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新・私のエッセイ~ 第279弾:復刻版【三島由紀夫VS東大全共闘】よりの、文字起こしの焼き直し&増補改訂版♪

 三島さんと東大全共闘との対談の様子を、文章でお届けします。


 これは、十数年前にYouTubeに上がっていた動画などから、当時の東大生の皆さんや三島さんがしゃべった内容を、できるだけ一字一句正確に、ぼくが逐一ちくいち、ノートに書き取り、それをまとめあげたものです。


 なぜ、このような面倒でややこしいことをやったかといいますとね・・・当時の東大生の「ハチャメチャな理論」を分析し、どこが「論理的に破綻はたんしている」のか・・・つまり、どんな感じで「スジがとおっていない」のかをじっくりと味わってみたいなぁ・・・なんていう、実にくだらん動機からでした(苦笑)。


 おそらく、ぼーっとして聞いている方は、「さすが、東大生! あっしにゃー、まるで理解できないッ! ブラボー、秀才軍団!!」なんて、手放しで賞賛するんでしょうけど・・・この「なろうサイト」の賢明な読者の皆様には、そんな線香花火のようなパフォーマンスなんて、もちろん通じませんよね(笑)。


 あまりにも、論理破綻ろんりはたんの度合いが大きすぎて、きっと皆さんもあきれると思いますよ(笑)。


 文章にしてみますと、さらにそれがはっきりしますので、面白いです。


 「んー・・・それで結局、何が言いたいんだね、チミわ??」っていう感じになってくると思いますね♪


 以下の文章は、三島由紀夫さんが、1969年5月13日に、東京大学の「900番教室」という巨大講堂で、「東大全共闘」と対談した様子を、文章で再現したものになります。


 (※)一部、どうしても「意味」が取れずに、漢字による文字起こしができなかった箇所がございます。

 あらかじめ、事前にお詫び申し上げておきます。。。


  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 【三島由紀夫VS東大全共闘】


 三島さん「・・・わたくしを檀上だんじょうに立たせるのは『反動的だ』という意見があったそうで・・・。

 ま、『反動(= 三島さん)』が『反動的』なのは、不思議はございませんので、立たしていただきましたが。」


 (会場笑う)


 三島さん:「えー、わたくしは、あー・・・『男子、門をづれば、七人の敵あり』というんで、今日は『七人』じゃきかないようで・・・たいへんな『気概きがい』をもって参りました。」


 (会場笑う)


 三島さん:「わたくしは、『右』だろうが『左』だろうが、暴力に反対したことなんか一度もない。

 だいたい、学生の『厭戦思想えんせんしそう』につけこんで、えー、『とにかくここらで手を打とうじゃないか』という気分が濃厚になってきた。

 この気分は、日本全国に『瀰漫びまん』している。

 ・『イデオロギーなんか、どうでもいいじゃないか』

 ・『すじや論理は、どうでもいいじゃないか』

 ・『とにかく、秩序が大切である』

 ・『われわれの生きている、この社会の、ただ当面の秩序が大切である。そのために警察があるんだ』

 ・『警察は、その当面の秩序を維持すればいいんだし、その当面の秩序が維持されさえすれば、自民党と共産党が、あるとき手を握ったっていいんだ』

 と。」


 三島さん:「わたくしは、あー・・・いま、そこの入り口で、『(三島さんの悪口である)近代ゴリラ』とかいう絵がいてあったが、(私は)そういう点じゃ『プリミティブ(= 素朴で原始的)な人間』だから、スジが立たないところでそういうことをやられると、きもちがわるい。」


 (会場笑う)


 三島さん:「・・・わたくしは、安心してる人間が嫌いなんで、実はこんなところで、私が無事にこんなことをしていられる状況はあんまり好きじゃない。」


 (会場の笑い声)


 三島さん:「仄聞そくぶんするところによりますと、これは、なんか100円以上のカンパを出して集まってるそうですが・・・私は、はからずも諸君のカンパの資金集めに協力していることになる。」


 (会場爆笑)


 三島さん:「私は、こういう政治的状況は、好きじゃない。できれば、そのカンパの半分をもらって、私の『たての会』の資金にしたい。」


 (会場の笑い声)


 三島さん:「わたくしは、つい最近も、ある自民党の政治家の先生から頼まれて、『暴力反対決議』ってのをやるから、署名をしてくれ、と。(会場笑う)わたくしは、生まれてから一度も暴力に反対したことはないから、署名は出来ませんと言った。」


