21
彼の告白は保留になった。
会社に行く時間が迫ってきていると言って、返事をうやむやにしたからだ。
(こんな人間が『誠実』だなんて……)
過大評価が過ぎる。彼に借りたシャワーを浴びながら考える。
(それにしても、どうしてわたしなんだろう?)
誠実な人間なんて沢山居る。
なのに、なんでわたしを選んだのか。
自分に自信がなくて、返事を躊躇ってしまった。
(ちゃんと答えなきゃ……)
そう思いながら、シャワーを止める。
彼が誠実なのは分かっているつもりだ。けれど桐山くんを意識したのはここ最近のことだ。今まで会社の同僚としてしか見てこなかったからこそ、彼と恋人になることが想像できない。
(……まして結婚だなんて)
考えながら身体を拭く。真っ白なタオルはふかふかで触っているだけで気持ちが良かった。
髪を乾かした後に、彼が用意してくれた妹さんの服を借りると、自分以外の服を着るのはなんだか新鮮で、何度も鏡を見返す。
(ブラウスとスカートのシンプルなものだから、違和感はないはず)
最後に前髪を整えて、ダイニングに戻る。
「お風呂ありがとう。それに着替えも……」
「いいえ。気にしないでください」
「クリーニングして返すから」
「大丈夫ですよ」
「でも……」
それはさすがに悪い。そもそも自分の服を勝手に着られるのも嫌かもしれない。
(こんなことなら一度家に戻ったら良かったかな?)
呑気に朝ごはんを食べていないでそうするべきだったのだろう。
言い募ると、彼は気まずそうに目を逸らした。
「すみません、桃子さん」
「ん?」
「嘘です」
「嘘、って……?」
「本当はその服。妹のショッピングに付き合った時に桃子さんに似合いそうだと僕が買った服です。だから、そのまま貰ってくれると嬉しいんですが……」
「……え」
目を丸くして彼を見れば、あからさまに目を逸らされた。
「すみません。気持ち悪いですよね。やっぱり妹の服を見繕ってきます!」
気まずそうに謝ったかと思うと、彼は勢いよく部屋を出て行こうとする。それを止めたのはわたしだ。
「ううん。その、びっくりしただけだから……お洋服もあって助かったよ。ありがとう」
わたしの言葉に彼は戸惑いながら、こちらを見る。
「本当ですか? その気持ち悪くないですか?」
「うん。気持ち悪いとは思っていないよ」
本当に不快感はなかった。けれど、もしも彼以外にそんなことをされていたら……?
(それは、嫌かも……)
どうして桐山くんは良くて、他の人は駄目なのか。
自分が想定しているよりも、わたしは彼を受け入れているのかもしれない。
「でも、タダで貰うのは悪いから今度何かお返しさせて」
「それって……」
「うん?」
「僕がまた桃子さんの服を買えば、永遠と桃子さんと交流できるってことですか?」
「いや、違うよ?」
目をキラキラさせて輝いているけれど、とりあえず落ち着いて欲しい。
「というか、服を用意してくれていたんなら、最初に言ってくれていたら良かったのに」
そうすれば、シャツ一枚の格好をずっとしていなくて済んだはずだ。
(着せてもらってなんだけど、さすがに下着もないままでいるのは気まずかったし……)
起きた時にベタつきがなかったことから、多分桐山くんが綺麗にしてくれたのだと思う。
自分の意識がないうちに服を着せられていたのだと思うと、申し訳なさと同時に、すみずみまで身体を見られたことが恥ずかしかった。
(あんなことをしておいて今更だけど……)
昨夜のことを思い出すだけで、羞恥に打ち震えそうになる。
それを誤魔化すように彼を見上げれば、桐山くんが照れたように笑った。
「すみません。僕のシャツ一枚の桃子さんが可愛くてつい」
「うん?」
ーーそれはつまりわざとあの格好で居させたということ?
