第1話 追放と裏切りの創業者
「単刀直入に言う。佐藤、お前はクビだ。今日、今この瞬間をもって、我が社『ブレイブ・スタートアップ』との契約を解除させてもらう」
麻布台ヒルズの高層階。全面ガラス張りの会議室に、六本木の夜景をバックにした神代勇太の声が響いた。
神代は、オーダーメイドのイタリア製スーツを完璧に着こなし、真っ白な歯を覗かせて笑っている。その姿はまさに「現代の勇者」そのものだ。
「……クビ? 神代、冗談だろ? 明日、俺たちが三年かけて開発した『全自動鑑定エンジン・ミエール』のβ版ローンチじゃないか」
僕は、三日三晩徹夜してデバッグを終えたばかりの、シワだらけのパーカーの袖を握りしめた。
目の前には、共同創業者である神代と、営業担当の木村、広報のサラ。学生時代からの「パーティー」だったはずの仲間たちが、なぜか冷ややかな視線を僕に向けている。
「冗談なもんか。お前、鏡を見たことあるか? そのクマの浮いた顔、ボサボサの頭。我が社のキラキラしたブランディングに、お前みたいな『典型的な陰キャエンジニア』はノイズなんだよ。投資家からも言われてるんだ。『あのCTO、もっとシュッとした奴に変えられないの?』ってな」
神代は、高級なクリスタルグラスに注がれたヴィンテージのペトリュスを転がしながら、心底愉快そうに言った。
「ブランディング……? そんな理由で、システムの核を作った俺を追い出すのか? ミエールのアルゴリズムは、俺の『鑑定』理論がなきゃ動かないんだぞ!」
「ああ、それなら心配いらない。ミエールの知的財産権(IP)は、すでに僕個人が代表を務める別会社『アセット・ヒーロー』に移転済みだ。もちろん、特許出願も僕個人の名前で済ませてある。お前はただの『雇われ作業員』として、開発指示書に従ってコードを書いていただけ。……そうだろう?」
神代がテーブルに放り出したのは、一通の契約書だった。
そこには、僕が創業時に「これ、福利厚生の書類だから適当にサインしといて」と言われて判を押した、極悪非道な知財譲渡条項が含まれていた。
「……偽造だ。こんな内容、聞いてない!」
「証拠はあるのかい? 判をついたのはお前だ。社会人として常識だよなあ? あ、それから、お前が今持っている社給のノートPC、スマホ、全部ここに置いていけ。バックアップを取ろうとしたら『不正アクセス禁止法』で訴えるからな」
木村がニヤニヤしながら、僕の足元に置かれたビジネスバッグを蹴り飛ばした。
サラはスマホで自撮りをしながら、「あーあ、ゴミが掃除されてスッキリした。これで明日からのPRに集中できるね、勇太さん」と甘い声を出す。
「お前ら……本気か? 俺がいなくなって、もしバグが出たらどうするんだ。あのコードの保守ができるのは、世界で俺一人しかいないんだぞ!」
「ハハハ! 佐藤、お前は本当に自意識過剰だな。エンジニアなんて交換可能なパーツだ。代わりなら、インドやベトナムの安い連中にやらせればいい。お前が作った『鑑定』という種火は、もう俺たちの手の中にあるんだよ」
神代が指をパチンと鳴らすと、黒スーツを着た筋骨隆々の警備員が二人、会議室に入ってきた。
「さあ、お帰りはあちらだ。あ、退職金代わりにこの『鑑定結果』をやるよ。ミエールで測定したお前の『市場価値』だ」
神代がモニターに映し出したのは、僕が心血を注いで作ったシステムの解析画面だった。
【鑑定対象:佐藤 蓮】
【推定市場価値:0円】
【評価:組織に馴染めない不要なプログラム。直ちにデリートすべきゴミ。】
「……っ!」
僕は言葉を失った。自分が、誰よりも信じていた技術に、自分自身を全否定された衝撃。
いや、違う。この判定結果は、神代が数値を改ざんさせたものだ。僕のアルゴリズムは、こんな冷酷な答えを出すようには作っていない。
警備員に両脇を抱えられ、僕は引きずられるようにしてオフィスを放り出された。
深夜のオフィスビルのエントランス。冷たいコンクリートの上に、僕は手ぶらで放り出された。
手元に残ったのは、ポケットに入っていた自宅の鍵と、ボロボロのスマホ。そして、心の中に燃え盛る、氷のように冷たい怒りだけだった。
「……全部、持っていかれた」
家賃25万のタワマン(会社の借り上げ)も、ストックオプションも、心血を注いだソースコードも。
あいつらは、僕の「才能」を、まるで使い捨ての魔道具か何かのように扱い、用が済んだらゴミ箱へ捨てたのだ。
キラキラしたスタートアップ業界の裏側。そこにあるのは、友情や夢などではない。剥き出しの強欲と、法律を武器にした略奪だ。
僕は、震える手でスマホを取り出した。
