王太子妃と強欲の魔術師
「あなたが、モルジワナ伯爵家の新しい娘ね」
美しい声に、深々と頭を下げる。
翻ったドレスの裾は透けるような檸檬色で、ふわりと広がった先で、繊細なレースで花びらのように縁取られていた。
広がった袖口にも同じレースが使われており、はっとする程に豪奢なドレスだが、華美なばかりで品の悪い物ではない。
シャンティアの柔らかな金糸の髪に鮮やかな緑の瞳を引き立たせ、様々な思いを心に隠す誰が見ても、何て繊細で美しいのだろうと思わせるドレスだからこそ、この豊かな土地の王太子妃の装いとして選ばれたものなのだ。
声をかけられて顔を上げたリアンは、最後に見た日から変わらず、夏の日の木漏れ日のような美しい姿に思わず見惚れてしまう。
リアンが初めて出会った時には侯爵令嬢だったシャンティアは、今や、王太子妃としてこの七州の王都を治める最も高貴な女性になった。
カリアム王太子の生母は、リアンがカルフェイドに来る前に、あの美しい王妃の庭を残して病気で亡くなっているので、この七州の最高位に座す女性である。
「リドリアと申します。王太子妃様」
「この時期は祝祭の準備が多くて、こちらに伺うのが遅れてしまって御免なさい」
開口一番の謝罪に、リアンは目を瞠ってしまった。
すると、こちらを見たシャンティアが、くすりと悪戯っぽく微笑む。
「モルジワナ伯爵は、西方域の盾として、この七の州にはなくてはならない存在だと聞いています。陛下が亡くなられたばかりの今は、カリアム殿下も、王都での新たな体制作りを優先せざるを得ないのですが、今後この州をどのように豊かにしてゆくかを考えた時、モルジワナ領との連携は必ず求められるでしょう」
(……………おや)
リアンが久し振りに目にしたシャンティアは、三年前とはがらりと印象が変わっていた。
聡明で可憐だが、少女らしい気紛れさや残忍さは息を潜め、その眼差しには、王太子妃としての研鑽を思わせる聡明さと、ほんの僅かのしたたかさを宿している。
おまけに、この言動からすると、女官達の意地悪にシャンティアは手を貸していないらしい。
これは想定外だぞと首を傾げたかったが、まずは部屋を訪ねてくれた王太子妃に、お茶を勧めるべきだろう。
カルフェイドと言えば、侵略と実力主義でも有名だが、同族に対して、訪問者へのもてなしを最上級の礼儀とする国なのだ。
「シャンティア様、お茶の準備をさせていただいたのですが、もし宜しければ飲まれていかれませんか?」
「まぁ。リドリア様がご準備を?………ああ、驚かないで下さいな。この部屋に出迎えに出た女官達が、離宮の主人の世話も含め、何の仕事もしていないのは知っているわ」
「………っ、」
鞭のようにしなり、ぐっと低くなった声音にリアンまでが身を竦めたのは、かつて、この野鼠を砂漠に捨ててきてと騎士達に告げた、シャンティアの凍えるような声を思い出したからだ。
毒に喉を焼かれ、苦しくて涙が止まらなかったリアンは、ただその冷たい微笑みを見上げるしかなかった。
(………そうか。王太子妃に相応しい立ち振る舞いとして、牙や爪を隠しても、この方の強さは変わらないのだわ)
そう考えて、少しだけほっとする。
リアンにとってのシャンティアは、巧みな策略で大事な弟を処刑に追い込んだ難敵であった。
仕掛けられた戦いへの返礼をするのなら、身勝手ではあるが、その相手には今でも刃を持っていて貰いたいと思ってしまう。
「も、申し訳ありません。リドリア様はあまり朝が得意ではなく………」
すかさず頭を下げたのは、女官長だ。
リアンも滅多に見かけないので、もはや初めましてくらいの感覚である。
(……………そして今、もしや私は、シャンティア様の側の岸辺に迎え入れられたのだろうか…………)
