15(side:桐山)
席につけば、彼女は軽く挨拶して、依頼してあった見積書を差し出した。
「ありがとうございます。花咲さんは仕事が早いから助かります」
お礼を言えば、彼女は目元を和らげて、またパソコンへと向き直った。僕はそれを引き止めるようにして、続けた。
「あの、花咲さん。僕の補佐になってから、困ったことはありますか?」
「……いいえ。なにも?」
そんな訳ないはずなのに、彼女はそれを口に出さなかった。
「そう、ですか」
「わたしこそ、なにか桐山くんを困らせていることはある?」
「いいえ。なにも! 僕は花咲さんがパートナーでいつも助かってますよ!」
しまった。否定しようとするあまりに、少し声が大きくなり過ぎた。けれど花咲さんは目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
(……あ。初めて僕の前で笑った)
社交辞令として微笑まれたことは何度もある。けれど、自然に溢れた笑みを見るのは初めてで、ドキリと胸が高鳴る。ここが会社でなければ。
人目さえなければ、僕は彼女の顔を食い入るように見つめていたことだろう。今だってその顔の可愛さに反応しまいと必死になっている。
(顔、赤くなっていないかな?)
平静を装ってもさすがにそこまで対処できない。でもそれと同時に罪悪感が湧く。
(花咲さんは今までぼくのせいでどれほど悪口を言われていたんだろう?)
さっき聞いた陰口。あれが初回だとは思えない。
もしかしたら、花咲さんの耳にだって入っているかもしれない。
(傷付けたくなんかないのに……)
本来であれば、補佐を違う人にして欲しいと部長に言うべきなのだろう。
でも。変えてほしくない、と思った。
分かっている。これが僕のわがままだということくらい。
花咲さんなら、誰の補佐役でもこなせる能力がある。
だけど、僕は違う。補佐をしてくれるなら彼女が良い。
(なんで花咲さんに非がないのに、補佐役を変更しなければいけない?)
花咲さんの性格上。一度自分で決めたのだから、もう僕の補佐役であることを変えたい、と部長に進言しないだろう。
だとすると、僕自らが変えて欲しいと言わなければならない。
けれど、そうするとまた違う種類の陰口を叩かれるのではないだろうか?
(パートナーに見限られた女。とか、仕事ができなくて補佐役がクビになった人、とか言われそうだな)
考えこむ僕に花咲さんが声を掛ける。
「……桐山くん?」
「あ、すみません。ちょっと疲れが出てしまったようで……」
「そっか。今日は金曜日だから、ゆっくり休んで」
もう少しで定時だから、と続ける彼女に僕は『いつも通り』のフリをして、笑いかける。
「はい。花咲さんもゆっくり休んでくださいね」
「ありがとう」
目を細めて、彼女はパソコンに視線をやる。隣に居るのに遠い距離を感じる。
けれど僕が関わったことで、彼女はいわれのない悪意を向けられている。そんな彼女をもう食事に誘う気にはなれなかった。
あれから僕は花咲さんに対して仕事以外の話題を口に出さないようにした。そして、他の人達とのコミニュケーションは可能な限り取るようにした。
もともと花咲さんとは仕事の話がメインで、雑談も僕が振ることが多かった。むしろ彼女から話し掛けられるのは、ほとんどなかったのかもしれない。
(相手にされていなかったんだな)
それどころか、迷惑とすら思われていたのかもしれない。
独りよがりの恋をして、好きになった人を傷付けた。
ーー彼女と関わるべきじゃない。
一週間。悩んだ末にそう決めた。
(これ以上。深入りする前に、諦めなきゃ……)
そう思ったのに。どうしてか、諦めることができない。
姿勢良く伸びた背筋。僕を呼ぶ凛とした声。時折見せるはにかんだ笑顔。
諦めようと意識するごとに想いが膨れ上がる。
(花咲さんが僕の補佐役にならなくとも、きっと僕は彼女を好きになったんだろうなぁ)
そのことを自覚しているのだから救いようがない。
仕方ない。諦めよう。
どうあったって僕は花咲さんを目で追うのだから。
もう諦めて、彼女を好きだという気持ちを受け入れよう。
そう思ったのは彼女を好きになってから二ヶ月が経った頃だ。
その間に、僕は見合いをしてみたり、他に良い人が居ないか友人に紹介を受けたりもしてみた。
でも、やっぱり。他の女性ではなく、花咲さんが良かった。
花咲さんしか好きになりたくなかった。
愚かだと自分でも思う。けれど、この想いだけは捨てきれないのだから仕方がない。
(できるなら今すぐにでもアタックしたいけど……)
それが彼女の負担になるなら、『今』は諦める。
この仕事が終わって僕が『花形』に戻ったあかつきには、きちんと自分の想いを彼女に告げよう。
(問題はその間に花咲さんに恋人ができないか、だ)
花咲さんは魅力的な人だ。僕以外にも花咲さんを好きになった人が居るかもしれない。
(まずはそれを聞き出してみるか)
外面を良くしておいて良かった。せっかくだ。有効に活用してやろう。
情報は金に勝る価値がある。
それを利用して、上手く使おう。
(花咲さんも厄介な男に好かれたものだ)
自覚しながらも、逃してやる気はなかった。




