妖精の国の林檎畑で
「お父様、お母様!!ローアン!!!」
転がるように丘を走り、リアンは大好きな家族の腕の中に飛び込んだ。
愛する人達を抱き締めて泣きじゃくるリアンは、目を真っ赤にして後ろを振り返る。
「……………ジャスワン、…………これは、」
「地上に出られる部下達に、この国の土地を買い取らせました。これで、死者達が地上に戻る死者の日だけは、この土地で共に過ごせますよ」
「……………ふぇぐ」
その言葉にくしゃくしゃになって泣いてしまったリアンの代わりに、苦笑した兄達がジャスワンに頭を下げてお礼を言ってくれた。
リアンのせいで殺されたのに、まだリアンの面倒を見なければならないのはあんまりだと慌てて代ろうとしたが、リアンをぎゅっと抱き締めてくれている母が、微笑んで首を振る。
「はは、これくらいの交渉の手間と出費くらい、構いませんとも」
そう笑っているのは、ジャスワンの側仕えだという老人だ。
「で、ですが、………私は、どなたか地上に出られる方に、死者の日に家族への伝言をお願いしたいと伝えただけだったのですが………」
「リアン様のお陰で、殿下が国から出られなくなったのですからね。我々は、その一報を聞いた時、祝杯を上げましたとも!………これ迄、どれだけの者達が国に戻らない殿下を探しにゆき、見付けられずに落胆して戻ってきたことか。中には手酷く追い返され、騎士を辞めてしまった者もおります。…………それもこれも、殿下の道楽ごときの為にですよ。そんな殿下を連れ戻して下さったリアン様の為であれば、国の一つや二つくらい買い取りましょうとも!」
どんな過去なのだと思わず振り返ってしまったリアンに、ジャスワンはしれっと目を逸らしている。
(地上での悪さは道楽だと話していたから、………こう、放蕩息子的な………?それとも、若い男性によくあるという、自分探しの旅的な………?)
林檎の木の妖精達は、リアンにとても優しかった。
強引に妖精の国に連れ去られたリアンは、きっとここでも冷遇されるのだろうと思っていたのだが、正反対の対応に最初は落ち着かなかったくらいだ。
何しろリアンは王女としては不出来もいいところなのに、おまけに元は異種族で、ジャスワンはリアンを連れ帰る為に大きな対価を支払っている。
だが、待っていたのは喜びに咽び泣く侍従達と、やっとジャスワンを捕まえる者が現れたと、安堵に微笑む王や王妃であった。
妖精達は、妖精になった者は、同じ妖精として扱うのだそうだ。
誓約の言葉を交わしただけなのだが、既にジャスワンの花嫁となっていたリアンは、彼等と同じ林檎の木の妖精として受け入れられた。
林檎の木の妖精達の国は、リルベリアの王都よりも壮麗で美しく、王都の街角にはペストリーの専門店や、美味しい紅茶の専門店、立派な歌劇場もある。
リアンに叶わないのは、地上に出て人間達と交われない事くらいで、妖精の国の中であれば、他の妖精達の国にだって行けるのだ。
(そして、ジャスワンは、私の祖国の土地を妖精の国の中に買い取ってくれた………)
それがどんな不可思議な取引の上で可能となったのかは分からないし、どれだけの対価が支払われたのかもリアンには分からない。
死者の日に地上に戻ったリルベリアの民達は、国の入り口に迎えにきた美しい林檎の木の妖精に、特別な道を教えられてこちらに来たらしい。
「ああ、林檎の木がこんなに沢山。なんて美しいのでしょう」
そう言って泣いてしまったのは母で、国民達も口々に林檎の木の美しさを褒め称え、あちこちで泣いている。
この林檎の木の森は、ジャスワンが指揮を取って再生させてくれたものだ。
少々妖精の木寄りの林檎の木となってしまったが、それでもこの景色は懐かしいリルベリアの風景と遜色ない。
これ迄の死者の日にも地上には出られたが、カルフェイドの者達に見付からないように、こっそりと近くの森の影から焼け落ちた国の跡地を見ていただけだったのだと、皆が泣き腫らした目で笑っていた。
本来なら、死者達は死者の日に地上に戻ると、生きている家族からもてなし料理を振る舞われ、みんなでその一日を楽しく過ごす。