「それは不思議ね。お前達は、モルジワナ伯爵令嬢の装いを見ても、そう言えるのかしら?………どうやら、この離宮で私の訪れの意味を理解していたのは、彼女と、彼女の着替えを手伝った者だけのようね」
「そ、それは………」
リアンを見た女官達が、巻いた髪を複雑に結い上げた髪型と手の込んだ作りのドレスを見て、いっそうに青ざめるのが見えた。
ここで、髪を巻き、着付けに時間のかかるドレスを着ておいた労力が、やっと生きたという訳だ。
しんと静まり返ったのは、林檎の王女の離宮の客人の間である。
シャンティア妃の背後には、護衛騎士達とリアンの見た事のない文官らしき男達がいて、離宮の外には、王太子妃の移動に必ず付き従う女官達も控えているらしい。
離宮区画の管理者であるジャスワンの姿はないようだが、管轄区域を王太子妃が訪問しているのに、同行しなくてもいいのだろうか。
「お前達のモルジワナ伯爵令嬢に対する思いなど、この国にとってはどうでもいい事よ。彼女の出自がどうであれ、辺境伯が認められた養女として、正式な手続きを踏んでここにおられるのですから」
「も、申し訳ありません!!今後は…」
「まだ分かっていないようね。だからこそこれは、私に対する非礼であり、喪が明けたらこの国の王になられるカリアム殿下を蔑ろにする振る舞いだと、それだけのことすら理解出来ない事が、今回の問題なのだと分かっていて?」
シャンティアの指摘は、尤もである。
だからこそリアンも、女官達は、シャンティア妃の命令でこのような事をしているのだと考えていたのだ。
一介の候補者とその離宮付きの女官達が王太子妃の訪問を軽視したともなれば、リアンだけを貶めて済む話では済まなくなる。
カルフェイドでは、立場が上の者への服従は絶対なのだ。
(でも、……まさか、自分達の好き嫌いだけで、そんな事をしていたの………?)
だとすれば、後先考えないにも程があるとリアンも途方に暮れてしまう中、そんなぴりりと張り詰めた空気に、ゆっくりと動いた者がいた。
「………シャンティア様、こちらの問題は、私の方からジャスワンとも話をしておきましょう」
「そうね。ジャスワンは、カリアム殿下と儀式殿の魔術師達と選定式の打ち合わせに入っています。その後で話をしておいて」
「畏まりました」
シャンティアの右後ろに立った背の高い男が囁いた言葉に、リアンは、表情を揺らさないようにしなければならなかった。
(そうか。だからジャスワンはここにいないのだわ)
直前でここにいた儀式長は、人間とは違う魔術領域を持つ妖精なので、魔術の道を辿ったり、転移の魔術を使って、この離宮から素早く移動したのだろう。
ジャスワンには、それを可能とする魔術が扱えるという事も、覚えておいた方が良さそうだ。
リアンがそんな事を考えていると、嫣然と微笑んだシャンティアがこちらに視線を戻した。
ふわりと漂うのは、芳しい百合の香りだ。
「リドリア様、折角、もてなしの準備をしておいてくれたのに、ゆっくりしていけなくて御免なさい。実は、これから黎明の離宮でお茶の約束をしてしまっているの。こちらの女官達の処遇は、儀式長を交えて話をしておくわ。………ただ、問題のある者達をここに残してゆく訳にはいかないから、暫くの間は、最低限の人数でこの離宮を管理させる事になるでしょう。不自由をさせてしまうけれど、どうか許して頂戴」
「勿論でございます。シャンティア様にそのようなお気遣いをいただくに至ったのは、私の管理不足でもありました」
「いえ、これは王宮の問題よ。お披露目を終えていないあなたは、まだ、客人でしかないのですから」
微笑んで首を傾げてみせたシャンティアの様子から、話はここ迄ということなのだなと感じたリアンは、慌てて頭を下げた。
王太子妃の気分を察せるかどうかも、側妃としての手腕が問われる場面でもある。
