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せっかくお互いに早く着いたのだからラウンジでお茶をして相手の到着を待とうということになった。
けれどその前にお手洗いに行っておこうと踵を返せば――ホテルの入り口に桐山くんの姿が見えたような気がした。
「……桐山くん?」
無意識のうちに彼の名前を呼んでから、母が既にラウンジに向かったことに安堵した。
もしもこの場に居たら、知り合いなのかとせっつかれるに違いない。
そのようなことになれば母には悪いが少し面倒だし、お見合い当日に『会社の同僚』といえど、男の人を母に紹介するのは如何なものか。
様々な音が揺れているロビーでぽつりと呟いたところで、当然彼の耳に届くことはなかった。
けれど石になったように硬直した状態で男を見つめれば、カチリと視線が合って、そのままこちらへ向かってきた。
「あの、どうかされましたか?」
男性が近くまで来たところで、ようやく彼が桐山くんと別の人間だということに気が付いて、慌てて謝る。
「ごめんなさい。人違いをしてしまって……」
事実、目の前にいる彼は桐山くんにひどく似ていた。
恐らく桐山くんとは年が十歳程違うようだけれも、モデルのような長身に茶色味の強い柔らかな髪の色も、涼やかでいて甘い目元も、すっと通った高い鼻筋に、少し赤みがかった薄い唇も――確かに似ているのだれど醸し出す雰囲気はまるで違うように思える。
桐山くんが爽やかな王子様であるのだとしたら、彼は酸いも甘いも知り尽くした大人の色男だという印象だ。
「なんだ。てっきりお嬢さんが口説いてくれるものだと思ったのに。私のような良い男がもう近くにいるのですか?」
キザったらしくウインクをするさまが、あまりに『似合い過ぎて』つい男の話術に乗ってしまう。
「ええ。わたしの同僚なんです」
「へぇ……『同僚』なんですね」
どこか意味深に笑う彼に違和感を抱いて、つい彼が向けた視線の先を辿って振り返る。
ホテルの玄関はただ人の行き来をしているだけで変わった様子はない。
「あまりに似ていたので、つい間違えちゃって……」
もう一度謝罪をすれば、面白いものが見れたから構いません、とよく分からないことを口にした。
「面白いもの?」
「ええ。面白くて、珍しいものです」
それ以上答える気はないようで、しぃっと唇に人差し指を立てた。
彼の視線を辿っても変哲もないロビーの光景だったのに、なんだか謎掛けをされている気分だ。
「……『面白いもの』が何か教えてはくれないんですか?」
「簡単に答えてはつまらないでしょう? それに答えはすぐに分かると思うので、野暮なことは言わないでおきます。
だけどせめてこれをどうぞ、と渡されたのは一枚の名刺だった。
つい癖で名刺を受け取り、その名前と肩書きを確認しようとすれば、名刺事すっぽりと大きな手のひらに包み込まれる。
「多分、後で必要になると思うけれど、今は何も見ないで鞄に入れておいて」
必要になるとはどういうことだろう。
意味は分からないが、なんとなくコクリと頷いて従えば、さらりと彼は離れ、そのまま立ち去っていく。
颯爽と歩く姿はやはり桐山くんの姿と重なるものだった。
(後で必要になるってどういうこと?)