そんな安堵や喜びを得ることも叶わず、みんなは三年もの間を耐え抜いてくれた。
(死者の日に死者達が地上に戻るのは、長くても八年と聞いている……………)
やがて死者達はその魂の傷を癒し、次の生に向かうのだ。
だから、リアンがまた家族に会えるのは、残された時間の中で得られる死者の日にだけ。
だとしても、こうしてまた家族に会えるとは思っていなかったリアンは、嬉しくて嬉しくて、家族のみんなを抱き締めて回った。
「馬鹿だなぁ。お前がそんな風に泣くことはないんだよ。あの国は、たまたまお前を利用しただけで、きっとお前が捕まらなければ、妹達に同じ事をしただろう。実はな、何度もあの王子から婚約の打診はあったのだ。だからこそあいつは、狡猾にも外遊と称してリルベリアに押しかけてきた訳だからな。………そうしてカルフェイドの王子が訪れてしまった以上、………誰かを嫁がせるか、戦になるのか、………もはやどちらかは避けられない状況だったんだ……」
「ふぇぐ………。お兄様」
「そうだぞ、リアン!死者の国で出会った隣国の王も、同じような手法で六の州の王に滅ぼされたと話していた。だから、お前は何も悪いことはしていない。寧ろ、一人で頑張らせてしまってすまなかったな。………復活薬は、まぁ………もう作れないからいいが、死者の王を怒らせないようにするんだぞ」
「ふぁい………」
そう言ってくれた兄達は、死者の国でのカルフェイドの民達の区画が、死者の王の手配により、行き来する事が出来ないくらいの遠方に置かれていると聞いてほっとしているのだそうだ。
リアンが、死者の国にいた時にもずっと慰めてくれたのだが、復讐を果たしていなかったリアンは、罪悪感から、兄の言葉を受け止められずにいた。
「お姉さま、あのね、あっちに大きな林檎の木があるんだって」
「ローアン、………何を持っているの?」
「これね、ジャスワンがくれたの。リアンの初恋はジャスワンなんだよって、リアンが話してたジャスワンの話を全部教えてあげたら、雲羊のぬいぐるみをくれたんだ」
「ロ、ロ、ローアン?!」
「ははぁ、成る程。やっぱりリアンの初恋は、ジャスワン殿か。あんなに同世代の青年達には興味がないのに、あの王子ではおかしいなと思っていたのだが」
そう笑ったのは父で、隣では兄達も笑っている。
兄の妃達はくすくすと笑い合い、リアンは真っ赤になってしまった。
「死者の国にいた時に教えて貰ったのだけれど、この子はね、そういう事にしておいた方が、皆が心配しないだろうと、何も言わなかったのよ。カルフェイドからの申し出をリルベリアが断れる筈もないからって」
そこを暴露してしまったのは一番上の姉で、途端に深刻そうな表情になった父や兄達に、リアンはかくりと項垂れる。
「…………お前が、望まない婚儀などに応じる必要はなかった。それを知っていたのなら、私達は、戦う事を選んだだろう。……だが、それでもきっとあの国には敵わなかっただろうが…………」
「そうだなぁ。我が国には死者の王の守護があったとは言え、雪除けの祝福だからなぁ」
「雪除けと引き換えに、大きな魔術を封じられていたことに、誰も気付かなかったとはな」
そう笑い、兄達はどこか懐かしむような目をした。
旅の魔物として訪れた死者の王は、リルベリアの人々が約束を守っているのかを確かめに来ていたのだろう。
そして、その度に与えられるもてなしは、死者の王をとても喜ばせていたらしい。
リアンは知らなかったが、百年に一度やってくる旅の魔物の話は騎士団では有名で、リアンの兄達は、そんな魔物が騎士団に在籍している間に仲良くしていたらしい。
(けれども、そんな死者の王にも、出来ない事はあったのだ………)
リアンが死者の王の言葉を皆に告げると、死者の国に迎え入れられる際にとても良くしてくれたのだと、すっかり死者の王贔屓になっているリルベリアの民達は、何度も頷いていた。
「であれば、………そのように心を痛めてくれた方を頼って苦しませるような真似をせず、幸いだったのでしょう」
