第58話 招待の理由
夕飯の後は、女子から先にお風呂に入ることになった。お風呂は中々に広く、3人で入っても余裕があった。
「茜さん達も一緒なら良かったのにね」
「久しぶりにお母さんと入るから、私達に遠慮しないで。なんて言われちゃったらね……」
髪をかわかし、部屋着に着替えて、男子達にお風呂が空いたと伝えるためにリビングに戻る。
「お待たせ!」
「あ、おかえり」
拓真がいち早く気づいて、こちらに手を振る。
ガンッ
「わっ!?」
真人が頭を柱にぶつけたのは、拓真の声に振り返った真人と由美の目が合った瞬間の出来事だった。コーヒーのおかわりを貰おうとキッチンに向かうところで由美達がリビングに入ってきて、拓真が由美達を出迎える声が聞こえた。そしてその声に振り返った直後に、由美を見て驚いたため、リビングとキッチンを仕切る柱に頭をぶつけてしまったのだ。
「何やってんだよ。真人」
拓真に呆れた表情で見つめられ、真人は気まずそうに「何でもない」と呟きながらキッチンに入る。
(パジャマ……。髪の毛……)
真人が柱に頭をぶつけたのは、由美と目が合ったせいに他ならない。由美が髪を下ろした姿を見たのは初めてだ。思わず綺麗だ。なんて考えて、見とれてしまった。
「違う……。俺は…………」
真人はぶつぶつと小さな声で言い訳のような言葉を口にしながら、照れたような赤い顔で、しかし苦虫を噛み潰したような、泣きそうな顔で、コーヒーをいれた。
「あ、北川くん。大丈夫?」
リビングに入った途端、由美に心配そうに見つめられて、真人の顔がまた少し熱くなった。
「平気……」
真人はふいっと視線を逸らして、ソファに座る。お風呂に行ったのか、幸雄と純也、それから宰志はいなかった。先程じゃんけんで順番を決めていたのだ。
「……お前、マジか」
拓真にはやはり呆れられたような顔をされたので、真人はイラッとする。見透かされたようで、気分が悪かった。
「黙れよ」
「どうしよっかなー……?」
拓真がニヤニヤと悪い笑みを浮かべると、真人は更に苛立ちを覚え、ついに手が出た。
「いったあっ!?」
「お前、マジ黙れって」
「分かったからっ! 髪を思いっ切り引っ張るのやめろよぉ!」
真人は、拓真の短い結び目を掴んで下にぐいーっと引っ張っている。
「しっぽみたいな髪型してるのが悪い」
ある程度満足したのか、真人がパッと手を離す。拓真は髪を解いて自分で軽く撫でながら、真人に反論した。
「じゃあお前、猫や犬のしっぽも引っ張んのかよ」
「んなわけねえだろ。可哀想じゃないか」
「俺は可哀想じゃないのかよ!」
「うん」
「もう。ほんっとお前って奴は……」
これ以上、議論を重ねても無駄だ。そう思い至ったのか、拓真は髪を手でとかしながら小さなため息をついた。
「久谷くん。大丈夫?」
「うん、まあ……。こいつは俺に対してだけいつも暴力的だし。気にしないで」
「そう……」
真人は今もまだ少し不満気な顔をして、拓真から視線を逸らしていた。
「でも、久谷くん。何を言おうとしたらそんなに怒られるのよ」
由美が首を傾げると、拓真ではなく真人の方がビクッと肩を震わせた。ギロっと拓真を睨んで、喋ったら許さない。と視線で告げる。
「内緒。これ以上嫌われたくないしねー」
拓真はそう言うと、ケラケラと声を上げて笑った。相変わらず、真人と拓真の2人は仲がいいのか悪いのか分からない。
。。。
幸雄と純也がお風呂から戻ってくると、入れ違いで真人と拓真が席を立つ。
「……?」
すれ違いざまに拓真の手から、音美の手に何かが渡ったのを、真人は後ろから見ていた。
拓真の家はこじんまりとしているが、来客を何人も迎えられるほどには大きい。リビングから脱衣所までは、そこそこ廊下を歩く。質素ではあるが、廊下にはいくつかの絵画や壺が置かれていて、拓真もやはり金持ちなんだな。と思わされた。
「なあ、何を渡したんだ?」
と、脱衣所についてすぐ、真人が拓真を問い詰める。
「何が?」
「坂井さんにだよ。お前、あの子の事……」
「真人。それ仕返しのつもり?」
拓真はいつものおちゃらけた雰囲気とは違って、真剣な目で真人を見つめた。久々に見ると、迫力があって怖い。真人はつい視線を逸らしたくなって、言葉を詰まらせてしまう。
「い、いや、別に…そんなんじゃねえけど……」
「違うよ。お前は?」
「俺も、違う……」
真人は拓真の見透かされるような目が苦手だ。たまにどこを見ているのか分からない、澄んだ目が苦手だった。
ついに拓真から目を逸らした真人は、「違うんだ」と小さな声で呟いて、苦しげに唇を噛む。
「そうか。今もまだ、あの子の事が好きなんだね」
