5.最奥の間で
優秀な側近のおかげで、あの男爵令嬢を上手くかわしつつ、楽しいスクールライフを送っていた。
私の執事や侍女はいつでもどこでも完璧で、学園の寮なのに、皇宮と変わらない生活が出来ている。
けれど、やはり慣れた自分の宮に帰ってくるとホッとしてしまう。
帰って早々に、訓練場ではなく久しぶりに中庭で、ルーカスと二人だけで剣の稽古をすることにした。
学園でも剣術の授業はあったけれど、ずっと物足りなかったのだ。本気など出してしまったら、大変なことになるので仕方がない。
幼い頃から全てを程良くこなし、三男として平穏に暮らすスタンスを崩さずに来た。
当時はまだ、前世の記憶が覚醒してはいなかったけれど……。無意識に、前世で頑張り過ぎていた反動が、現れ出てしまっていたのかもしれない。何かを必死でやることに抵抗があったのだ。
小気味良いテンポで繰り出される、ルーカスの剣を受けながら後ろへ飛ぶと、一気に間合いを詰める。
ガキンと鈍い音と共に、正面からルーカスは私の剣を受け止めた。ギリギリと鍔迫り合いしながら、次の一手を考える。
信頼という贔屓目を抜きにしても、ルーカスは相当強い。側近というより、騎士団や近衛にスカウトされてもおかしくない腕前だった。
けれど私は……いや、違うわね。
前世の記憶を思い出す前のシャルルは、ルーカスに自分の命を差し出して守る近衛にはなってほしくなかった。友として一緒に戦う――そういう関係ありたかったのだ。
もちろん優秀な側近を、手放したくないと思う気持ちもあったのだけど。
結局、今日の勝負はルーカスに剣を弾かれ、負けてしまった。
軽く息があがり、じんわりと汗をかく。久々に気持ちの良い疲労を感じていた。二人でゴロンと地べたに転がる。
木々が揺れ、爽やかな風が頬をかすめると、ふと思い出した。
「ルーカスは確か……最奥の間に女神様の写絵が飾られているって、あの時言ったよね?」
ちらりとルーカスを見遣る。
「……っ、それは!」
しまった――という表情が、ルーカスから垣間見えた。
「……見たいなぁ、見てみたいなぁ〜。どうしてルーカスは知ってるのかなぁ? 父上の許可無くして、入れない場所だよねぇ?」
遠回しではなく、がっつりおねだりをする。
最奥の間。
それは、本来なら皇帝、もしくは代々の王に許可された者にしか明かされていない。魔法陣が張り巡らされていて、入りたくても簡単には入れない場所だ。
大切な秘密が隠されている部屋……そんな印象だった。
風の噂では、昔から皇帝だけに伝わるものがあるという。だから、皇帝にならない自分が入っていい場所ではない。それはわかっている。
けれど、なぜルーカスが中に入らないと知り得ない物の存在を見たことがあったのか。
理由があって、特別に入室を許可されたのかもしれないが。何かが少し引っかかったのだ。
暫く考え込んでいたルーカスが、意を決したのかの様に顔を上げ言った。
「最奥の間に行きましょう」と。
まさか、許可されるとは思わなかった。
◇◇◇
夜会の始まる時間を考慮すると、のんびりはしていられない。ルーカスの気持ちが変わってしまわないように、さっさと段取りを決めた。
最奥の間に行った足で、パーティー会場に移動できるように、急いで湯浴みを済ませて正装に着替える。
準備が整うと、席を外していたルーカスも戻って来たので、そのまま目的の場所へと向かう。
謁見の間とは反対の廊下を抜け、皇家の血筋の者だけが知らされている抜け道を通り、突き当たりにある扉の前にやってきた。
重厚感のある扉……その先が最奥の間だ。
「少し離れてください」と私に言ったルーカスが、一歩前に出て扉に触れた。
それを合図としたのか、扉に魔法陣の紋様が浮き出てくる。何かの術が発動したのだろう。
ルーカスは自身の服の中に手を入れ、首に掛かっていた細いチェーンを取り出した。チェーンには華奢な指輪が通っている。
サイズ的に女性の物だと思われるその指輪を、迷うことなく紋様の一部にはめ込んだ。
すると、重たそうな扉が勝手に動き、ゆっくりと開き始めた。
扉の向こうには大理石の床が広がり、豪奢なシャンデリアが見える。他は、いくつかのインテリアがあるくらいで、然程広くはない部屋だった。
部屋の中を窺うようにぐるりと見渡すと、あるものが視界に飛び込んできた。
……これはっ!?
思わず息を呑んだ。
ルーカスが写絵と言っていたので、単純に肖像画やそれに近い物を写した絵だと思っていたのだが。全く、違っていた。
大きな額縁の中には、鏡――いや、これは硝子かしら?
窓から差し込む光を通し、輝いているその硝子に描かれていたのが写絵だった。
凄い! まるで3D写真じゃない。しかも、この人物って……私?
描かれた女神の風貌は、湖で見た女性になってしまった自分――紛れもない私の姿だった。
ちょっとまって……これ女神、よね? えっ?
その立体的な女神の手には、剣がしっかりと握られている。女神って、普通剣は使わないよね。勇者とかならわかるけど、ちょっと物騒じゃない?
恐る恐る写絵の正面まで行き、なんとなくその剣に触れてみた。
その刹那――。
額の中から眩しいほどの光が放たれ、額斑の中へと物凄い力で引き寄せられた。踏ん張ろうにも、立っていることさえ危うい。
く……っ! 飲み込まれるっ!?
そう思った時には、体がぶわっと勢いよく浮き上がっていた。
◆◆
激しい光がおさまると、部屋の中には静寂が広がりった。
予想通り、シャルル様の姿は最奥の間から消えている。こうなることは理解していたが、どうしようもない不安と焦りに襲われ、胸が押し潰されてしまいそうだ。
「あれは……行ったのか」
独り言のような呟きが聞こえた。自分の背後……扉の向こうから掛けられた言葉に振り返る。
「陛下」
片膝をつき、胸に手を当て頭を垂れる。
「ルーカスよ。あの子は、やはり行ってしまったのだな。……口伝は本当だったか。まさか、我が代にその時がやって来てしまうとは。子供達は皆、男だったからと安心していたのだが。運命の流れには……性別など些細なことだったようだ」
皇帝としてではなく、優しい父親の顔に悲しみを滲ませた。
ふぅ……と息を吐くと、皇帝は威厳に満ちた君主の顔に戻る。
「影よ」
皇帝が短く呼ぶと、数人の影が姿を現した。皇帝陛下直轄の極秘部隊。陛下は彼らに命令を下す。
「教会の監視を強めよ。奴等も復活するであろう」
そして、マントを翻すとこちらを向いた。逸る気持ちを抑え、指示を待つ。
「ルーカス、学園の湖に戻りシャルルを待て!」
「はっ!」
返事と共に、足はもう動き出していた。
皇帝は、閉まった扉を暫く見詰めていたが、重い足取りでパーティー会場に向かった。