再び深々とお辞儀をしながら、リアンは、今回の訪問について素早く思考を巡らせた。
(まるで、………女官達が、職務よりも私情を優先させるかどうかを確かめる為だけに、この離宮にやって来たようだわ………)
となるとリアンは、女官を篩にかける為に用意された、囮のようなものだったのだろうか。
全てが計画的に整えられているのであれば、ジャスワンの訪れも、このシャンティアの登場の為の下準備なのかもしれない。
そんな事を考えていたリアンは、踵を返したシャンティアが退出し、女官達を連れた護衛騎士達を含む全員が部屋を出てゆくのを確かめてから顔を上げ、ぎくりとした。
そこにはまだ、先程、シャンティアと話をしていた男性が一人、残っているではないか。
七の州の正規騎士団の制服は深みのある緑色に金の装飾なのだが、この男性の騎士服は青色である。
真夜中のような暗い青色の騎士服に、腰までの淡い金髪に水色の瞳がよく似合い、シャンティア妃の護衛騎士に相応しい美しい男性だ。
だが、なぜそんな人物が、この離宮に一人残ったのだろう。
「…………あの、」
「シャンティア王太子妃の筆頭護衛騎士を務めております、トレアと申します」
「……っ、リドリアと申します」
ここで家名を正式に名乗れないのは、リドリアが養子だからだ。
それを承知の上で挨拶を促したのだから、この男性には、貴族達の定型の挨拶から話を広げたいという思惑があるのだろう。
「実は私は、西方域の出身でして。そちらでの戦の際には、モルジワナ伯爵に何度かお世話になっております」
朗らかな微笑みを浮かべそう言われ、リアンは、やはり定型の社交辞令から入ってきたかと、内心にやりとした。
「まぁ、そうでしたのね。西方での戦という事は、タガン山稜公国への侵攻の時でしょうか」
「おや、あの戦いをご存知でしたか。酷い戦いでしたが、我々のような者達にとってはこの上ない餌箱でもあります」
ひたりと落ちるような仄暗い微笑みに、リアンは、気付かれないように息を呑む。
ここで漸く、目の前の痩身の男が、人間ではないと気付いたのだ。
(………妖精?……ううん、この気配は精霊なのかもしれない。私が気付かないくらいの擬態を取れる階位を持つ高位の精霊で、尚且つ、……戦乱や……もしかしたら人間そのものを糧とするような生き物なのだ………)
人間の暮らしに近しい人外者は、主に妖精だとされるが、精霊もまた人間の領域で見かける事が多い人外者である。
だがリアンは、人型をした精霊が人間と共にいるのを見るのは初めてだった。
リルベリアの森に暮らしていた精霊達は、どちらかと言えば信仰の対象に近しい古き良き者達で、森狼の姿をしていたり、見上げる程に大きな羊の姿をしていた。
人間よりも数多く存在する人ならざる者達に種族の順列はないが、誰かから、人型の高位精霊は気性が荒いと聞いたことがある。
それを教えてくれたのがリルベリアの王家に仕えてくれていた魔術師だったことを思い出し、リアンは、ずきりと痛んだ胸を押さえそうになった。
いつも穏やかに微笑んでいて、リアンに薬草茶を淹れてくれた彼女は、リアンにとってもう一人の乳母のような存在だったのだ。
「伯爵家で側妃候補者としての教育を受けた際に、当時の話も教えていただきました。トレア様は、その戦いに出ておられたのですね」
「ええ。ですので、あの土地をよく知る私の方からも、モルジワナ家の果たしておられる役割とその繁栄の重要性については、常々シャンティア様にお話させていただいております。……選定式で、どの側妃を王太子が選ばれるのかはまだ分かりませんが、もし、リドリア様が側妃の役目を担われないのであれば、是非ともご縁をいただきたいものですね」
(………っ、目的が分かった………!!)
