第59話 発熱
次の日。
今日は大滝の広場で行われる夏祭りの日だ。だと言うのに……。
「ひくしゅっ……。さっむぅ……」
朝起きた時、真人は身体のあまりのだるさに、ベッド脇でダウンした。今は幸雄と純也が、真人のベッドを囲んで様子を見ている。
「体温計、持ってきたぞ」
拓真が部屋に入ってきた。部屋の外には由美や茉莉もいるらしい。心配する声が聞こえてくる。
「悪いけど、俺も会場に行って演奏の準備をしなくちゃならないんだ。真人は熱があったら絶対休んでるんだぞ」
「ああ、わかった……」
拓真は真人が服の下に体温計を入れたのを確認して、すぐに部屋を出る。そして、外で待っている宰志と音美と合流するために、急いで階段を駆け下りた。
。。。
大人しく体温を計っていた真人は、自分の熱の高さに気だるさが増したようで、ベッドに横になって丸まっている。
「うーん……。しんどぉ…………」
「38度3分か」
「真人は元々体温高い方だけど、8度越えは流石に高熱だな」
「俺、寝てるぅ……。咳は出てないし、喉も痛くは無いし。多分寝てたら治るから。お前らも祭り、行ってこいよ……」
真人は布団を顔までかぶり、手だけを出してヒラヒラと振った。
「幸雄。まだ始まるまでに時間あるから、俺は毛布を余分に貰ってくるよ」
「じゃあ、俺は氷水とタオルを持ってくる。真人はそれでおでこ冷やしなね」
2人が部屋を出ると、まだ部屋の前で心配していたらしい由美と茉莉に、真人の様子を聞かれた。
「結構熱が高い。8度3分あった。祭りには行かないで寝てるって」
「大人しく寝てるだろうし、あいつも行ってこいよって言ってたから。俺達も真人の看病道具揃えたら祭りに行く準備をするつもり」
幸雄と純也の話を聞いて、茉莉と由美の2人も何か出来る事はないか。と聞いた。
「そうだな。氷枕を作りたいんだけど……。まだ茜さんが残ってるはずだから、聞いてきてくれる?」
「私、行ってくる」
「あ、俺も茜さんに用があるから」
由美と純也は、茜の部屋まで小走りで去っていく。茉莉は、幸雄と一緒にリビングに下りた。
「冷えピタはないっぽいから、原始的だけど氷水とタオルで何とかしようと思って」
「じゃあ、私は飲水でも確保しようかしら」
幸雄と茉莉が用意した物を持っていくと、純也も毛布を受け取って帰ってきていたらしく、真人にかかっている毛布が夏らしからぬ暑苦しさになっていた。
「暑い」
「我慢して。汗と一緒に熱も追い出しなよー?」
「ああ。サンキュ……」
「大丈夫? 水持ってきたよ。飲みたい時、起き上がれそう?」
真人の様子を直接見るのは初めてだ。茉莉は思ったより気だるそうな真人を見て、さっきよりも心配な気持ちになる。
「……浜野さん、いないの?」
真人が小さな声でそう聞くと、純也が答えてくれた。
「茜さんと氷枕を用意してるはずだよ。そろそろ来るんじゃない?」
「……そお」
真人の気持ちとしては、会いたいような会いたくないような。複雑な気分だった。昨夜、拓真に言われた『その気がないなら構うな』という言葉に悩んでいたからだ。
真人が好きなのは、既に亡くなってしまっている相手。全くの別人だ。由美ではない。なのに、せっかく仲良くなれたのに由美と離れる気も、真人には無かった……。
(違う……。俺が浜野さんといたいのは、そういう意味じゃないんだ……)
真人がそう思いながら布団に潜っていると、由美と茜も部屋に入ってきたらしい。ドアの開く音と、心配する声が聞こえてきた。
「浜野さん……。茜さんも、迷惑かけてすみません」
「病人がそんな気を遣わないでよ。1人で大丈夫? なんなら私、ここに残ってるよ」
茜がそう言うと、由美が真人に氷枕を手渡しつつ、ソワソワした様子で言う。
「それなら、私が看ててあげてもいいですか?」
「あら、でも……。由美ちゃんだって楽しみにしていてくれてたでしょう? うちのお祭り」
茜はそう言うが、由美が楽しみだったのは、みんなで回るお祭りだ。特に、由美は好きな相手と一緒に行けるのが楽しみだった。だから、由美はこの後お祭りに行ったとしても、純粋な気持ちで楽しむ事はできないだろう。と思う。真人が心配になって落ち込んでしまったら、茉莉や幸雄達にも心配をかけてしまうから、由美は残った方がいいのだ。
「……由美ちゃんがいいなら、いいけど」
茜は由美の気持ちを察したのか、優しく由美の背を撫でてそう言ってくれた。
「ご飯は冷蔵庫の物、勝手に使っていいよ。うちの両親も主催側で、祭りにはいないとだめだし。戻ってくる時間はあるかもしれないけど、それがいつになるかは分からないから」
「ありがとうございます」
「ううん。本当は私も運営に回る予定だったから、由美ちゃんが残ってくれるって言うなら助かるわ。こちらこそ、ありがとう」
茜はニコッと笑ってそう言ってくれる。由美はほっと息を撫で下ろして、茉莉達を見つめた。
「ごめんね。みんなはお祭り、楽しんでね」
「うん。由美、真人くんのそばでしっかりと看ててあげるのよ!?」
「真人の心配してくれてありがとうね。由美ちゃん」