 (会場笑う)


 三島さん:「ただ、わたくしは、今まで、どうしても日本の知識人というものが、『思想』というものにチカラがあって、『知識』というものにチカラがあって、それだけで人間の世に君臨してるっていう形が、嫌いで嫌いでたまらなかった。これは具体的に例を挙げれば、いろんな一般の先生方がいるんで、そういう先生方の顔を見るのが、あたしは嫌でたまらなかった。」


 三島さん:「これまでの、諸君がやったことの全部は肯定しないけれども、ある日本の『対象乗用主義』から来た、知識人のうぬぼれの鼻というものを叩き折ったという功績は、絶対に認めます。」


 (会場拍手)


 木村修きむらおさむさん(全共闘A)①:「結局・・・ま、『人間の存在』というものが、自分の頭の中ですね、『頭の中における認識の作用』・・・それは実際に頭の中で『言語』として行われるものでありますけれども、その『現実的な規制性』と、それに対する、あのぅ・・・問題・・・ゴホッゴホッ!」


 (木村さん、三島さんのタバコでむせる)


 木村さん(全共闘A)②:「・・・三島さんと僕らでの『対決点』が出てこない。

 残念ながら、僕らの方の提起ていきするところの『暴力』というものは、単にそうした、感覚的な原点だけに頼っているのではない、ということなんです。

 つまり、それはたしかにさっき、『戦後知識人』の問題として、三島先生がその・・・三島さんが、あのう、ここで『先生』という言葉を思わず使っちゃったんですが(会場爆笑)、しかしながら、この東大にウロウロしている教師よりは、まだ三島さんの方が、僕は『先生』と呼ぶに値するだろうと・・・それで僕が使ったってことを、評価していただきたい。」


 木村さん(全共闘A)③:「しかしながら、まだこれだけでは、三島さんと僕らの対決姿勢というものは、出てこない。それはおそらく、『他人』というものを介在かいざいすることによって出てくるだろう、と思うのです。

 つまり・・・自己がですね、一方的に『暴力』を提起する。つまり、たとえそれが知性の極限下において『暴力』を提起するとしても、現実に僕らが『ゲバルト(= 暴力の学生運動用語)』の中で、そういう問題を持っているわけですね。

 つまり、ゲバ棒を持って、相手の頭に振り落とす。そのときに相手(= 機動隊など)の目なり顔なり見たときに、どういう感情が自己に起こるか・・・それはまた現実に自己がゲバ棒によって殴られる、機動隊によって粉砕ふんさいされるという状態になった時の自己の感情・・・そうした場合においては、『他人と自己』とは、『交換関係』には絶対に立てない。」


 木村さん(全共闘A)④:「・・・三島さんにお聞きしたいのは、『人間にとって他人とはどういうものであるのか』。」


 三島さん:「他者たしゃというのは・・・われわれにとっては、本来、どうにでも変形されうるような・・・この・・・『オブジェ』であるべきだ、と。

 これが、『』というものにとっての、『他者がそうあるべき状態』、あるいは、『そういう状態であるべき他者』というものを、われわれは欲求しているんです。

 しかるに、相手が思うようにならん・・・と。

 そこに、われわれと他者との関係が難しくなってくる。

 『非エロティック的』になってくる。

 そして、『非エロティック的』になってくると・・・『暴力』というものが発生してくるというのは、本当はおかしいんだ。

 これは『暴力』という形じゃなくて、諸君がいうように、ま、『闘争』という美しい言葉がありますけども、えーー・・・『暴力』じゃなくて、これは、すでに『対決の論理』、えー、『決闘の論理』に立っているのだと思われる。

 えー、それであたくしが、学生暴力というものを、ただ『暴力』と考えないのは、そのためなんであります。」



 全共闘Bの学生:「僕たちが直接的な手段を否定する際の、こう・・・いわば『妨害物』になるところの、『ブルジョワジー』あるいは、『反動』といわれるものたちとは、断固戦っていかなきゃならない、そういうふうに考えるわけであります。」



 芥正彦あくたまさひこさん(全共闘C):「・・・だから、自然っていうものは分かんねぇんだよ、ぜんぜん。」


 三島さん:「・・・あ、誰が分からん? 君のは、日本語でね、『主格しゅかく』が省略されて、いい日本語なんだけども、誰が分からんっつってんの・・・? 俺がわからん? 君がわからん・・??」


 芥さん:「だから、あなたが使った『使い方』としてはわかるけれども・・・」


 三島さん:「はあはあはあ。」


 芥さん:「そう使うことによって、いろんな物事ものごとは、はっきりせんだろう、と。」


 三島さん:「はあはあ、はっきりせんだろう、と。」


 芥さん:「・・・同じことになってしまうと思うのです。」


 三島さん:「ああ、なるほどなるほど。

 ・・・それじゃ、この問題をどうしますか?