にっこりと微笑んでいるのに、なぜか冷え冷えとした気配を感じさせるトレアの言葉で、リアンは、やっと今回の王太子妃の訪問の理由を正確に把握した。
(女官達の中から問題のある者達を剪定し、尚且つ、選定式までに周囲から女官達を削いで弱らせた私を取り込み、この精霊とモルジワナ伯爵家の縁を結ばせようとしているのだわ)
トレアの言う通り、国というものの中での要所となる境界を守る、辺境伯の果たす役割は大きい。
養女でしかないリアンは、王家に取り込む程ではない存在にせよ、側近に与えて、伯爵家との繋ぎを作っておいて損はないだろう。
だからこそシャンティアは、このような形でリアンに恩を売り、尚且つ、必要以上には手を差し伸べずにあっさり立ち去って行ったのだ。
(ここで、暫くの間、離宮での暮らしに不自由を強いられる事が決まった私を慰めるのが、この精霊の役目という訳ね………)
「女官達が随分と減りましたから、ご不便も多いでしょう。もし、私でお力になれる事があれば……」
「おや、トレア。このような場所でどうしました?」
静かな声が割って入ったのは、その時の事だった。
はっとしたのは、リアンだけではなかったのだろう。
どこか忌々しげに瞳を細め、振り返ったトレアに対し、離宮の扉を警備の騎士達に開かせたジャスワンは、穏やかに微笑んでいる。
「シャンティア様のご意向を伝えていただけだ。お前の離宮管理には、いささか不手際があったようだな」
「こちらでも懸念がありましたので、カリアム殿下には、都度ご報告しておりましたよ。その結果、シャンティア様が動かれたという事でしょう」
「………これはこれは、哀れなリルベリアの王女の次は、モルジワナ家という訳か。隷属上がりの妖精らしい下衆な役割だな」
「あなたが、私の言動をどのように捉えるのだとしても、そちらはどうぞお好きになされるといい。ですが、私の職務を妨げる事は、カリアム殿下のご意向に背かれるということはご理解いただきたいですね。………トレア殿は、あの女官達と同じ轍を踏まぬよう」
「…………ふん。羽を引き抜かれ、奴隷として捕らえられておきながら、相変わらず不愉快な妖精だ。………リドリア様、このような男の甘言には惑わされぬよう。………またあらためて」
こつこつと石床を踏んで、リアン的にはまたあらためなくてもいいトレアが立ち去ると、ジャスワンは、騎士達に視線で命じ、扉を閉めさせた。
ばたんと大きな扉が閉まれば、離宮の広い外客部屋の中には、リアンとジャスワンだけになる。
「………成る程、あの方らしい筋書きだ」
「シャンティア様のことを仰られているのであれば、女官達が私を蔑ろにし、役目を解かれるように仕向けたのは、ジャスワン様なのではありませんか?」
そう問いかけると、ジャスワンの赤い瞳がすっと細められたので、ご機嫌は宜しくないようだ。
「トレアから、何か吹き込まれたようですね」
「あの方は、関係ありません。この離宮で女官として王宮に勤める者達の中には、貴族のご令嬢が多いですよね。そのような者達の中から、正しく己の立場を理解出来ない者達を弾き出す為の囮として、ジャスワン様は私を使われたのではないかと考えたのは、私自身です」
「確かに、ある程度は私の目論見でもありますよ。あの者達に、これからもリドリア様を任せておく訳にはいきませんからね」
「………今後は、窓まで見張るような女官を、揃えられるおつもりですか?」
「かもしれませんね。………トレアは、他に何か気になる反応を示しましたか?」
ふうっと息を吐き、近くにあった長椅子に腰を下ろしたジャスワンに、リアンは瞳を瞠った。
とても寛がれているが、さも仲間の元に戻った感を出さないで欲しい。
リアンからしてみれば、たった今、かなり複雑な思いを抱く相手と対面したばかりなのだ。
