新・私のエッセイ~ 第279弾:復刻版【三島由紀夫VS東大全共闘】よりの、文字起こしの焼き直し&増補改訂版♪
三島さんと東大全共闘との対談の様子を、文章でお届けします。
これは、十数年前にYouTubeに上がっていた動画などから、当時の東大生の皆さんや三島さんがしゃべった内容を、できるだけ一字一句正確に、ぼくが逐一、ノートに書き取り、それをまとめあげたものです。
なぜ、このような面倒でややこしいことをやったかといいますとね・・・当時の東大生の「ハチャメチャな理論」を分析し、どこが「論理的に破綻している」のか・・・つまり、どんな感じで「スジがとおっていない」のかをじっくりと味わってみたいなぁ・・・なんていう、実にくだらん動機からでした(苦笑)。
おそらく、ぼーっとして聞いている方は、「さすが、東大生! あっしにゃー、まるで理解できないッ! ブラボー、秀才軍団!!」なんて、手放しで賞賛するんでしょうけど・・・この「なろうサイト」の賢明な読者の皆様には、そんな線香花火のようなパフォーマンスなんて、もちろん通じませんよね(笑)。
あまりにも、論理破綻の度合いが大きすぎて、きっと皆さんもあきれると思いますよ(笑)。
文章にしてみますと、さらにそれがはっきりしますので、面白いです。
「んー・・・それで結局、何が言いたいんだね、チミわ??」っていう感じになってくると思いますね♪
以下の文章は、三島由紀夫さんが、1969年5月13日に、東京大学の「900番教室」という巨大講堂で、「東大全共闘」と対談した様子を、文章で再現したものになります。
(※)一部、どうしても「意味」が取れずに、漢字による文字起こしができなかった箇所がございます。
あらかじめ、事前にお詫び申し上げておきます。。。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
【三島由紀夫VS東大全共闘】
三島さん:「・・・わたくしを檀上に立たせるのは『反動的だ』という意見があったそうで・・・。
ま、『反動(= 三島さん)』が『反動的』なのは、不思議はございませんので、立たしていただきましたが。」
(会場笑う)
三島さん:「えー、わたくしは、あー・・・『男子、門を出づれば、七人の敵あり』というんで、今日は『七人』じゃきかないようで・・・たいへんな『気概』をもって参りました。」
(会場笑う)
三島さん:「わたくしは、『右』だろうが『左』だろうが、暴力に反対したことなんか一度もない。
だいたい、学生の『厭戦思想』につけこんで、えー、『とにかくここらで手を打とうじゃないか』という気分が濃厚になってきた。
この気分は、日本全国に『瀰漫』している。
・『イデオロギーなんか、どうでもいいじゃないか』
・『筋や論理は、どうでもいいじゃないか』
・『とにかく、秩序が大切である』
・『われわれの生きている、この社会の、ただ当面の秩序が大切である。そのために警察があるんだ』
・『警察は、その当面の秩序を維持すればいいんだし、その当面の秩序が維持されさえすれば、自民党と共産党が、あるとき手を握ったっていいんだ』
と。」
三島さん:「わたくしは、あー・・・いま、そこの入り口で、『(三島さんの悪口である)近代ゴリラ』とかいう絵が描いてあったが、(私は)そういう点じゃ『プリミティブ(= 素朴で原始的)な人間』だから、スジが立たないところでそういうことをやられると、きもちがわるい。」
(会場笑う)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
三島さん:「・・・また、あー、向こう側から警察権力というものを見た場合も、あー、諸君というものが、何ら主体の意思のない、さっきのキチガイだと思えば、これに対して暴力をふるう余地はない。
そう言いながらも、やっぱ( 警察が)暴力をふるうときには、諸君の中に『主体』を認めてるからであります。
こういうような状況をつくる・・・こういう状況は、一つの、自と他の関係を無理やりに相手に対して『主体』を認めようとする・・・『相手を物体視しないという関係』をつくる・・・これはあたくしは、自と他が『関係』に入っていく・・・ただ唯一の方法じゃないか、と思うんです。」
三島さん:「というのは・・・『エロティシズム』というものは、ある意味で、『関係』じゃないんだ。
これは、あー、全くのサルトルのいう『猥褻感』でありまして・・・オブジェから触発される『性欲』であります。
ところが、自と他が『関係』に入ってくということは、そこにすでに、『対立』があり『闘い』があるってことをすなわち意味するんだ・・・と考えるんです。
それで、えー、いまの『他者との関わりあい』ということですが・・・わたくしも、『他者』というものを、どうしても欲しくなったんです。
私は、あー、『小説家』として、『エロティック』についてのみ世界に関わろうと、非常に願っていたんです。
そしてわたくしの初期の小説は、『エロティック』にのみ、えー、社会に関わっていて・・・大江健三郎と全部、似てたと思うんですが、えー、そのうちにだんだんに、そういうものが嫌んなって、どうしても、おー、『ひとつの関係』に入りたくなってったんです。」
三島さん:「それが、あー、当然、『対立』を生むことんなって、対立が他者というものの『イリュージョン』を作っていかざるを得ない・・・それであたくしは、えー、とにかく『共産主義』というものを敵にすることに決めたんです。
ですからもう、これから先も、おー、もう、どうしようもないので、あくまでも『共産主義を敵として戦う』、と。
