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林檎の離宮の魔術師




「まぁ。ではこの国には、そんな林檎の木の災いが隠されているのですね」

「カルフェイドは、大陸一の大国ですよ!まさか、そのような恐ろしい事を、他所でも口にされておりませんでしょうね?!」

「………え?」



咎めるような眼差しに、リアンは、呆然として立ち尽くした。


林檎の木の災いについての話を聞かせて貰ったので、ではと思い問いかけたら、なぜかこうなってしまったのだ。



(この王宮のどこかに、そんな災いを収めた不思議な本があると教えてくれたから、とても感じ良く社交的な返事をしただけなのに、なぜ私は叱られているのだろう………?)



奥で、唯一リアンに好意的な淡い金糸の髪の女官がはらはらした目でこちらを見ているが、彼女は、明日には女官を辞めて嫁ぎ先に向かうと聞いている。

そんな大事な時におかしな騒ぎに巻き込みたくはないので、リアンはそっと首を振り、この会話には入らなくていいと伝えておいた。



遺憾ながら、リアンがこのような目に遭うのは初めてではなく、このような場合は、心を無にして大人しくするしかない事はよく知っている。

リアンは努めて穏やかに微笑んでおき、さもお説教を聞いているというふりをしながら、心の隅っこではおのれと思いながら窓の外に視線を向けた。



モルジワナ伯爵家の養女というのが、孤児院からその伯爵家に引き取られたリアンの肩書だ。



このカルフェイド国の七の州、その州の王都に於いて、この家格は決して低くはない。

だが、元はと言えば身寄りのないところを引き取られただけの養女である。


そうなると、血筋というものを重んじるこの国では、側妃候補であるリアンより、女官達の方が立場が上なくらいなので、こうして彼女達にも敬語を使わねばならなかった。




(…………でもそれが、カルフェイドなのだ)




リアンは世界の殆どを知らないが、幸いにしてこの国には沢山の書物があった。

カルフェイドは、この大陸随一と言われる、近隣諸国を圧倒する程の大国である。


王都の近くにあるのが砂漠なので、砂漠の国という印象が強いものの、森と山々と海の全てを元より有する国土は広く、そして、年々広がっていた。


(国土を広げてゆけるのは、その為に作られた国の仕組みが上手く機能しているからなのだろう)


この国は七つの州と、その州を治める州の王から成り、その上に、全ての州を治めるカルフェイド国の国王がいるという構図だ。

そして、そんな構図こそがこの国を育てていた。


広大過ぎる国土を上手く分割し、州ごとに治めさせることで土地に見合った統治が叶うし、より力のある者を次期国王にするというあまりにも簡単な国王選出の条件は、どの州からも国王を輩出する可能性がある為に州同士の競争を促す。


更には、次期国王候補の資格は現在の州王達の嫡子のみに与えられるという決まりは、それを満たさない者を排除する権利を全ての王族と貴族に与えた事で、州王達の反乱までを程よく防ぐ仕組みだ。



継承権は男子のみに与えられるのだが、競争を勝ち抜く可能性を上げるべく、州王達は必然的に子沢山となった。


王子達はまず自身の州で階位を上げ、最後に各州の王子達とも国王の座を争う。

国王の椅子を餌に常に競争を強いられる王族達は、放っておいても才を高めると言う訳だ。



(おまけに、この国は強い者の言い分が全て。弱き者は何をされても己の弱さを呪うしかない。………だからこそ、誰もが己の人生や命を踏みつけにされないように必死に足掻くのだわ)



そして、この第七州の州王都にやって来たリアンは、そんな七の州の第一王子の側妃候補の一人であった。

いや、第一王子だったと言うべきか。

何しろその第一王子は、亡くなった父王の跡を継ぐことを決めたらしく、今はもう次期州王の座が確定している。



あれだけ固執していた国王争いからは手を引き、この七の州の王様になるのだそうだ。




「………はぁ。この、林檎の王女の離宮付きというだけでも気が重いのに、迎え入れたのが、あんな孤児院上がりの側妃候補だなんて」

「でも、今は伯爵家の養女なのでしょう?孤児院から召し上げて、モルジワナ伯爵が側妃候補として出してくるくらいなら、殿下の目に敵うくらいの方なのではなくて?見たところ、水色がかった銀髪に紫の瞳の、たいそう美しい方だったじゃない」

