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第44話 眼差しの向かう先

「しばらく休憩したら帰ろうか」


 真人は優しい表情のまま、そう言った。由美も、ドキドキと胸を高鳴らせたままに小さく頷く。

 

「うん」

「あ、なあ。船出るとこっぽいぞ」

「え?」

「ほら」


 真人が指をさして教えてくれるが、由美にはそれよりも真人の方が気になっている。


「好き…なのかな」

「ん? 俺? 船好きだよ」


 由美の呟きのような小さな声が聞こえていたようで、驚いた。が、意味は伝わっていなかったので、少しほっとする。そして、真人と共に船の出向を見送った。


「浜野さんは女の子だし、乗り物とか興味無いか」

「乗り物は、飛行機が一番好き。船は乗ったことがないから、どうかしら。眺めるのは嫌いじゃないわ」

「そっか」


 真人の視線は今も船に向いている。そんなに好きなのだろうか。そう思っていたら、真人がぽつりと呟くように話してくれた。


「本当に小さい頃の話だから、記憶もあやふやなんだけどな。俺、小さい頃母さんと船に乗ったことがあるんだって。ちょうど横須賀のさ、猿島に向かうだけの小さい船なんだけど」

「そうなの?」

「だから、俺は乗り物の中では船が一番好き」


 そう言った真人の表情は、懐かしむような、惜しむような、とてつもなく優しいものだった。


 由美は、それが自分に向ける瞳とよく似ているような気がして、小さく俯いた。

 

「私はね、小さい頃は人間もいつか空を飛べるようになるって思い込んでたの」

「生身で?」

「そう。生身で」

「あはは。そうなったら面白いな」


 真人がくすくすと笑う。


「私は、母親との楽しい思い出ってほとんど無いから。小さい頃のヘンテコなお話くらいしか思いつかなかった」


 由美がそう言って顔を上げると、くすくすと笑う真人と目が合った。


 目が合って気づいた。いつもでは無いがたまに、真人は由美を見つめてどこか遠い目をしている。気づいてしまったから、由美はまた不安でドキドキしてしまう。


(今、北川くんは何を見ているんだろう……)


 目が合っているはずなのに、真人が今何を見ているのか、由美はズキリと痛む胸を押さえて、俯きながら考える。


「去年、一緒に来たのって…元カノ、とか?」


 由美の呟きのような声に、真人はきょとんと不思議そうな顔をした。

 

「いや? 俺、彼女いた事ないけど」

「え!? でも、部活の子達が去年彼女いたって」


 そう聞いたはずなのに、思っていた答えではない。噂は間違いだったらしい。


「もしいたとしても、部活の合宿じゃ会う機会ないしな。去年は普通にサッカー部の人。幸雄は今日みたいにパソコンいじってたから来なかっただけなんだ」

「じゃあ、彼女いたって話は……」

「異性と全く話さなかった訳じゃないから、誤解されてたんだろ。多分」


 由美は少しだけほっと息をついたあと、真人を見上げる。

 

「そのお話する子も藤波? もしかして、私も知ってる人かしら」

「いや。藤波は学校が近所だからあんまり……。後腐れ無い方がいいし」


 と言うのも、恋人ではないが()()()()ではあった。嫌な出来事を払拭するために、同じくそういう目的の異性と会ったりしていたのだが、真人はすぐに虚しくなって辞めた。


「後腐れ……?」

「浅い関係しか築いてなかったんだ。意図的に……。俺、基本的に女子と仲良くするの苦手だし。この前のサッカーの試合とか。ああいう空気感が嫌いで」


 由美も見ていたあの試合の話だ。相手のプレイに文句を言ったり、由美に敵対心を向けたりと嫌なこともあったが、それが理由なのだろうか。


「応援、私も行ったけど、迷惑だったかしら」

「それはいいんだよ。浜野さんは頑張れって言ってくれたじゃん。なんて言うか……。他の女子達って、チームの応援でも俺の応援でもなくて、単に俺を見世物として扱ってる気がするから、嫌だ」


 真人にとって、由美や茉莉。拓真達以外の、女子達の応援は応援では無い。

 

「うーん……。確かに、頑張れとか、サッカーに対する応援は無かった気がするね。かっこいいだとか、そういうのばっかり耳にした気がするもの」


 由美もこくりと頷いて、そう言った。大会の時に限っては応援の声も大きかったが、練習試合では応援の声がほとんど聞こえてこなかった気がするのだ。

 