これは、『主体性ある他者』というふうに考えてるわけであります。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
三島さん:「・・・わたくしは、安心してる人間が嫌いなんで、実はこんなところで、私が無事にこんなことをしていられる状況はあんまり好きじゃない。」
(会場の笑い声)
三島さん:「仄聞するところによりますと、これは、なんか100円以上のカンパを出して集まってるそうですが・・・私は、図らずも諸君のカンパの資金集めに協力していることになる。」
(会場爆笑)
三島さん:「私は、こういう政治的状況は、好きじゃない。できれば、そのカンパの半分をもらって、私の『楯の会』の資金にしたい。」
(会場の笑い声)
三島さん:「わたくしは、つい最近も、ある自民党の政治家の先生から頼まれて、『暴力反対決議』ってのをやるから、署名をしてくれ、と。(会場笑う)わたくしは、生まれてから一度も暴力に反対したことはないから、署名は出来ませんと言った。」
(会場笑う)
三島さん:「ただ、わたくしは、今まで、どうしても日本の知識人というものが、『思想』というものにチカラがあって、『知識』というものにチカラがあって、それだけで人間の世に君臨してるっていう形が、嫌いで嫌いでたまらなかった。これは具体的に例を挙げれば、いろんな一般の先生方がいるんで、そういう先生方の顔を見るのが、あたしは嫌でたまらなかった。」
三島さん:「これまでの、諸君がやったことの全部は肯定しないけれども、ある日本の『対象乗用主義』から来た、知識人のうぬぼれの鼻というものを叩き折ったという功績は、絶対に認めます。」
(会場拍手)
木村修さん(全共闘A)①:「結局・・・ま、『人間の存在』というものが、自分の頭の中ですね、『頭の中における認識の作用』・・・それは実際に頭の中で『言語』として行われるものでありますけれども、その『現実的な規制性』と、それに対する、あのぅ・・・問題・・・ゴホッゴホッ!」
(木村さん、三島さんのタバコでむせる)
木村さん(全共闘A)②:「・・・三島さんと僕らでの『対決点』が出てこない。
残念ながら、僕らの方の提起するところの『暴力』というものは、単にそうした、感覚的な原点だけに頼っているのではない、ということなんです。
つまり、それはたしかにさっき、『戦後知識人』の問題として、三島先生がその・・・三島さんが、あのう、ここで『先生』という言葉を思わず使っちゃったんですが(会場爆笑)、しかしながら、この東大にウロウロしている教師よりは、まだ三島さんの方が、僕は『先生』と呼ぶに値するだろうと・・・それで僕が使ったってことを、評価していただきたい。」
木村さん(全共闘A)③:「しかしながら、まだこれだけでは、三島さんと僕らの対決姿勢というものは、出てこない。それはおそらく、『他人』というものを介在することによって出てくるだろう、と思うのです。
つまり・・・自己がですね、一方的に『暴力』を提起する。つまり、たとえそれが知性の極限下において『暴力』を提起するとしても、現実に僕らが『ゲバルト(= 暴力の学生運動用語)』の中で、そういう問題を持っているわけですね。
つまり、ゲバ棒を持って、相手の頭に振り落とす。そのときに相手(= 機動隊など)の目なり顔なり見たときに、どういう感情が自己に起こるか・・・それはまた現実に自己がゲバ棒によって殴られる、機動隊によって粉砕されるという状態になった時の自己の感情・・・そうした場合においては、『他人と自己』とは、『交換関係』には絶対に立てない。」
木村さん(全共闘A)④:「・・・三島さんにお聞きしたいのは、『人間にとって他人とはどういうものであるのか』。」
三島さん:「他者というのは・・・われわれにとっては、本来、どうにでも変形されうるような・・・この・・・『オブジェ』であるべきだ、と。
これが、『自』というものにとっての、『他者がそうあるべき状態』、あるいは、『そういう状態であるべき他者』というものを、われわれは欲求しているんです。
しかるに、相手が思うようにならん・・・と。
そこに、われわれと他者との関係が難しくなってくる。
『非エロティック的』になってくる。
そして、『非エロティック的』になってくると・・・『暴力』というものが発生してくるというのは、本当はおかしいんだ。
これは『暴力』という形じゃなくて、諸君がいうように、ま、『闘争』という美しい言葉がありますけども、えーー・・・『暴力』じゃなくて、これは、すでに『対決の論理』、えー、『決闘の論理』に立っているのだと思われる。
えー、それであたくしが、学生暴力というものを、ただ『暴力』と考えないのは、そのためなんであります。」
全共闘Bの学生:「僕たちが直接的な手段を否定する際の、こう・・・いわば『妨害物』になるところの、『ブルジョワジー』あるいは、『反動』といわれるものたちとは、断固戦っていかなきゃならない、そういうふうに考えるわけであります。」
芥正彦さん(全共闘C):「・・・だから、自然っていうものは分かんねぇんだよ、ぜんぜん。」
三島さん:「・・・あ、誰が分からん? 君のは、日本語でね、『主格』が省略されて、いい日本語なんだけども、誰が分からんっつってんの・・・? 俺がわからん? 君がわからん・・??」
芥さん:「だから、あなたが使った『使い方』としてはわかるけれども・・・」
三島さん:「はあはあはあ。」
芥さん:「そう使うことによって、いろんな物事は、はっきりせんだろう、と。」
三島さん:「はあはあ、はっきりせんだろう、と。」
芥さん:「・・・同じことになってしまうと思うのです。」
三島さん:「ああ、なるほどなるほど。
・・・それじゃ、この問題をどうしますか?
