第39話 真人の心配
「「……………………」」
海を見下ろしながら、2人は無言でいる。お互いが何を考えているのか、ちらっと視線を向ければ目が合って、すぐに逸らす。
「はぁ……」
真人は小さなため息をついて、海ではなく空を見上げた。
確かに、由美を誘った男というのが悪い人とは限らないが、お礼とはいえ急に2人きりでの食事に誘う人は警戒するべきだ。と、真人は思う。その上、この辺りの学生はあまり治安がいいとは言えない。それを真人は知っていた。
(なんて言うかなあ……)
真人はそんな事を考えながら、眩しい太陽を遮るように、手で空を隠した。
「嘘つきよ。絶対怒ってるもの」
由美はそう言って唇を尖らせる。真人はゆっくりと由美に視線を向けて、もう一度だけ小さなため息をついた。
「俺が怒ってるとしたら、何に怒ってると思うわけ?」
きっと、彼女は何も分かっていない。由美は純粋だ。優しい父親の元で育ったから、ほしのねこの店長や、茉莉。周りの人がみんないい人だったから、騙された経験もほとんどないのだろう。
「分からないから聞いてるんじゃない。私が男の人を嫌がらなくなったのは、北川くんのおかげなのよ?」
由美が拗ねるようにそう言って、真人を見つめ返した。
「信用しすぎてもいけないと思うんだけど。その人が何もしない保証は?」
そう言った真人の声は、やはり少しだけ不機嫌だった。
「……そしたら、何かする保証はあるの?」
由美の言葉も間違いではない。本当に由美を誘った男がいい人で、単純にお礼をしたいだけだという可能性も充分にあった。
ただ、真人の知っている由美は警戒をしなさすぎる。真人が毎週会いたいと突然言い出した時だってそうだし、簡単に誰もいない家に真人を上げる。最近は川でだって、由美は涼むために靴と靴下を脱いで、真人の前で足を出してはしゃいでいた。
「ないけど、警戒しておくに越したことはないだろ。浜野さん、結構無防備な時あるよ」
「いつよ。それ」
真人は年下の子を叱るような表情で、由美に言う。しかし、由美も負けてはいなかった。小さな子どものように頬を軽く膨らませ、真人を睨むように見つめている。
「男を軽々しく家にあげるし」
「北川くんだもん」
由美が真人の前で無防備なのは、今に始まったことでは無い。だからそれはもう諦めていた。
「でも、明日会うのは俺じゃない」
「家に上げるわけじゃないわ」
「じゃあ、家に来いって言われたら?」
「断るわよ。当たり前じゃない!」
由美はそこまで馬鹿ではない。と言いたげな顔をしているが、真人はそれを信用しなかった。
「……服装にも気をつけなよ。川で遊ぶ時、スカートをあげてる時あるでしょ」
「え? ど、どこ見てるのよ」
普段は気にしていないくせに、由美は真人に指摘されてビクッと体を強ばらせた。
「足」
真人が堂々とそんな事を言うものだから、由美の頬が赤く染まった。そして、恥ずかしそうに真人を睨みつける。
「変態」
「見せてるのはどっちだよ」
ここまで言わないと、由美はこれからもずっと、真人の前で無防備だっただろう。全く警戒しなかっただろう。しかし、今更か。と思ってしまったのも事実で、真人は呆れてしまった。
「いつもそんなこと考えてるの……?」
由美は今日履いているスカートをギュッと押さえて、小さな声でそう聞いた。
「いつもなわけないだろ。浜野さんがいかに無防備かって話だし」
「……北川くんはそういう事言わないと思ってた」
由美は気まずそうに身構えている。
「浜野さん、言わなきゃ分からないよね? 普段は気にならないけど、誰にでもそうだといつか痛い目見るって……」
戸惑ってしまった由美が、真人に詰め寄られて肩を揺らした。怯えているようにも見えるので、真人の動きがピタリと止まる。
(警戒して欲しいとは思ってたけど、ここまで怯えられるとは思わなかったな)
「そんな調子で、明日大丈夫なの?」
「これは、だって、北川くんが……」
「余計なお世話だった?」
