第49話 初出勤
夏の強化合宿が終わってすぐの事。真人は8月の間だけ、ほしのねこでバイトをさせてもらう事になっていた。
実は夏休み前、真人がほしのねこに食べに来た際に、店長に短期バイトを探している。と話をしてみたところ、「うちでどう?」と誘ってもらえたのだ。
今日は真人の初出勤の日なのである。
「今日から1ヶ月程ですが、よろしくお願いします」
「うん。よろしくね」
真人は深々とお辞儀をして、にこやかに笑っている店長に挨拶をする。真人は優しい店長に暖かく迎え入れられた。
今日のシフトは聖也と一緒なので、聖也も店長の隣でにこにこと、歓迎の笑みを浮かべてくれている。
「よろしくね。真人くん」
「はい! 聖也さん。よろしくお願いします」
店長にバックルームを案内してもらい、その後は早速ロッカーで制服に着替えて、ホールに出る予定だ。
ほしのねこの制服ははシャツまで全て指定で、ロッカーは当然、男女できっちりと別れている。
「こっちが男子ロッカー。そっちは女子だから入っちゃだめだよ」
「はい。わかりました」
「で、大きな厨房がここ。真人くんは料理しないって言ってたよね?」
「あ、はい……。そうですね」
ほしのねこの料理はいつも店長か詩音が作っている。時々、由美も見える方の厨房に立っているが、特待生の彼女は例外らしい。と言うか、由美の料理は店長直伝なので、元々の味付けもほしのねこのものによく似ているし、割と初期の頃から客に料理を振舞ったりしていたらしい。
「料理をお願いすることは基本的に無いから、安心してね。でも、簡単な揚げ物…ここが冷凍庫ね。こういう、ポテトなんかはやってもらう事もあるだろうから、その時にまた教えるよ」
「はい」
店長の案内で見せて貰った冷凍庫には、唐揚げやポテトの冷凍された物が置いてある。冷凍ものであるのは、簡単なつまみ物だけだ。
「冷蔵庫がここ。ここには朝のうちに作っておいたゼリーやケーキが入ってるんだ。在庫が残り3つになったら新しく作るかどうか、こちらで判断するから声をかけて」
「はい」
「とりあえず厨房はこれくらいかな。暇があったら料理を覚えてもらうこともあるかもしれないけど、基本はないかなあ」
「わかりました。頑張ります」
他に裏で行う仕事として教えて貰ったのは、ごみ捨てだった。厨房を出てすぐ隣に、裏路地に繋がる通用口があって、ごみ捨て場はそこを出てすぐ左側にある小屋の中なのだそうだ。
「このくらいかな。それじゃあ、制服に着替えてもらえる? これがロッカーの鍵。単純な作りだから大丈夫だと思うけど、着方が分からなかったら声をかけてね。ロッカーを出てすぐのところで待ってるから」
「はい。ありがとうございます」
店長が言った通り、制服へはスムーズに着替えられた。真人は本当に正しく着られているかどうか、自分の格好を鏡で確認してみる。すると、エプロンに描かれた猫のシルエットが一番に目に入った。あまりにも可愛らしくてつい、自分で(似合わねえな)と思ってしまう。
「お待たせしました」
ロッカーから外に出ると、店長が感想を伝えてくれた。似合わないと思っていたのは、どうやら真人だけのようだ。
「いいね。ハンサムな子は何を着ても似合う。また女性客が増えるかも」
「あはは…そうでしょうか?」
真人はそう言って、控えめに笑った。エプロンが可愛いのは少しだけ照れくさいが、似合うと言って貰えたので、真人は素直に喜ぶ。
ホールに戻ると、聖也からも「似合うね」と言ってもらえた。
「ありがとうございます……」
「今日真人くんにやってもらうのは、注文取りと料理の運搬だよ。昼間はそこそこ混むはずだから、昼のピークが過ぎたら休憩を挟んでもらって、その後でレジ打ちを教えるね」
「はい。よろしくお願いします」
。。。
真人は覚えも早く、物怖じもしない方だ。上手い具合に接客をこなしていて、初日だと言うのに、店長の言った通り女性客達に大人気となった。
「かっこいい子が増えて嬉しいわ」
「夏限定ですけどね。料理にも夏限定の物がたくさんあるので、是非コンプリートしてみてください」
「あら。売り込み上手」
「今のおすすめはなにかしら?」
「今回のおすすめはデザートで、真夏にピッタリの、フルーツたっぷりゼリーケーキです」
と、真人は爽やかな笑顔でゼリーケーキのPOPを見せる。
「まあ、美味しそう。じゃあ、ナポリタンとそのおすすめをいただくわ」
「私はチキンクリームドリアとおすすめで」
「かしこまりました。他にご注文はございますか?」
「ううん。とりあえずそれでお願い」
「デザートは食後のお渡しでよろしかったでしょうか?」
「ええ」
「かしこまりました」