もっと『展開』しますか? それとも、他の問題に移りますか?」
聴衆の一人:「もう、じゅうぶん、『問題提起』があったと思います。」
三島さん:「はいはいはい・・・はい。」
木村さん(全共闘A):「・・・ま、始まってからまぁ、45分になりました。えー・・・まぁ、あの・・・大体、『役者がそろった』ということです。
内容的にも、ということですけれども。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
芥さん:「・・・日本が無ければ、存在しない人間。」
三島さん:「そりゃ、僕だ。」
芥さん:「・・・ですか。」
(会場大爆笑)
芥さん:「ところが、僕の祖先は日本の中にも見つからんし、どこにも見つからん。」
三島さん:「あ、そう。」
芥さん:「・・・期せずしていたら、僕が『違法人』になっていたんじゃなくて、周りが違法になっていたわけだから。」
三島さん:「なるほど。」
芥さん:「それで、すんなり、21世紀に入っちゃうわけですよね、われわれは。」
三島さん:「なるほどね。」
全共闘D(後年、自殺):「(芥さんに向かって)そういうふうにね、無規定に『関係』ということを捨象してね、そのー、論を立てたところで、関連界のお遊びなんだよ。
つまりね、そのー、人間がね、人間が、他者がいるってことは事実なのさ。それに対して、自分がどんな論を立てるかってことは、それは君の勝手だよ。」
聴衆の一人:「バカヤロー、『関係』なんてのは、一番、卑猥なんだよ!」
芥さん:「(そいつに向かって)関係立てたとこから、それを逆転すんのが『革命』じゃねえのか、バカヤロー!!」
全共闘D:「(芥さんに向かって)違うよ。」
芥さん:「あー?」
全共闘D:「だからなあ、現実的ななあ、実際的社会的『ヒショ関係(←意味不明)』ってものがまず先行する。で、それに対して、意識においてどのような転換をするかっていうことが問題になるわけじゃないか。そこで、おめーさんはな、他人の『空間的並存』ってことを捨象して、問題を立てているだけにすぎねえじゃないか。
そういうことを言ってるとなぁ、東大全共闘の名が廃れるぜ。少なくとも、東大全共闘ってのは、違う!!」
(会場大爆笑)
芥さん:「(タバコを吸いながら、三島さんに向かって) あなたは、だから、日本人であるということの限界を超えることはできなくなってしまうということでしょう?」
三島さん:「ああ。できなくていいんだよ。」
芥さん:「あ、いいんですか?」
三島さん:「うん。僕はね、日本人であって、日本人として生まれて、日本人で死んで、それでいいんだ。その限界をぜんぜん僕は、抜けたいと思わない。僕自身。だからまぁ、あなたから見りゃあ、かわいそうだと思うだろうが・・・」
芥さん:「思いますけどね、僕は。」
三島さん:「しかしやっぱり僕は、日本人である以上の、日本人以外のものでありたいとは思わない。」
芥さん:「しかし、日本、日本人というのは、どこに『事物』としてあるわけですか・・・?」
三島さん:「事物としてはね、外国へ行きゃあ分かりますよ。あなた、どんなにね、英語しゃべってると、自分が日本人じゃないような気がするんだ、多少うまくなると。そしてね、道を歩いててね、ショーウインドウにね、姿が映ると、このとおり、『胴長』でね、そして鼻もそう高くないし。『あ、日本人が歩いてるぞ、誰だろう・・・?』って思ったら、テメーなんだな。(会場笑う)これは、どうしても、外国行くと痛感するんだ。」
芥さん:「しかし、人間すら、『事物』にまで行かない限り・・・無理ですよ。」
三島さん:「あぁ、そのー、国籍を脱却することは。」
芥さん:「脱却というより、むしろ最初から『国籍』はないんであって・・・。」
三島さん:「ああ。あなたは、国籍がないわけだろう? で、あなたは『自由人』として僕は尊敬する、それでいいよね? だけども僕はだね、国籍を持って、自分が日本人であることを、自分ではのけられないんだよ。これは僕は、自分の宿命であると信じている。」
芥さん:「それは一種の『関係づけ』でやられてるわけですよね。」
三島さん:「そうそうそう。」
芥さん:「だから当然、歴史にも、やられちゃうわけだし。」
三島さん:「ああ。やられちゃうっていうか、つまり、歴史に『やられたい』。」
芥さん:「そういうことに?」
三島さん:「そういうことに、喜びを感じる。」
芥さん:「(半笑いしながら)幻想の中で?」
三島さん:「ああ。幻想の中で。」
芥さん:「(半笑いで)だから、『人殺し』になったときから、動きだすってわけでしょう。実際、動くかどうかは、分からないけれども。」
三島さん:「そう。分からんけれどもね。そういうふうな、つまり、精神構造になってしまうんだな。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
三島さん:「・・・たとえば、この『机』というものは、これは、なんかつまらん、きたない『デスク』だが、これは、東大の中で一定の先生が、一定の講義をやるために、ここに置いているんです。
ところが諸君は、これの用途を変更することができる。
・・・『バリケード』にしてしまう。