「ああいう応援の仕方されても嬉しくないし、他のチームメイトがいいプレイを見せても俺しか見てないのとか、士気が下がるだけなんだよな。だから、嫌い。今年入ってからは女子との会話らしい会話って浜野さん達とくらいだよ」

「そうよね。練習試合の時は、私も嫌な気持ちになったもの」

「浜野さんの声が一番嬉しかったな」


 それを聞くと、由美の不安がまた少し薄れていく。特別扱いされているようで、こそばゆかった。


「また時間が合えば、応援しに行ってもいいかな?」


 由美が照れながら言うので、真人にもそれが移る。少しだけ照れくさい気分になりながらも、由美の気持ちが嬉しいのでこくりと大きく頷いた。


「もちろん。浜野さんからの応援は嬉しい。頑張れって言ってくれるし」

「いつだって言うよ! あ、でも張り切りすぎて怪我をするのはよくないわ。練習試合の時みたいなオーバーヘッドとか。受け身が取れないのにするのは危険だと思うの」


 本来ならきちんと受け身も取れるが、あの時はアディショナルタイムのギリギリだったので焦りもあった。たったの2日だが、あれから湿布を貼ったりもしたくらいだ。


「ただでさえ、サッカーって転んだりするんでしょ? 久谷くん達が言ってたわ」

「そうだな。多少大袈裟に見せる事もあるよ。ファールに気づいて貰えない時もあるし。身体で訴えるというか、アピールするというか……。俺は早くボールに触りに行きたいから、そういう演技はあんまりしないんだけど」

「そういうプレイの方が好きだな。私」

「浜野さんは正々堂々としてるよな」

「そうよ! 私、柔道部だもん」

「あはは。お前のそういう所、いいよな」

「え……?」


 由美はまたドキリとする。なんとなく、自分に向けられた言葉では無いことに気づいてしまったのだ。


「北川くんから『お前』だなんて、初めて言われたわ……」

「あ、ごめん。浜野さんの性格が知ってる子に似てて……。不快だったよな」


 真人がパッと気まずそうに口を抑えたから、もっと胸が痛くなった。


「北川くんは嘘つきだわ。私より仲のいい女の子、いるんじゃない」


 由美は少しずつムカムカとした気持ちになる。もう、自分の気持ちを認めることにした。真人の事が好きだから、由美はこんな気持ちになるのだ。悲しくなって、怒りたくなって、苦しいのだ。


「昔の話だよ。ごめんね。浜野さん」

「嘘。今もでしょ? だって、私にはあんな言い方してくれないんだもの」


 由美はプクっと頬を膨らませて、悲しげな表情を怒った表情で隠す。

 

「本当に昔のことなんだって。あいつ、性格は確かに浜野さんに似てるけど、もっと男っぽいって言うかガサツって言うか……。男友達みたいなもので」


 と、ここまで言ってから、真人は話すのを止める。


(大好きだったな……。あいつのこと)


「やっぱり嘘ね。男友達みたいな女の子に、そんな顔しないもの」


 由美は、真人がまたあの表情をしていることに気がついた。そして、いつも自分を見てその女の子を思い出していることにも。優しい真人の顔は、いつもその女の子に向けられたものだったことも、気づいてしまった。気づいてしまって、泣きたい気分になる。


「付き合ってる子じゃないのよね?」

「そんな訳ない」

「なら、いいか。今日はデート…なんだもんね。浮気は良くない事だもの。私はその子に怒られなくて済むみたい」


 由美は精一杯、泣かないように強がって、笑ってみせる。

 

「今は本当に、浜野さんが一番仲良い異性なんだ。それは嘘じゃないよ」

「……うん。ありがと」


 悲しい気持ちを封じ込めて、由美はより一層笑みを深める。


「さ。そろそろ夕方の練習始まっちゃう」

「……ああ。帰んないとな」

「うん。また明日。買い物に付き合ってね? デートデート」


 折角の初恋だから、真人ともっと仲良くなりたい。もっと近づきたい。他の子に負けたくない。


 そう思いながら、由美は拳を前に突き出した。


「何が食べたいかな? スタミナがつきそうな物がいいよね」


 精一杯強がる由美を後ろから見つめて、真人が何を考えていたのかは、本人以外の知るところではない。

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