#1.強制共感
俺には、自分の本当の感情がどれなのか、分からない。
「聞いて聞いて!ライブのチケット当たったんだ!」
────ああ、嬉しいな。
「なんでそんな仕事もできねえんだ!ふざけるな!」
────くそ、イライラする。
「こないだペットの犬が死んじゃって……。」
────……哀しいな……。
「見て見て!この写真!超面白いよね!」
────はは、楽しいな。
ころころ、ころころと、俺の感情は移り変わる。周囲の人間が笑えば俺も笑う、怒れば怒る。泣けば泣く。喜怒哀楽の感情の波に溺れる。
この感覚、否、力は、ある日目覚めた。いや、自覚させられた、と言うべきだろうか。
────6年前、16歳。高校一年生のあの夏の日。
人混みにいるとどうにも情緒が定まらない。感情のコントロールが上手くできない。
俺は昔から、感情がコロコロ変わりやすいとは、自覚していた。友達が笑えば楽しくなるし、怒っていればつられてムカつく。
「お前って共感力高いよな」
なんて言われたこともあったけど、そういうものだと思っていた。それが俺の日常だった。けれど、だからこそ、俺は人混みが嫌いになり、昼食はいつも屋上で食べていた。誰もいない、誰も来ない、あの屋上で。そんなある日の事だった。
────死のう……。
「死のう……?」
そんな感情が、ふと俺の中に入り込む。慌てて周囲を見渡した。なんで、どうして。面倒な体質だけれど、死のうなんて考えたことは一度もないのに。
屋上を少し歩いて、姿が見えた。フェンス越しに揺れる長い髪、セーラー服。フェンスの手前に並べられた上履きをみて、同じ学年だとわかった。
────死にたい
────死にたくない
────けど生きたくない
────消えてなくなりたい
────でも
────誰か
────止めて欲しい……。
そんな感情に、心が支配される。これは、俺の感情じゃない……、彼女の、彼女が抱えている感情だ。
「────やめろっ!死ぬな!!」
声が出た。びくっ、と肩を揺らし、瞳に涙をいっぱいに浮かべた彼女が、こちらを振り返った。そうして、俺の顔を見て、彼女は言った。
「なんで……、なんで貴方がそんなに────」
────現在……。
「っ!……、夢、か」
懐かしい夢を見た。あまりいい気分では無い、が、そんな気持ちも一瞬で晴れる。母が、俺を呼ぶこえが聞こえた。今日も上機嫌らしい。俺も釣られて胸が踊った。
「響希〜、ご飯よ〜」
「今行くよ」
だぼだぼのパーカーを着たまま寝癖もそのままにリビングに降りる。やはり上機嫌な母がキッチンで鼻歌混じりに料理の仕上げをしていた。
「おはよ〜響希〜♡今朝はパンケーキよ〜、上手に作れたママをほめてくれてもいいのよ?」
「パンケーキひとつでそんなに喜んでいたのか、ははは、まぁ、母さんにしては上出来だね。」
「にしては、って何よ〜!ママ激おこ〜!」
「はは、ごめんごめん、冗談だよ。頂きます」
「んふふ!召し上がれ〜♡」
パンケーキを一口サイズに切って、丁寧に口に運ぶ。そして、夢のことを思い出す。あんなにくらい夢を見たのに、今はこんなにも嬉しい気分だ。母のおかげだ。
けれど、記憶としては鮮明に残る、あの夢、あの日の現実。
────「なんで貴方がそんなに、苦しそうなの……?」
彼女は泣きながら、震える声で、そう呟いた。彼女と同じくらいに、涙を流し、顔を歪める俺を見て。
俺には不思議な力があった。
「……あっ!パパの分のパンケーキが……」
「……あぁ、気が重い」
……一気に気が重くなる。さっきまでのウキウキ気分はどこへやら、母の失敗した、という落ち込んだ感情が、流れ込んでくる。……いや、正確には、その感情に対し、強制的に共感させられる、それが俺にかけられた呪いであり、力だ。俺はこれを強制共感、そう呼んでいる。
周囲にいる人間の感情が入り込んでは、俺の感情をその感情で埋め尽くす。あの日、彼女に出会って、あの感情に飲み込まれた時、初めて気づいた。彼女が抱える、絶望と苦痛。そして、この力で、誰かを救えることに。
「……母さん、パンケーキひとつでそんなに落ち込まな際でくれ……、せっかく美味しいパンケーキが台無しだ……」
「うー……、……あっ、ごめんなさいね、響希、ママ、元気になっちゃう!むきっ!」
「あはははっ」
母は俺のこの力に対して理解をしてくれた。だからか、俺がいる時はいつもこうして元気に振舞ってくれている。……それでも、ちょっと無理をして元気なふりをしている、と言うのは、伝わってきてしまうけれど。
「あ、響希、今日も冒険、行っちゃうの?」
「ん、あぁ、学校が終わったらね。今日は一コマだけだから、その後かな」
「……うーん、気をつけてね?ママ心配……」
「……うん、ありがと。気をつけるよ」