「何かあったら、遠慮なく連絡してくれていいからね。なんなら、俺も残ろうか?」
純也がそう言った瞬間、茉莉と幸雄に思い切り肩を掴まれてしまった。
「私達は、お祭りに行きましょう」
「行けない2人の分も、楽しんでこような!」
「え、え?」
戸惑う純也を他所に、茜はくすくすと笑いながら由美に視線を送る。そして、小声で由美に囁いた。
「弱ってる男につけ込むのも、立派な戦略だと私は思うわ」
「え?」
今度は由美の方が戸惑ってしまう。そんなつもりは微塵も無かった。
「じゃあ、私達はそろそろ行きましょうか」
「そうですね」
「由美。純也くんも言ってたけど、何か困った事があったら遠慮せず連絡するのよ」
「うん。ありがとう」
。。。
茉莉達が部屋を出ていくと、部屋の中は一気にシンと静まり返る。
「浜野さん……。本当に良かったの?」
ずっと大人しくしていた真人が、由美に視線を合わせるために寝返りを打った。
「みゆき…見たかったんだろ……?」
拓真達の演奏をバックに歌うという、大滝出身のアイドル。みゆきを生で見れる。と、由美はずっと楽しみにしていたはずだ。それなのに、本当に看病のために残ってくれるのだろうか。真人は申し訳なく思いながらも、祭りには行かないで欲しいとと思ってしまった。1人で寝ているのは、寂しくて怖いのだ。
「うん、いいの。行ったとしても北川くんの事ばっかり考えて、楽しめないと思うし」
由美がそう言ってくれたのが嬉しくて、真人ははにかんだ。
「ありがとう……」
真人はかなり弱っていて、いつもよりも素直で可愛らしい。力なく笑った真人の表情は、息を飲むほど魅惑的だった。由美はギュッと胸を掴まれた気がして、胸に手を当てる。
「えっと……」
由美はドキドキする鼓動を誤魔化すように、拳を握ってガッツポーズを取った。
「北川くん。私にして欲しいことがあったら、なんでも言ってね! 遠慮とかいらないから!」
由美がそう言うと、真人は少しだけ躊躇った後、小さな声で何かを呟いた。
「……ゆが……い」
「ん?」
真人の声が小さくて聞こえなかったので、由美はそっとベッドの脇に屈んだ。
「浜野さんのお粥、食べたい……」
真人は、由美の作った料理が好きだ。初めて食べたカレーもまた食べたいと思うくらい好きだし、合宿の時に特別に作って貰ったオムライスも好きだ。最近ではバイトの休憩時間に、ほしのねこのメニューをよく作ってもらっている。
身体の弱っている真人の胃袋が、舌が、由美の手料理を求めていた。
「もちろん! 得意分野だもん。任せてよ!」
料理をリクエストされたのが嬉しくて、由美は握っている拳に力を込めた。やる気に満ちているからだ。
「朝ごはんは、食べたんだっけ?」
「一応。拓真が持ってきてくれたから。半分残したけど……」
今日の朝ごはんは日本人らしく、焼き魚と貝の味噌汁。それから漬物だった。漬物と味噌汁までは良かったのだが、魚の臭いが熱のある身体には良くなかったらしい。途中で見るのも駄目になった。拓真がお膳をすぐに下げてくれなかったら、粗相をしてしまっていたかもしれない。
「そっか。じゃあ、お昼になったら作るね。なんのお粥が食べたい? 梅入り? それとも卵?」
「卵がゆ……」
「わかった! そしたら、北川くん」
由美は優しい表情で真人を見つめ、氷水で絞ったタオルをおでこに乗せてくれた。
「お昼になるまで寝てて? ちゃんと寝ないと、治らないよ?」
タオルを乗せてくれた冷たい手が、真人の頭を軽く撫でる。覚えは無いが、何となく母の温もりに近い気がして、真人はつい泣きたくなってしまった。
(熱のせいだ……)
真人は気恥しい気持ちになってしまい、抵抗するために由美の腕を掴んだ。
「あ、ごめんなさい。不快だったかしら」
「同い歳なのに、子ども扱いだ……」
「え? ……ふふ。病気の時は子どもに戻っちゃってもいいんじゃない? 私はお父さんが撫でてくれるの、今でも好きだもの」
「治ったら、覚えてなよ……」
真人はそう言って由美を睨みつけるが、熱のせいか、覇気がない。弱々しくて、由美の目には拗ねた子どものように見えてしまう。
「ふふ。わかったわ。もうしないから、早くおやすみなさいしましょ?」
「言い方まで子ども扱いじゃん……」
「だって」
いつもと違って可愛らしいから。なんて言ったら、真人は怒るだろうか。由美はそう思って、小さく笑って誤魔化した。
「……ねえ、浜野さん。退屈じゃない? 俺が寝たら、少しだけでもお祭り……。行ってきたら?」
「もう。そんな事気にしてたら、本当に治らないわよ? 病人なんだから、私の事なんて気にしないで」
「じゃあ、眠った後もそばにいてくれる?」
無意識的に、真人は由美を縋るような目で見つめてしまっていた。
「おいて、行かないで……」
真人の声を聞いて、由美はドキリとした。
「あ……」
なんとなく。本当になんとなく、真人が見つめているのが自分じゃない別の誰かだと、由美は気づいてしまったのだ。
「ここにいるよ。大丈夫」
由美が震える声でそう答えたら、真人は安心したようだ。すぐに目を閉じて、安らかな寝息を立て始めた。