幸いなことに、プライベートのクラウドストレージには、創業前の「研究ノート」のデータが残っている。あいつらが「職務発明」だと主張する前の、純粋な僕個人の発明の証拠が。
「……法律で奪われたなら、法律で取り返す。神代、お前は大きな間違いを犯した」
僕は検索エンジンに、一つのキーワードを打ち込んだ。
『知財 スタートアップ 提訴 最強 弁護士』
画面に表示されたのは、真っ赤な背景に「あなたの発明、守ります。相手が勇者でも、国家でも」という物騒なキャッチコピーが踊る、一軒の法律事務所のサイトだった。
「九条知財法律事務所……ここか」
その時だった。
背後から、コツ、コツ、と硬いヒールの音が近づいてきた。
深夜の麻布台に似つかわしくない、真っ黒なスーツを着た女性が立っていた。
長い黒髪を夜風になびかせ、フレームの細い眼鏡の奥で、鋭い瞳が僕を射抜く。
「……お困りのようですね。職務発明の帰属争い、あるいは会社法上の善管注意義務違反による損害賠償、といったところでしょうか?」
「え……?」
「初めまして。私、九条法律事務所の九条美琴と申します。さきほど、あちらのビルのゴミ捨て場に、あなたの『プライド』が落ちているのを見かけたもので」
彼女はそう言うと、一枚の名刺を差し出した。
金文字で刷られた「弁護士・弁理士」の肩書き。
彼女の背後にある街頭の光が、まるで後光のように見えた。
「鑑定スキルの開発者さん。あなた、今のままじゃ文字通り『0円』の価値しかありませんよ。……ですが、私を雇うなら話は別です」
「……どうすればいい? 俺は全部、あいつらに盗られた。金も、名誉も、技術も」
「簡単ですよ。彼らが『自分たちのもの』だと思い込んでいるその技術、実は『欠陥品』にして差し上げればいいんです。……法的手段という名の、デバッグ作業でね」
九条は、三日月のような笑みを浮かべた。その笑顔は、さっきの神代のそれよりも、ずっと凶悪で、そして頼もしかった。
「……面白い。やってくれ。あいつらを、一円残らず破滅させたい」
「承りました。では、まずは『証拠保全』の魔法から始めましょうか」
こうして、僕の反撃が始まった。
魔法も聖剣もない、六本木のジャングル。
武器は、六法全書と特許法。
僕を捨てた「勇者パーティー」が、自分たちの犯した罪の重さに気づくのは、すべてを差し押さえられた後のことになるだろう。
僕は九条の差し出した手を、力強く握り返した。
深夜のオフィス街に、反撃の狼煙が上がった。
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翌朝。
ブレイブ・スタートアップのオフィスは、華やかなβ版ローンチの祝杯ムードに包まれていた。
シャンパンの栓が抜かれ、神代がメディアの前で、さも自分が全てを開発したかのような顔で語っている。
「この『ミエール』は、私が人類の進化のために生み出した奇跡です。技術的な苦労はありましたが、私の情熱が不可能を可能にしました」
フラッシュの嵐。拍手喝采。
しかし、その最中。
会場の大型モニターに、突如として真っ赤な警告文字が表示された。
【警告:特許権侵害の疑いにより、本システムの公開を一時停止します。】
【送信元:九条知財法律事務所】
会場が静まり返る。
神代の顔が、みるみるうちに土気色に変わっていった。
木村が慌ててPCを叩くが、画面には「アクセス権限がありません」という無情なメッセージが出るのみ。
「な、なんだこれは!? 佐藤か!? あいつ、何をしやがった!」
神代の絶叫が、静まり返った会場に響き渡った。
一方、僕は。
事務所の古びたソファに座り、九条が淹れたクソ苦いコーヒーを飲みながら、テレビに映る元仲間の醜態を眺めていた。
「いい顔ですね、神代代表。……でも、これはまだ、挨拶代わりの『内容証明』に過ぎませんよ?」
九条がタブレットを操作すると、モニターの中の『ミエール』が、勝手に再起動を始めた。
そして、そこに表示されたのは、神代たちが最も恐れていた「真の鑑定結果」だった。
【鑑定対象:株式会社ブレイブ・スタートアップ】
【資産価値:−50億円(賠償予定額)】
【評価:法務を軽視した、救いようのない素人集団。】
「さて、佐藤さん。次の工程は『取締役の解任請求』と『資産の仮差し押さえ』です。……準備はいいですか?」
「ああ。徹底的に、ざまぁしてやろう」
僕の声は、かつてないほど晴れやかだった。
エンジニアを怒らせてはいけない。
特に、法律を味方につけた、鑑定スキルの開発者を。
神代、お前が欲しがっていた「鑑定」の結果を、これから法廷でじっくり教えてやるよ。