是非に一人にして欲しいし、三年前に自分をシャンティアに引き渡した相手がここにいるというのは、なかなかに複雑である。
「気になると言えば、高位の精霊の方に遭遇するのは初めてなので、そのような意味ではひやりとしました。ジャスワン様が持たせて下さった術符は、あの方がシャンティア様と共にこちらを訪れる事を見越しての物でしょうか」
「トレアは、かつては西方域に於いて、信仰の対象でもあった階位の高い精霊です。あなたが持つ魔術の気配から、リルベリアの民だと見抜くのは容易いでしょう」
事もな気に言われた内容に、リアンは密かに慄いた。
先程は焦っていたので受け入れるしかなかったが、リルベリアの人間である事が、この儀式長に発覚したばかりなのだ。
(………人間の目を欺く事が上手くいっていたから、人外者だけが気付いてしまうものがあるだなんて、知らなかった………。ここに来る迄に他の誰かに気付かれなかったのは、不幸中の幸いだったのだわ……)
そう考えてぞっとしていると、眉を顰めたジャスワンがこちらを見る。
「トレアとは、どのような話を?」
「西方域の戦いに参加されたという事を、少しだけ。あの方に嫁ぐのは御免なので、出来る限りご縁を深めたいとは思いません」
「ええ。私としても、あなたをトレアに嫁がせるつもりはありませんよ」
「………なぜ、突然、父親感を出してこられたのですか?」
「父親…………?」
呆然としたようにこちらを見た妖精に、リアンは腰に手を当てて眉を寄せた。
「そもそも、あなたは、私を使って何をなされたいのですか?」
そう尋ねても、リアンはまだ、ジャスワンの返答を信じるつもりはなかった。
でも、ジャスワンを敵だと認識しなくなったリドリアならそう問いかけるだろう。
だからこそ、無駄だと分かっていても、ジャスワンにそう思わせる為に問いかけねばならなかったのだ。
ふうっとわざとらしく溜息を吐き、どこか疲れたように息を吐きこちらを見たジャスワンは、なぜだかとても不機嫌な気がしたのだが、この際、そんな事はどうでもいい。
ジャスワンに、この人間は自分を頼るしかなくなったと思わせる事が出来ればいいのだ。
「…………少なくとも、この国への愛着はさして深くはありません。トレアの言うように、私は元々は奴隷ですからね」
「最近、その主張は怪しいのではないかと思い始めましたが、………だからと言って、私の履歴や行動を見逃す程に退屈しておられるとでも?」
「暇潰しではありませんよ。例え、最初がそこから始まったものだとしても、………以前にも話しましたが、妖精は、人間のように誓約を軽視しません」
「……………暇潰しで隷属し、暇潰しで済まなくなったので、多少の騒ぎは歓迎するという感じなのですね」
リアンがそう言えば、なぜかジャスワンは酷く暗い目をした。
伸ばされた指先にぎくりとしたリアンは、ぎゅむっと鼻を摘まれてしまい、怒り狂う。
「………っ、女性に対して、なんという仕打ちをするのですか?!」
「失礼。あまりにも飲み込みが悪いので、生徒を叱るような気持ちになったのかもしれません」
「ふむ。あまりにも率直に指摘したので、八つ当たりをしたのですね?」
「…………今の会話で一つ学んだ事があるとすれば、あなたは、情緒の所持が皆無にもかかわらず、そのような情感を持っているように見えるという事でしょう」
「と、とても馬鹿にされています!!」
またしてもの暴言に眉を吊り上げたリアンに、ジャスワンは額に手を当てて首を横に振っている。
さも呆れ果てているような仕草にむしゃくしゃしたが、リアンの振る舞いを見逃す理由について掘り下げられるのを上手に躱したのだと気付き、リアンもその流れを利用させて貰うことにした。
(リルベリアの民だと気付かれたのは、大失態だった。でも、私が死んだ筈の王女だとさえ気付かれなければ、まだ……………気付かれていないわよね?)
