくまで「見た目が華やか」なだけ。
実際には、姉のライラが毎日夜遅くまで城中を歩き回り、微細な魔力を調整し、薬草を調合した香を焚き、建物の歪みを物理的・魔力的にメンテナンスしていたからこそ、王宮の神聖さは保たれていたのです。
「お父様ぁ! お肌がガサガサになっちゃったわ! この城、なんだかカビ臭くない!? ライラにやらせていた掃除、誰がやってるのよ!」
セフィナが真っ青な顔で駆け込んできました。
彼女は知りませんでした。自分の「美しい聖女」というイメージを保つために、姉がどれだけの裏仕事をこなしていたかを。
衣装の染み抜き、肌に合う化粧水の生成、そして夜な夜な繰り返される不平不満の聞き役。
それらすべてが失われた結果、セフィナの美貌は見る間に衰え、王宮はただの「ボロい古い建物」へと成り下がりつつありました。
「……まさか、ライラのあの地味な作業に、それほどの価値があったというのか……?」
国王が愕然と呟いた時には、すでに遅すぎました。
王国の財政もまた、ライラがこっそり添削していた「無駄な支出リスト」が無視されたことで、急速に悪化し始めていたのです。
***
魔王城での生活が二週間を過ぎた頃。
ゼス様の顔色は見違えるほど良くなっていました。
「ライラ。……貴様は、なぜ俺を怖がらない」
月の光が差し込むバルコニーで、ゼス様がふと漏らしました。
散歩の甲斐あってか、彼の放つ毒々しい瘴気は消え、今は穏やかな魔力の波動が彼を包んでいます。
「言ったでしょう? 私は地味で、価値がないと言われて育ったんです。死ぬのも怖くありませんでした。……でも」
私は、彼の隣に並びました。
以前は近寄るだけで殺されそうだった彼が、今は私のために少しだけ場所を開けてくれます。
「今は、少しだけ怖いです。私が死んだら、あなたの部屋がまた散らかってしまう。それが心配で」
「……馬鹿な女だ。そんなことのために、命を惜しむのか」
ゼス様は呆れたように笑いましたが、その手は私の頭を優しく撫でました。
大きな、熱い手。
妹と比較され、親に疎まれ、誰にも触れてもらえなかった私の心を、魔王の指先が癒していきます。
「ライラ。人間どもは、貴様を『身代わり』として寄越したな」
「はい。私は、セフィナの代わりです」
「いいや、違う。あんな騒がしい女がここに来ていたら、俺は初日に殺していた。貴様だから、俺は剣を置いたのだ」
ゼス様は私に向き直ると、真剣な眼差しで告げました。
「人間領の奴らが、泣いて返せと言ってきても、もう離さぬ。貴様は俺が、世界で最も過保護に扱うことに決めた。……異論はないな?」
それは、和平条約の「人質」としての宣告ではなく。
一人の男としての、あまりに独占欲の強い告白でした。
「……メンタルケアの延長としてなら、お受けいたします。陛下」
私が微笑むと、魔王様は顔を歪めて「……素直ではない女だ」と呟き、そのまま私を強く抱きしめました。
その時、城の入り口で大きな騒ぎが起きていることに、私たちはまだ気づいていませんでした。
魔王城の正門前に現れたのは、かつての私の「家族」と、ボロボロになった騎士団でした。
「ライラ! そこにいるのでしょう! 早く出てきなさい!」
金切り声を上げているのは、妹のセフィナです。
かつて「美の聖女」と謳われた彼女の面影は、今や見る影もありません。自慢の金髪は手入れが行き届かずパサつき、高価なドレスは泥に汚れ、何よりその顔はストレスと焦りで酷く歪んでいました。
その隣には、顔を真っ青にした父――国王の姿もあります。
私とゼス様は、城のバルコニーから彼らを見下ろしました。
「……あれが、貴様を捨てた家族か」
ゼス様の声は低く、怒りで空気がピリピリと震えています。
「ライラ、どうしたい。俺が今すぐ、あのアリのような群れを塵にしてもいいのだぞ」
「いいえ、ゼス様。そんなことをしたら、あなたの血圧が上がってしまいます。せっかく整った自律神経が台無しです」
私は彼の手を優しく握り、なだめました。
そして、一歩前に出て階下の彼らへ告げます。
「お父様、セフィナ。そんなに大声を出すものではありませんわ。魔王城の静寂を乱すのは、マナー違反です」
