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第3話 崩壊する勇者の虚飾


「待て、待て待て待て! 差し止め!? 何なんだそれは! 木村、お前広報だろ、今すぐこの画面を消せ! 投資家が見てるんだぞ!」


麻布台ヒルズの最上階。昨日まで「次世代の旗手」としてシャンパングラスを傾けていた神代勇太が、今は見るも無残な形相で大型モニターに掴みかかっていた。

画面には、佐藤が開発した鑑定エンジン『ミエール』の代わりに、巨大な赤い文字が躍っている。


【警告:知財侵害による業務停止命令(仮処分)が執行されました】

【本システムの使用、公開、および第三者へのライセンス供与を直ちに禁じます】


「無、無理ですよ勇太さん! サーバーの管理者権限が完全にロックされてて、僕らのパスワードが全部弾かれてるんです! これ、佐藤の野郎が仕組んだ『呪い』ですよ!」


営業担当の木村が、額から滝のような汗を流しながらノートPCを叩く。だが、画面には虚しく「Access Denied」の文字が並ぶだけだ。

傍らでは、広報のサラがヒステリックに叫んでいた。


「ちょっと! 私のインスタにアンチコメントが殺到してるんだけど! 『泥棒スタートアップ』とか『パクリ勇者』とか、これじゃ私のブランディングが台無しじゃない! どうにかしてよ勇太さん、私、インフルエンサーとしての案件も抱えてるのよ!?」


「黙れ! 金ならいくらでもある、優秀なホワイトハッカーを今すぐ雇え! 佐藤ごときが作ったシステム、力技でこじ開け……」


「……残念ながら、その『金』も、現在は自由に使えませんよ?」


会議室の扉が、音もなく開いた。

そこに立っていたのは、漆黒のスーツを隙なく着こなした九条美琴と、その後ろで冷めた視線を送る僕、佐藤蓮だ。

九条の手には、裁判所の刻印が押された分厚い書類の束が握られている。


「き、貴様ら……! よくもノコノコとここへ来られたな!」


「ノコノコ、ではありません。本日は『資産の仮差し押さえ』の執行に立ち会いに参りました。執行官の方は、あちらで備品の目録を作成中です」


九条が指差した先では、腕章を巻いた役人が、神代が自慢していたイタリア製の一点物のソファや、数百万円する音響システムに、淡々と「赤い封印札」を貼り付けていた。


「ふ、封印札……!? ふざけるな、これは俺の金で買ったもんだぞ!」


「いいえ。法的には、あなたが会社から不正に引き出した資金、あるいは本来は佐藤様に帰属すべき特許権を横領して得た不当利得で支払われたものです。したがって、これらは保全の対象となります」


九条は、震える神代の目の前に一通の書面を突きつけた。


「さらに、神代様。あなたに対し、ブレイブ・スタートアップの株主の立場から『取締役の忠実義務違反』および『善管注意義務違反』に基づき、代表訴訟を提起しました。あなたが個人的に遊興費に充てた経費、私物化した知財による損失、すべてを会社に賠償していただきます。推定額……ざっと十五億円というところでしょうか」


「じ、十五億……? 何を馬鹿な、そんな金……!」


「払えないなら、自己破産ですね。もっとも、悪意のある不法行為に基づく損害賠償請求権は、破産しても免責されませんが」


九条の言葉は、まるで鋭利なメスのように、神代の虚飾を一枚ずつ剥ぎ取っていく。

神代は膝を突き、床に貼られた赤い札を呆然と見つめた。

そこに、木村が這いつくばって僕の足元に縋り付いてきた。


「さ、佐藤くん! 悪かった、全部神代が指示したことなんだ! 俺は反対したんだよ、『佐藤くんを追い出すなんてダメだ』って! なあ、俺たちの仲じゃないか! 連帯保証とか、そういう物騒なのは勘弁してくれよ!」


「木村。……君、さっきまで僕のこと『ゴミ』って呼んでたよね?」


僕は冷たくその手を振り払った。

木村は顔を引きつらせ、今度は九条に泣きつく。


「弁護士さん! 私はただのサラリーマンなんです! 会社の指示に従っただけなんです!」


「お黙りなさい。あなたが神代氏と共謀して、知財譲渡契約書を偽造し、佐藤様を脅迫した証拠はすべて揃っています。会社法上、悪意または重大な過失があった役員や従業員は、第三者に対して『連帯して』賠償責任を負うんです。これを……連帯債務と言います。君たちが一生かかっても払い切れないほどのね」