 もっと『展開』しますか? それとも、他の問題に移りますか?」


 聴衆の一人:「もう、じゅうぶん、『問題提起もんだいていき』があったと思います。」


 三島さん:「はいはいはい・・・はい。」


 木村さん(全共闘A):「・・・ま、始まってからまぁ、45分になりました。えー・・・まぁ、あの・・・大体、『役者がそろった』ということです。

 内容的にも、ということですけれども。」


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 


 芥さん:「・・・日本が無ければ、存在しない人間。」


 三島さん:「そりゃ、僕だ。」


 芥さん:「・・・ですか。」


 (会場大爆笑)


 芥さん:「ところが、僕の祖先は日本の中にも見つからんし、どこにも見つからん。」


 三島さん:「あ、そう。」


 芥さん:「・・・せずしていたら、僕が『違法人いほうじん』になっていたんじゃなくて、周りが違法になっていたわけだから。」


 三島さん:「なるほど。」


 芥さん:「それで、すんなり、21世紀に入っちゃうわけですよね、われわれは。」


 三島さん:「なるほどね。」


 全共闘D(後年、自殺):「(芥さんに向かって)そういうふうにね、無規定むきていに『関係』ということを捨象しゃしょうしてね、そのー、ろんを立てたところで、関連界かんれんかいのお遊びなんだよ。

 つまりね、そのー、人間がね、人間が、他者がいるってことは事実なのさ。それに対して、自分がどんな論を立てるかってことは、それは君の勝手だよ。」


 聴衆の一人:「バカヤロー、『関係』なんてのは、一番、卑猥ひわいなんだよ!」


 芥さん:「(そいつに向かって)関係立てたとこから、それを逆転すんのが『革命』じゃねえのか、バカヤロー!!」


 全共闘D:「(芥さんに向かって)違うよ。」


 芥さん:「あー?」


 全共闘D:「だからなあ、現実的ななあ、実際的社会的『ヒショ関係(←意味不明)』ってものがまず先行する。で、それに対して、意識においてどのような転換をするかっていうことが問題になるわけじゃないか。そこで、おめーさんはな、他人の『空間的並存くうかんてきへいぞん』ってことを捨象して、問題を立てているだけにすぎねえじゃないか。

 そういうことを言ってるとなぁ、東大全共闘の名がすたれるぜ。少なくとも、東大全共闘ってのは、違う!!」


 (会場大爆笑)


 芥さん:「(タバコを吸いながら、三島さんに向かって) あなたは、だから、日本人であるということの限界を超えることはできなくなってしまうということでしょう?」


 三島さん:「ああ。できなくていいんだよ。」


 芥さん:「あ、いいんですか?」


 三島さん:「うん。僕はね、日本人であって、日本人として生まれて、日本人で死んで、それでいいんだ。その限界をぜんぜん僕は、抜けたいと思わない。僕自身。だからまぁ、あなたから見りゃあ、かわいそうだと思うだろうが・・・」


 芥さん:「思いますけどね、僕は。」


 三島さん:「しかしやっぱり僕は、日本人である以上の、日本人以外のものでありたいとは思わない。」


 芥さん:「しかし、日本、日本人というのは、どこに『事物じぶつ』としてあるわけですか・・・?」


 三島さん:「事物としてはね、外国へ行きゃあ分かりますよ。あなた、どんなにね、英語しゃべってると、自分が日本人じゃないような気がするんだ、多少うまくなると。そしてね、道を歩いててね、ショーウインドウにね、姿が映ると、このとおり、『胴長どうなが』でね、そして鼻をそう高くないし。『あ、日本人が歩いてるぞ、誰だろう・・・?』って思ったら、テメーなんだな。(会場笑う)これは、どうしても、外国行くと痛感するんだ。」