ペコッと頭を下げて、真人はカウンターに戻る。注文された料理を伝えると、店長が素早い動きで料理の準備を始める。いつもの真人はゆっくり出来る時間帯に来ているので、店長のこんな動きを見るのは初めてだった。
「すげえ……」
「ふふ。空いた時間はテーブル拭きとか、お冷のおすすめとかお願いね」
真人が店長の動きに夢中になっていると、聖也に暖かい目で微笑まれた。聖也は大学生だけあって大人な雰囲気なので、真人は相対的に自分が子供のように思えてくる。少しだけ恥ずかしかった。
「すみません、つい……。あ、ピッチャーの水追加してきますね!」
「ありがとう。お願い」
さっき店長に案内してもらった大きな厨房の奥に、ウォーターサーバーがある。そこから水を汲んできて、客に提供しているそうだった。
「よし」
真人が水を汲んで戻ると、客が増えていた。しかも、その客というのが真人のよく知る人物達。
「幸雄達、来てたの?」
「うん! 真人の初出勤だし。茉莉ちゃん達誘って来ちゃった」
「毎週水曜はデートだったんでしょ?」
茉莉がふふっとからかうように笑うと、隣で由美の頬が赤く染まっていく。それが真人にまで移るので、無言でコップに水を注いでテーブルに置いた。
「へえ? 真人くんなら反対しないけど……。そうだったの?」
横からひょこっと店長がやって来て、真人を見つめる。チラッとさっきの女性客達のいる席を見ると、既に運ばれた料理を口にしているところだった。店長に視線を戻した真人は、由美の父親である銀次に見られている時のような威圧感に怖気付いて、思わずきゅっと唇を噛んだ。
「デートってわけじゃ…ないわ」
ふしゅーっと頭から湯気が出そうな程、由美は自分の顔が熱いことに気がついた。それが更に恥ずかしくて、注がれた水をすぐに飲み干してしまう。
「え、えーっと……。おかわり、いる?」
少しだけ照れた顔を誤魔化すように、真人はピッチャーを持ち上げて由美に問いかける。由美は無言で頷き、おかわりを注いでもらった。
「そう言えば、幸雄。純也と拓真は?」
真人は更に誤魔化すように、話題を変える。
「純也は家業の手伝い。あいつの家、リゾートホテルの経営も始めただろ?」
「ああ。確か去年からだったか」
「拓真はお前が押し付けた女の子とデート中」
「は?」
拓真に女を押し付けた覚えなど、まるで無かった。真人がそう思って眉を寄せると、幸雄に軽くため息をつかれてしまう。
「この前、女の子にしつこく迫られた時だよ。お前が冷たくあしらうから、あの子逆ギレしちゃって、それを拓真が宥めてたじゃん」
「それであいつがデートすることになったのか?」
「お前はあの時怒ってたし、覚えてないのかもしれないけど、宥める拓真にお前が相手すればいいじゃん。って言っただろ」
「……言った、かも?」
「その後、女の子も怒り任せに拓真にタゲ向けたから、今日デートすることになったの」
「そうだっけ。あー……拓真なあ」
拓真は女好きではあるが、自分に気のない女の子の相手を好んでするほどの物好きではなかった。今日の拓真は、彼女の機嫌取りに必死になる事だろう。
「後で労ってやんなよ? いつも冷たくしてんだからさ」
「ん……。そうだな。たまにはなんか奢ってやるかあ」
「真人くんは、やっぱりモテるんだねえ」
「あ、ははは…どうも……」
店長は真人に苦い笑みを向け労うと、またカウンターの中へと入っていった。
「そう言えば、ご注文は? 決まってるなら聞くよ」
「俺、日替わり」
「私はカニクリームスパゲッティ」
そして、由美は少し悩んでからオムライスを頼んだ。
「かしこまりました」
「店長。厨房借りていいですか?」
「お昼? いいよー。悪いね」
由美は客としてきた時でも、混む時間帯には自分で作っているらしい。更に忙しくなったら、自分の分を作りつつ料理を手伝っているのだそうだ。
「凄いよね。浜野さん」
「でしょ? 店長とは子どもの頃から知り合いで、第2の親みたいなものなんだって」
「へえ……」
真人は厨房に入っていく由美を見つめながらカウンターに戻ると、店長に皆の注文した料理をオーダーした。
「浜野さんはオムライスです」
「おっけー」
カランカラン
「「いらっしゃいませー!」」
。。。
本当に昼のこの時間は混むらしい。皆が来てくれた時に少し会話をして以降、休憩の時間まで全く手が空くことはなかった。
「北川くん。カニクリームスパゲッティ」
「え、浜野さん? あ、ごめん。ありがとう!」
幸雄達の分まで由美が作ったらしく、真人は厨房からカニクリームスパゲッティを持って茉莉の前に差し出す。
「ありがとう。これ、由美の料理?」
「うん」
「ふふ。結局手伝っちゃったんだ」
「じゃ、ごゆっくり」
と茉莉達に伝えると、また真人はホール内を忙しなく歩き回るのだった。