「やめてちょうだい。元は孤児なのよ?伯爵だって、適当に見た目がいい子供を引き取ったのでしょうよ。伯爵家にはこの世代の子供がいないから、ただの数合わせで用意しただけだと思うわ。そもそも、教養がないというか……」

「そう言えば、以前にここにいた林檎の国の王女も、たいそう不出来な王女だったらしいわね。もしかすると、この林檎の王女の離宮だからこそ、一番不出来な候補者を入れたのかも」



(あらあら………)



部屋に通された直後に挨拶はあったが、あっという間に部屋から姿を消してしまった女官達を追いかけて部屋から出ると、壮麗な回廊の隅からそんなお喋りが聞こえてきた。

成る程、自分はあまり人気はないようだぞと目を瞬き、リアンは、彼女達に気付かれないようにそっと部屋に戻る。



恐らく、うんざりとした様子だったのは、この離宮の女官長だろう。


その役職を得られるのは貴族の娘なので、どの離宮でどんな主人を得るのかは、彼女達にとっては死活問題だ。

自身の今後の出世や伴侶探しに関わる以上、出来の悪い主人へ不満を募らせるのは致し方ないのかもしれない。


だが、これはもうまともに働いてくれないだろうなと考え、リアンは、既にぐったりとした気分で肩を落とした。


離宮に滞在する予定がほんの数日間とは言え、迎え入れられた直後からこの様子では気が重かった。




「リドリア様、こちらへ。お召し替えをいたしましょう」

「まぁ、お部屋に残ってくれたのですか?…………あとで、他の女官の方達と上手くいかなくなったりはしません?」


だが、廊下への偵察を終えてリアンが戻ると、先程、部屋の奥で困った顔をしていた、シーラという名前の女官が一人で待っていてくれた。


ほっとする反面、あと一日の奉公であるのに、こんな孤児院上がりの娘の世話をしてくれる親切な人が、何か困った事になりやしないかと心配になってしまう。

けれども、リアンにそう尋ねられたシーラは、目を瞠ってからふわりと微笑んだ。



「どうかお気になさらないで下さいませ。私は、明日の朝には王都を出て、午後にはもう、ここから最も遠い十一州都に嫁いでおりますから。褒められた言い分ではありませんが、リドリア様のお世話を出来るのが今日だけだからこそ、こうして心置きなくお部屋に残れるのです」

「では、お願いしてしまいますね。………私にはまだ、ここでは勝手が分からない事が多くて………」

「ええ。そうでしょうとも。離宮での暮らしは儀式的な要素も多く、独特な作法や文化が多いのです。私がいる内に、お教え出来る限りのことをお話しておきましょうね」



着替えを手伝って貰えば、さらさらと上質なドレスを脱がされる衣擦れの音が響く。


北の国程にしっかりとした織物を使いはしないものの、王都の貴婦人達の装いは、近隣諸国と同じような形のドレスが多い。

南方の港を有する州都では、もっと薄物に近い見慣れない服装が主となるらしいが、王都にいる限りは、服飾文化の違いで困惑せずに済むのが幸いだった。



きらきらと光るシャンデリアには、まだ魔術の火は灯されていない。

精緻な織柄の絨毯に、銀水晶の鉢に入った瑞々しい果物。



(ここにあるのは、豊かで美しい物ばかり………)



リアンに与えられた離宮は、数ある離宮の中でも最も広大な、砂漠に面した夜明けの空の離宮と呼ばれる区画だ。


僅かに青みがかった灰色の石材はうっとりする程に滑らかで美しく、精緻な彫刻と見上げる程に高い天井は、この王都の豊かさを充分に示している。


大きな窓にはめ込まれているのは、泉水晶だろうか。

限りなく透明でよく光を通し、窓の向こうの王宮の景色を惜しみなく見せてくれる。


今は亡き王妃の薔薇園で有名な庭園に、窓を開けると水音を楽しませてくれる夜結晶の見事な噴水まで。

どこまでも続く壮麗な建物群を目で辿るだけでも、王宮の敷地がどれだけ広いのかを教えてくれた。



(どの建物も、きらきらと光っていて宝石箱のよう………)



