第56話 小川とこども
真人が言っていた小川に着いた。水は澄んでいてとても綺麗だ。浅いと言っていたように、底まで鮮明に見える。しかし、流れも確かに早かった。溺れることはないだろうが、入ったら流れてくる小石や小枝なんかで、足を傷つけてしまうかもしれない。
「綺麗ね。底までしっかり見える」
「ああ。もっと行くと滝もあるよ。別の道を歩くと、今度は流れが緩やかな方の川もあるんだ。そっちは地元の子どもがよく遊びに来るんだって。その近くには、花がたくさん咲いてる開けた場所もあるらしいよ。行ってみる?」
真人は子どもたちに遠慮して、そちらに近づいたことはなかった。しかし、花が好きだという由美のために連れていくのは悪くない。そう思ったので、提案してみた。
「本当? 行ってみたいわ」
「うん。行こうか」
川沿いをゆっくりと歩いていると、小さな女の子がポツンと川を眺めているのが見えた。
「あの子、どうしたんだろう……」
森の中に小さな子が1人でいるのだ。由美は心配になって、声をかけようと走り出す。それにつられて、真人も由美の後を追うように走り出した。
由美達が子どもにたどり着く前に、その子どもは川に向かって足を踏み出してしまった。その直後、驚いて立ち止まってしまった由美を、真人が勢いよく追い抜く。
「こらっ」
女の子が川に足を下ろす寸前のところで、真人がその子を抱えて阻止することに成功した。遠くで見ていた由美は、ほっと胸を撫で下ろす。改めて小走りで近寄ってきて、女の子の無事を確認した。
「大丈夫?」
「いやあっ! 離してー!」
「あ、こら。暴れんな。下ろすから」
真人が子どもを地面に下ろすと、子どもは真人を警戒しているのか、勢いよく木の裏に逃げようと走って行く。……その途中、こてんと転んでしまった。
「きゃっ。大丈夫!?」
由美はその子を立たせてやると、両膝から出ている血を持っていたハンカチで拭いてやる。近場の水が川しかなかったので、川の水で洗ってやった。
「家に帰ったら、別のお水でちゃんと洗って、消毒するんだよ?」
「うん……」
子どもは由美の前では大人しかった。由美の後ろに隠れて、ぎゅうっと彼女のワンピースを掴みながら、顔を出して真人を見る。
「お兄ちゃん、誘拐する悪い人?」
「うっ。ちげーよ。いくら浅いとは言え、お嬢ちゃんが川に入ろうとするからだ」
真人がそう弁明すると、女の子は川の方をピッと指さして、「だって」と言い訳を始めた。
「あっちゃんの靴。川に入っちゃった」
「え?」
真人が川の方を振り返ると、ピンク色の小さな子ども靴が、川の中にある岩の隙間に挟まっているのが見えた。
「あのピンクの靴か。俺が取ってきてやるから、そこのお姉ちゃんと待ってな」
真人はそう言うと、靴と靴下を脱いでズボンの裾を捲る。川の深さは、真人の膝と踵のちょうど真ん中まで隠れる程だ。しかし、やはり流れが早かった。子どもが1人で入るには危険だ。
「よっ…冷てー……。ほらー、この靴だろー!?」
「あ……ありがとーっ!」
子どもは真人にお礼を伝え、戻ってくるのを待った。真人が持ってきてくれたピンクの靴を受け取った女の子は、改めて真人にお礼を伝える。
「悪い人って言ってごめんね。お兄ちゃん、ありがとう」
「いいよ。でも、なんで靴が川の中にあったんだ?」
真人は濡れた足を乾かすために、靴と靴下のそばに座り込んで、聞いた。
「あっちゃん、たっくんのお家に遊びに来たの」
「うん?」
「でもたっくん、こっちのお友だちと遊んでて、あっちゃん1人で遊んでたの。向こうから靴飛ばしたら、ボチャンッてなった! あっちゃん、こっちにも川あるの知らないもん……」
あっちゃんと言う子どもは、濡れた靴を抱えて泣きそうになる。
「そのたっくんってのはどこにいるんだ? 家か?」
「向こうの川で遊んでる」
「ああ。俺達が行こうとしてたところだな。あっちゃん、俺達と一緒にたっくんのとこ行こうか」
「うん。お兄ちゃんとお姉ちゃんは、優しい人だね」
涙目だったあっちゃんだが、真人の言葉を聞いてニコニコと笑う。そして、由美の手をぎゅっと握りしめた。
「ふふ。あのお兄ちゃんは、とっても頼りになるんだよ」
「……お姉ちゃんの旦那さん?」
「えっ!? ち、違うわ。旦那さんって……」
子どもの純粋な質問に慌ててしまい、由美は顔を真っ赤にする。靴下を履いていた真人が「くくっ」と震えながら笑っているのが見えて、更に恥ずかしかった。
「あっちゃん。濡れた靴を履くと風邪ひくし、俺がおんぶしてあげるよ。おいで」
「うんっ! お兄ちゃん、パパみたいだね!」
