第53話 電車でのハプニング
大滝への出発当日、大滝までは拓真の姉である茜が送迎してくれる事になっている。のだが……。
「久谷くん。ごめんなさい。お父さんの忘れ物を届けなくちゃいけなくなって……。後から電車を使って行くから、先に出てて貰えるかな?」
由美は今朝、家を出る直前に父の忘れ物に気づいた。そして今、拓真に電話をかけて謝っているところだ。
「こっちは大丈夫だけど、行き方わかる?」
「一応、さっき調べたから大丈夫だと思うけど」
「ん。最寄りの駅に着いたら、そこからまたバスが長いから、迎えを寄越すよ。…え? ああ………」
真人が後ろでぼそぼそと何かを言っているのが聞こえ、由美は不思議な気分で拓真の言葉を待つ。
「真人が残るって言うから、2人でおいで」
「え? でも……」
拓真からの返事は、由美を驚かせた。わざわざ自分1人のためだけに真人に迷惑をかけるのは申し訳ない。由美はそう思って、返事に迷う。
「電車も結構長いし、俺も女の子に1人旅させるよりは、真人と来てくれた方が安心かな」
「わ、わかったわ」
「真人には横浜駅にいてもらうから。後はそっちで連絡取ってね」
「う、うん。ごめんね。遅れることになって」
「いいっていいって! じゃあ、また後でね」
思いがけずも真人と一緒に向かうことになった。申し訳無いと思っているはずなのに、どこか嬉しい気持ちもあって、なんだか妙な感覚だ。
。。。
父の忘れ物を警察署まで届け、由美は横浜駅に着いた。真人との待ち合わせはここのはずなので、チャットで駅に着いたことを報告する。すると、すぐに返事が返ってきて、改札前で手を振る真人も見つかった。
「お、お待たせ……。ごめんね。待っててもらって」
「ううん。忘れ物は大丈夫?」
「うん。すごく個人的なものだから」
「じゃあ、行くか。調べたって言ってたけど、どういうルート?」
「えっと……。横須賀線で、千葉…まで行って、乗り換えかな?」
「そうだな。そのルートがいいかも」
2人は改札を通り、ホームで電車を待つ。夏休みで帰省するのか、この近辺に遊びに来たのか、かなり混んでいる。
「混んでるね」
「ああ。こんなに混んでたら、座るのは諦めるしかなさそうだな」
「そうだね」
「浜野さん。そっちの鞄持とうか?」
「え? でも……。結構重たいし、悪いわ」
「いいって。俺、今ほとんど手ぶらだし」
真人の荷物は先に車に乗せて持って行ってもらっている。今彼が持っているのは、必要最低限の貴重品くらいだった。
「じゃ、じゃあ……。ありがとう。北川くん」
「どういたしまして」
電車内は駅に止まるたびに乗車客が増えていき、逆に降りる人は少なかった。元々混んでいた車内が満員になる。
「浜野さん」
グイグイと後ろから押されて窮屈な思いをしていた由美は、真人に腕を引かれて壁際へと寄せられた。
「あぅ……。ありがとう。こんなに混むなんて、思わなかった」
真人のおかげで気持ちに余裕が出来た。由美が周りを見てみると、大きな荷物を持っている人が沢山いた。夏休みだし、お盆だし、やはり帰省する人や旅行に行く人が多いのだろう。
「私、祖父母もそんなに離れていない場所に住んでいるから……。帰省ラッシュって言葉を今まで嘗めてたみたい」
「俺も田舎に帰省することってないから、新鮮だよ。前に拓真が招待してくれた時は、車だったし」
「そっか。北川くん、本当にありがとう。わざわざ待って、一緒に行ってくれて」
由美は真人に迷惑をかけて申し訳ないと思いつつも、やはり嬉しくて、この気持ちを偽ることが出来なくなる。
「あのね、北川くんには悪いなって思ったんだけど……。やっぱり、一緒に行けるのが嬉しいの」
由美はそう言って、真人に「ごめんね」と謝った。真人は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を戻し、言う。
「俺も、待ってて良かったって思ってる。こんなに混んでるなら、やっぱり1人で来させるのは嫌だし」
「久谷くんも心配してくれたけど、私はそこまで子どもじゃないのよ? 少しくらい遠くても、1人できちんと目的地まで行けるんだから」