 芥さん:「しかし、人間すら、『事物』にまで行かない限り・・・無理ですよ。」


 三島さん:「あぁ、そのー、国籍を脱却することは。」


 芥さん:「脱却というより、むしろ最初から『国籍』はないんであって・・・。」


 三島さん:「ああ。あなたは、国籍がないわけだろう? で、あなたは『自由人』として僕は尊敬する、それでいいよね? だけども僕はだね、国籍を持って、自分が日本人であることを、自分ではのけられないんだよ。これは僕は、自分の宿命であると信じている。」


 芥さん:「それは一種の『関係づけ』でやられてるわけですよね。」


 三島さん:「そうそうそう。」


 芥さん:「だから当然、歴史にも、やられちゃうわけだし。」


 三島さん:「ああ。やられちゃうっていうか、つまり、歴史に『やられたい』。」


 芥さん:「そういうことに?」


 三島さん:「そういうことに、喜びを感じる。」


 芥さん:「(半笑いしながら)幻想の中で?」


 三島さん:「ああ。幻想の中で。」 


 芥さん:「(半笑いで)だから、『人殺し』になったときから、動きだすってわけでしょう。実際、動くかどうかは、分からないけれども。」


 三島さん:「そう。分からんけれどもね。そういうふうな、つまり、精神構造になってしまうんだな。」


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 三島さん:「・・・たとえば、この『机』というものは、これは、なんかつまらん、きたない『デスク』だが、これは、東大の中で一定の先生が、一定の講義をやるために、ここに置いているんです。

 ところが諸君は、これの用途を変更することができる。

 ・・・『バリケード』にしてしまう。

 この机は、夢にも思わなかったことですが・・・バリケードにされてしまう。

 そうすると、机の用途の『変更』ですが、これは、机の生産の『もともとの用途・目的』とは関係がない。

 ・・・それは、『戦闘目的』に使われるのですね。

 そして・・・『物』が、生産関係から切り離されて、戦闘目的のために使われて・・・そういうものによって、諸君は初めて、『物に目覚める』という時代に生きてる。

 ・・・それは、なぜか。

 諸君自体の存在も、『生産関係』から切り離されてるからじゃないですか。

 そして、それによって諸君は『生産関係の根本こんぽん』に、『労働対象としての自然』に到達しようとするんじゃないんですか。

 ・・・その動きが、諸君がやっている、『暴力の本源的衝動ほんげんてきしょうどう』じゃないんですか。」


 芥さん:「『暴力』という場合・・・『関係づけられてない事物』ということにしておかないと、やっぱり曖昧あいまいになってきちゃうんじゃないですか・・・?」


 三島さん:「なにが・・・?」


 芥さん:「だから・・・『大学』という、ひとつの生活形態の中では、『机は机』であるけれど、大学がこわれたら、それは『机』でもなんでもないわけで。」


 三島さん:「はあはあ・・・『モノ』だね。」


 芥さん:「それは、ひとつの『事物じぶつ』ですよね。」


 三島さん:「そうですね。」


 芥さん:「それらの事物に対して、われわれが一方的に関係づけた場合、身の回りの物すべてが『武器』にもなりうるし・・・それは、なんにでもなりうるわけです。」


 三島さん:「・・・なりうるわけですね。」


 芥さん:「むしろ、そこの関係の逆転に、『革命』がおそらくあるんだろう。」


 三島さん:「ああ、ああ。」


 芥さん:「そのときはじめて、『空間』が生まれる、ということですよね?」


 三島さん:「うん、うん。」


 芥さん:「『物書ものかき』の場合・・・その場合、文字と机が『同じ重さ』を持って作品を作らないと、一向いっこうに『レシ(= フランス語で「物語」のこと)』になったり『ロマン』になったりしてしまい・・・」


 三島さん:「そういうこと、そういうこと。」


 芥さん:「三島さんは、『敗退はいたいしてしまった人』だということになってしまうんですよね。」


 三島さん:「はあはあ。・・・まだ『敗退』してないぞ??」


 (会場、芥さん、笑う)