「パパって年齢じゃないから、呼ぶならお兄ちゃんのままで頼む……」
真人はそう言って苦笑すると、あっちゃんをおぶるために改めて屈んだ。
。。。
「あっちゃんとたっくんはお友だち?」
目的の場所まで歩きながら、真人と由美はあっちゃんを混じえて、お喋りを楽しむ。
「いとこだよ。いっこ上のお兄ちゃん」
「へえ。じゃあ、親戚の集まり…もしかして、おじいちゃんおばあちゃんの家に遊びに来たのかな?」
「うん!」
真人とあっちゃんは随分と打ち解けたらしい。とても楽しそうだ。由美は本当の親子みたいだな。と思いつつ、2人を眺めていた。
「あーっ! いたっ! あっこ!」
歩いていると、遠くから男の子達が走ってきて、真人の足を蹴った。
「いってっ!」
痛がる真人に目もくれず、子どもたちは真人への攻撃を続ける。
「あっこを離せ!」
「お前、この辺の人じゃねえなっ!?」
「都会人か!? 亜希子ちゃんををどうするつもりだ!!」
由美も止めに入ろうとしたのだが、男の子達には敵認定されてしまった。
「くっそ、拓海! すぐ大人を呼んでくるからな!」
勘違いされたまま、子どもの1人が走っていこうとする。それをやっとの思いで止めた由美に、あっちゃんこと亜希子がぎゅっと抱きついた。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんはいい人だもん! だめ!」
「亜希子ちゃん……」
亜希子はそう言うと、拓海と呼ばれた男の子の方へと走っていき、ポカッと一発叩いた。
「あっちゃんの靴を取ってきてくれたの! 濡れた靴履けないから、おんぶもしてくれたし、たっくんの所まで連れてってくれるって! たっくんのばか! いじめっ子!」
ポカポカと殴られている拓海を他所に、真人は由美に近づいた。由美は男の子を止める際に尻もちを着いて、今もまだ座り込んでいる。
「浜野さん、大丈夫?」
「うん。ありがとう……」
由美を立たせてから、真人はあっちゃんをやっと止めに入った。
「あっちゃん。もう叩かれてないし、怒らないであげて」
「うん……」
「あっちゃんが言ってたたっくんって、君?」
「そうだけど」
たっくんこと拓海は、しゅんとしょぼくれた顔をして真人を見上げる。
「たっくん達があっちゃんを1人にして遊んでるから、あっちゃんは向こうの川まで行ってたんだぞ。あっちゃんはこの辺のこと、あんまり知らないんだろ? これからは1人にしちゃだめだよ。わかった?」
「……うん」
「じゃあ、確かにあっちゃんを届けたからね」
「兄ちゃん、ごめん。あっこを連れてきてくれてありがと……」
「ああ、いいよ。守ろうとして偉かったな」
真人は拓海の頭をクリクリと撫でてやると、今度は亜希子を見つめて、軽く手を振った。
「あっちゃんも、あんまり1人で遠くに行くんじゃないぞ」
「特に川は危ないから、子どもだけで入らないでね。バイバイ」
。。。
亜希子達と別れた由美と真人は、近くにあった花畑で一旦休憩することにした。
「綺麗ね」
「ああ。拓真から聞いたんだけど、あのみゆきもよくここに来てたんだって。小さい頃に花冠を作ってもらった事があるんだーって、自慢してきやがった」
「ふふ。いい思い出なのね。きっと」
由美はそう言いながら、花をいくつか摘んで、花を編む。
「浜野さんも作れるの?」
「作り方は知ってるわ。作るのは初めてだけど」
黙々と編んでいる由美の手元を見つめて、真人は自分には出来なさそうだ。と思う。真人も1本だけ花を摘んで、それを近くで眺める事で時間を潰した。
「出来た!」
「浜野さん、器用だな」
「ありがとう。はいっ」
「えっ!? 自分用じゃねえのかよ!」
由美に花冠を載せられて、真人はびっくりする。男の自分には似合わないだろう。と、照れくさい気分だった。
「うふふ。これは親切な北川くんに戴冠します」
「なんだよ。それ……」
最初に亜希子に気づいたのは由美だ。由美が走り出すまで、真人は亜希子の事なんてまるで気にしていなかった。戴冠されるべきなのは、由美の方だ。と、真人は思う。
「俺は花冠なんて作れないけど、はい。これあげる」
「え?」
真人は、ハーフアップに結んでいる由美の結び目に、先程摘んだ花を挿してあげた。
「やっぱり、俺より浜野さんの方が似合うよ。花」
「あ、ありがとぉ……」
突然髪に触れられた事もそうだが、真人の表情も、声も、とても優しかった。こんな事をされてしまうと、どうしたって意識してしまう。
そして、真っ赤になって縮こまってしまう由美を見て、真人もつられて照れてしまうのだった。