少し拗ねるように頬をぷっくりとさせた由美は、本当に子どものように見える。
真人は小さくため息をつくと、由美の膨らんだ頬を軽くつついた。
「あいつも俺も、迷子になる心配をしてる訳じゃねえよ」
それならどういう理由なのだろうか。そう思ってきょとんと不思議な顔をした由美の眉間を、真人はまた指で軽くつついた。
「浜野さんは女の子の自覚ある? 日本が平和な国とはいえ、危険がないわけじゃないんだからな」
「ナンパとか、そう言う話? あんまりしつこかったら投げ飛ばしてやるから、大丈夫よ」
「浜野さんが強い女なのはわかったけど、電車で暴れる気? こんな満員で、しかも投げ飛ばすって……」
満員電車では周りへの被害が大きいのもあるが、もしそうでなかったとしても、由美は今日、オフショルダーの可愛らしいワンピースを着ている。制服のスカートと同じくらいの丈の、風が吹けばヒラヒラと揺れるワンピースだ。暴れた時にどんな状態になるかは、想像に容易い。
「それに、満員電車だとナンパじゃなくて、痴漢にあう可能性もあるだろ。他にも、どさくさで荷物に手を出す輩がいないとも限らないし」
「うん……。そっか。色々考えて残ってくれたんだね」
最初はむくれながら聞いていた由美だが、次々に出てくる真人の例え話を想像したら、誰かがそばにいてくれた方が安心できると感じた。真人は由美にとって頼りになる存在だから、尚更だ。
「それにね……。浜野さんの苦手をつかれた時、きっといくら強くても力が入らなくなるだろう?」
「え?」
「相手が女だからって、大声で威嚇するような奴もいるんだよ」
大きな声は確かに怖い。相手がそういう声をだすと予想出来ていたら耐えられるが、不意に叫ばれたりすると、恐怖で身体が動かなくなってしまう。由美は想像してドキリとして、真人の服を小さく握った。
「北川くんがいてくれて良かったわ」
「脅かすようなこと言ってごめんな。でも、浜野さんって本当に無防備な時があるから、つい言い過ぎちゃうんだ」
由美はよく真人に無防備だと言われる。最近は色々と考えて行動しているつもりだったのに……。由美はそう思って、しょんぼりと肩を落とした。
「悪い。言いすぎたか?」
「違うの。私、無防備だって何度注意されても、全然直せてないみたいだから……。北川くんにいつも迷惑かけちゃうね」
「迷惑だと思ってないし、俺の事は別に気にしなくていいけど。浜野さんが自分を守るために気にしてくれたらいいなとは思うよ」
「うん。私のために叱ってくれてありがとうね」
由美がニコッと微笑むと、真人は一瞬だけ喉を詰まらせる。由美は客観的に見て可愛らしいから、仕方がない。他意はないんだ。と、真人は心の中で自分に言い聞かせる。
ガタンっ
「ひゃっ」
「んっ……」
突然、電車が大きく揺れた。
「え……?」
「あ…………」
揺れた瞬間、由美も真人も同時にバランスを崩してしまう。そして、たまたま偶然、由美のおでこと真人の唇がぶつかってしまった。
2人はこの偶然に驚いて、顔を赤くしている。
「……っい、痛くないか? ぶつかってごめんな」
真人は唇が触れた由美のおでこを、拭うように撫でて謝る。真人のこんなにも取り乱した顔を見るのは、初めてだった。顔が赤くなって、眉間は複雑そうに皺を作っている。
「痛くないわ……」
由美の心臓は、目の前の真人に聞こえてしまうのではないかというほどに脈打っていた。真人が拭ったおでこを両手で軽く摩って、触れた唇の感覚を思い出すように目を伏せる。
「北川くんは……。口の中を切ったりとか、してない…かしら?」
由美が改めて真人を見上げると、真人は物凄く照れくさそうな顔で唇を押さえてもう一度、情けないほどに小さな声で謝った。
「いいってば。そんなに謝らなくたって……。怪我もないし。その……、あ、当たっちゃったのは…事故だから、仕方ないって言うか…………。むしろ私の方こそ、汚いものを押し付けてごめんなさいっ」
「あ、いや……。汚いなんて、そんな事は全然…………」
これは何を言っても不毛だ。そう思ったのか、由美も真人も一気に大人しく、無言になってしまった。
この無言の空気は、乗り換えが行われる千葉まで続いたのだった。