リアンの離宮は淡い夜明けの色彩を基調としているが、奥には黎明の色彩を基調とした美しい薔薇色の離宮も見える。

二つの離宮の間には目隠しの為のオリーブが植えられ、レースのような木漏れ日の影を石畳の広場に落としている。

やっと自由になったリアンは、あの美しい広場を気侭に歩いてみたかったが、そろそろ夕暮れが近付いてくる頃だろう。



(……………どうせ、捜索に出るときにあの辺りも歩くのだもの。その時にしよう)



周囲を砂漠に囲まれたこの王都は、夜になると煌々と明かりを灯す。


森林も豊かな七の州が、わざわざ砂漠の真ん中に王都を構えたのは、この七の州がカルフェイドの国境州となる土地だからこその、国防上の理由があるらしい。

国境を越えて敵国からの侵略があった場合、砂漠に囲まれた州王都はとても攻め難いのだ。



「今年は、リドリア様が、最も遅く離宮に入られた側妃候補となります。この側妃選定の儀は毎年行われ、今回は、第一王子から王太子になられたばかりのカリアム殿下の側妃選びとなりますから、昨年の第四王子の選定式より、儀式の日は華やかになるでしょうね」

「まだ、カリアム殿下という呼称のままなのですね…………」

「ええ。年明けに州王様の喪が明けるまでは、そのままなのですよ。州によって作法が違いますが、七州はそのように。現在、カリアム殿下に他の側妃様がおりませんのは、ずっと王太子妃様だけをご寵愛され、側妃を取られる事を望まれなかったからなのです」

「州王となられる事が決まり、側妃を持たねばならなくなった事で、今回の選定となられたのですよね。………他の側妃候補の方々とお会いするような機会はあるのでしょうか?」

「王宮内での正式な晩餐会や、舞踏会などがあれば良かったのですけれど、喪が明けるまではそのような催しはないでしょうね。加えてリドリア様は、………その、貴族社会でのお披露目がまだですから、そちらの儀式を終えてから公式行事への招待状が届くようになります。……………ですが、お披露目は冬の祝祭の後ですから…………」



つまり、当分の間は正式な立場として受け入れられず、リアンは他の側妃への挨拶どころか、公の式典への出入りすら出来ないらしい。

少し言い難そうに告げられ、リアンは微笑んで首を振った。



元より、こんな時期に迎え入れられたのだ。

願い事を司る、冬の聖なる夜を祝う祝祭の晩餐会に出席出来ないことは、承知の上である。


現在は州王の喪に服している七の州でも、民衆の生活にも根付いた冬の祝祭は盛大に行われる事になっていて、王都は既に、どこを見てもその祝祭の装飾で飾られているような状態だ。

貴賤や年齢を問わず誰もが楽しみにしている一年で最も国が華やぐ祝祭の一つが、この冬の祝祭なので、シーラは、孤児上がりのリアンが不憫なのだろう。



(…………カリアム殿下は、国王を目指す事はなされなかったのだわ)