冒険、子供の遊びとでも勘違いされるだろうが、違う。正真正銘の、世界を────
「……ん、真宵か」
────真宵、あの日、あの夏の日、あの屋上で出会った、同級生。彼女は今、生きている。
そんな彼女からの連絡だ。
『響希くんっ、今日も冒険いく?』
『あぁ、行くつもり。真宵も今日は一コマだけだよな』
『うんっ!じゃあクオリアで合流ね〜!』
『了解』
トーク画面に文字を打ち終えると、パンケーキの最後の一口を食べた。
「母さん、ご馳走様。すごく美味しかったよ。……少し焦げてるくらいが、もっと美味しいかも」
「……響希〜ほんと!?ありがとう!!それじゃあパパも喜んでくれるわね〜♡」
それから俺は身支度をし、学校に行き、大学の授業を一コマ受けた。
その後、真宵との待ち合わせ場所、と言うより、“冒険“の為の集合場所であるクオリア、というBARに向かった。
「……ぶはっ!あぁ!もう!」
「うわびっくりした、響希くん大丈夫?また人混み?」
「そうだよ!あぁ!イライラする!ちょっと待ってくれ!いま、今……!落ち着くから……、……。……ふう……」
「余程怒っていた人とすれ違ったんだね?」
「そっ、なんか部下に文句垂れてるサラリーマンがいた。俺このまま社会人になれんのかな……」
「あははっ、いざとなったら養ってあげる!」
「どっちが面倒見る側になるやら……」
「むっ、失礼な!あ、籠目くんも呼んでおいたから!」
「あぁ、そういえば来てないな。何してんだアイツ。さっきまでの俺なら手出てたわ」
「物騒だね〜、……あ、来たよ?」
扉の音が、カランコロンと鈴を鳴らしながら開く。
「ごめん!待った!?待ったね!よし!ごめん!」
遅れてやってきて潔く謝ってきたこいつは後藤 籠目。俺たちのと同じ大学に通う友達、そして、……冒険仲間だ。
「遅刻たァいいご身分だなぁ重役出勤かァ?」
「絡まない絡まない」
「うわやっぱ機嫌悪い、さっき外でめっちゃ機嫌悪いサラリーマンとすれ違ったからな、多分そいつだろ!」
「正解。ほんとやってらんねーわ。……けどまぁ、集まったな。ドンちゃん呼ぶか」
「そうだね、今日もいつもの格好なのかな?」
「そろそろ冬が来ますよ。いつもの格好してたらバカだ」
「誰がバカだこの馬鹿が。頭弾き飛ばすぞ。」
「っ!!頭が!わ、割れる!たんまたんま!」
「おー、いつもの格好だ、寒くないの?」
「見てるだけで寒いよ〜」
BARクオリア、カウンターの向こう側、スタッフルームからいつの間にかこちらに来ていたのはドンちゃんことドム・クラネル。このBAR、クオリアのオーナーであり、門番だ。
彼の格好はなかなかの異質だ。上裸の上から革ジャン1枚を羽織る。ズボンは当然履いてるが、ムッキムキの大胸筋からシックスパックまで全開にして革ジャンを着ている。
「ドンちゃん、そろそろ行こうかと思うので許してあげてくださいな」
「ドンちゃんの握力なら頭ほんとに潰せそう!」
「ねえお前ら、状況わかる?今一番痛いのオレ」
「ん、もう出発すんのか、じゃあこれ飲んでいけ。」
「お、バフドリンク」
「美味しいし効果もバツグン!いいよねー!」
「普通に酒が飲みたい」
「じゃあお前は留守番して俺と稽古でもするか」
「いただきまーす。」
籠目が馬鹿なことを言いながらも、それぞれ出されたドリンクを飲む。アルコールでは無いが爽やかで飲みやすい味わい。
バフドリンク、俺達は冒険に出る前のこの1杯をそう呼んでいる。
「飲んだな。じゃあ“扉“、開くぞ」
「んぐ、ぷは。あいよー」
「うーん、今日は帰ったら一杯飲みたいな!」
「それさっき俺が言った」
「無事帰ってきたら一人一杯タダで飲ませてやる」
「しゃーきたー!」
「やったー!無事帰れますように!」
「さてさて、それじゃあ今日も」
ドンちゃんが、鍵穴がいくつもある扉の前に立ち、ひとつの鍵を取り出しては、赤い光が漏れ出す鍵穴に、指す。カチリと音が鳴ると、次の瞬間、扉の向こうから、強い光が溢れ出した。
──この扉は、異世界へと続いている。
光に包まれた瞬間、俺は眩い輝きの中へと引き込まれた。喫茶店の柔らかな空気はどこにもなく、そこに広がっているのは、異世界アストラの中央都市にそびえ立つ王城内部の、凛とした重厚な空気だった。
冷たい風が石造りの廊下を伝い、天井から吊るされた煌めくシャンデリアが、まるで時を忘れさせるかのように静謐な輝きを放っている。窓越しに覗く夜空は漆黒で、その彼方には、不気味な紫色の霧が大地を包み込み、城の威厳に一抹の神秘を添えていた。
そして、今この異世界は、未曾有の危機に瀕していた。
「さてさて、それじゃあ今日も」
「タダ酒の為に!」
「世界を救いますかねっと!」
────世界を救う冒険に
「「「行きますか!」」」