6.過去
光に呑み込まれたかと思ったら、真っ白な何も無い空間へと放り出された。
足元には床がなく、空中というより水の中に沈んで行くようだった。
……苦しいっっ!
息ができず、踠きながら手を首元に持って行くが、苦しさは変わらない。
それどころか、無数の光る球体が、四方八方から飛んでくるため、避けよう足をバタつかせると――ごぼっと残った空気がもれてしまう。
身動きがうまく取れない。もう、ダメかもしれない……。
――ドンッ!!
諦めた途端、大きな衝撃を全身に受けた。
大量の球体がぶつかったのだ。感じた衝撃に弾かれることはなく、球体は吸い込まれるように身体の中に広がって行く。
覚えのある感覚――全身が温かくなる。いや、前回の比じゃなく熱を帯びていく。
次の瞬間、頭の中に無数の声が聞こえた。同時に、昔のフィルム映画みたいに次々と映像が流れる。
これが走馬灯……? また死ぬのかしら……。
薄れゆく意識の中で、前世では走馬灯すら見なかったなと思い出した。
体から力が抜け、もう自然に任せてしまおうと手足を投げ出す。すると突然、呼吸ができるようになった。
「……ぷはあぁぁぁぁ……!!」
ゴホゴホとむせ返り、鼻の奥はツンと痛い。四つん這いで涙目のまま何度も深呼吸すると、だんだん苦しさが和らいでいく。
苦し……はぁ……やっと治った。
「ここは、どこ?」
起き上がると、最奥の間ではないとだけ理解できた。
……外だわ。空が青い。
手についた土を払うと、ぐるりと周囲を見渡す。見覚えのない景色。
どうやらここは丘の上らしい。ギリギリ端まで歩いていくと、その下には教会が建っていた。他には特に目立った物は無く、取り敢えずその協会へと向かってみることにした。
なだらかな傾斜を下り、教会の窓にそっと近づくと中を覗いてみる。
だれか居てくれたらいいのだけど……。ん? あ、あれは!?
女性になった自分によく似た人物が居た。彼女が本物の女神様なのだろうかと、目を凝らす。
教会の中はボロボロで、割れた窓から風が入って来るのか、彼女はふわりと靡く柔らかい髪をそっと押さえた。隣に佇む男に微笑みかけ、二人は何かを話しているようだ。
女性は目を見開くと、黒髪の長身の男は目を細めて、愛おしそうに頬に触れる。そして、彼女の左手を取り……左の薬指に指輪をはめた。
ぁあ! あれは……最奥の間を開けた指輪。まさか、プロポーズじゃ!
思わず両手で口元を押さえた。邪魔しちゃ悪い気がして、声を出さないようにする。
穏やかな時間が過ぎていく。
なんか、素敵だなぁ。
幸せそうな二人をずっと見ていたかったが――。突如、視界が真っ暗になってしまう。
今度はなに!?
いつの間にか、私の立つ場所が変わっていた。
暗闇から禍々しい物の気配が溢れ、全身がブワリと粟立つ。
先程の教会ではなく、視界に飛びこんで来たのは、戦禍にみまわれた人々の叫びと、無数の死体。憎しみを溢れさせた人々が殺し合う姿だった。
この惨状はいったい……まさか、戦争?
前世では知識でしかなかった阿鼻叫喚の地獄絵図。手が震えて、吐き気が止まらない。
嫌だ――。
目を覆いたくなる惨状に、ここに居たくないと思うと、また景色が変わった。
さっきの……教会に戻れたの?
泣きじゃくる小さな子供達が、ボロボロの教会の中に集まり蹲っていた。
酷い……。あの子達も怪我しているじゃない。
堪らず扉を開けようすると、スルッと体ごとすり抜けてしまった。
まさか!
子供に駆け寄り手を伸ばすが、やはりスカスカと空を切るだけだ。子供に触れることは叶わなかった。大声で呼びかけても届かない。
……っ! 私は、何も出ないの?
