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隠れ御曹司の恋愛事情(全年齢版)  作者: 秋月朔夕@書籍発売中


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 お昼ご飯を食べて気分転換がてらに軽く化粧を直そうとトイレに寄ろうとすれば、通りがかった給湯室で女子社員達がこぞって噂話をしている最中だった。

 いつもならそのまま通り過ぎるというのに、自分の名前が聞こえたから、つい足を止めてしてしまう。



(聞いたって良いことなんかないって分かっているくせに…)


 それでも立ち止まったのは、所詮怖いもの見たさというものだろうか。 最近の彼女達の様子からしてわたしの噂なんてロクなものじゃない。

 人から向けられようとしている悪意が恐ろしくて心臓がチクチクと針で突かれたような痛みを訴える。



 聞かない方が良い。

 早く立ち去った方が良い。

 そんなこと頭では分かっているのにどうにも足が動けず、彼女達の声が耳に入ってしまった。


「今朝、花咲さん桐山さんと一緒に出社したんだって?」

「わたし電車で一緒に居るところ見た。ってか、花咲さんって自分から桐山さんの営業アシスタントしたいって部長に頼み込んだらしいよ」

「えー。桐山さん狙いってこと? 露骨すぎて引くわー」

「だってあの人も三十前よ。自分の同期の人達は皆結婚したのに、自分は男っ気なしだから焦っているんじゃない?」

「確かに『桐山くん』だなんて呼んで、ベッタリしているもんね。桐山さんも『鉄の女』に好かれているなんてかわいそー」

「いくら仕事ができても、顔立ちも地味だし、女としては憧れないよね」

「分かる。結婚もできないまま、一生独りなんじゃない?」

「ありえるー!」




 後輩達が影で自分を馬鹿にしていることなんて知っていたくせに、どうしてこの場に残ってしまったのだろう。

 自分から桐山くんの営業アシスタントに立候補なんかしていない。

 彼にベッタリなんてしていない。

 ましてや桐山くんを狙ってなんかいない。

 大体『桐山くん』と呼んでいるのは、彼より年上の人なら皆そう呼んでいるからだ。

 ーーどうして真面目に仕事をしているだけなのに、好き勝手言われなきゃいけないのだろう。



 こぼれそうになる涙をぐっと堪えて、下唇を強く噛み締める。

 今にも泣きそうな情けない顔を誰にも見せたくなくて、立ち止まっていた足をむりやり動かす。



(わたしってホント馬鹿だ)


 予想していたことを言われていちいち傷付いて、泣きそうになっているなんて、いい年してみっともない。

 スマホで時間を確認すれば、まだ昼休みが終わるまで三十分もある。

 同期達が居た時は昼休みなんてあっという間に終わったのに、一人で食事を済ますようになってからは時間が余ってしょうがない。

 きっとこのまま会社に居たところで、気持ちはしょぼくれたまま。悟られるようなことはないかもしれないけれど、自分の機嫌は自分で取っておきたい。



(ちょっと外の空気でも吸ってこようかな)



 会社の近くに公園がある。そこならある程度は広いし、誰にも会うことはないだろう。

 そう思って公園に向かったのに――どうやらこの日はとことん運が悪かったらしい。



***



 ぼんやりとベンチで自販機で買った暖かいココアを飲みこんで一息をつく。

 大人になった今、会社では格好付けてコーヒーやお茶しか飲まないようにしているけれど、時折外で飲むこの甘さが無性に恋しくなる。



(だけどわたしが甘党だなんて似合わないしなぁ)


 百七十センチ近い身長に、肉付きの薄い身体。

 スキンケアこそ怠らないようにしているものの、濃い化粧はきつく見えて、周りを威圧させてしまう。基本的なビジネスメイクを心掛けているからかどこか地味な印象を与えていた。だから『女として憧れない』と言われていても仕方のないと心のどこかで納得してしまった。




(……なんて情けない)


 根も葉もない噂話をされて、どうして後輩相手に言い返せないのだろう。

 わたしは桐山くんと誓ってやましい仲ではないし、恋心も抱いていない。向こうだってわたしのことなんかなんとも思ってはいないだろうから、あんな噂なんか流されて桐山くんにだって失礼だ。



(やっぱりこれ以上誤解されないように、もうちょっと桐山くんとの会話の量を減らすしかないのかな)


 とはいっても既にわたしと彼の会話は挨拶と仕事の話くらいで、ほとんど雑談なんかしていない。今日だって電車で会わなければ、多忙な彼と雑談する余裕なんてなかっただろう。



(本当に最低限の関わりだし……)


 これ以上、会話を削るとなると、それこそ挨拶を無視することとなる。

 流石にそれは社会人としてというより、人としてどうなんだ。


(なんで普通に仕事しているだけなのにこんなに人間関係で悩まないといけないんだろう。もうこうなったら帰る時にコンビニ行って新作のケーキとかチョコレート爆買いしよう)



 会社で我慢している分、誰も見ていない家でくらい好きなことをするようにしている。

 一人暮らしをしているアパートで過ごしている時はパステルカラーの着心地の良いパジャマで過ごしているし、あんまり使わないくせにキャラクター物の文房具もこっそり集めて眺めていたりもする。

 残念なことに自分には可愛いものは似合わないと分かっている。

 小柄で色白な砂糖菓子みたいな女の子が使うことで映えるものだということを知っている。でも一人で居る時くらい自由だから。気晴らしも兼ねて、思う存分可愛いものを堪能するようにしていた。




 帰った後の予定を脳内で組み立てれば少しは気が楽になって、改めて目の前の景色を眺める。

 ベビーカーを押しながら穏やかに散歩する親子に噴水の前で鬼ごっこする子供。スマートフォンで電話をしているサラリーマンに、寄り添って花壇を見つめる老夫婦。

 皆思い思いの時間を過ごしていることが、なんだか疲れたわたしには平和の象徴のように感じた。

 きっと今のわたしだってお昼休みにベンチに佇む『ただのOL』として見られていて、ある程度はこの公園に溶け込んでいる。そう思うと少しだけほっとする。



(やっぱりあのまま会社に残らなくて良かった)


 気分を沈ませたまま仕事をするのは自分が想像するよりも自分を消費する。だからこそこういった穏やかな時間を満喫したくて、時々休憩の時間に、この公園で羽を伸ばしていた。


(あと十分で昼休みが終わるのかぁ……)



 公園から会社まで歩いて五分も掛からない。けれど余裕を持つなら渋々ながらも、そろそろ出発したほうが良いだろう。

 仕方なく立ち上がれば、そのタイミングでスマートフォンが鳴る。平日の休憩時間に友人から電話が掛かってくることは滅多にないので、会社の人かと思って表示も見ずに電話に出ながら歩き出した。



「はい、もしもし……」

「桃子。お母さんだけど今電話大丈夫?」


 突然の母からの電話に驚く。

 この年になると用件がない限りそこまで親と連絡を取り合うことが減ってきたから純粋にびっくりした。



「うん。今休憩中だからあと五分で仕事に戻るけど、それまでは大丈夫。急にどうしたの?」

「あ、じゃあ用件だけ言うわね。今ちょっと友達とお茶しているんだけど、その人の息子さんが独身だし、桃子も彼氏居ないでしょ? だからお見合いというか食事会でもしないかなぁと思って」

「…………は?」

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