予言めいた宣告がつい気になって鞄に入れた名刺を確認するかどうか悩んで止める。
ビジネスの場でならともかく、プライベートで会ったばかりの男性ならば、お見合いを控えている今、無理に確認しなくてもいいと判断したたからだ。
それに先程の男性もわざわざ鞄に仕舞うように指示をした。きっとなにか思惑があるのだろう。彼が何者なのか気になるところだけれど、とりあえずラウンジで待たせている母の元に向かい、先方が到着するまでお茶を楽しむことにした。
***
「……ごめんなさい。待たせちゃった?」
「全然。まだ待ち合わせ時間の三十分前よ。わたし達親子が早すぎたの」
母の昔馴染みからの友人である美奈子さんは明るく朗らかで笑顔が可愛らしかった。
その隣に居る男性は彼女とは対照的に、ブランド物のスーツをさらりと着こなし、シャープな顎に薄い唇。清潔感を与えられるようにきちんと整えられた細い眉に、銀縁の眼鏡の奥は理知的な眼光を覗かせていて、どこかクールな印象に見える。
「初めまして。花咲桃子と申します。本日はわたしのためにお時間を頂いてありがとうございます」
「こちらこそ僕のためにお時間を頂きありがとうございます。僕は九条圭吾です。本日はよろしくお願いします」
形式通りの挨拶をして、母親達に連れられるまま個室の席に向かう。
運ばれてくる食事はどれも綺麗で美味しそうだけれど、初対面の人との食事となると必要以上にテーブルマナーを気にしてしまう。
母親達が上手いこと間に入ってくれたお陰で気まずい沈黙があったわけではないけれど、代わりにそこまで盛り上がることもないどこか単調としたものだった。
***
デザートが終わり、せっかくだから少し二人で散歩してきなさいと言われるがまま、庭園に向かう。
彼の後をついて行こうとするが、どうにもペースが早く、買ったばかりの高いヒールが仇をなして、外に出る頃には靴擦れになり痛みで小さく悲鳴を上げれば、それに気付いた彼が慌てて謝罪した。
「……すみません。もっと早く気がつくべきでしたね」
ちょうど近くにあったベンチに案内され、たまたま持っていた絆創膏を血の出た踵に貼る。
申し訳なさそうに頭を下げる彼に慌てたのはわたしのほうだ。
「いえ! こちらこそ、すみません。どうか謝らないで下さい」
「どうにも緊張してしまって、本当に申し訳ない」
「……緊張、していたんですか?」
しっかりと受け答えしていたし、食事の仕方も綺麗で動揺しているようには見えなかった。
けれど彼は自分の母親に緊張している姿を見せたくなくて意地を張ったのだと答える。
「…………貴女が綺麗だからですよ」
ポツリと呟かれた言葉に赤くなる。まかさお世辞とはいえ、こうもストレートに褒められると普段言われ慣れてない分、なんだか気恥ずかしい。
「そ、そんなこと……」
「三十も過ぎてるというのに母親に動揺を悟られるのが嫌で、必死に取り繕っただけです」
ふ、と笑った彼の表情は先程までと違って柔らかい。釣られてわたしも笑うと穏やかな空気となったのだった。
思いの外会話が弾んで、趣味や休みの日の過ごし方、好きな食べ物に好きな映画のことを互いに話していく。
初対面の人だからこその無難な話題だったのに、彼は博識な聞き上手だったからかつい話し込んでしまった。
ふと腕時計を見れば既に一時間も喋っていて「そろそろ母達を待たせているので戻りましょうか」と声を掛けると慌てた様子で彼に引き止められる。
「あ、あの!」
「はい」
「良かったら今度は二人で一緒に食事しませんか?」
「ええ。わたしで良ければ……」
ゴクリと息を呑んでわたしの返事を待つ彼の真摯さが嬉しくて承諾すれば彼は破顔する。
第一印象ではクールなイメージであったけれど、話してみると分かりやすいほど表情が変わっていく姿が可愛いと思った。
「僕は貴女が良いんです」
直接的な言葉に顔が赤くなる。照れてしまった顔を見せるのが恥ずかしくて、鞄の中からスマートフォンを取り出す。俯きながら連絡先を交換すると頭上で彼が笑った気配がした。
「……では名残惜しいですが母達の元へ戻りましょうか」
「そうですね」
先に立ち上がった彼がさらりと手を差し伸ばしたのは、わたしが靴擦れを起こしていることが原因だろう。
母達に見られるかもしれない気恥ずかしさから、どうしようかほんの少し迷って、結局手を伸ばそうとした途端――鋭い視線が前方から突き刺さった。