悔しくて自分の手を睨む。
バタンと背後で音がすると、肩で息をしながら、あの女性が走ってきた。子供達に一気に治癒魔法をかける。
見たこともない癒しの魔法。彼女自身が七色に輝くと、みるみる子供の怪我が治っていく。彼女はやはり女神なのだ。
……良かった!
ホッとしたのも束の間、またも暗闇が広がる。
「――――!!」
聞こえて来たのは、女神の声にならない叫び声だった。その腕の中には、教会で一緒にいた男が倒れている。
……血だ!
男の体から流れ出る。床にできた血溜まりが、どんどんと広がっていく。
涙を流し続ける女神と、息も絶え絶えの男は何か言葉を交わす。ぎゅっと抱き合うと、二人は青い光に包まれた。
呆然と二人の姿を見ていていたら――ゴボッと、口の中に水が入って来た。
ま、また!? く、苦しい……息ができないっ。
『ふふふ……だいじょうぶ。力を貸してあげる』
前に聞いた声が頭に響く。ふっ……と呼吸が楽になる。
ああ、あの子達が助けてくれたんだ。なぜだかそう思った。
懐かしい精霊達。遠退く意識の中、あの女神と一緒に居た黒髪の男の顔がルーカスだった……と、気がついた。
◇◇◇
瞼の裏に光を感じた。顔に日差しが当たっているのか、頬がほんのり熱い。
「んっ……」
意識が浮上した。眩しさに顔を顰めつつ、目を開くと、そこには黒髪の男――ではなく、心配そうなルーカスの顔があった。
太陽の位置が……今は朝? そして、ここは……湖のほとり。
写絵に吸い込まれてから、すっかり日付けが変わっていたらしい。
ああ、そういう事か。
さっきまで私が見ていたのは過去の出来事だ。
たぶん、精霊たちの記憶の中に、私は直接入っていた。実在しないから、私は介入することが出来なかったのだ。
大体のことは分かった。けれど、全てを理解するには情報が足りない。
数百年前、私は女神と呼ばれる人間だった。最愛の黒髪の男は……魔王。
そして、あの剣は――。
じとりとルーカスを見た。
宮殿から学園までは、だいぶ距離がある。写絵に引き込まれた直後に、ルーカスは馬で湖に向かったのだろう。
なぜルーカスは、私が湖に現れるのをしっていたのか。
私が異世界から転生した理由は解らない。
でも――過去の出来事と、この女神そっくりなシャルルの姿。ルーカスと髪色は違うが、同じ顔の男の存在。
全てが繋がっているはずだわ。
たぶん、これから何かが起ころうとしているのだ。
「シャルル様、寒くはないですか?」
私が向けている探るような視線を無視して、ルーカスは尋ねる。
背中を支え、起こしてくれた彼の手が震えていた。平静を保っているつもりだろうが、かなり心配していたのが伝わってくる。
ルーカスは、湖にいつ到着したんだろうか。どれ程の時間、こうして私が目を覚ますのを待っていたのだろう。
「だいじょう、ぶ」
あらら。
自分の声に、また女神の姿になっているだと気づく。
しかも、湖から出たはずなのにどこも濡れていない。あの光――精霊が何かをしたのだ。
春の朝日で、湖のほとりは暖かく、慌てて移動する必要もないだろう。
幸い学園は連休で、誰も居ない。だから、この場でルーカスに訊くことにした。
「貴方は何を知っているの?」
敢えて女性の口調で尋ねた。
きっと、ルーカスも……私の知らない何かを抱えている。この際、全てを受け入れようと心を決めた。
おばちゃんポジティブスキル「何事もなるようになる!」始動よ。さあ、話してもらいましょうか。
私が逃がさないとばかりに視線を向けると、ルーカスは苦しそうに目を伏せてしまう。
そして、ようやく視線を上げると重い口を開いた。