細かな王宮の作法の説明を聞きながら、リアンは、ふむふむと頷く。


この第一王子が、かつては誰よりも熱心に国王の座を目指していた事は、三年前に行われたリルベリアへの出兵からも明らかだ。

だが今は、当時はまだ壮健だった父州王の跡を継ぎ、州王となる事が決まっているのだから、運命とは分からないものだと思う。


王子の立場からであれば国王を目指せるが、州王の座を継げば、その願いは潰える。

とは言え、現在のカルフェイドの国王は、カリアム王太子よりは年上ではあるもののまだ退位するには随分と早い年齢だ。

より確実な州王の座を得て、そちらは縁がなかったと諦めたのだろう。


自州の王と、国王としての椅子、そのどちらを望むのが最良なのかを判断するのも、王子達の運命の分岐となる。



「この離宮を含む十二の離宮を有する区画は、選定の儀式を行う、儀式長様がお治めになられております」

「ええ。今年の儀式長様は、どなたになるのでしょう?賄賂などを防ぐ為にと、離宮区画の外では伏せられている事なので、まだ存じ上げていないのです」

「今年は、ジャスワン様ですわ。元はカリアム殿下の第一従者だった方ですから、殿下のご即位を控え、階位を上げる為の大役という事なのでしょう」

「……………ジャスワン様」




ひゅっと喉が鳴った。

思わず手に持っていたリボンを取り落としそうになり、リアンは、床に落とす前にこっそり魔術で拾い上げたが、幸いシーラは気付いていない。



「ええ。それはもう、美しい方ですよ。王家に隷属されるにあたって羽は落とされておりますが、元は六枚羽の妖精の王族だった方なのだそうです。ただ、優しい微笑みから誤解される方が多いのですが、とても厳しい方でもありますので、あの方の前での振舞いにはどうかご注意下さいね」

「殿下の従者だった、……………妖精の方なのですね」




この国では、王族や高位貴族が、従者に妖精を使うことも珍しくはない。



何しろ、妖精は最も人間に近しい人ならざるものであるし、古くから人間達と共存してきた存在だ。

だが、どれだけ人間によく似た姿をしていても、本来は別の種族である。


こんな壮麗な王都ではどうだか分からないが、リアンが暮らしていた土地では、恐ろしい隣人でもあった。

夏至祭の日に一度でも守護や守りの花輪の外側に出てみれば分かるだろう。

妖精は美しく儚げな容貌をしながらも、容易く人間を攫って食べてしまうような恐ろしい生き物でもある。



(そのような強く美しい生き物を傅かせ、羽を落として仕えさせるだけの力がこの王家にはある………)



その為に、人間は様々な罠を仕掛けて妖精を捕らえるのだ。


より高位の妖精を使役しているというのは、王族たちにとっては権力の誇示にも等しく、リアンは、王都に到着してから、何度も美しい妖精たちの姿を見た。


羽を落として普通の人間のように見えていても、彼らの瞳の色や髪色はやはり人間とは違う。

その、宝石を紡いだような光を孕む美しい色合いは、どれだけ富と権力を得ても人間には手に入れられないもので、その美貌への憧れもまた、王族達が競って美しい妖精を求める理由なのかもしれない。



それはまるで、林檎の木の災いの言い伝えのように。




「………ところで、………この離宮は、林檎の王女の離宮と呼ばれているのですか?」

「…………まぁ。誰かがそう話しておりましたか?」



シーラは、リアンよりも少し年上の女性だ。


おっとりとした口調と、柔らかな微笑み。

けれども、こうして自分の意思で残って世話をしてくれる強さもある彼女がすっかり好きになってしまったリアンは、甘えるように色々な事を聞いてしまう。


だが、先程漏れ聞こえた名称について尋ねたところ、望ましくない表現が使われていたのか、眉を顰めてふうっと深く息を吐くではないか。



「あまり良くない理由があるのは察せられるのです。ですが、自分が暮らす離宮のこと。その理由を知っておきたいのです。こっそり、教えてくれませんか?」

「……………三年前、この離宮には、カリアム殿下の婚約者の方がお住まいでした。………今は亡き、リルベリアの王女殿下です」

「………その方が使っていたので、ここは、林檎の王女の離宮と呼ばれているのね」



リルベリアは、三年前にカルフェイドに吸収された小国だ。


深い森の中にある、豊かな林檎畑と上等な林檎のお酒の有名な美しい国であったが、カリアム王太子の不興を買い、王族は勿論のこと、数少ない国民達の一人残らずまでが粛清されている。


