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隠れ御曹司の恋愛事情(全年齢版)  作者: 秋月朔夕@書籍発売中


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 花咲さんさえ良ければ場所を移動しましょう、という桐山くんの提案で、半個室の居酒屋に入る。


 そこなら人目を気にしなくて済むし、完全に個室じゃない分、僕を警戒しなくて済むのではないかと彼が告げた。

 別に桐山くんのことは警戒していないと告げると、彼はそれはそれで複雑ですね、と頰を掻きながら笑った。




***



 おしぼりを渡されるとその暖かさに心が落ち着く。

 お酒と何品か頼むと、彼は言いにくそうに言葉を絞り出した。



「あ、あの花咲さん」

「うん」


 真面目そうな顔に、わたしが泣き出しそうになったことを聞かれるのだと身構える。

 けれど、彼が出した話題は別のものだった。


「さっき花咲さんに会ったのたまたまですからね? 決して僕は貴女をストーキングしていたわけじゃないんです!」



 お願いですから信じてください、と彼の瞳が訴える。捨てられた子犬のような目。縋るようなその視線に、わたしは頷いた。


「大丈夫。そんなこと思っていないよ」


 必死に弁明しようとする桐山くんにそんなことを思う必要はないのに、と笑った。それだけで心が軽くなった気がした。

 そうしているうちに頼んだレモンサワーが届いて、乾杯をする。



「そういえば、最初に僕が適当に頼んでしまったんですが、花咲さんは好き嫌いありますか?」

「わたしはモツとかの内臓系が苦手。桐山くんは?」

「僕はとくにないですね。でも辛過ぎるものは苦手かも……」

「わたしも」


 顔を見合わせて笑う。最初に注文してあったのは和風サラダに枝豆、刺身の盛り合わせと、だし巻き卵に揚げ出し豆腐。

 取り分けながら話す。

 会社の話や、ご飯の話。無難な会話にホッとして、お酒を追加する。 

 彼はなにも聞かなかった。

 会った時にわたしが泣きそうな顔になっていたことに気が付いているはずなのに、なにも聞かないで、ただ付き合ってくれている。



「……さっき久しぶりにね、初めて付き合った人に会ったの」


 ポツリと呟く。どこかに吐き出したかった感情がアルコールの力によって促されようとしていた。



「真面目そうな、良い人だと思ってた。でもね、わたしとキスをしている時にこっそりと写真を撮って、サークルの仲間に見せて面白がっていたの。それで、わたしが怒ると……こんなんで怒るのはわたしが処女だからって皆の前で言っちゃって……」


 何を話しているんだろう。こんなこと言っても彼を困らせるだけだ。そう思っていても、胸のつっかえが取れない。



「異性の経験があることがそんなに偉いことなの? 経験がないからって馬鹿にされなきゃいけないの? ただ、普通に生きてきたつもりなのに、どうしてそれが悪いの?」


 思い出したのは会社の後輩が言っていた悪口。

 鉄の女ーーそれは正解だ。

 正解だからこそ、ジクジクと傷が疼く。

 諒一と別れたあと。わたしが処女だという噂が広まって、好奇な視線に晒された。この年までに何回か告白されたことはある。けれど、もしまた処女だということを面白がられたら? そんな不安がコンプレックスとしてできあがってしまっていた。



「僕はそうは思いません。花咲さんがそんなくだらない馬鹿な男のことで傷付く必要はないんです」

「じゃあ……」



 声が震える。自分が何を言おうとしているのか。

 分かっているのに、制御できなかった。



「ーー桐山くんはわたしを抱けるの?」



 なんて馬鹿なことを言っているんだろう。


 きっと今、頬が赤らんでいるのはアルコールの力ではなかった。

 ゴクリと喉が鳴る。

 それはどちらのものだろう。

 判別がつかないまま、彼が口を開く。



「僕の気持ちを知っていて、言っています?」


 強い視線に呑まれそうになる。居酒屋特有の騒音がどこか遠くに聞こえるような気がした。

 ごめんなさい、そう言って逃れようともした。酔ってしまったから、という言い訳を彼は許さなかった。



「逃しませんよ」

「桐山くん……」

「僕はこんなチャンスを見逃すほど馬鹿じゃない」


 手が重ねられる。朝のような偶然ではない。意図的に手を重ねられたのだ。


「僕に触れらるのは嫌ですか?」



 尋ねられて、考える。

 諒一に触れられた時は嫌悪感でいっぱいだった。

 けれど、桐山くんに触れられても嫌ではない。その違いは……

 押し黙ったわたしの手を引いて、立ち上がる。会計が終わらせて、そのままエスコートするように腰を抱いた。


「今夜は帰せません」



 耳元でそう囁かれて、タクシーに乗せられる。

 行き先は彼の住むマンションだった。




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