一の四
俺が契約をすると言うと先程まで騒いでいた少女は一瞬で静かになり、少し間を置いてから、
「え、嘘」
と目を丸くし、俺に問いかける。
「契約、していただけるんですか?本当に、いいの」
「いいから早く契約しようか」
少女は笑顔で小さく、
「やったぁ」
と呟いている。
その笑顔は先程まで暴れていたことを忘れさせる程可愛かったが俺の心の中を支配していたのは可愛いではなく、
(早く寝たい)
であった。
「では早速契約をしてしまいましょう。案ずるより産むが易し、説明しながら契約を進めますね。まず初めに貴方の掌を私の掌に合わせてください」
そう言うと少女は自分の掌と俺の掌とを合わせる。
合わせた瞬間、少女の瞳はまたしても光を帯び始め、俺がその瞳を見つめると少女もまた見つめ返してくる。
「では次に私の名前、ルイヤ・ボティスと唱えください」
「る、ルイヤ・ボティス」
俺がそう唱えると、今度は少女と俺の掌が接している部分までもが光を帯び始める。
そして最後の仕上げかと言うように少女は唱える。
「我が名はライヤ・ボティス。未来と過去とを覗く者なり。我が名に命ずる。我の目前に居る者に力を与えたまえ」
少女が厨二病感溢れる台詞を唱え終わると同時に少女が眩い光に包まれる。
俺が呆気に取られていると少女を包む光は徐々に消えていき、最後には何事もなかったかのように光は跡形もなく消え去ってしまった。
「ではこれにて契約完了です。お疲れ様でした。次に私と貴方の契約内容を遅ればせながら確認させていただきます」
俺は契約を終えた安心感からか、それとも先程までの混沌とした状況から戻った安心感からか、はたまた夢の中とは言え超常現象を視認したからか、少女が話している契約内容が全くと言う程頭に入ってこなかった。
いや、気がついたら説明が終了していたと言った方が正しいだろう。
「ーーー以上でよろしいでしょうか」
「あ、あぁ」
俺は訳も分からずに返事をする。
未だに俺の頭の中は理解が追い付いておらず、茫然と立ち尽くしてしまう。
そんな状態でもお構いなしに少女は語りかけてくる。
「そう言えば、まだ貴方のお名前を伺っていませんでしたね。私が数えるので3・2・1でお名前をどうぞ。ではいきますよ」
「え、あ、は?」
突然のカウントに俺の思考停止した脳はついて行けず、気の抜けた返事しか出来なかった。
そのような返事に腹を立てたのか、臍を曲げたのか少女は、
「そうですか」
と短く返事をした。
少し間を空けて少女はもう一度問いかけてくる。
「もう一度問います。貴方のおーなーまーえーは?」
少し思考が追い付いて来たので、内心うざったいと思いながらも少女の問いに答える。
「あ、あぁ俺は玄田。玄米の玄に田畑の田で玄田健人だ。まぁしがないサラリーマンだよ」
「玄田さんですね。分かりました」
少女に玄田と表示されたスマホの画面を見せ、少女はそれをじっと見ながら小さく、
「…玄田、玄田、玄田」
と呟き俺に眩いばかりの笑顔を向ける。
「社畜さんですね。これからよろしくお願いします!」
「しゃちく?」
追い付いた筈の思考がまたもや停止し、今しがた俺に向け発せられた言葉を理解することが出来なかった。
(しゃちく、しゃちく、しゃちくう)
「あ、あぁ。鯱食うか、なんだなんだ今一瞬、社畜って聞こえた気がしたけど聞き間違えか。だよな、うん」
俺は同意を求めるように、聞き間違いであることを求めるかのように視線を向けたが、少女は俺の希望を打ち砕く言葉を放つ。
「いいえ。会社の社に畜生の畜の社畜です」
「何でだよ!」
つい大声を出してしまったが少女は冷静に真面目な口調で話を続ける。
「社畜さん、いえ玄田さんの名字って確か玄米の玄に田畑の田で玄田さんでしたよね。その二つを合わせると、ほら畜になるじゃないですか」
少女はご丁寧にホワイトボードを用いて説明してきた。
「それにサラリーマンってこととこの部屋などを鑑みて判断しました」
俺の脳が理解することを拒む。
俺が何も言わずにいると少女がこちらへにじり寄って来た。
「ところで…社畜さん。そのーあのー貴方が手に持っている物が欲しいのですが…」
少女の言葉は俺に了承を得ようとはしているが、少女の行動は明らかに焼きぷりんを奪いに来ていた。
「いいぞ。俺は寝る。じゃあな」
もう二度と出会うことのない夢の少女に別れを告げ、少女に焼きぷりんを手渡そうとする。
すると少女はいつの間にかスプーンを手に持っていた。
そんな少女の雰囲気はまさにワクワクという擬音が似合っており、最初の恐れ多い印象は何処かへ吹き飛んでいた。
「ありがとうございます!では早速…ってもう寝るんですか?」
「ああ明日も早いし、いくら今が夢だとは言え眠いしな」
「分かりました。おやすみなさい」
少女は俺の返答に、
「夢?」
と小さく首を傾げていたが、眠る事だけに集中している俺に少女の小さな呟きは一切届いていなかった。
(あぁ明日も仕事か…)
布団に入ると気絶するように溶けるように眠ってしまった。
明日は早く帰りたいと願いながら…。