そう言うと、拓真も真人から視線を逸らす。悲しげに伏せられた瞳は、水面で微かに揺れる自分の表情を映していた。
(俺と真人は、本当に性格が真反対だ……)
拓真はそう思いながら、目を閉じる。目を閉じて、出会ってから今までに見つけた真人との相違点を思い浮かべる。
(寂しさを埋めるために教えた女遊びは、こいつを更に傷つけるだけだった。真面目な真人は、すぐに遊ぶのを辞めたっけ……)
「好きだよ。俺は、今もまだ……」
(口ではそう言ってるのに、最近の真人は由美ちゃんの事ばかりだ。由美ちゃんの事は、手放そうとしないんだよな。多分、無自覚なだけで、真人は由美ちゃんを好いているんだろう)
「今でも、まだ……」
(前にそれを幸雄に話したら、真人が好きな相手が本当に由美ちゃんなのかどうかは、分からないって言われたっけ)
「死んだあいつを、愛してる」
(聞いた話によると、由美ちゃんと死んだあの子は、性格がよく似ているんだって……)
暫くの間、真人と拓真は無言だった。先に言葉を発したのは、拓真だ。
「わかった」
その一言だけで、その後はまた無言の時間が、場を支配するのだった。
。。。
真人と拓真が風呂から上がると、音美以外の面々がリビングに居た。と言っても、リビングに残っている久谷家の人は拓真だけなのだが。
「コーヒー飲も」
「あ、真人。俺の分も」
「えー? 家の人なんだからお前がもてなせよ」
「いいじゃん。自主的にキッチンに向かおうとしてるくせに」
拓真が完全にソファに座ってしまったので、真人は仕方なく2人分のコーヒーをいれてリビングに戻ってきた。
「そういえば、坂井さんは?」
「少し前に席を立ったきり、戻ってないよ」
真人の疑問に答えたのは、純也だった。純也の視線が一瞬だけ拓真に向く。それを見て気づいた。拓真の音美に対する態度は、悪友達全員が気づいていたのだ。
拓真は今朝からずっと、音美に対してどこかおかしかった。他の女の子へ接する時の紳士な拓真はどこにもおらず、寧ろ好きな子を虐める小学生のような態度で、音美を無視したり、否定したりしていた。
「拓真。お前、さっきの……」
拓真はお風呂に行く前、音美に何かを手渡していた。真人はそれを思い出して、拓真を訝るように見る。小声でそう耳打ちすると、拓真からはニッコリとした笑顔だけが返ってきた。
「マジで言ってるなら、お前ここにいるべきじゃ……」
真人がそう言いかけると、拓真は笑顔を深めて、真人にだけ聞こえるような声でこう言った。
「だからここにいるんだよ」
「は?」
「気づいてるんだろ? 俺がお前らをここに呼んだ理由」
坂井音美は、久谷拓真の事が好きだ。拓真はそれに気づいている。それに気づいていて、音美に嫌われたがっているのだ。嫌われたくて酷い態度をとるし、手紙で呼び出したにもかかわらず、無視をすると言う非道な行為も躊躇わない。
真人達をここに呼んだのも、少しでも音美との時間を減らすためだった。客が多ければ多いほど、拓真は1人に対しての時間が減る。顔を合わせる回数も減る。それが目的だったのだ。
「お前……」
「その気がないなら、お前もあんまり由美ちゃんにばっかり構うなよ」
拓真はそう言うと、ヒソヒソ話はこれで終了だ。と言わんばかりに、席を立つ。
「ねえ、サイくん。外の倉庫からチューナー取ってきて欲しいんだけど」
「え?」
サイくんとは、宰志の愛称だ。宰志は拓真を訝しげに見つめた後、小さなため息をついた。
「心配になるなら、最初からそんな幼稚な意地悪、しなければいいんですよ」
「うるさいよ。サイくん、俺昼間練習したピアノの部屋にいるからね」
「はいはい。見てきてあげますよ」
宰志が見てくる。と言ったのは、倉庫にあるチューナーではなく、倉庫の近くに呼び出して待たせている、音美の事だった。
。。。
外に出た宰志は、音美が健気に立っている姿を見つめて、声をかける。
「宰志さん」
「久谷さんなら来ないし、早く戻りなよ。湯冷めするよ」
「やっぱりそうでしたか」
「あんたもあんただよな。分かっててやってんだもん」
音美は拓真の態度やその理由に気づいていて、それでもなお、手放そうとはしなかった。
「拓真さんはお優しいですから。長時間放置されることはないって分かってました。宰志さん、お使いご苦労様です」
「巻き込みやがって……」
小さな声で文句を言うと、宰志は目的の倉庫でチューナーを探す。チューナーはすぐに見つかった。入口のすぐ側に、ポツンとそれだけひとつ置いてあったのだ。拓真の仕業であることは、すぐに気づいた。
「いいように使ってくれるじゃん……」
と、宰志はまた小さな声で呟いた。




