クシクラゲ
「僕たちは一緒にいなきゃダメだ」
廊下の水槽に巨大な鯉が悠々と泳いでいる。ミラはそれをぼおっと見つめていた。
やがて、ゆっくり、ゆっくり僕の方を見た。
「なあに、それ」
僕はミラの、少し柔らかい口調が好きだ。それを本人に言った事はないけど、見透かされているような気がする。
「明日、僕たちは出荷されるだろ」
「言葉悪いよ、出仕するんだ」
「同じことだろ、その前に、逃げようよ」
「逃げる?」
ミラは目を大きくして、僕を見つめた。まるで、僕が何を言っているのか分からないといった感じだ。
僕もどうかしていると思う。
宇宙空間を漂う、このコロニーで過ごしている限り、何処にも逃げ場などないというのに。
この広大な水槽を泳いでいる鯉にだって、そんなことはできない。
ミラが大きな笑い声を上げた。
「ミキ、それ凄い面白い冗談だよ」
「冗談じゃない」
「冗談じゃないなら、なんだろうなぁ」
ミラが、しょうがないなという顔で僕を見た。僕はその顔を見て、堪らなくなった。
「僕たちは一緒にいなきゃダメだ」
「いつも言ってる、それ」
「ミラだってそう思ってる。でも、このままじゃあ、ミラと離れ離れだ」
コロニーと一口に言っても広い。同じ区画で仕事出来るとは限らない。今日発表があった。僕とミラは、違う区画で仕事することになる。よっぽどのことがないと、区画を移動することはない。
だから、その前に。
ミラが突然、僕の手を取った。
柔らかい金の短髪、猫目の榛色が僕を見つめる。
「うーん、逃げるのは無理だけど、来て」
そう言って、ミラは僕の手を引きながら歩く。
「ミラ、どこに行くの?」
ミラがちょっと楽しそうに言う。
「秘密!」
ミラに連れて行かれた先には、この街を一望出来る展望台だった。
丁度、人工空が夕焼けに染まっている。
「僕、ここの景色が大好きなんだ」
僕は戸惑って、頷くことしか出来なかった。確かに綺麗だけど、ミラはどうして僕をここに連れて来たんだろう。
ミラは街から目を離して僕をしっかり見つめた。
それで気づいた。
ミラの目が、揺らいでいる。
「だから、さ、これが僕らの逃避行ってことにしようよ」
ミラの目だけじゃない。僕の、僕の目もぼやけて、夕焼けの光が滲む。
「なんだよ、それ」
ミラが歪に笑いながら、鼻声混じりに言う。
「ね、なんだろうね」
涙を流しているミラは、夕焼けに照らされた街より綺麗だった。
ミラがポツリ、言った。
「僕たち、クシクラゲだったら良かったのにね。そしたら、物理的に一緒にいられたのに」
「クシクラゲってあれ、くっつくと物理的に一緒になっちゃうっていう」
「そうだよ」
クシクラゲになって、僕たちには途方もなく広く見える海を泳ぐ夢を幻視した。
ただの願望にすぎない。
けど、本当にそうだったらいいなと思った。
僕はミラの手を握った。少し強く、真剣に。
まるでクシクラゲのように。
そして、人工空の夕焼けが終わるまで、二人でずっとそうしていた。




