第61話 熱に魘される
お昼頃。お粥を作っている由美の元に、一時的に帰ってきたらしい茜がやってきた。
「またすぐに出なきゃなんだけど、真人くんの様子はどうかなって」
「今はまだ寝てます」
火にかけた鍋を軽くかき混ぜながら、由美はキッチンに入ってきた茜と会話をする。ひとしきり混ぜて鍋に米がくっついていないことを確認してから、由美は予め溶いてあった卵を加えて、鍋に蓋をする。
「キッチン、すみません……。お粥を作り終わったら綺麗にしますので」
「いいわよ、気にしないで。ちゃんと綺麗に使ってくれてるみたいだし。家政の特待生なんだっけ? 手際がいいわね」
「ありがとうございます……」
「あと、これ。りんごをひとつだけ貰ってきたんだ。良かったらどうぞ」
「あ、ありがとうございます。北川くんといただきます!」
茜はカウンターにそっとりんごを置くと、コンロの前に立っている由美の前でパンッと手を揃え、頭を軽く下げる。
「ごめんね。本当に少ししか時間取れなくて。もう戻らなきゃなの!」
「いいんです。北川くんの事は任せてください」
「ありがとう! あの子にもお大事にって言っておいてー」
茜は由美に挨拶をすると、すぐにリビングを出ていってしまった。由美はリビングから顔を覗かせて彼女を見送ると、小さく笑う。
「ふふ」
正直に言うと、茜が来てくれたことで落ち込んでいた気分が少しだけ明るくなった。
真人が由美を通して誰を見つめていたのか。誰に対して「行かないで」と言ったのか、由美はさっきまで、気になって悩んでしまっていた。
「茜さんに感謝ね……」
由美はそう呟いて、貰ったりんごの皮を綺麗に剥いた。その間にお粥が完成したようなので、鍋の火を止める。少量味見をして満足したら、完成だ。
由美は完成したお粥をどんぶりに移した後は、皮を剥いたままの状態で放置してあるりんごをひと口ほどの大きさに切ってやった。その方が、病人の真人も食べやすいだろう。
「よし。こんなものかしら」
由美はお粥とりんごをお盆に乗せて、真人が寝ている部屋に持っていく。念の為にノックをしてみたが、返事はなかった。まだ寝ているのだろうか。
「北川くーん……。お邪魔しまーす……」
真人を起こさないように小声で声をかけて、由美は部屋の扉を開ける。真人はかなり汗をかいていて、苦しそうに魘されていた。
「き、北川くんっ」
「……ごめ…………」
「え?」
熱のせいで魘されているようだ。悪い夢でも見ているのだろうか。真人は苦しそうに寝言を呟いている。
(こ、この場合って起こした方がいいのかしら!?)
由美はベッドサイドの台にお盆を乗せ、真人の様子をうかがう。
「北川くん……」
とりあえず、真人の額からずり落ちている濡れタオルをもう一度冷たい水で絞って、真人のおでこに乗せ直してやった。由美が触れられる範囲で、汗も拭いた。
「……かり」
「え? 北川くん? なあに?」
真人が何かを呟いているので、由美は耳を傾ける。
「ごめんな……。明里…………」
由美の胸がドクンと跳ねた。明里という女の人が、真人が時折遠くを見ている時に思い浮かべている人物なのだろう。由美はそう理解した。
「お前だけ…だから……。許、して…………」
由美はそれを聞いて、ついショックを受けてしまう。真人が自分に対して抱いている好意が、友情でしかないことは分かっていた。それなのに……。真人の口から別の女性を求められると、どうしても悲しくなってしまう。
「北川くん。泣かないで……」
真人の目から、汗ではないものが流れ落ちた。由美はそれをそっと拭うと、落ち着かせるように真人の身体をトントンと叩いた。
。。。
暫くすると、真人の眼がゆっくりと開いた。目を覚ました真人は、ボーッと天井を眺めながら、優しく身体を叩いてくれている手の温もりを感じている。
