18.名前と記憶
魔王が選んだ次の転移先は、学園にあるニコラの研究室だった。
着くや否や、ニコラは整った顔が台無しの顰めっ面をする。その開いた口からは、言葉の嵐が飛び出した。
「突然、先触れも出さず陛下の前に行くなんてっ……心臓に悪すぎますっ!! それに、ルーカス君と魔王の状況は見ていたので分かります……ですが! シャルル君の中身が女とか言ってましたよね? 何かまだ隠している事があるのですね? さあ、全て白状してください!」
じとりとした目で、ニコラは私と魔王を交互に見る。
あー、しっかり聞かれてしまったのね。
たぶん、声はもう出せそうだけど。どうしよう……かなり怒っているしなぁ。
助けを求めようと魔王に視線を送った途端、パッと姿がルーカスに変わった。
頭脳戦はルーカス担当なのね……。
ルーカスは、私を安心させるように頷いて見せた。
「ニコラ先生、この件に関しましては。一、質問しない。二、他言しない。そう女神と魔王に誓えますか?」
指を順に立てながら、ルーカスはニコラに聞くか聞かないかの二択を迫る。
ニコラから、ゴクリと唾を呑む音が聞こえた。
これはつまり、絶対に破ることが出来ない魔王と女神の誓約になるのだ。それでも聞く覚悟があるのかと。
魔王が、魔物たちを一掃するのをニコラも見ていたのだ。破れば、頭がピチュンとなっても文句は言えない。
「……誓います。教えてください」
探究心に抗えなかったのか、覚悟を決めたニコラは聞くことを選んだ。
頷いたルーカスは、私に真実を話すことを促した。
「えぇ……と。信じられないかもしれませんが――」
事の成り行きを私は全て話した。転生者であることも包み隠さずに。
ウズウズするのを隠せないニコラの表情。
質問したいことが山ほどあるのだろうな……と察するが、触れはしない。
まあ、誓約したのだから無理だろうけど。ルーカスはまた魔王と交代しているし。
百面相しながらも、無理矢理に自分を納得させたのか、ニコラは落ち着きを取り戻す。
「今日はここまでにしましょう。私はまだ事後処理をしなくてはなりませんので。それから、カミラの件はこちらにお任せください」
「お願いします」と頷く。
「くれぐれも誰にも見られないよう、お二人とも元の姿に戻ってから退室してくださいね。お疲れだと思いますが、明日は遅刻しないように」
最後は先生らしく念押しされ、言われるがままその場で通常の姿に戻る。
それを見ていたニコラの高揚した顔は気になったが、取り敢えずスルーし、今日のところは解散となった。
◇◇◇
寮へ戻ると、普段と変わらないトルソーたちが、温かく出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。お疲れでしょう」
主人の様子から、言わずとも察して動いてくれている。何も訊かれないことに安堵した。
食事や湯浴みを済ませ、疲れた身体に自分で癒しをかけて回復させる。
完全に一人になると、ソファーに身体を投げ出して頭の中を整理し始めるが――。
うーん、ダメだぁ。色々あり過ぎて混乱してる。
疲れた頭では何も纏まらないので、諦めて今夜はもう寝てしまおうかと思った時だった。
トントン……と、控えめなノックの音が聞こえた。
入室を許可すると、ルーカスが入って来る。
だが、扉を閉め振り返ったのは、何故かルーカスではなく魔王だった。
「魔王……ど、どうかしましたか?」
ぎこちなく尋ねると、無表情のまま魔王は隣までやって来て、ドカッとソファーへ座った。
近すぎる距離にドキリとする。
魔王もルーカスとして、湯浴みを済ませて来たばかりらしい。まだ湿っているのか、綺麗な漆黒の髪は艶が増している。
長い睫毛やはり黒くて……ルーカスよりも鋭さというか、シャープな感じがする。
本当に、美しい横顔だわ。
視線に気づかれてしまったのか、魔王は私をじっと見つめてくる。沈黙が流れ、逸らされない視線に、堪らずに口を開いた。
「な、なにか?」
「……女神の姿に戻ってくれないか?」
魔王に言われて気が付いた。
そうだ……。
魔王がずっと会いたかったのは、シャルルじゃなくて過去の女神の方だ。反論せず、素直に姿を変えた。
魔王は目を細めて、女神姿の私を見る。
とても切ない表情に、何と声を掛けていいか言葉に詰まってしまう。
そんな私に、魔王は手を伸ばすと、そっと頬に触れた。長い指先から、震えているのが伝わってくる。潤んでいる魔王の瞳から、目が離せない。
「……やっと、逢えた」
絞り出された言葉と同時に、グイッと腕を引かれ、魔王の胸の中に包まれる。