一瞬、もしやと考えてぞっとしてしまったが、流石にそれはない筈だ。
ジャスワンがここにいるのがリアンだと気付けば、自分がリアンを裏切り、シャンティアに引き渡した事をリアンが許す筈もないと考えるだろう。
こんな風に過ごせる筈もない。
そして、こんな質問が出来る筈もない。
「死者の日に、祖国に戻られた事はありますか?」
その不躾な問いかけに、リアンは目の前の美しい妖精の髪の毛を引き抜いてやりたくなった。
だが、誘導やもしれぬと考え、ぐっと堪える。
「…………いいえ。あの土地はもう、焼き払われて林檎の木の一本も残っていませんから」
この大陸の周辺諸国では、年に数回ある死者の日になると、死者達が死者の国から地上に戻ってくる。
だがそれは、戻る家のある死者達の為の日で、帰る家どころか国さえ失ったリルベリアの民にとって、もはや地上は安らかな場所ではなくなった。
死を司る者達との約定で、死者が生者を損なう事は出来ない。
それを知っているからこそ、リルベリアの民を殲滅したカルフェイドも、リルベリアの死者達については放ってあるのだろうし、そもそも、死者は、死者の王や終焉の系譜の人ならざる者達の管轄下にあるので、人間は容易に手出しが出来なくなる。
死者が地上に戻れるのは死者の日の、それも太陽の出ていない時間だけだ。
本来は、人間の魂が次の生に向かう健やかさを取り戻すまでの待機期間として死者達が留め置かれている死者の国に、亡くした者に会いたがって生者達が侵入しないよう、特別に与えられた恩赦のようなものなのだ。
だからこそ、地上に出た死者達に許されている事は、とても少ない。
自分の亡骸を葬られた墓土を踏んだり、南瓜を投げつけられると死者の国に送り返されてしまうし、生前と同じような料理ですら、味付けが濃くて食べられなくなる。
(だからこそ、死者の日に家族を迎える家庭では、死者のもてなし料理を作り、短い時間だけ自分達の元に帰ってきてくれた家族との語らいを楽しむのだ………)
国を焼かれたリルベリアの民は、そんな事すら許されなくなってしまったが、それでも、かつての国の跡地をこっそり残された森から見に行く者達もいるらしい。
そんな者達の無念と悲しみを思う度、リアンは胸が潰れそうになる。
「誤解をしているようですが、私は、あなたが死者達と密会し、カルフェイドを脅かす策を練っているだろうと勘繰っている訳ではありませんよ」
「………まぁ。違うのですか?であれば、どのような意図のご質問なのか、さっぱり分かりませんが」
大切な祖国や家族の無念に触れる問いかけに腹を立てたリアンは、どうしても刺々しい声になってしまう。
復讐を成功させる為にはもっと淡々と立ち回るべきなのに、どうしてもジャスワンと話していると、気付かずに感情的になっている。
そんな自分が惨めで、悔しかったからかもしれない。
(……………ジャスワン?)
けれども、リアンの返答を聞いたジャスワンは、なぜか途方に暮れたような目をした。
それはほんの一瞬の事だったけれど、そこには無防備な程に寄る辺ない美しい妖精がいて、リアンは思わず手を伸ばしてぎゅっと抱き締めてあげたくなった。
ほんの一瞬だけ。
「死者達を管理する終焉の領域は、幾つもの厳格な規律が課されていますが、だからこそ、その境界さえ侵さなければ、死者達の生活は保証されています。………そちら側にいる者達への執着から、終焉の領分を侵す事だけはしないようにして下さい。死者の王は、自分の領地から、管理する民が逃げ出す事を喜びません」
「…………私が、そのような事をしようとしているとでも?」
「あくまでも、忠告としてですが。………その領域を侵すことを可能とする叡智は、二百年程前に地上から失われました。………ですが、魔術師というものは、何かと禁忌に惹かれやすい傾向がありますからね」
「…………さては、そのような問題を起こして、王宮から去った魔術師がいたのですね」
「いえまさか。そのような問題を起こした者が、立ち去るだけで済むとでも?」
しれっと恐ろしい事を言ったジャスワンを半眼で見やり、リアンは、夜の砂漠で見上げた星空を思い出していた。
災いの書と、死者復活の魔術薬。
林檎の木の下で出会った人ならざる者が語ったこの世の禁忌の両方に触れようとするのだから、確かに魔術師は罪深い生き物なのだろう。




