2
彼は営業職だけあって話の膨らませ方が上手かった。最初は適当に会話を切り上げようと思ったのに、気が付けば彼と話しているうちに会社の最寄駅に到着する頃になっていた。
(そういえば桐山くんと仕事以外の話をするなんて久しぶりかもしれない)
彼と話す内容はもっぱら仕事の話ばかりだ。それに彼は営業の仕事で、出社しても外で案件をこなしていることが多い。
たまに戻ってきたと思えば、あっという間に女子社員が彼を取り囲むし、上役からも呼び出されて、そのまま打ち合わせをしていることは珍しくない。
だからこうして雑談するなんて、本当に久々だ。
(桐山くんのことは嫌いじゃないけど)
離していても嫌な感じはしないし、それどころか会話をリードして盛り立ててくれる。優しいし、気が利く良い青年だと思う。
だけど、やっぱり。会社では周囲の目が気になって、あまり関わりたくなかった。
(保身的でごめん!)
改めて、謝るのもおかしな話なので、こっそりとそう思う。
でも、このご時世。せっかくホワイト会社に入ったんだから、多少の人間関係が原因で辞めたくはない。
申し訳なさにうつむけば、背後から彼が笑った気配がしたーーなんだろうと思って振り向こうとすれば、彼はなんてことのない様子で、地雷を投げつけてきた。
「そういえば会社の皆にお土産のお菓子を買ってきたので、花咲さんも食べてください――それと花咲さんにはいつもお世話になっていますから『個人的なお土産』も用意したので、電車から降りたら渡しますね」
「いつもありがとう。だけど桐山くんのサポートは仕事の内なのだから個人的なお土産は大丈夫だよ」
(桐山くんからの『個人的なお土産』だなんて受け取れるわけないじゃない!)
心の中のツッコミは当然出せるものじゃなかったから、愛想笑いをして、躱そうとした。
会社の最寄駅でほいほい受け取ってしまえば、誰が見ているか分かったものじゃない。
他の人にないお土産を受け取れば、余計に会社の後輩達がわたしへの見る目が厳しくなることくらいは容易に想像できる。
正直に言えば、今している世間話ですら電車内に会社の人間が居ないかさっと見渡すくらい警戒しているのだ。ただの世間話をすることですら神経を使ったのに、物を貰うだなんて冗談じゃない。
壁に耳あり障子に目あり。彼の純粋なお礼の気持ちには悪いけれど、ある程度はこちらも気を付けなければ。
桐山くんだって年上な地味な女と噂されるだなんて困るだろう。
(それにどうせなら受付の高山さんや新卒の佐藤さんや会社で一番人気の森田さんに渡せばいいのに)
皆彼を射止めようと躍起になっていると噂されている。
というより『桐山くんの個人的なお土産』なんてわたし以外の女子社員であれば誰だって喜ぶだろう。
だから内心冷や汗を掻きながら断ったのに、頭上から萎んだ声が聞こえてきた。
「……僕は花咲さんに渡そうと思って買ってきましたが、迷惑でしたか?」
ずるい。そんな落ち込んだ声を出されては罪悪感の棘がチクチクと突き刺す。その通りです、とは言いにくい。かと言って『個人的なお土産』を受け取るのも……。
どうしようと返答に困っていると、急に電車が大きく揺れた。
「あっ……」
「花咲さん!」
バランスが崩れて転びそうになったのを支えてくれたのは彼の腕だ。
背後から抱きしめられる形で助けられると、ふわりと彼の使っているだろうシャンプーの匂いが鼻を擽る。
(どうしよう。すごく良い匂いがした)
抱きしめられていると、意外にも彼が逞しいことが分かって、秘密を覗き見したみたいで、妙に心臓がドキドキする。
(助けられただけなのに)
こんなことで動揺してしまうなんて恥ずかしい。なんとか平静を装って、声を掛ける。
「ご、ごめんなさい。もう大丈夫だから」
離してほしいと伝えようとしたのに、さっきよりも密集された人だかりのせいでお互いに身動きができない状態になってしまう。
見た目よりも逞しい、と考える自分が嫌だ。これじゃあ逆セクハラみたいじゃないか。
(早く、駅に着いて欲しい……!)
祈るように願う。このままじゃ心臓が保ちそうにない。彼が人助けのためにわたしを抱きしめているということくらいちゃんと理解している。
だけど、やっぱり男の人に形式的とはいえ、男の人とこうも密着するのはなんだか落ち着かなくて、頬に熱が集まる。
(なに、意識しているの)
背中から感じる彼の体温と鼻を擽る彼の香り。ビジネスマンらしく相手を不快にさせない程度の爽やかな男の人の匂いが、密着した距離の近さを知らせているみたいだ。
「……花咲さん。今ここであなたを離せば、小柄な貴女は人に揉みくちゃにされちゃうのかもしれません。だから嫌かもしれませんが、今だけは俺に抱きしめさせて貰えませんか?」
その言葉に電車内が混んでいるというのにわたしが人とぶつからなかったのは、彼が抱き込んで守っているからであることに気付く。
(わたし、自分のことばかり考えてた)
彼は優しさで庇ってくれていたというのに、わたしときたらただの自意識過剰じゃないか。
さっきとは違う種類の羞恥が込み上がって、誤魔化すように下唇を強く噛む。
(ほんとわたしの馬鹿。桐山くんならこんなことなんでもないに決まっているじゃない)
反省しながら頷けば、彼は安堵したように息を吐き出した。
目的地の駅に到着するとわたしは彼にお礼を言って、コンビニに寄るからという口実で彼から離れる。
振り返らなかったせいで、桐山くんが熱の篭った視線でわたしを見つめていたことをわたしは知らなかった。