この机は、夢にも思わなかったことですが・・・バリケードにされてしまう。
そうすると、机の用途の『変更』ですが、これは、机の生産の『もともとの用途・目的』とは関係がない。
・・・それは、『戦闘目的』に使われるのですね。
そして・・・『物』が、生産関係から切り離されて、戦闘目的のために使われて・・・そういうものによって、諸君は初めて、『物に目覚める』という時代に生きてる。
・・・それは、なぜか。
諸君自体の存在も、『生産関係』から切り離されてるからじゃないですか。
そして、それによって諸君は『生産関係の根本』に、『労働対象としての自然』に到達しようとするんじゃないんですか。
・・・その動きが、諸君がやっている暴力の、『本源的衝動』じゃないんですか。」
芥さん:「『暴力』という場合・・・『関係づけられてない事物』ということにしておかないと、やっぱり曖昧になってきちゃうんじゃないですか・・・?」
三島さん:「なにが・・・?」
芥さん:「だから・・・『大学』という、ひとつの生活形態の中では、『机は机』であるけれど、大学がこわれたら、それは『机』でもなんでもないわけで。」
三島さん:「はあはあ・・・『物』だね。」
芥さん:「それは、ひとつの『事物』ですよね。」
三島さん:「そうですね。」
芥さん:「それらの事物に対して、われわれが一方的に関係づけた場合、身の回りの物すべてが『武器』にもなりうるし・・・それは、なんにでもなりうるわけです。」
三島さん:「・・・なりうるわけですね。」
芥さん:「むしろ、そこの関係の逆転に、『革命』がおそらくあるんだろう。」
三島さん:「ああ、ああ。」
芥さん:「そのときはじめて、『空間』が生まれる、ということですよね?」
三島さん:「うん、うん。」
芥さん:「『物書き』の場合・・・その場合、文字と机が『同じ重さ』を持って作品を作らないと、一向に『レシ(= フランス語で「物語」のこと)』になったり『ロマン』になったりしてしまい・・・」
三島さん:「そういうこと、そういうこと。」
芥さん:「三島さんは、『敗退してしまった人』だということになってしまうんですよね。」
三島さん:「はあはあ。・・・まだ『敗退』してないぞ??」
(会場、芥さん、笑う)
芥さん:「(ニヤニヤしながら)僕には、そう思えますけどね・・・ははっ。」
三島さん:「しかし、『物書き』はやっぱり、そういう物というものをね、作品ん中に作っていかなきゃならんですね。
実際は・・・『物書きの仕事』としては、ね・・・実際は。
しかしこれは、『生産』とは直接関係ないことはたしかだな、ああ。」
芥さん:「そうです。最初から、生産から『疎外』されていたということ自体、ひとつの『実存主義』の流れの・・・アレですからね。」
三島さん:「ああ。」
芥さん:「僕らには関係ないですけれども。」
三島さん:「そう。」
芥さん:「うん。」
三島さん:「・・・いま、『空間』って問題が出てきましたね。その『空間』が・・・」
芥さん:「その形態の『暴力』なんですよね。」
三島さん:「はあ。ふんふん。」
芥さん:「だから・・・僕が、『あなたが敗退された』と言ったところは、そこにあったわけですよ。」
三島さん:「ああ、ああ。」
芥さん:「あなたの・・・その『取り得た形態』が、一向に暴力的に、僕らには、なんら『差し迫らない』ということですね。
・・・僕らの行為そのものは、『形態が即、内容』であり、『内容が即、形態』になる。」
三島さん:「ふんふん。」
芥さん:「これはひとつの・・・まあ、『革命』でなくて、ひとつの『表現』なんですけれどもね。
ただ、『空間』自体は、おそらくそこに、『歴史の可能性そのもの』という空間が、現出しうる、ということ。」
三島さん:「ふんふん。」
芥さん:「(半笑いしながら)そういうところへ来て、『物書き』が、なにかおっしゃると、僕はなんか・・・とても恥ずかしいような気がするわけです。」
・・・このあと芥さんは、
「つまんねーから、オレ、帰るよ。」とひとこと残して、会場から消えたそうです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
上記の動画を後年見せられた芥さんは、次のようなコメントをされています。
当時、芥さんは、「演出家・俳優」と紹介されておられましたね。当時、42歳でした。
「もしね・・・だから、三島が、ずっと生きてたとしたら、まぁ、精神病院の中で脳軟化症かなんかになって、完全に『自殺防止装置』がついた中でね・・・いるだろう、と。まず最初に感じたのは、それだな。ま、かなり『感情』の部分ね。『愛』というより、『感情』なんだろうなぁ・・・。そこでは、かーなり、やっぱりなんていうのかなぁ、頼みもしない意味を、そこへ、たえず持ってきた・・・ような気がするね。特に彼が・・・一応、『自決』を決めてからね。」
・・・あいかわらずの「ハチャメチャ」で「ワケワカメ」のコメントですよね(笑)。
三島さんにいいように「やりこめられてしまった」「ある意味、恥をかかされてしまった」ことに対する、
芥さんの『負け惜しみ』『捨て台詞』のようにしか、ぼくには聞こえませんがね♪
申し訳ないですけど、
芥さんとは、そもそも最初から「人間としての器」が違いましたよ、三島さんって。