固まるわたしに気付いていないのか彼はニコリと微笑う。
「透けていないか心配そうな顔していたり、太ももを隠そうとして、何度も服の裾を伸ばしていた桃子さんの姿、すごく可愛かったです!」
そんな風に見られていたのか。
羞恥と怒りの感情がない混ぜになって、プルプルと震える。
「桐山くんの変態!」
「男なんか皆そんなものです。好きな人が自分のシャツ一枚だけの格好なんて、めちゃくちゃ滾ります!」
滾るってなにが……?
いや、駄目だ。深く追求しては負けだ。
そう思って口を噤んだのに、桐山くんはさらに続けた。
「あの格好すっごくエッチでした!」
「えっち、なんて言わないで! 桐山くんの馬鹿!」
涙目で睨めば、彼の顔が赤くなった気がした。
***
(朝から疲れた)
桐山くんと出社の時間をずらして、会社に行った。
化粧道具は手直用の物と、足りない物はコンビニで買って済ませる。
あとはマスクをして誤魔化すことにしよう。
幸いと言って良いのか、今日のわたしの声は掠れているし、寝不足で顔色も悪い。
(……有給も残っているし、休めば良かったのかな?)
そう思っても、なんだかサボっているみたいで気が引ける。
もし出社して、調子が悪いままだったら、午後は帰れば良いわけだし。
誰に聞かせるわけでもなく、言い訳をする小心者の自分が嫌になる。
(でも本当に眠たい)
今日は帰ったらすぐに寝てしまおうか。
まだ今日が火曜日だっていうことが気を重くさせる。
(こんな調子で今週やっていけるかな?)
溜息を吐きたい気持ちを堪えてパソコンを起動させていると桐山くんが出社した。
「おはようございます、花咲さん」
「おはよう」
いつも通りの様子の桐山くんにホッとする。
もし、会社で朝みたいな様子だったらわたしの心臓が保たない。
(まぁ、桐山くんに限ってそれはないか)
そう安堵して、眠気覚ましにコンビニで買ったペットボトルのコーヒーを飲む。
(カフェインを取ろうと思って、ブラックコーヒーにしたけどやっぱり苦いな)
栄養ドリンクにして、駅で飲んでおけば良かったかな?
そう後悔しながら、チラリと桐山くんを見る。
(桐山くんはわたし以上に寝ていないはずだけど……)
なんでそんなに顔色が良いのかーーむしろいつも以上に調子が良さそうだ。
(だいたい、何度も抱かなくても良かったのに)
抱いてほしい、と言ったのはわたしだ。
けれど初心者のわたしにもっと憂慮してくれても良いんじゃないか。
(そりゃ桐山くんは経験があるから慣れているかもしれないけど……)
……ん。なんだろう。
桐山くんが他の女性と仲良くしている姿を想像すると胸がチクチクと痛んだ。
(いや、でも。桐山くんに告白されて、抱かれたから好きになるなんて我ながら単純過ぎない?)
きっとこれは自分の経験値が低いせい。そうに決まっている!
むりやり考えを遮断して、パソコンのメールをチェックしていると、横から声がかけられる。
「花咲さん。この見積書なんですけど……」
そう話しかけられて、桐山くんの出した資料に目をやろうとすれば、付箋が貼ってあった。
その内容にギクリと身体が強張る。
『シャンプーの香り、お揃いですね』
そんなことを書かれれば、なおさら意識してしまう。
(どうしよう。誰かに気付かれたら……)
いや、でも桐山くんならともかく、わたしの匂いになんか興味を持つ人なんか居ないだろう。そのはずだ。そのはずであって欲しい。
さりげない仕草で付箋を外して、ポケットにしまう。会社のゴミ箱に捨てなかったのは万が一のことを考えてだ。
(……これはアパートに帰ったら捨てておこう)
ポケットの中に重大な秘密を隠し持っているみたいで、気が気でない。
けれど、会社でそんな不自然な態度を取るわけにはいかなくて、必死にいつも通りのフリをする。けれど。桐山くんとの近い距離に、わたしも彼の匂いを意識してしまう。
(桐山くんがあんなこと書くから!)
男女共に使えるユニセックスな香り。でも今日ばかりはその匂いを強く意識しそうだ。