 芥さん:「(ニヤニヤしながら)僕には、そう思えますけどね・・・ははっ。」


 三島さん:「しかし、『物書き』はやっぱり、そういう物というものをね、作品ん中に作っていかなきゃならんですね。

 実際は・・・『物書きの仕事』としては、ね・・・実際は。

 しかしこれは、『生産』とは直接関係ないことはたしかだな、ああ。」


 芥さん:「そうです。最初から、生産から『疎外そがい』されていたということ自体、ひとつの『実存主義じつぞんしゅぎ』の流れの・・・アレですからね。」


 三島さん:「ああ。」


 芥さん:「僕らには関係ないですけれども。」


 三島さん:「そう。」


 芥さん:「うん。」


 三島さん:「・・・いま、『空間』って問題が出てきましたね。その『空間』が・・・」


 芥さん:「その形態の『暴力』なんですよね。」


 三島さん:「はあ。ふんふん。」


 芥さん:「だから・・・僕が、『あなたが敗退された』と言ったところは、そこにあったわけですよ。」


 三島さん:「ああ、ああ。」


 芥さん:「あなたの・・・その『取り得た形態』が、一向いっこうに暴力的に、僕らには、なんら『せまらない』ということですね。

 ・・・僕らの行為そのものは、『形態けいたいが即、内容』であり、『内容が即、形態けいたい』になる。」


 三島さん:「ふんふん。」


 芥さん:「これはひとつの・・・まあ、『革命』でなくて、ひとつの『表現』なんですけれどもね。

 ただ、『空間』自体は、おそらくそこに、『歴史の可能性そのもの』という空間が、現出げんしゅつしうる、ということ。」


 三島さん:「ふんふん。」


 芥さん:「(半笑いしながら)そういうところへ来て、『物書き』が、なにかおっしゃると、僕はなんか・・・とても恥ずかしいような気がするわけです。」



 ・・・このあと芥さんは、


 「つまんねーから、オレ、帰るよ。」とひとこと残して、会場から消えたそうです。


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 上記の動画を後年こうねん見せられた芥さんは、次のようなコメントをされています。


 当時、芥さんは、「演出家・俳優」と紹介されておられましたね。当時、42歳でした。


 「もしね・・・だから、三島が、ずっと生きてたとしたら、まぁ、精神病院の中で脳軟化症のうなんかしょうかなんかになって、完全に『自殺防止装置』がついた中でね・・・いるだろう、と。まず最初に感じたのは、それだな。ま、かなり『感情』の部分ね。『愛』というより、『感情』なんだろうなぁ・・・。そこでは、かーなり、やっぱりなんていうのかなぁ、頼みもしない意味を、そこへ、たえず持ってきた・・・ような気がするね。特に彼が・・・一応、『自決』を決めてからね。」


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 小阪こさかさん(全共闘E):「三島にとっての『天皇』と、我々にとっての『国家』と、ま、そのへんの関係から話していって・・・少し何か見つかると思うんです。」


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 三島さん:「わたくしが今、天皇、天皇って言うのは、今まさに『洞察どうさつ』されたように、今の天皇は、非常に、わたくしが考える天皇でいらっしゃらないからこそ、言える。(会場爆笑)そしてこの、あたくしの考える天皇にしたいからこそ、あたくしは言ってるわけで。ところが・・・天皇というのは、それほど堂々たる『ブルジョワ』ではないんだ。もし天皇が、このだらけきってるような『堂々たるブルジョワ』であったなら、革命っていうものは、もっと容易であった。それでないからこそ、革命は難しいんじゃないか。そして、その難しさの中でだね・・・諸君は闘い、僕だって闘ってるんだ、それはね、日本の民衆の底辺にあるものなんだよ。それを『天皇』と呼んでいいのかは分からない。たまたま、僕はそこに『天皇』という名前を与えるわけだ。それをキャッチしなければだね、諸君も成功しないし、僕も成功しない。」


 三島さん:「・・・そんなこと言うと僕はね、もう、あし取られるから言いたくはないんだけどもね・・・ひとつ、個人的な感想を聞いてください。というのはだね、僕らはつまり、戦争中に生まれた人間でね、こういうとこに陛下が立ってて、ま、座っておられたんだが、3時間、ぜんぜん微動びどうもしない姿を見てる。とにかく、3時間、ぜんぜん『木像もくぞう』のごとく、微動もしない、卒業式で。で、その天皇から、私は時計をもらった。そういうね、つまり個人的な『恩顧おんこ』があるんだな。・・・こんなこと、言いたくないよ、おれは。(会場爆笑)言いたくないけれどもだね、人間の個人的な歴史の中で、そういうことがあるんだ。そしてね、どうしても否定できないんだ、おれの中でね。そりゃあ、とても立派だった。」


 三島さん:「・・・もう、ここまで来たらだね。あのー、これはね、あなたがたに『論理的』に負けたってことを意味しない。つまりね、『天皇、天皇』と言ってだね、諸君が一言いってくれれば、おれは喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないからいつまでたってもね、『殺す、殺す』って言ってるだけのことさ。それだけのことさ。(会場爆笑)」