皆さんやぼくだって「軽く論破」して、ひねってさしあげられちゃいますよね・・・芥さん程度なら。
「あんたの言ってること・・・ようするに、一言で評価するならば、最初から最後まで全部ハチャメチャで、ハナシの流れもスジも、まったくとおってないんですけど!」
「かわいそうなのは、三島さんじゃなくて、あんたのほうだよ。自分の『理論』がおかしいことに、年をとってもまるっきり気づいていないんだから。まァ、ご愁傷様です」って感じで(苦笑)。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
小阪さん(全共闘E):「三島にとっての『天皇』と、我々にとっての『国家』と、ま、そのへんの関係から話していって・・・少し何か見つかると思うんです。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
三島さん:「わたくしが今、天皇、天皇って言うのは、今まさに『洞察』されたように、今の天皇は、非常に、わたくしが考える天皇でいらっしゃらないからこそ、言える。(会場爆笑)そしてこの、あたくしの考える天皇にしたいからこそ、あたくしは言ってるわけで。ところが・・・天皇というのは、それほど堂々たる『ブルジョワ』ではないんだ。もし天皇が、このだらけきってるような『堂々たるブルジョワ』であったなら、革命っていうものは、もっと容易であった。それでないからこそ、革命は難しいんじゃないか。そして、その難しさの中でだね・・・諸君は闘い、僕だって闘ってるんだ。それはね、日本の民衆の底辺にあるものなんだよ。それを『天皇』と呼んでいいのかは分からない。たまたま、僕はそこに『天皇』という名前を与えるわけだ。それをキャッチしなければだね、諸君も成功しないし、僕も成功しない。」
三島さん:「・・・そんなこと言うと僕はね、もう、揚げ足取られるから言いたくはないんだけどもね・・・ひとつ、個人的な感想を聞いてください。というのはだね、僕らはつまり、戦争中に生まれた人間でね、こういうとこに陛下が立ってて、ま、座っておられたんだが、3時間、ぜんぜん微動もしない姿を見てる。とにかく、3時間、ぜんぜん『木像』のごとく、微動もしない、卒業式で。で、その天皇から、私は時計をもらった。そういうね、つまり個人的な『恩顧』があるんだな。・・・こんなこと、言いたくないよ、おれは。(会場爆笑)言いたくないけれどもだね、人間の個人的な歴史の中で、そういうことがあるんだ。そしてね、どうしても否定できないんだ、おれの中でね。そりゃあ、とても立派だった。」
三島さん:「・・・もう、ここまで来たらだね。あのー、これはね、あなたがたに『論理的に負けた』ってことを意味しない。つまりね、『天皇、天皇』と言ってだね、諸君が一言いってくれれば、おれは喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないからいつまでたってもね、『殺す、殺す』って言ってるだけのことさ。それだけのことさ。(会場爆笑)」
三島さん:「『天皇』っていうことを口にするのもけがらわしかったならば、この2時間のシンポジウムの間に、あんなに大勢の人間が、たとえ悪口にしろ『天皇』なんて、たくさん言ったはずがない。『言葉』は・・・『言葉』を選んで、翼を持って、この部屋の中を飛び回ったんです。この『言霊』が、どっかに、どんなふうに残るかは知りませんけれども、その『言葉』を、『言霊』を、わたくしは、とにかくここに残して、ここを去っていくんで・・・これも、『問題提起』にすぎない。わたくしは、諸君の『熱情』は信じます。・・・これだけは、信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるってことを、残したい。」
三島さん、会場の全員に一礼し、ゆっくりと会場をあとにします。
あとには、鳴りやまぬ拍手の嵐でした。
とにかく、一本スジの通った三島さんのカッコよさばかりが光っていたような気がするんですが、いかがだったでしょうか・・・?
長くなりましたが・・・こういったエッセイも、たまには、いいんじゃないでしょうか(笑)では・・・。
m(_ _)m
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
追伸その1:
一見すると、
三島さんにいいようにあしらわれ、
ときには「おだてられ」、
「気づかぬうちに、まんまとはぐらかされてしまっていた」芥さん・・・
それでも「強引に大文豪の三島さんを転覆させ、あわよくばマウントを取ろうと努力(?)して」、
ハチャメチャな理論を展開し、ひたすら自分の「存在感」をアピールしていた、目立ちたがり屋の芥さんなんですが・・・実は、三島さんとの対談の最後の方で、ゾッとするような「予言」を一言残していました。それが、これです。
芥さん:「(半笑いで)だから、『人殺し』になったときから、動きだすってわけでしょう。実際、動くかどうかは、分からないけれども。」
まるで、三島さんが翌年の同じ頃に、自衛隊の市ヶ谷駐屯地にて総監を人質に取り、割腹自決する場面を予見していたかのような発言じゃないですか・・・!
