一のニ
スーパーまで片道15分もかからないので俺は、1時間後には帰宅していた。
家の扉を開けた瞬間俺の目に飛び込んでくる者がいるかと思われたが、少女は姿を見せず、俺は驚いた。
部屋の中を見回すと、少女は暗い部屋の隅で膝を抱え何か独り言をブツブツと呟いていた。
「遅いな。何かあったのかな。それとも私のことが嫌いになっちゃったのかな。あはは、やっぱりあんな高圧的に言われたら嫌になっちゃうよね、だよね。うん」
俺に情けない姿を見られたくなかったからなのか、少女は俺の気配を感じると急いで立ち上がり、
「ず、随分と遅かったな。我を待たせるとは良い度胸だの。まあ我の心は広いのでな、お主を許してやろう。してお主、何か聞いたか?」
と聞いてきたので俺は咄嗟に、
「な、何も?何か言ってたのか?あ、遅くなってごめん」
と応えてから疑問に思ったが、夢の中に時間の概念はあるのだろうか。
まあこの夢は妙に現実味を帯びているのだからあるのであろうと自分で自分を納得させた。
そしてこのプライドの高い少女のことだ、正直に、
「聞いた」
と応えたら恥ずかしさのあまり発狂してしまうだろう。
「良いぞ、だが我を待たせるのならばそれ相応の物でないとな」
「わかったから電気ぐらいつけておけよ。目、悪くなるぞ」
「我を人間などと同じにするではない。お主、今度こそ我に丸呑みにされるか?」
「はいはい、ちょっと待ってろよー」
そう軽く受け流すと少女は頬を膨らませ、そっぽを向いてしまった。
俺は今さっき購入した品々を冷蔵庫に入れ、久々に台所へと立った。
ーーー
一時間後には食卓に数品の料理が並べられていた。
冷凍していた白米、豆腐とワカメの入った味噌汁、甘い卵焼き、キャベツと豚肉の醤油炒めにカットされたトマト。
即席にしてはなかなかの出来栄えである。
少女はというと机の前で腕を組み調理をしている俺をじっと見つめ、時々口を開いたかと思えば、
「捧げ物はまだか」
としか言わない。
だが、俺は気づいてしまった。
机に料理が並べられてゆくにつれ瞳は『真朱』から『銀朱』に変わっていっていることに。恐らくだが少女の瞳は感情によって異なるのであろう。
『真朱』は平常時『深緋』は怒りや照れ『銀朱』は幸せ、といったところだろうか。
(どういう仕組みなんだか)
瞳が仄かにだが光る上に色が感情に伴い変化するなど、まず現実世界ではあり得ないだろう。
知りたいという好奇心が湧き上がってくるが、聞いたところで、
「我は悪魔だからな」
といった曖昧な答えしか返ってこないだろう。
そんなことを考えていると作業する手が止まってしまう。
そんな俺の姿を見た少女が不満気に口を開く。
「まだか。いくら我の心が広いと言えど限度というものがあるぞ。それともお主は我に呑み込まれたいという願望でもあるのか」
瞳は色こそ変わっていなかったものの高圧的な語り口とは裏腹に、ふるふると震えていた。
「あぁごめん。今用意するよ」
「そうするがよい」
俺は冷蔵庫から飲み物を取り出し、今までで殆ど使用したことのない白藍のマグカップに注ぐ。
ついでに俺の分の飲み物も用意する。
溢さないようにと慎重に少女の前に飲み物を置き、俺は少女の目の前に座る。
少女は俺が座ったのを見て、余程我慢の限界だったのだろう、
「食べてよいのか」
と俺を急かすように聞いてきた。俺が、
「どうぞ」
と言うと同時に少女は箸を持つがそこで動きが止まってしまう。
どうやら箸が使えないようだ。
確かに少女の見た目や悪魔という部分を考慮すれば使えないのは当然だろう。
ただ、夢の中であったのですっかり頭から抜けていた。
「待ってろ今フォーク持ってくるから」
そう言って席を立とうとするが、それを少女が制止する。
「待て。我はこのままでよい」