この七州の王都でも、カリアム王子の婚約者であった姉と共にカルフェイドに滞在していた、まだ十一歳のリルベリアの末王子の処刑が行われたのは有名な話であるし、王子の処刑を王都の人々が観劇のように楽しんだのは、他国の侵略を重ねて国土を広げてきたこの国らしい娯楽だからだろう。



戦争に勝つことは誉とされ、異国の民を滅ぼして国土を広げた者は英雄視される。

だからこそ、リルベリアの民は誰一人として赦されなかった。



「ええ。かねてより想い合われていた殿下と王太子妃様にとっては、あまり望ましい婚約ではない、政治的なものだったそうです。………ですが、リルベリアによる、カルフェイドへの侵略の企てが露見したことでその婚約は破棄され、この離宮におられた王女殿下は、処刑を恐れて離宮からお一人で砂漠に逃れられ、………そこで命を落とされたのだとか」



カルフェイドは、力こそに重きを置く国だ。

より多くの国を侵略し国土を広げた者こそを国王に据えると決めたカルフェイドにとって、敗戦国であるリルベリアの王女は罪人と変わりない。


とは言え、血統よりも実利をという現実的な側面もあり、リアンのように孤児院からの養子ですら離宮に上がれるのだから、カリアム王子の寵愛があればその王女の立場くらいは守られたかもしれない。

だが、既に婚約が破棄されていたのなら、処刑を待つばかりだったというのも本当の事なのだろう。


つまり、彼女は罪人であったのだ。



(でも、シーラは、その王女を憐れむように、悲しそうに教えてくれるのだ)



だからリアンは、ますますこの優しい女官が好きになってしまった。

なぜ、今日しかいてくれないのだろうと思えば恨めしくもなるが、幸せを得て旅立つのだから、幸せを祈ろう。



(………それに、シーラが、私のお披露目の日にこの王都にいなくて良かったわ。こんな素敵な人を、私の計画に巻き込んでしまうところだった………)



念の為にこちらに家族がいるのかをさり気なく訪ねてみたが、シーラは、元々十一の州の生まれなのだそうだ。

家族もそちらにおり、なかなか空きの出ない王宮女官の仕事を求めて七の州にやって来たのだとか。


高位貴族との縁談に際して、王宮での女官の肩書は相応しい箔付けになる。

シーラは、想い合っていた恋人との爵位の差を埋める為に、遠縁の貴族の紹介でやっと手に入れた七の州での仕事がどうしても必要だったのだそうで、無事に婚姻が決まり、やっと故郷に戻れるようになったのだ。



「………亡くなられた王女様については今も様々な噂が残ってはおりますが、これからはカリアム殿下の御代となります。いずれ、そのような噂も消えてゆくでしょう」

「なぜ私が、十二の離宮の中でも一番に立派な離宮に入れたのかが不思議だったのです。処刑される筈だった王女の暮らしていた離宮だなんて、不吉過ぎて、立派な御血統の側妃候補様は入れられなかったのかもしれませんね………」

「どうでしょう?ただ、側妃様方を迎える準備が追い付かなかっただけなのかもしれませんよ。こちらは大きな離宮ですから、準備にも時間がかかりますし。………そう言えばこの離宮は、かつて、ジャスワン様が任されていた場所でもあるのですよ」

「………そうなのですか?」

「ええ。カリアム殿下は、亡くなられたリルベリアの王女殿下の護衛に、腹心の部下であるジャスワン様をお付けになられていたのだとか。そのような話が残っているのですから、殿下は、望まざるともそれなりに王女様を大事に思われていたのではないでしょうか。……………ですので、この離宮を割り当てられた事は、決して不利益ばかりではないと思います」

「有難う、シーラ。私を励ましてくれたのね」



そう言えば、シーラは困ったように微笑んでくれた。

亡くなった姉を思い起こさせる微笑みに、リアンは少しだけ胸が痛くなる。



リアンの家族は、もう誰も残っていない。



伯爵家との養子縁組は、リアンが側妃になってから正式に契約が結ばれる約定なので、今は仮のものでしかなかった。


沢山の王子の誕生が望まれるこの国では、貴族達は、常に側妃として献上出来るような見目麗しい娘を欲している。

血統を重んじるカルフェイドで矛盾しているようだが、高位貴族の娘の数にも限りがある為、条件に見合う娘を持たない貴族達が、親を亡くしたある程度の階級出身の子供を養子に迎える事は今や珍しくない。


