第46話 海でのハプニング
もう少しで足のギリギリ届く場所までやってくるはずだ。しかし、その前に真人に手を引かれ後ろで浮かんでいる由美が小さな悲鳴をあげた。
「え? どうした?」
「あ! 待って、こっち向いちゃ嫌!」
「え……?」
浮き輪と自分の片手で隠しているが、ビキニの上が外れてしまったらしい。由美に言われた時には遅く、既にあられも無い姿を見てしまった。
「ごめん!」
真人は急いで前を向く。真人の背中に、由美の情けない声が響いた。
「うぅ……。どうしよう…………」
「もう一度だけ振り向くけどいい?」
「え? な、なんで……?」
はしたない今の姿を、真人に見られるのは恥ずかしい。由美は泣いてしまいそうなのを堪えて、聞き返す。
「俺のパーカー羽織ってなよ。もしも誰かに見られたら、嫌だろ」
「う、うん……」
「そのまま手で押さえてろよ?」
「うん。大丈夫……」
由美が声をかけて、真人はスっと由美の方を向く。真人は浮き輪ごと由美を支えてくれて、脱いだパーカーを由美の肩にかけてくれた。そのままクイッと、ジッパーをある程度まであげてくれる。
「ありがとう……」
羞恥と申し訳なさで涙目だった由美に、真人は困ったように眉を下げる。
「気にすんな。とりあえず、これだと戻れないだろうし、そこの岩場で直しなよ」
「う、うん……」
岩場はすぐそこだったので、真人が浮き輪を押してくれて、由美と真人は一旦海から上がる。
「はぅっ…………」
「うわっ。浜野さん? 大丈夫か?」
真人は、力が抜けて尻もちを着いてしまった由美に急いで駆け寄って、手を差し伸べる。
「ごめんなさい……」
由美はふるふると震えてしまい、身体が思うように動かなかった。真人の手に触れることすら出来ない。泣きそうな顔をして、困った顔で真人を見つめている。
「あ……。えーっと…ごめんな。逆に近づかない方がいいか」
「そんな事ない…ただ、その……」
「?」
真人が首を傾げると、真っ赤な頬に潤む瞳で、恥ずかしそうに呟いた。
「びっくりしすぎて、腰が抜けちゃったの……」
こんなハプニングでは仕方がないだろう。真人はそう思って、頬をかく。真人は由美にとって信頼出来る人ではあるのだろうが、異性だ。何と声をかけたものか、由美を気遣う言葉が思いつかない。沈黙がものすごく気まずかった。
「えーっと……。とりあえず移動しようか。ここだと、周りに見えるし」
由美が手に触れやすいようにしゃがんで、真人はもう一度由美に手を差し出した。由美が震える手を真人の手に乗せたのを確認すると、立ち上がらせる。
「ありがとう……」
由美は震えてしまっているせいで、足取りも重たい。なかなか上手く進めない。真人に連れられてやっと岩陰に隠れると、由美はまたぺたっとへたれこんだ。
「俺は海際にいるから。直せたら声掛けて」
「は、はい。北川くん、迷惑かけてごめんね」
「いいって。こんなトラブル、誰だって驚くだろ。近くにいたのが男だったんだから、特にさ」
「むしろ北川くんで良かった」
紳士的に対応してくれた真人だから、由美は少しずつ冷静になってくる。ほっと安心したように息を漏らして、もぞもぞと水着を直した。
「直せたよ。パーカーもありがとう」
「ああ……。えっと、パーカーはまだ着てなよ。また同じことがあっても困るだろ。それを着てたら、大惨事にはならないし」
真人は由美の身体に視線が向いてしまうのを必死に堪えて、もう一度パーカーを羽織るように促した。由美には言えないが、真人がパーカーを羽織っていて欲しい理由の大半は、由美に目がいくのを自制できないからである。
「ありがたいけど……。北川くんはいいの?」
「ああ。俺は日焼けとか気にする柄でもないし。本気で泳ぐ気がなかったら着てただけだし」
「なら、借りてるわね。あの…えっと……」
由美は改めてお礼を言おうと真人の顔を見上げる。しかし、さっきのハプニングのおかげか、好きである事を自覚したおかげか、真人を異性としていつもの倍は意識してしまう。
「ありがとう。パーカーもだけど……。あの、ここまで連れてきてくれたの…とか。気を遣ってくれたのも、嬉しい」
由美は俯いて、恥ずかしそうにお礼を伝えた。真人も少しだけ気まずそうに、小さく苦笑する。
「当然のことをしただけだよ。災難だったよな。こんな事言っても気休めにしかならないと思うけど、近くにいた俺が全く見えてなかったから、周りからも見えてないと思う」
「う、うん……」
安心させるように真人が言って、由美はほっとすると同時に、真人の優しさに惚れ直す。
ぽっと赤くなり、由美は岩場に座って、足を海につけた。
「北川くんが優しくて良かった」
「前も言ったけど、俺は多分多数派。そりゃ、気をつけた方がいい奴は沢山いるけど」
「……この前は少数派に引っかかりそうだったけどね。その時も北川くんが助けてくれた。私、いつも迷惑かけてばかりね」
思い返してみると、いつも真人には世話になっていた。こんな事では、真人が男友達のようなものだと言った彼女には勝てないだろう。むしろ、今まで良く愛想をつかされなかったものだ。由美はそう思って、密かに落ち込んだ。
「迷惑だなんて思ってねえよ」
真人も由美の隣に座り、近くに放ってあった浮き輪を由美に押し付ける。
「鞄の時も、体育祭でも、俺の方が迷惑かけたし。浜野さんのご飯は美味しいし。雨宿りさせて貰ったし。サッカーの試合も…応援してくれた。あれ、本当に嬉しかったんだ。多分、浜野さんが思ってるよりずっと。それに、浜野さんとは一緒にいて楽しい」
「……怪我させたのに?」
もう腫れは引いているが、由美はちょんっと真人の頬に触れてみる。真人も痛みはもう感じないようで、なんでもないような顔をしている。
「なんで? 浜野さんに殴られた訳でもないし」
「そうだけど、きっかけは私でしょ?」
「ううん。俺だよ。俺がした事だ」
その言葉が嬉しくて、ドクンと胸が鳴って、由美は照れくさくなる。
照れくさいものだから、誤魔化すように、真人から押し付けられた浮き輪でちょんっと真人をつついた。
「何?」
「優しいなーって思って」
「?」
それが何故、浮き輪でつつかれる事になるのだろうか。真人は由美を訝るように見つめる。
「嬉しくなったから、ぎゅーって抱きしめたくなっちゃったの」
「はっ!?」
真人は驚いて顔を赤くする。
「でも、男の子の北川くんにそんなことしたら困るってわかってるから、浮き輪で表現してみました」
「えぇ、なんだそれ。わかんねえって……」
戸惑っている真人を見て、由美は満足する。
「ふふ。浮き輪があって良かったね!」
「え……?」
真人は一瞬固まって、目を丸くした。
「ちょ、ちょっと待て! もし浮き輪が無かったら、本気で抱きしめる気だったのかよ!?」
「かもしれないよ?」
真人はついに頭を抱えてしまう。
「あのなあ……。そういうのが無防備だって言ってるんだぞ?」
「だからしなかったでしょ? それに、流石に私も恥ずかしいもん。異性にそんな事、した事ないし」
由美の言動にいちいち照れてしまい、真人は自分の身体が熱くなる。本当に、困ってしまった。別に嫌だと思っていないのが余計に……。真人は困ってしまって、視線をゆっくりと逸らして遠くを見つめる。