「ライラ! 生意気なことを! いいからすぐに戻ってきなさい。あなたがいないせいで、王宮の結界がボロボロなのよ! 掃除も料理も、誰もまともにできないの!」
セフィナの言葉に、私は思わずため息をつきました。
やはり彼らは、最後まで気づかなかったようです。
「セフィナ。私がしていたのは『掃除』や『料理』だけではありません。私の魔力特性は『平準化』……つまり、乱れたエネルギーを整え、正常な状態に保つこと。私が毎日城を磨き、皆さんの話を聞いていたのは、国全体の魔力バランスを維持するためだったのです」
私の魔力量が測定不能だったのは、低かったからではありません。
常に周囲と「同調」し、自分の中に溜め込まない性質だったから。いわば、巨大な浄化フィルターのような役割を果たしていたのです。
「私というフィルターを捨てて、泥水を飲み続ける生活はいかがですか?」
「うっ……そ、それは……! とにかく、これは命令だ! 王の命令に従え!」
国王が叫んだ瞬間、隣にいたゼス様から、凄まじいプレッシャーが放たれました。
空が真っ黒に染まり、赤い雷鳴が轟きます。
「……誰に、何を命令している?」
ゼス様がふわりと宙に浮き、地上へと舞い降りました。
その背中には巨大な漆黒の翼。
魔王の威圧感に、王国の騎士たちは腰を抜かしてへたり込みました。
「ライラはもはや、貴様らの道具ではない。俺の心と体を癒し、この国を導く『魔王妃』となる存在だ」
「ま、魔王妃だと……!? あんな地味な、出がらしの娘を!?」
「地味? ふん、貴様らの目は節穴か。これほどまでに澄んだ魂を持ち、俺の孤独を埋めてくれた女が、他にいるものか」
ゼス様は迷うことなく私の元へ戻ってくると、皆が見ている前で、私の腰を抱き寄せ、深く口づけをしました。
「ひゃいっ……!?」
「静かにしていろ。……これは、俺のメンタルケアだ」
耳元でそう囁かれ、今度は私の自律神経が爆発しそうになりました。
***
結局、王国側はゼス様の一喝によって、這々の体で逃げ出していきました。
その後、アルカディア王国は「聖女の不在」と「悪政」がたたり、隣国に吸収される形で消滅したと聞いています。セフィナや父がその後どうなったか、私は詳しく知りません。ただ、自分たちの不摂生を反省し、自力で掃除から学び直していることを願うばかりです。
一方、魔王城は。
「ライラ様! 例の『福利厚生計画案』ですが、陛下が『ライラとの時間が減る』と渋っております!」
マルバスが困り顔で書類を持って走ってきます。
城の中は、かつてのドロドロとした雰囲気はどこへやら、今では魔族たちの活気にあふれていました。
「もう、ゼス様ったら……。マルバスさん、それは私が後で説得しておきます。あ、それから食堂に『ヘルシー魔界定食』のレシピを渡しておいたので、確認してくださいね」
「承知いたしました! いやはや、ライラ様が来てからというもの、城の離職率がゼロになりましたよ」
私は苦笑いしながら、最上階の執務室へと向かいました。
扉を開けると、そこには書類の山を前に、今にもふて寝しそうな魔王様の姿があります。
「ゼス様。またサボろうとしていませんか?」
「……ライラ。遅い。貴様が補充されないと、俺の魔力が枯渇する」
そう言って、ゼス様は私を抱き上げ、自分の膝の上に座らせました。
かつての冷徹な面影はどこへ行ったのか、今の彼は驚くほど甘えん坊で、そして健康的な色気を放っています。
「はいはい、休憩ですね。ハーブティーを淹れますから」
「茶などいらん。……貴様の匂いを嗅がせろ。それが一番の薬だ」
首筋に顔を埋められ、私は顔が熱くなるのを感じます。
身代わりとして、死ぬつもりでやってきたこの場所。
けれど今では、ここが私の居場所で、私が守るべき大切な「聖域」になりました。
「……大好きですよ、ゼス様」
「……知っている。俺の方が、その数万倍は貴様を欲していることも、忘れるな」
地味な姉として虐げられてきた私は、今、世界で一番贅沢な「魔王専用のセラピスト」として、最高に幸せな日々を過ごしています。
魔王様のメンタルケアは、どうやら一生終わりそうにありません。
……まあ、それも悪くないかな、なんて思う今日この頃です。