「動く」「動かない」というのは、もちろん、三島さんが「決起」を呼びかけた自衛隊のことに他なりませんもんね。
ぼくね、さんざん芥さんのことをボロカスに批判してきましたが・・「東大随一の論客」という異名は、やはりダテじゃなかったんだなぁって、あらためて見直しましたよ。
m(_ _)m
追伸その2:
上の文章での『木村さん(全共闘A)』なんですが・・・
三島さんをこの1969年のシンポジウムに電話で誘ったのが、実は彼でした。
・・・三島さん、「二つ返事」でОKされましたね。
後年、「元・東大全共闘A」の木村さんにインタビューしたときの彼のコメント・・・見解がコレです。
【41歳・・・地方公務員当時の木村さん談】
①:「んーー・・・ぼくは、そうねぇ・・・。うしろの『店番』のほうにいたんで・・・前で見ると全然ちがうんだなぁって・・・いう感じですね。」
②:「あのう・・・『必死の討論をしてた』というように思いますね。」
③:「いま、コレ見るともう、わかりますけども、(三島さんご自身が)『自分が死ぬこと』を予見してしゃべってますよね。
・・・ぼくはそう思う。
あのときには、まったく気がつかなかったですけどね。」
④:「(三島さんは)非常に正直な方ですからね・・・。
『やられたい』なんてのは、まさにそのとおりでしょうねぇ・・・で、実際、腹切っちゃうわけだし。」
追伸その3:
2019年時の、芥正彦さんのコメントも紹介します。
芥さん:「だってもう、『50年』だよ。
だれか、代わりにさぁ・・・アレをちゃんと検分してくれりゃいいわけじゃない。
ぼくら、そのままこう、ずーっと、まっすぐ歩いてきただけだから・・・。」
(いったん間をおいて)
インタビュアー:「じゃ、よろしくお願いします。」
芥さん:「(カメラ目線で)芥正彦です。
・・・その本でいうと、『全共闘のC』になります。
芥です。よろしく。」
追伸その4:
参考のために、
「元・東大全共闘C」の芥正彦と、「元・東大全共闘A」の木村修さんが、
さらに年齢を重ねられたときのご意見などをおさめた映像も、2つ紹介しておきます。
1.『運動敗北之後(『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』摘錄)』
→ UP主様は、「TBS NEWS DIG Powered by JNN」様。
2.『【HD映像】三島由紀夫 - "三島事件"最後の演説 ~ Yukio Mishima last Speech "The case of Mishima"』
→ UP主様は、「HISTORY CHANNEL」様。
追伸その5:
警察や機動隊、大学関係者相手に、
火炎瓶を投げつけ、壁や室内のいたるところにスプレーの落書きをし、ゲバ棒を振り回してバリケードをつくり、暴れに暴れまわっていたテロ学生・ゲバ学生たちが集う、このシンポジウムに、
三島さんが単身で乗り込んだわけではありませんでした。
実は、すぐ近くの部屋で、
三島さんの有する私的軍隊である『楯の会』のメンバーが控えており、
三島さんの身にもしものことがあった場合、すぐに飛びだして学生とコトを構える体制でいました。
三島さんご自身も、実はふところに「短刀」を隠し持ち、いざ、自分が学生たちの集団リンチの「辱め」を受ける局面に万が一なったときには、
その場で「割腹自決」する覚悟でいた、といいます。
そういったこともあり三島さんは、
ぐちゃぐちゃでデタラメの理論を展開する芥さんたちを、その場面場面でいちいち論破して揚げ足をとってみたり、
いたずらに刺激するような愚かなことはされなかった。
「お前の言っていることは、全部おかしい!」などと侮辱し、学生たちの自尊心を容赦なく傷つけたりはせず・・・
うまくおだてたり、ギャグやジョークをまじえて学生をなごませ、会場の人間を笑わせ、
論点をずらしつつ・・・
慎重に言葉を選びながら、「対話になっていない対話」を楽しまれていたんだと思いますよ。
実際、三島さんご自身、この2時間ほどの学生とのやり取りを、
「あれは、実にゆかいな体験であった」と語っておられましたしね♪
でも最後の最後に三島さんは、きっぱりと東大生たちに言い放ちましたよね。
「諸君の『熱情だけ』は信じるが・・・他のものはいっさい信じない」と。
それ以前にもはっきりと、「諸君のやったことの全部は肯定しない」とも。
学生がどんな「世迷言」や「戯言」「屁理屈」を並べ立てようとも、ほざこうとも、
三島さんの中では、「そもそも、はじめから結論ありき」だったんですよ(苦笑)。
だってね・・・
誰が何をどう説明しようが、「テロはテロ」「暴力は暴力」「破壊行為は破壊行為」なんですから。
ちなみに、この会場には・・・
歌手の『加藤登紀子さん』も当時の現役東大生としておられたようですよ。
ただし、彼女も含めた相当数の学生は、
東大全共闘には参加しておらず、
ただの「興味本位」で見に来ていたらしい。
そりゃそうですよ。
日本を代表する、天下の大文豪の三島由紀夫さんの姿をナマで見られ、なおかつ彼の演説まで、直接、聴けるんですから。
・・・たった「100円」のカンパでね♪
追伸その6:
最後に、こんな長い引用記事を参考資料として紹介し、このエッセイを閉じたいと思います。
最後までお付き合いくださり・・・
まことにありがとうございました。
m(_ _)m
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
【東大紛争】
東大紛争は、1968年から1969年にかけて続いた東京大学における大学紛争で、東大闘争とも呼ばれる。主に学部生・大学院生と当局の間で、医学部処分問題や大学運営の民主化などの課題を巡り争われた。
1960年代後半、全国の医学部で学部生と研修医によって、全学連医学協や青医連が始めたインターン制度廃止を軸とした研修医の待遇改善運動が台頭し、東京大学医学部はその中心的拠点校であった。
1968年1月、医学部学生大会は登録医制導入阻止や附属病院の研修内容改善などを掲げて、無期限ストライキ突入を決議し、医学部は紛争状態に入った。2月、学生と医局員の衝突事件が起きると、大学当局は学生・研修医17名を処分したが、まもなくその中の学生の1人が誤認処分された疑いが強まる。
学生側は処分撤回を求めたが、東京大学側は一歩も譲らず、紛争は停滞局面に入った。6月中旬には、局面打開を意図した一部急進派学生が、自治会の統制を離れて安田講堂を占拠した。これに対し、大河内一男総長は6月17日に警視庁機動隊を学内に導入し、占拠学生を退去させた。
この機動隊導入は、当局自身の手による大学自治の放棄であるとして、学部を超えて多数の学生と教職員の反発を招き、紛争を全学に拡大させる結果となった。自治会中央委など東大七者連絡協議会の呼びかけで、法学部を除く全学部の自治会は1968年6月20日、機動隊導入に抗議する一日ストを行い、安田講堂前で開かれた抗議集会には約6,000人が参加した。
1968年7月上旬には、各自治会執行部より急進的な一部の大学院生らにより安田講堂は再び占拠され、これに新左翼セクトが加わり、東大闘争全学共闘会議が結成された。東大全共闘は当局に医学部処分撤回や機動隊導入の自己批判などを求める「七項目要求」を掲げ、自治会中央委に代わって学生の支持を集めた。当局は8月10日に七項目要求のうち6項目を受け入れる解決案を告示したが、全共闘はこれを拒否し、紛争は後期にもつれこんだ。10月上旬には全共闘主導で全学部自治会が無期限ストに入った。
1968年秋に入ると、全共闘が「東大解体」を主張し、「全学バリケード封鎖」へと戦術を過激化させたのに加え、ストの長期化や民青系の巻き返しにより、11月には学部生の間で東大民主化行動委員会(民青系)と無党派学生グループ(クラス連合、有志連合、大学革新会議など)が台頭し、全共闘と激しく対立した。授業は停止し、セクト同士が睨み合い、どこかで内ゲバの悲鳴が聞こえるという状況になっていた。
一方東京大学首脳部では、1968年11月1日に大河内総長以下学部長全員が辞任し、後日加藤一郎を総長代行とする新執行部が構築され、紛争収拾に動き始めた。加藤代行は11月中旬、学生側へ紛争解決のために全学集会の開催を呼びかけ、これに七者協や民主化行動委が呼応して各学部・院系から「統一代表団」を選出する運動を始めた。11月から12月にかけて民主化行動委と無党派グループは共同して各学部の学生大会に代表団を選挙させ、統一代表団を形成。
1969年(昭和44年)1月10日、全学集会で加藤代行と統一代表団は「確認書」を取り交わした。確認書は10項目からなり、医学部処分の白紙撤回や自治活動の自由化、今後の大学改革の方向性などを定めていた。全学集会に前後して各学部・院系のストは相次いで解除され、東大生の多数派が警視庁を相手とする紛争から離脱した。
一方、少数派となった全共闘は闘争継続を主張して安田講堂等校舎の占拠・封鎖を続けたため、1969年1月18日から19日にかけて、警視庁の出動要請を受けた機動隊が、安田講堂の封鎖解除と共闘派学生の大量検挙を行った(東大安田講堂事件)。これで全共闘は大きな打撃を受け、紛争は収拾された。さらに1969年(昭和43年度)の東大入試は、佐藤内閣が中止を決定。全共闘は安田講堂事件以後、急速に退潮し1969年中には東大紛争は完全に収束するに至った。
安田講堂事件を含めた東大紛争では、767人が逮捕され、616人が起訴された。一審判決で133人に実刑判決、400人超が執行猶予付き有罪判決、無罪判決12人であった。
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【年表】
1968年(昭和43年)
・1月29日 東大医学部の学生がインターン制度に代わる登録医制度に反対し、無期限ストに突入。
・3月12日 医学部は、2月19日の医局長缶詰事件で17人の処分を発表。
・3月26日 処分された学生のうち1人につき、東大側の誤認の可能性があると教授懇談会で医学部講師2名が報告。
・3月28日 医学部全闘委の学生が安田講堂での卒業式実力阻止を図った為、大学側は卒業式を中止。
・4月12日 入学式強行。
・6月15日 医学部全闘委の学生が安田講堂を占拠。
・6月17日 大河内総長の要請で、警視庁機動隊1200人が同大学構内に出動し、学生らは退去。