その結果として普及したのが、迎え入れた娘が条件を果たさなければ養子契約を解除出来るという貴族側に有利な契約で、即ちリアンにとって、伯爵家はまだ正式な家族でも何でもないのだ。



(でも、それで良かった。時間がなくて、このやり方でしか離宮に入り込む事が出来なかったのだけれど、………他の家族なんていらないもの)



リアンの家族は一つだけ。

もうどこにもいない、あの、本当の家族だけで充分だ。




「ところで、リドリア様は、どのような才を以て側妃候補に上がられたのですか?」


不意に、シーラがそんな事を尋ねた。

物思いに沈みかけていたリアンは、密かにはっとして表情を整えると、にんまり微笑んだ。



「こちらには、私が殿下に献上する才は、まだ伝わっていないのですね」

「ええ。侯爵位以下の側妃候補の方は、王家の益となる類稀なる才能を持つことが条件と伺っております。ですが、お披露目の日にその才を披露する決まりですので、こちらにはまだ何も……」

「私はね、魔術師なのです!」

「………魔術師?」



リアンが微笑んでそう言えば、シーラは、どこか困ったような表情をする。

ちょっぴり自慢げに告白してしまったリアンは、思っていたよりも反応が薄く、少しだけがっかりした。

王宮魔術師達の審査の時には、もう少し良い反応が貰えたのだが。



「ええ。私は、魔術の才を買われて伯爵家に拾われたのです。お披露目の日には、自慢の魔術を披露し、この国の為に祝福の詠唱を捧げる予定なのですよ!」

「そ、そうなのですね。………魔術師と言いますと、王宮に仕える魔術師たちのように、王族の方々の守護を整えたり、薬を作ったりするのですか?」

「私の専門は、新しい魔術式の構築と解析なので、どちらかと言えば、魔術書の解読などが専門でしょうか。魔術書には、人間の理を外れた人ならざるものの書も沢山ありますから。そのような書物の神秘を紐解いてゆく事になるでしょう」

「まぁ。それで、先程の林檎の木の災いにも興味を示されていたのですか?」

「ええ。………昔、誰かから聞いた事があるのです。災厄は、本の中に隠れていると」



皆が面白おかしく口にする伝承であっても、本来ならそれは、禁忌の一つだ。


特に女性となると、リアンのように目を輝かせてそんな事を話す者はいなかったのだろう。

変わり者の主人に、シーラは返事に窮したようだ。

だが、リアンの背後を見るとはっとしたように瞳を揺らし、なぜかぴしりと背筋を伸ばす。




(おや…………?)



さては、カリアム殿下のお渡りだろうかと渋々振り返ったリアンは、僅かに菫色の色味のある白銀の髪に、紫色がかった赤い瞳の美しい男性の姿を認めて、短く息を呑んだ。



ぞっとするような美しさというものがあるが、この人物の美貌はまさにそれだろう。

だがその美貌は、冷ややかな眼差しが却って酷薄さを抑え、どこか不可思議な程に静謐に感じられるのだ。


ふわりとした漆黒の聖衣に似た装いですらりと背が高く、眼差しの温度が冷たいので、どこか排他的な印象を受ける。

そしてその男性は、こちらを見て呆れたように溜め息を吐いた。



「ジャスワン様…………」

「シーラ、離宮付きの女官であるあなたには、いささか不相応な話題ですね」

「っ、申し訳ありません」

「私がお願いしたのです!魔術を修めた者として、王都にある有名な伝承がつい気になってしまい………」

「かつてこの国を訪れたとされる巡礼者が、七の州の王の求めに応じ、国に忍び寄る災厄を、妖精のインクと銀水晶のペンで書き出し、一冊の魔術書にしてどこかに封じたという話は確かにあります。…………ですが、それは国を滅ぼす災厄を封じたものですよ。あなたが魔術を修めた者であっても、くれぐれも、興味本位で探し出そうなどとは思わないように」