「だがなぁ。リアンとローアンに惨い思いをさせてしまった。私がもっとしっかりしていれば…」
「お父様、お母様、でも、ジャスワンが、お姉さまの部屋付きの騎士だったんだよ」
すっかり肩を落としてしまった父を慰めたのは、ローアンであった。
あの国では誰よりも怖い思いをした筈の末王子だが、この子はどうしてこんなに優しいのだろうと、リアンは力一杯抱き締めてしまう。
「ごめんね、ローアン。………助けに行けなくて」
「大丈夫だよ、リアン。僕ね、………前はリアンが泣いちゃうかもしれないから話せなかったけど、あの日はずっと眠っていたんだよ。部屋から連れて行かれる時に、女官の人がお可哀想にってこっそり特別な飴をくれたの。それを食べてからずっと眠くて、どこに連れていかれるのかも分からなくて、最後は眠ったまま終わっちゃった」
そんな事を聞けば驚いたが、得心気味に頷いたジャスワンが、そちらの女官にはどこからか一人の精霊が紛れ込んでいたと教えてくれる。
「リルベリアをあの戦から守るには至らずとも、あの国から彼を救い出すには足らずとも、何とかして守ろうとした者もいたのでしょう」
「………その方は、まさかあの国に残ってはいませんよね?」
「ええ。あの日以降、王宮では見ておりませんからね」
「僕、いつかまたあの時の女官に会いたいな!それに、ジャスワンが、誰かに僕が目を覚さないようにって頼んでくれたんだよね。後ね、僕を迎えに来てくれたのは、死者の王様なんだよ!僕を抱っこしてくれて、死者の国に行く前に特別だよって竜も見せてくれたの!」
ここで、思いがけない死者の王の贔屓が発覚し、周囲は騒然とした。
確かにローアンは人たらしだが、兄達は、騎士団では一緒に焼きハムを食べた仲間だったのにずるいと暴れていたし、竜が大好きな宰相は、憤怒の涙でハンカチを握り締めている。
「……………やれやれ、そんなに竜が見たければ、後で適当なものを連れてこさせましょう」
「ジャスワン、有難う。………宰相様は、竜のこととなるとちょっと荒ぶってしまうの……」
「あのね、お姉さま。後で、僕を抱っこして空を飛べる?」
「ふふ、任せて頂戴。最近やっと、高く飛べるようになったのよ!!」
「やったぁ!」
「……………落とさないようにな」
後ろから呆れたように言葉を挟んだのはジャスワンで、リアンは、世界一可愛い可愛い弟を落とすものかとふんすと胸を張る。
だが、結局持ち上げて飛ぶのはなかなか難しく、ジャスワンに助けて貰わなければいけなかった。
妹達も大喜びで集まってきてしまったので、ジャスワンは暫し、ちびこい死者達の乗り物にされてしまった。
(ジャスワンと同じ、林檎の木の妖精の羽)
今のリアンには、美しい妖精の羽が六枚もある。
寝るときにたいそう邪魔になるかと思えば、髪の毛のようなもので思っていたよりもぞんざいに扱えるのが幸いであった。
隣には頼もしい伴侶がいて、そんな伴侶を捕まえてくれたと大事にしてくれる妖精達がいる。
林檎の木の妖精は人間にとっては怖い妖精だが、自身の内側に入れた者達に対しては、驚くほどに情が深く優しい者達ばかりであった。
(勿論、どこかの誰かが、地上で町や村を滅ぼしたという怖い話も聞く事がある………)
だがそれは、私欲の為にカルフェイドの滅びを招いたリアンと、どれだけの違いがある事か。
リアンはとても身勝手な人間なので、こうして家族にまた会えて、幸せに笑っていられるだけで充分だ。
ざざんと、強い風に林檎の木が揺れた。
林檎の木の妖精だから、林檎のお菓子などは食べられなくなるのかもしれないという懸念もあったが、そんな事はなく、寧ろ林檎の料理は沢山ある。
今日は死者の日だからと、林檎の木の妖精達は、リルベリアの人々が食べられるような味付けで、死者の日の林檎のもてなし料理を沢山作ってくれた。
もう一度林檎の木の森を見られたと泣いているリルベリアの民達と話をしにゆく父や母達が、森の中にピクニックに行くのを見送り、リアンは、今度は抱っこをせがむ怖いもの知らずのローアンを抱き上げて従僕達を驚かせているジャスワンを見上げた。