 三島さん:「『天皇』っていうことを口にするのもけがらわしかったならば、この2時間のシンポジウムの間に、あんなに大勢の人間が、たとえ悪口にしろ『天皇』なんて、たくさん言ったはずがない。『言葉』は・・・『言葉』を選んで、つばさを持って、この部屋の中を飛び回ったんです。この『言霊ことだま』が、どっかに、どんなふうに残るかは知りませんけれども、その『言葉』を、『言霊』を、わたくしは、とにかくここに残して、ここを去っていくんで・・・これも、『問題提起』にすぎない。わたくしは、諸君の『熱情』は信じます。・・・これだけは、信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるってことを、残したい。」


 三島さん、会場の全員に一礼し、ゆっくりと会場をあとにします。


 あとには、鳴りやまぬ拍手の嵐でした。


 とにかく、一本スジの通った三島さんのカッコよさばかりが光っていたような気がするんですが、いかがだったでしょうか・・・?


 長くなりましたが・・・こういったエッセイも、たまには、いいんじゃないでしょうか(笑)では・・・。


m(_ _)m


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 追伸その1:


 一見すると、ハチャメチャな理論を展開していたかに見える「芥さん」ですが・・・実は、三島さんとの対談の最後の方で、ゾッとするような「予言」を一言残していました。それが、これです。


  芥さん:「(半笑いで)だから、『人殺し』になったときから、動きだすってわけでしょう。実際、動くかどうかは、分からないけれども。」


 まるで、三島さんが翌年の同じ頃に、自衛隊の市ヶ谷駐屯地にて総監を人質に取り、割腹自決する場面を予見していたかのような発言じゃないですか・・・!


 「動く」「動かない」というのは、もちろん、三島さんが「決起」を呼びかけた自衛隊のことに他なりませんもんね。


 ぼくね、さんざん芥さんのことをボロカスに批判してきましたが・・「東大随一の論客ろんきゃく」という異名いみょうは、やはりダテじゃなかったんだなぁって、あらためて見直しましたよ。


m(_ _)m


 追伸その2:


 上の文章での『木村さん(全共闘A)』なんですが・・・


 三島さんをこの1969年のシンポジウムに電話で誘ったのが、実は彼でした。


 ・・・三島さん、「二つ返事」でОKされましたね。


 後年、「元・東大全共闘A」の木村さんにインタビューしたときの彼のコメント・・・見解がコレです。


 【41歳・・・地方公務員当時の木村さん談】


 ①:「んーー・・・ぼくは、そうねぇ・・・。うしろの『店番』のほうにいたんで・・・前で見ると全然ちがうんだなぁって・・・いう感じですね。」


 ②:「あのう・・・『必死の討論をしてた』というように思いますね。」


 ③:「いま、コレ見るともう、わかりますけども、(三島さんご自身が)『自分が死ぬこと』を予見してしゃべってますよね。

 ・・・ぼくはそう思う。

 あのときには、まったく気がつかなかったですけどね。」


 ④:「(三島さんは)非常に正直な方ですからね・・・。

 『やられたい』なんてのは、まさにそのとおりでしょうねぇ・・・で、実際、腹切っちゃうわけだし。」


 追伸その3:


 2019年時の、芥正彦あくたまさひこさんのコメントも紹介します。


 芥さん:「だってもう、『50年』だよ。

 だれか、代わりにさぁ・・・アレをちゃんと検分けんぶんしてくれりゃいいわけじゃない。

 ぼくら、そのままこう、ずーっと、まっすぐ歩いてきただけだから・・・。」


 (いったん間をおいて)


 インタビュアー:「じゃ、よろしくお願いします。」


 芥さん:「(カメラ目線で)芥正彦です。

 ・・・その本でいうと、『全共闘のC』になります。

 芥です。よろしく。」 


 追伸その4:


 参考のために、


 「元・東大全共闘C」の芥正彦あくたまさひこさんと、「元・東大全共闘A」の木村修きむらおさむさんが、


 さらに年齢を重ねられたときのご意見などをおさめた映像も、2つ紹介しておきます。


 1.『運動敗北之後(『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』摘錄)』

→ UP主様は、「TBS NEWS DIG Powered by JNN」様。


 2.『【HD映像】三島由紀夫 - "三島事件"最後の演説 ~ Yukio Mishima last Speech "The case of Mishima"』

→ UP主様は、「HISTORY CHANNEL」様。

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