「……浜野さん?」
「あ、北川くん……。お、起きた? 北川くん、随分と魘されていたのよ。大丈夫?」
由美は出来るだけショックを顔に出さないように、笑顔を見せる。それが逆に歪に見えて、真人は由美をボーッと見つめて、考える。
(何か、変な事でも言ったのだろうか……)
と。
「あ、そうそう。お粥も出来てるよ。食べられそう?」
「うん。食べたい。ありがとう……」
由美は誤魔化したいようだから、真人も何も聞かない。もし原因がわかったら、由美から何か言われたら、きちんと謝ろう。そう思った。
「流石浜野さん。お粥も美味しそう」
どんぶりには蓋がしてあったのだが、時間が経っているので、やはり冷めてしまっている。真人が蓋をあげた時、湯気が全く立たなかったし、お粥の表面も何だか乾いて見えた。
「そのままで大丈夫? 温め直してくるよ?」
「ん……。そうだな。折角なら、ちゃんと美味しい状態の物を食べたいな」
真人は由美の料理を気に入っているから、尚更そう思う。由美に手間をかけて申し訳ないと思いつつも、温め直してもらうことにした。
「あ、そうだ。温め直している間に、北川くん。沢山汗をかいてたみたいだから、着替えられそうなら着替えて? 久谷くんのパジャマを使ってもいいって、高井くんが持ってきてくれたの。そっちのベッドに置いてあるよ」
「ああ。あれか。ありがとう」
「立ち上がれそう?」
「平気だよ。これくらい」
真人がもそもそと立ち上がるのを見届けてから、由美は部屋を出て行った。
「……私、変じゃなかったかしら」
部屋を出た由美は、小さな声でそう呟く。真人に不審がられていないだろうか。とまた別の悩みが出来た。
。。。
由美はお粥を温め直すと、また部屋に戻ってくる。
「北川くん。お待たせ」
「ありがとう。浜野さん」
真人はまだ着替えの途中だったらしく、ボタンに手をかけている。由美は一瞬だけビクリとしてしまったが、何とか持ち堪えた。
「ううん。着替えの途中に入っちゃってごめんなさい。一度部屋を出てた方がいいかしら?」
「いいよ。あと上だけだし、すぐ終わる……」
とは言ったが、指が上手く動かせない。真人はボタンを留めるのにもたついてしまっている。
「北川くん。ボタンかけ違えてるわ。触れてもいいなら、私が留めてあげる」
サイドテーブルにお粥を置いた後も、まだ真人はもたついていた。更に、ボタンをかけ間違えてしまい、不格好になっている。
「う……。それじゃあ、本当の本当に子供みたいじゃん……」
真人は一瞬嫌な顔をしたが、自分の服の状態を見たら、由美のもどかしい気持ちも分かってしまった。
「……ごめん。頼む」
真人は恥ずかしそうにそう言って、大人しくボタンを留めて貰った。
(浜野さんって、いつも落ち着く匂いがするんだよなあ……。…………抱きしめたいな)
熱に浮かされてそんな事を考えた真人は、由美がボタンを留め終えて離れたことで、ハッとする。そして、自分の考えに羞恥と罪悪感を覚えた。
「えっ!? 北川くん、顔真っ赤! 熱上がっちゃったんじゃない!?」
真人の顔が赤いのは、自分が由美に対して、抱きしめたいなどと、痴漢行為ともとれる不埒な事を考えてしまっていたからだ。しかし、それを知らない由美は真人を心配して、体温計をキョロキョロと探した。
「北川くん。ね、熱、熱測ろ?」
「あ……。えっと…………」
真人は由美本人に対して不埒な事を考えた。とは言えるはずもなく、大人しく体温を測るのだった。
「あれ? 7度4分だ。少し下がったみたいだね」
「ああ。うん……。なんか、ごめん」
「なんで謝るの? いい事じゃない。でも、まだ少し熱があるんだから、お粥を食べたらまた寝るんだよ?」
真人は純粋に心配してくれる由美に罪悪感を覚えつつ、お粥を食べて大人しくベッドに潜るのだった。