「…………あなたは、私を沢山幸せにしてくれるのですね」
「やれやれ、どうやら、やっと信じられるようになったらしい」
そう微笑んだジャスワンがもう悲しそうではなかったから、リアンは、とても幸せな気持ちになって微笑んだ。
いつかきっと、地上で暮らす人々はリルベリアのことなど忘れてしまうだろう。
カルフェイドの滅びた後には、離れていた州都の王族達がまた新しい国を興すらしいが、そこはきっと同じように強く強欲な国になるのではあるまいか。
けれどももう、リアン達には関係のないことだ。
リルベリアはこの先もずっと、林檎の木の妖精の国の中にある。
いずれ生まれ変わるリルベリアの民達が、どんな国でどんな暮らしを得るのかは分からないが、死者の国で魂を綺麗にしたその先は、また誰か別の人の物語なのだ。
また、亡霊としてではあるが、望めばこの妖精の国に留まれるそうなので、そちらを選んでも構わないらしい。
そんなところまで死者の王と交渉済みだと知り、リアンは、どれだけジャスワンに感謝したことか。
正しい魂の流れに反する以上、もしその選択を取る者が現れれば、何らかの対価が必要となる筈なのだ。
それでもと、ジャスワンがそちらの道筋も整えてくれたのは、結果としてたった一人だけ生き残ってしまったリアンが、同胞達から責められる事がないようにという配慮であるのだろう。
(でもね、ジャスワン。リルベリアの人々は、そちらの道は選ばないのではないかなと思うの。だって、リルベリアの人々は、またいつか、生まれ変わって人間として地上に戻り、お日様の下で畑を耕して生きていくことを望んでいるのだもの)
かつて、復活薬を作ると決めたリアンは、死者の国で決して多くはない全ての国民と会い、話が出来る者達の全員と話をした。
復活薬のことは明かさなかったが、禁を犯してでも地上に戻らねばならないと考える者がいるのかは確かめておかねばならないと思ったのだ。
けれども、彼等が望んだのはそんな事ばかりだった。
今回の事も、兄達を通して希望者を探して貰ってはいるが、皆は死者の日に、ちょっと階位の上がってしまった故郷の林檎畑で過ごせるだけで満足なのだとか。
(でも、それもそうね。みんなはもう三年も死者の国で過ごしているのだもの。同じ街に暮らしている人達とも仲良しのようだし、次の生に向かう迄のこととは言え、死者の国で過ごす新しい生活がそこにはあるのだわ)
死者の国にも立派な劇場があると聞いてリアンは驚いたが、あちらにはあちらの楽しみもあるようだ。
自分が死者として過ごした時は周囲を観察する余裕もなかったが、死者の王がリルベリアの民に選んだのはとてもいい街なのだとか。
少し寂しいけれど、そうして、かつて愛した人たちがここに戻らなくなっても、リアンはずっと、リルベリアの土地を、そこでリアンを育んでくれた人達の事を、愛し続けるだろう。
そうしていつか、リアンの子供達がまたこの土地を守っていってくれるのかもしれない。
そう考え、リアンはぎくりとした。
奥で父と母が、妖精に転属したリアンは妖精の子供を授かれるのだと聞いて、目を輝かせていたからだ。
林檎の木の下にキルトを敷きながら、じゃあ来年の死者の日にはとうきうき顔でこちらを見るので、リアンは大慌てで首を振らねばならなかった。
「そこは、期待に応えるべきでしょうね」
「ジャスワン?!」
「ご家族がこちらに戻れる内にとなりますと、あなたの情緒が育つのを待っていては間に合いませんから」
「ジャ、ジャスワン?!」
既に花嫁とは言え、それは魔術の誓約を交わしたまでのこと。
真っ赤になったリアンは、わあっとなって不埒な意地悪を言った伴侶に体当たりすると、いいぞもっとやれと大盛り上がりの家族を落ち着かせるべく、大慌てで、もう一度愛する人達の元へ走り出したのだった。
このお話で、「林檎の魔術師と災いの書」は完結となります。
ここまでお付き合いいただき、有難うございました!