そう言った真人の声は、いつもの優しい声だった。由美が顔を上げると、真人は少し悲しげな顔で笑っている。ぎゅっと胸が締め付けられるような、寂しそうな表情だった。
「俺が心配するほど、浜野さんは弱くないもんな」
警戒して欲しいというのは常々思っていた。しかし、怖がられたり嫌われたりするのは、やはり寂しい。真人はそう思って、由美を悲しげに見つめる。
「ごめ「嫌」
謝ろうとした真人の口を、由美が両手で塞いだ。
「ごめんなさい……」
「んーん?」
真人が苦しそうにもごもごと口を動かすので、由美は慌てて手を離す。「ぷはっ」と小さく息を吸い込んで、戸惑った顔で由美を見た。
何故、由美の方が謝ったのかが分からなかった。怖がらせたのは真人の方なのだ。
「なんで謝るの?」
「だって、北川くんは心配してくれてたんでしょ……? 北川くんが悪いわけじゃないのに…謝ったら嫌」
「でも」
由美は真人に怯えていた。真人は由美を見て、申し訳なさそうに眉を下げる。
「私、本当に分からなかったの。どうして怒ってるのか。無防備って言われるのも、よく分かってなかったし……」
由美はしゅんとして、悲しげに視線を落とした。
「でも、私を心配して、私のために怒ってくれてるのは…わかるよ……」
「本当に怒ってたわけじゃなくて、ただ……」
「心配してただけなのよね?」
顔を上げた由美の瞳が潤んでいるように見えて、真人は気まずそうに目を逸らす。
「そりゃ、まあ。するでしょ」
真人はそう言ってから、ガシガシと頭をかいて、言うかどうか迷っていた事を話す。
「この辺って、実は結構治安悪いんだよ。浜野さんを誘った人がいい人か悪い人かは分からないけど、全部信じてついて行ったりして欲しくは無い。何かあってからじゃ遅いからね」
「ごめんなさい……」
由美はまたしゅんと落ち込んでしまい、真人は困ってしまった。真人は、由美を悲しませたかった訳ではないのだ。
「浜野さんはどうか知らないけど、俺にとって一番仲が良い異性は浜野さんだから、心配するのは当然だし。謝らなくてもいいし。そんなに落ち込まないで欲しいんだけど」
「うん……」
顔はあげてくれたが、由美はまだ少し落ち込んだ様子だった。
「強く言ってごめん」
「え?」
「ほら、浜野さんにあんな言い方したの、初めてでしょ?」
それは由美本人も、真人に言った。「そんな声は初めてだ」と。真人は落ち込んだ由美を見て反省しているようだが、由美が今落ち込んでいたのは、真人の心配に気づけなかったからだ。
最初こそ強い口調に驚いたが、実はそっちの方が友達っぽくて嬉しい。と思っていた。真人が拓真や幸雄と接している時のような軽口が、いつも羨ましかったから。
「それは、いいの。確かにちょっと驚いたし、北川くんはいつも優しいから、怖いなって思ったけど。でも、久谷くんにするみたいに、少し荒っぽい口調の方が仲がいい感じがするし」
由美はそう言って笑う。笑ってくれただけで、真人も嬉しい気持ちになった。
「そういうもん?」
「そういうものなのよ。いつもは少し他人行儀っていうか…ちょっと寂しかったわ」
警戒心が完全に無くなったらしい。それはそれで困るような気もするが、怖がられるよりはずっといい。真人はそう思って、くすっと笑う。
「じゃあ、そうする。明日、気をつけろよ?」
「うん。もし何かあっても柔道でこう……。とにかく、やっつけちゃうんだから!」
と、由美は力こぶをつくる。真人は「それも」と一言付け加えて、由美のこぶを軽く触った。
「半袖だと脇が見えるぞ」
「へっ? ……本当にいつもは考えてないのよね?」
「浜野さんが何もしなきゃ考えない」
「そんな、いつも無防備な訳じゃないのに……」
(大体いつもだと思う……)
と思ったその言葉は飲み込んで、真人は答えた。
「だからいつもは考えてないって。大人しくしてれば何とも」
「女らしくないってこと?」
「そうは言ってないだろ」
「本当? ガサツではしたない女だって思ってない?」
「思ってねえよ」
軽く言い合いをしながら歩くこの時間も、楽しいと感じた。本当の意味で友達になれた気がする。と、由美はそう感じていた。