九条の冷徹な解説に、木村は白目を向いてその場に崩れ落ちた。

サラもまた、スマホを床に落とし、「私の人生、終わった……」と呟きながら呆然と立ち尽くしている。


「……佐藤」


神代が、低く、湿り気を帯びた声で僕を呼んだ。

彼はゆっくりと顔を上げ、かつての「勇者」の面影が消え失せた、窶れた顔で僕を見た。


「……金なら払う。今持っている二億円を全部お前にやる。だから、この差し止めを解除してくれ。このままだと、大手の『セントラル・ギルド投資』との契約が白紙になるんだ。そうなれば、俺は本当に……」


「神代。君はまだ分かってないみたいだね」


僕は彼を見下ろし、静かに、しかし断固として告げた。


「君が俺に払うと言っているその二億円は、そもそも俺が作った技術で得た金だ。泥棒が、盗んだ金で被害者に示談を申し込むなんて、鑑定するまでもなく『無価値』な提案だよ」


「な……っ!」


「俺が欲しかったのは、金じゃない。俺たちが一緒に作ったこのシステムが、正しく評価され、正しく使われることだった。でも君は、それを自分の見栄のために汚したんだ」


僕は九条からタブレットを受け取り、神代の目の前に突きつけた。

そこには、神代が隠し持っていた裏帳簿と、彼が密かに進めていた「技術の海外売り飛ばし計画」のメールログが表示されていた。


「これ……特別背任の証拠だよね。君は会社を救おうとしたんじゃない。会社を食い潰して、自分だけ逃げようとしていた。……鑑定結果は、嘘をつかないよ」


【鑑定対象:神代 勇太】

【状態:破滅確定】

【評価:法と技術を冒涜した、救いようのない空っぽの器。】


「……あ、あああああああああ!」


神代は獣のような叫び声を上げ、会議室を飛び出そうとした。だが、そこにはすでに九条が手配した警備員と、事情聴取のために訪れた警察官が待ち構えていた。


「神代勇太さんですね。特別背任および不正競争防止法違反の疑いで、同行願います」


「放せ! 俺は勇者だぞ! この世界を、スタートアップ界を導く王なんだ! 佐藤ぉぉぉ! 貴様だけは許さな……!」


神代の絶叫は、エレベーターの扉が閉まると同時に遮断された。

豪華絢爛だったオフィスには、今や赤い封印札と、泣き崩れる木村とサラだけが残された。


静寂が戻った室内で、九条が小さく溜息をつき、眼鏡の位置を直した。


「やれやれ。少々騒がしすぎましたね。……佐藤さん、これで『外堀』はすべて埋まりました。次は、いよいよ本丸です」


「本丸……裁判での特許権の完全移転ですね」


「ええ。彼が不当に取得した特許を、原始的な発明者であるあなたの元へ取り戻す。それが終われば、この物語の『鑑定』は完了です」


九条は窓の外、夕闇に包まれ始めた東京の街を見つめた。

そこには、かつて僕を嘲笑ったキラキラした夜景が広がっている。だが今の僕には、それが空虚な光の集合体にしか見えなかった。


「先生。俺、あいつらを許すつもりはありません」


「それでいいんです。法は、許すためにあるのではなく、守るためにあるのですから。あなたの技術も、あなたの尊厳も……ね」


僕は、自分の胸ポケットにある小さなUSBメモリを握りしめた。

そこには、僕の「鑑定アルゴリズム」の真のコア、神代たちがどうしてもアクセスできなかった最後の秘密が眠っている。


あいつらは、エンジニアを「交換可能なパーツ」だと言った。

だが、そのパーツがなければ、どんな豪華な城もただの瓦礫の山に過ぎない。


「さて、佐藤さん。最後の大仕事の前に、少し早いお祝いといきましょうか。……あ、もちろん、神代氏の経費ではなく、私の経費で。……あ、でも後で成功報酬に上乗せしますけどね」


「……そこは弁護士らしくて安心しますよ、九条先生」


僕たちは、廃墟のようになったオフィスを後にした。

背後で、かつての「パーティー」の残骸が、赤い札に彩られて力なく沈んでいくのを感じながら。


(続く)

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