その有名な伝承の一説を誦じてみせたのは、冬の夜のような美しい声だ。

リアンは何も言えずその言葉に聞き入ってしまい、はっとしてから慌てて頷いた。


こんなに美しい人が離宮を治めていたら、側妃達は随分としょんぼりしてしまうだろうと意地悪な事を思わないでもないが、どれだけ冴え冴えとした美貌であっても、この男性には女性的な脆弱さはなかった。


肩口迄の髪を黒い天鵞絨のリボンのようなもので一本に縛り、こちらを見る眼差しの酷薄さは、既にリアンの評価がかなりまずいことになったと雄弁に物語っている。


そんな瞳を見てしまったリアンは、暫し途方に暮れてからにっこり微笑み、勿論、災いの魔術書などにはさして興味がありませんという風に見えるよう頑張ってみた。


離宮区画の最高位である儀式長の訪問なので、シーラは女官らしく一礼して退出し、リアンは、もう少しお喋りをしていたかったシーラとの最初で最後の時間が減ってしまった事をひっそり嘆く。


とは言え、リアンが到着したばかりの日の夜を心安らかに過ごせるかどうかは、この後の己の受け答えにかかっているのだから、気落ちしている間も無く気を引き締めてかからねばならない。



「モルジワナ伯爵家のご令嬢ですね」

「リドリアと申します、ジャスワン様」


ドレスの裾を摘まんで優雅に見えるように意識してお辞儀をしたが、残念ながら、そんなことでは儀式長の気配は少しも和らがないようだ。


とは言え、元々厳しい人物だと聞いていたので、普段からこんな感じなのかもしれない。

それなら、特にリアンの印象が最悪ということもないのかもしれないと思い顔を上げると、明らかに冷ややかな眼差しがこちらに向けられていた。



(あ、……………違ったわ。これは、既に私の評価がまずいやつだ…………)



「王家に益があると判断されたからこそ、離宮入りが認められたのだという事を、どうかお忘れになりませんように。災いの書の話をしていたくらいですから、リドリア様は、この離宮の過去もご存知のことでしょう。林檎の王女の王宮から二人目が出たなどと言われぬよう、くれぐれも行動を慎むように」

「……………はい」



あんまりな最初のやり取りに、リアンは悲しくなった。


まだ、王宮に入ってから一刻も経っていない。

早速この儀式長に目を付けられてしまったのだとしたら、この状況で、お披露目までの数日を何とかやり過ごすのにどんな支障が出るのだろう。



(でも、…………二人目が出たと、………そんな風に言うものなのね)



であればやはり、かつては林檎の国の王女の護衛であったこの妖精にとっても、亡国の王女の存在は恥ずべきものなのだろう。

そう考えるとむかむかしたが、ここで心を持ち崩してもいけない。




何しろリアンは、大勢の人達の前での詠唱が許されるお披露目の日までに、何とかして、災いの書を探し出さなければならないのだ。




その為に、身寄りがないふりをして、側妃候補として立てられるような養女を探していた伯爵家の目に付くところに顔を出し、やっとここまで来たのだから。

なお、その際に、伯爵家の人々にちょっと危うい錯乱型の魔術を使ったりもしたが、こちらにも急を要する事情があるのだからお許しいただこう。



何しろリアンには、時間がない。

大きな罪を犯し、いつ追手がかけられるのかが分からない状態なのだ。




(…………そして私は、かけられた追手に捕まる前に、この国を滅ぼさなければならない)




目を閉じれば、美しく豊かな林檎の木々の生茂る、懐かしいリルベリアが見えた。



あの国で伸び伸びと育った不出来な王女が、一人ぼっちで砂漠で死なねばならなかったからこそ、リアンはこの王宮にやって来たのだから。


なぜだとか、どうしてだとかは誰にも問うまい。

残された時間の少ないリアンは、ただこの国を滅ぼすばかりで構わないのだ。










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