・6月18日 全学闘争連合(全斗連、大学院生を中心とした組織)を結成。
・6月20日 警察導入に抗議して、法学部を除く9学部が一斉に一日スト。1960年の安保闘争時以来初。
・6月26日 東大文学部無期限ストに突入。
・6月28日 大河内一男総長出席の安田講堂での「総長会見」。約3000人が参加し、溢れた2000人もの学生はテレビ中継した別の教室集会に参加という形式を採った。
・7月2日 反日共(反共産党)の日本の新左翼系の学生ら、250人が安田講堂をバリケードで封鎖。
・7月5日 東大闘争全学共闘会議(東大全共闘)結成(全共闘議長・山本義隆)。教養学部も無期限ストに突入。
・7月9日 テント村開設
・7月16日 全共闘、七項目要求確認。
・7月24日 東大全学助手共闘会議結成。
・8月10日 『8・10告示』といわれる大学側最終案が出されるが、一方的な告示という形式で成された事に反発を買う。
・8月28日 全学共闘会議の学生約200人が医学部本館を占拠。
・9月7日 病院封鎖反対を叫んで学外の民青同盟が行動。
・9月9日 医学部卒業試験が極秘で行われ、受験対象者の内過半数に満たない45名のみが受験。残り60名はボイコット。
・9月16日 本郷構内の5学部で学生大会、学部大会を開く。医学部の学部集会には教官、学生約1300人が参加。9月9日の試験は延期と提唱し、その試験を受験した45名はショックを受ける。
・9月18日 医学部緊急教授会で、卒業試験を一時延期、当分休講を発表。
・9月22日 全共闘の学生約250人が医学部附属病院外科系医局・研究棟にバリケードを築き、封鎖する。
・9月27日 医学部赤レンガ館封鎖。初の自主封鎖。
10月12日 法学部無期限スト突入。開校以来初の10学部「無期限スト」
・10月18日 東大医学部神経内科の医局員15人全員が教授会に抗議し、25日以降スト終了まで一切の診察を有給者のみで行うと決議。無給医診療拒否。
・11月1日 東大評議会で大河内一男総長の辞任を承認。紛争の発端となった医学部の豊川行平前医学部長、上田英雄前東大病院院長の東大教授退官を承認。10学部の当時の学部長全員も辞任。
・11月4日 新学部長会議で加藤一郎法学部長を学長事務取扱(代行)に選出。文学部の法文2号館で文学部学生の処分を巡る「大衆団交」が始る。
・11月6日 林健太郎文学部長、岩崎、堀米両評議員の3人は禁足。成瀬助教授は疲労で退場。教授側は「不法監禁」と掲示。
・11月8日 100時間を超え、教官有志は「基本的人権の重大な侵害。大学を無法地帯とする愚挙。」と声明を発表。35名が署名。三島由紀夫、阿川弘之ら学者・文化人グループは「緊急の訴え」を出す。
・11月12日 林文学部長はドクターストップのため、173時間ぶりに解放。緊急入院をする。総合図書館前で全共闘と民主化行動委員会(民青系)(議長:三浦聡雄医学部生)が全学封鎖を巡り乱闘。
・11月14日 法学生大会、全学封鎖反対決議。全共闘側の敗色が濃厚となる。
・11月18日 全学集会で東大当局と全共闘との予備折衝物別れとなる。
・11月19日 工学生大会、全学バリ封鎖反対可決。総長代行らと統一代表団準備会(日共系)との予備折衝。この頃から他大学の活動家が全共闘に参加するようになった。
・11月22日 「東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会」開催。東大闘争の天王山、全学バリケード封鎖の強行の挫折。図書館封鎖。学生側は自主管理で駒場祭開催。
・12月29日 加藤学長代行と坂田道太文相が会談、「現状のままでは入試中止。1969年1月15日までにスト解除・授業再開の見通しが立てばその時点で再考」とすることで意見が一致した。文部省(当時)が、大学側の意向を無視し1969年度の東大入試中止を発表する。東京教育大学も体育学部を除く入試中止を決定。
・12月31日 大晦日の夜、解放講堂から「歓喜の頌歌」が時計台放送により同時放送される。
1969年(昭和44年)
・1月1日 元旦の朝、教育学部・赤門周辺で民青同盟による「暁の大合唱」が催される。
・1月4日 加藤総長「非常事態」宣言。
・1月9日 全共闘、教育・経済学部の民青を攻撃。加藤総長の要請で機動隊が大学構内に入る。
・1月10日 秩父宮ラグビー場で7学部代表団と大学側の集会。十項目確認書作成。駒場共闘100人以上逮捕。
・1月14日 駒場共闘、駒場キャンパス第8本館に籠城。民青、一般学生、教官、機動隊と攻防。(21日撤収)
・1月15日 「全都労学決起集会」開催。
・1月16日 加藤総長が機動隊に本郷キャンパスのバリケード撤去を要請する。
・1月18日から翌19日にかけて、封鎖解除実行(安田講堂攻防戦)。東大内での逮捕者は600名以上。学生支援のため神田・本郷界隈で神田カルチェ・ラタン闘争発生。
・1月20日 東大当局が入試中止を受け入れる。
・3月3日 学生と学校側の団交中に佐藤重平がふざけた態度をしたとして、柏崎千枝子が佐藤を殴る。4月22日、監禁容疑で柏崎は目黒署に逮捕される。
・・・以上です。