「……長かった。夢では、ないのだな」
吐息のような震える声。私の存在を確かめるかのように、抱きしめている腕に力が入る。
ああ、この人は……女神という存在を、何百年も待ち続けたのだ。逢いたくて、恋焦がれていたのね。
そんな、痛みさえ感じる魔王の想いに、胸が締めつけられた。
「魔王……あの……」
「……シャルロット。お前が付けてくれた名で呼んでほしい……」
耳元で囁かれ、ハッとする。
そうだ、私はシャルロット……確かにそう呼ばれていた。シャルルはそれの男性形の呼び方だ。
私がつけた魔王の名前は――。
「レオン」
戸惑いながらも、魔王の顔を見上げそう呼んだ。
「ああ……」と魔王は嬉しそうに睫毛を揺らし、ギュッと強く抱きしめた。
そうだわ――。
私は教会の近くの丘で、初めて魔王と出逢ったのだわ。
魔王は自分には名前が無いと言った。だから、私に名前をつけてほしいと頼んだのだ。
『レオンハルトなんてどう? 強い貴方にピッタリでしょう?』
『……長いな』
その言葉にクスッと笑ってしまった。
『じゃあ、短くレオンで!』
あの時の嬉しそうな表情……今も同じね。
魔王の温もりを感じていると、記憶がどんどんと溢れるように甦る。
それだけ、女神であった私も、魔王を思い続けていたのだ。
「……シャルロット、もう離さない」
耳朶に触れるように、甘く囁く魔王。
私の胸は、隠しようもないほど早鐘を打つ。
だ、だめ。恥ずかしくて顔から火が出そうだわ!
どう答えていいか分からず、うまく返事が出来ずにいると、レオンは寂しそうに瞳に影を落とした。
「シャルロットは……ルーカスが好きなのか?」
レオンは絞り出すように、掠れた声で訊いた。
「え?」
「それとも、前世の夫が忘れられないのか?」
えええっ!? うわっ、完全に何か違う誤解をされている!
「ち、違います! ルーカスは、何と言ったらいいのか……親友であり、息子のような感じで」
「息子?」
「はい」
コクコクと頷くと、レオンが怪訝な顔をする。
「それから、転生前の家族……夫と娘は今でも愛してますし、大切に思ってます」
どう言ったらレオンに理解してもらえるか、言葉を探しながら話していく。
「ですが、その世界での私は亡くなりました。たぶん私が居なくなった後……その悲しみを乗り越えて、二人とも頑張って前へ進んでくれている。そう信じています。だから、夫に未練はありません。むしろ素敵な女性と出逢って、幸せになってほしい――そう思っています。あの人は、独りじゃだめな人なんです」
その言葉にレオンは目を見開いた。
「……では。何故、俺を受け入れてくれない?」
「それはっ」
悩みつつ、正直に思っていることを伝える。
「私、前世で四十歳くらいだったんですよ。十代のシャルルやシャルロットの感覚より、かなりオバサ……大人になってしまっています。ですから、素直な感情を出すのが苦手というか、上手く出来ないのです。正直、ニコラ先生でさえ年下で幼く見えています。ただ、レオンに対してはシャルロットの感覚や感情がしっかりあって。でも、どうしたら良いのか……。私の中身、恋愛ベタの普通のおばさんなんですよ」
これで、伝わっただろうか?
「良かった。俺が嫌なのでは無いのだな」
「……嫌ではありません」
嫌どころか、もう二度と離れたくない。
「安心した」と、またもギュッとレオンに抱きしめられてしまう。
「お前の感覚で言えば、俺は七百歳だ。全く問題ない。違うか?」
「ああ! 確かに。そう考えれば、私の方が年下ですね!」
思わず笑ってしまった。
「では、時間をかけて……お前を俺だけに染めていこう」
私の顔を覗き込んで、レオンは美しく魅惑的なその顔に、不敵な笑みを浮かべた。
心臓が跳ねる。
このままでは胸のバクバクが止まらないので、慌てて話題を変えようと質問した。
「今、ルーカスはどうしているのですか? 同じ身体を共有されているのですよね? こうして会話をしているのを、一緒に聞いているのですか?」
「いいや、聞いていない。魂が……眠っているような感覚だな。魔王である俺の魂の方が圧倒的に力がある。だから、ルーカスからは出てこられない。こちらから、話を聞かせようとすれば聞こえる筈だが。逆に、ルーカスが表に出ている時は、俺自身が眠っていなければ全て聞こえるし分かる」
「なるほど。ルーカスは今、眠っているのですね?」
「そうだ。だから、ルーカスには息子……なんて言うなよ」
「あ……そうですよね。親友から息子と思われるのは心外ですよね」
うんうんと納得すると、レオンは何か言いたそうな表情をするが――それ以上は口をつぐんだ。