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「桐山くん?」
砂糖菓子みたいにふわふわした可愛らしい女の子を伴って、彼は迷いのない足取りでわたし達が座っているベンチの前までやって来た。
(やっぱり彼女居たんだ……)
わたしの前だからか彼は組んでいた腕を外そうとしていたけれど、女の子は若さゆえか何度も外された腕を組み直して、ベッタリと桐山くんに密着している。
「……知り合い、ですか?」
「彼は会社の同僚なんです」
キッパリと九条さんに説明すれば、桐山くんは軽い会釈をした。
「花咲さん、こんにちは。まさかこんなところで会うなんて『奇遇』ですね」
やたら『奇遇』を強調されたのは気のせいだろうか。思わずパキリと固まるわたしを流し見て、彼は不自然なくらいに笑みを濃くした。
「お休みの日に申し訳ないんですが、月曜日の朝イチに至急やってもらいたいことがありまして……五分だけでも結構ですので話すことはできませんか?」
わたしと九条さんを交互に見て反応を伺う彼に、九条さんは「構いませんよ」と頷く。
「仕事の話なら仕方ありません。ただ桃子さんは靴擦れをしたみたいなので、僕と『貴方の連れ』である――『彼女』がこの場を離れる形でもよろしいですか?」
さらりと呼ばれた名前にぎょっとする。一瞬だけ九条さんと桐山くんの間にバチバチとした火花が走って見えたのは気のせいだろうか。
「ありがとうございます。それじゃあエリナ、先にサロンに行ってお茶でもしててくれないか?」
「もう! 仕方ないわね。これ貸しにしておくから後でちゃんと返してちょうだいね?」
「……分かった。覚悟しておくよ」
可愛らしくウインクをして颯爽と去っていく彼女を見送る桐山くんの目はどこか苦々しい。
けれど気安い態度を取れることが、親しみの証拠に感じた。
「桃子さん。僕はロビーで待っているので、終わったらそのまま来てくれますか?」
「はい、分かりました。もし見つからなかったら、スマホに連絡しますね」
「その時はお願いします」
ペコリとお辞儀をして去っていく姿を見送る――そして彼の姿が見えなくなった途端、桐山くんは椅子に座ることなく、真正面に立ちはだかった。
不思議に思って彼を見上げると彼は感情を削ぎ落とした顔でわたしを見つめていた。
「さて、花咲さん。このホテルに着いてから名刺を受け取っていますよね? 僕が責任を持って処分して差し上げますから、と出してくれませんか」
能面のような表情から一転、晴れやかな笑顔で物騒なことを言い募る彼に驚いて目を丸くする。
はお見合いが始まる前に貰った名刺。
(なんで桐山くんが名刺を受け取ったこと知っているの?)
無意識に名刺を仕舞ってある鞄を守るように持ち手を握りしめれば、さらに不自然なほどに彼の笑顔が深まる。
「……どうして名刺を出さないんです?」
「どうしてもなにも桐山くんに名刺を差し出す理由がないもの。それにどうして桐山くんが名刺のことを知っているの?」
「……っ……たまたま、名刺を受け取っているところを目撃しただけですよ。花咲さんだって、あの男の連絡先なんて必要ないでしょう?」
「それを決めるのはわたしよ」
実のところ、別に家に帰ってから名刺を確認しようとしただけで、連絡先が書いてあってもこちらからはアクションはしないつもりだし、特に必要とはしていない。
けれどさすがに渡された名刺をすぐに捨てるのはいかがなものか。意固地に似た気持ちで否定すれば、彼の笑顔は崩れた。
「言っておきますけど、あの男は結婚していますからね」
「は?」
「花咲さんに名刺を渡したのなんて恐らくは僕に対する嫌がらせなんですよ」
「桐山くんは、どうしてあの人のことをそんなに知っているの?」
忌々しそうに眉根を寄せてはいるけれど、苛立っているだけで、憎悪している様子はない。
むしろ親しみが混ざっているからこそ怒っているのではないだろうか?
「……兄なんです」
「兄弟が居たの?」
「ええ。ちなみにさっきまで僕の傍に居たのは妹です。多分わざとらしく腕を何度も組んできたのは、花咲さんに誤解させようとしたからです。アレは兄さんに似て愉快犯に育ったから」
重たい溜息をついて眉根を寄せる彼に苦笑する。なんでも器用にこなす彼の思いがけない苦労が垣間見えたような気がして純粋におかしかったからだ――しかし彼はそれに釣られてはくれなかった。
ガシリと急に肩を掴まれ、真正面から向き合う彼はひどく切羽詰まった様子だった。
「ねぇ、花咲さん――どうしてよりにもよってこのホテルでお見合いなんかしているんですか?」
「それは……」
あまりにも真剣な彼の表情に、ハッと息を呑む。母に言われるがまま来たホテルだったけれど、もしかしたら彼にとっては特別なホテルだったのだろうか。それとも偶然わたしと被ってしまったことに対する不満か。
ふと以前、彼に言われていた言葉を思い出す。
『花咲さん。なんで、見合いなんてするんですか?』
『僕は、ずっと、貴女を……』
あの時彼がわたしを抱きしめた時の感触。それは今も鮮明に覚えている。
だからこそ彼が近くに来られると、そのことを意識してしまい、恥ずかしくてつい慌ててしまう。
「桐山くん! コレが必要だったんでしょう」
乱雑に鞄の中から目的の物を漁り出し、受け取っていた名刺を彼に突き付ける。
意地を張っていたくせに異性に対する免疫の無さのせいで、あっさりと差し出してしまった自分に対する嫌悪。空回りしている自分がとにかく恥ずかしかった。
年甲斐もなく情けない姿を見せてしまったことへの焦りから彼の手を振り払って慌てて立ち上がる。
どうか赤面してしまった顔を見ないで欲しいと俯きながら通り過ぎようとしたのに。
「……好きです」
彼の熱情に釣られてつい見上げてしまった。




