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第4話 鑑定特許の完全奪還


「意義あり! 裁判長、今の証言は断じて認められません! 佐藤はただの、その、言わば『コードを書くための高度な周辺機器』に過ぎなかったのです! 権利の主体は、それらを有機的に統合したCEOである私にある!」


東京地方裁判所、第710号法廷。

かつての「スタートアップの風雲児」こと神代勇太は、今や見る影もなく窶れ果てていた。

自慢だったイタリア製スーツはシワだらけになり、高級美容室で整えていたはずの髪は、まるで連敗続きのギャンブラーのようにボサボサだ。

彼の隣に座る弁護士も、神代の資金が凍結されたせいで格安で雇われたのか、資料の整理すらおぼつかない様子で必死に汗を拭っている。


「……神代様。周辺機器、とはまた随分と斬新な法解釈ですね」


僕の隣で、九条美琴が扇子を広げるような優雅さで六法全書を閉じた。

彼女の表情は、獲物の息の根を止める直前の死神のように、冷たく、そしてどこまでも美しい。


「裁判長、被告側は『有機的な統合』などという抽象的な言葉でごまかそうとしていますが、特許法において最も重要なのは『発明の成立に誰が実質的に寄与したか』です。提出した証拠物件、第12号から第45号……佐藤様が学生時代から書き溜めていた開発ログ、および、神代様がコードを一行も理解していなかったことを示す社内チャットのログを再度ご確認ください」


九条が指し示したモニターには、神代が僕に送ってきた過去のメッセージが映し出された。


『佐藤、なんか画面が黒くなったんだけどこれバグ?』

『アルゴリズムとかどうでもいいから、もっとこう、キラキラした感じにしてよ』

『特許? 俺の名前で出しといたから。お前は開発に集中しろ、それがお前のためだ』


法廷内に、失笑に似た空気が漏れる。神代の弁護士が、もはや隠しきれない絶望とともに顔を覆った。


「これらの証拠により、本件発明の『特許を受ける権利』は、原始的に佐藤様に帰属していたことが明白です。神代様が行った出願は、真の発明者から権利を盗み取った、いわゆる冒認出願に他なりません。裁判長、判決を」


九条の言葉は、法廷という聖域において絶対的な法力を持っていた。

裁判官が眼鏡を押し上げ、冷徹なトーンで主文を読み上げ始める。


「主文。被告、神代勇太は、原告、佐藤蓮に対し、本件特許権の移転登録手続きをせよ。また、被告が不当に得たライセンス料および損害賠償として、計二十二億四千万を支払え……」


「二十二億……? 払えるわけないだろ! 会社はもう差し押さえられて、一円も残ってないんだぞ!」


神代が椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。だが、その叫びを遮るように、法廷の重厚な扉が開く。

入ってきたのは、制服姿の警察官たちだった。


「神代勇太さん。民事の判決も出たようですし、次は刑事の方でお話を伺いましょうか」


「な、なんだよ、刑事って! 俺は負けたんだぞ! もう十分だろ!」


「そうはいきません。あなたがライセンス料を海外のダミー会社に隠匿しようとした行為、これは組織的な『特別背任罪』および『強制執行妨害目的財産隠匿罪』にあたります。それから、投資家たちに対する詐欺の疑いもね。……署までご同行願います」


神代の腕に、冷たい手錠がかけられた。

かつて彼が僕の首にかけて見せた、見せかけの「成功という名の首輪」よりも、ずっと重く、逃れられない本物の鎖だ。


「佐藤ぉ! お前、これで勝ったと思うなよ! 俺がいなきゃ、あの技術を誰が売るんだ! エンジニアだけの会社なんて、すぐに潰れるに決まってるんだ……!」


連行されていく神代の背中に、僕は最後の一言を投げかけた。


「神代。お前は最後まで勘違いしてるよ。技術を売る前に、まず『人間』を鑑定すべきだったんだ。……お前の市場価値、今の判決で確定したよ。マイナス二十二億四千万。お前はもう、ゴミですらない」


神代の叫び声が遠ざかり、法廷に静寂が戻った。

九条が大きく伸びをして、僕に向かって悪戯っぽく微笑んだ。


「お疲れ様でした、佐藤さん。完全勝訴ですね。……さて、着手金の残りと、成功報酬の計算を始めましょうか。私の鑑定では、あなたの未来はこれから数千億の価値を生むはずですから、私の取り分もたっぷり頂きますよ?」


「……九条先生。あなた、本当に守銭奴ですね」


「最高の褒め言葉です。……さあ、行きましょう。新しい会社の登記、もう準備はできていますよ。社名は決まりましたか?」


僕は法廷の窓から見える、突き抜けるような青空を見上げた。

あの日、麻布台ヒルズのビルから放り出された時には想像もできなかった、自由な風が吹いている。


「『株式会社アプレイザル・レボリューション』。……鑑定で、世界を正直にする会社です」


---


一ヶ月後。

都内にある、清潔感の漂う小さなオフィス。

そこには、神代がいた頃のような豪華な革張りのソファも、金ピカのシャンパンタワーもない。

あるのは、高性能なPCと、真剣な眼差しで画面に向き合う若いエンジニアたちの熱気だけだ。


僕たちの元には、あの日以来、多くの企業から依頼が舞い込んでいる。

「我が社の技術が正当に評価されているか、鑑定してほしい」

「不当な契約で搾取されている開発者を救ってほしい」

僕が開発した『鑑定エンジン』は、今や嘘を見抜き、真の価値を浮き彫りにするための、最強の「法の剣」となっていた。


そして、かつての「仲間」たちのその後も、時折耳に入ってくる。

営業担当だった木村は、連帯債務の返済のために昼夜を問わず肉体労働に励んでいるという。

広報のサラは、ブランド品をすべてメルカリで売り払い、今は片田舎のコールセンターで、かつて自分が馬鹿にしていた「クレーム対応」に追われる日々だ。


そして、神代勇太。

彼は今、冷たい塀の中で、自分が最も軽蔑していた「マニュアル通りの規則正しい生活」を強いられている。

彼が一番欲しがっていた「特別感」は、そこには微塵も存在しない。


「佐藤社長。新しい依頼人です」


秘書の、ではなく、今や僕のビジネスパートナーとなった九条美琴が、ドアをノックした。

彼女の隣には、かつての僕と同じように、疲れ果て、しかし目に強い意志を宿した一人の青年エンジニアが立っていた。


「……私の発明が、共同創業者の魔法使いに盗まれました。取り返せますか?」


青年が震える声で言う。

僕は立ち上がり、彼に向かって穏やかに、しかし確信に満ちた声で答えた。


「大丈夫です。あなたの技術の価値は、僕たちが鑑定します。……そして、奪われたものは、法とコードですべて取り返しましょう」


僕はデスクに置かれた、新しい名刺を彼に手渡した。

そこには、かつて神代が捏造した「0円」ではなく、無限大の可能性を秘めた僕の新しい肩書きが刻まれている。


代表取締役兼、真の鑑定士。


窓の外には、新しい時代の太陽が昇っていた。

技術を愛する者が、二度と誰かの踏み台にされない世界を作る。

そのための長い、けれど最高の「デバッグ作業」は、まだ始まったばかりだ。


(完)

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