どうやら箸が使えなかったことが悔しかったようで、落としそうになりながらも懸命に使おうとしていた。
「う、うぅむ。難しいな」
苦戦しているのを見かねた俺は少女に箸の持ち方を教えることにした。
「えっとな、箸はまず…」
俺は最初、
「そんなものはいらぬ」
と断られるのかと思ったのだが、思いの外少女は真面目らしい。
俺の下手な説明を、
「ふむふむ」
と真剣に聞き、それが終わるとクロス箸であったがしっかりと持てるようになっていた。
「褒めて遣わす。ではいただこうかの」
少女は一度箸を置くと、
「いただきます」
と手を合わせた。
どうやらそういった礼儀の類は夢に反映されているようだ。
少女は一切の迷いを見せず真っ先にキャベツと豚肉の醤油炒めへと箸を伸ばす。
少女の箸が豚肉を掴み上げると雲のような湯気がふわりと昇り、こちらにまで美味しそうな醤油の匂いが漂ってくる。
豚肉は先程まではいかずとも雲のような霧のような湯気を立たせながら少女の口へと運ばれていく。
少女は大きな豚肉を豪快に一口で食べるが熱かったのか、はふはふと口から湯気を出す。
少しすると冷めたのか慣れたのかゆっくりと咀嚼をし始めた。
咀嚼をする度に少女の瞳は大きく見開かれていく。
どうやら美味しく出来たようだ。
(よかった)
決して味に自信がなかったわけではないが、即席だったのでもしも失敗していたらと考えてしまっていたのだ。
ひとまず美味しく出来上がっていたようなので、一口飲み物を飲む。
俺は腹が減っていなかったため自分の分の料理は用意しておらず、手持ち無沙汰になってしまったので俺はじっくりと少女を観察してみることにした。
余談だがこの時少女は光を反射した雪のような輝きを帯びた白米を口に運んでいる最中であった。
少女は前述した通り鴉のような艶やかな髪と『真朱』の瞳を持っていることに加え、少女の皮膚は『白藍』であった。
一見すると病人のように見えるが少女の額には小さな『深碧』の角が生えており、それが人間でないということを改めて証明していた。
どうやら角は光の反射具合で色を変えるらしく時には『深碧』のように時には『紫式部』のようになった。
ふと机を見ると皿の上から料理が忽然と姿を消していた。
先程までは大量にあったはずの炒め物も大盛りの白米も全て元から存在していなかったかのように。
少女を見ると満足気に箸を置き、
「ご馳走さまでした」
と手を合わせていた。
どうやら少女は全ての料理をこの数分間で食べ尽くしてしまったらしい。
「お主、なかなかに美味かった。褒めて遣わす」
「そりゃどうも」
「で、だ。まだわた…我の紹介をしていなかったな」
私と言いかけたのか少女は急いで我と言い直し、大きく咳払いをする。
「我が名はルイヤ・ボティス。未来を予知し過去を覗く者である。さぁお主の望みを言ってみよ。我が何でも叶えてやろう」
「え、えっと…ごめん遠慮しておく。誰かに叶えてもらうような望みはないし」
少女は俺に断られるとは思っていなかったのか沈黙が流れる。
俺にも勿論望みはあるが、俺の望みは誰かに認めてもらうことなのでただ努力あるのみだ。
「聞き間違いかの。では、お主の望みを叶えてやろう」
「遠慮しておきます」
俺に二度も断られると流石に現実を受け入れたのか、少女は俯いてしまった。
何か声をかけた方が良いかと悩んでいると少女はおもむろに立ち上がり俺の方へと歩き出した。
(まさか、刺される!?)
場面は違うが、逆上した彼女に刺されたという知り合いの話が頭を過ぎる。
夢の中なので死なないと分かってはいるものの痛いものは嫌いである。
何か少女を刺激せず距離を取れる案はないものかと普段使わない頭を回転させるが、案が出てくるよりも先に少女が俺の目の前までやってきてしまう。