16.魔王と過去の記憶
魔王は視線を、反逆者と呼んだカミラに戻し、サッと手を翳す。
その手から、カミラに向かって何本もの蒼黒の鎖が飛び出した。
鎖はまるで意思があるかのように動く。攻撃を躱しながらシュルシュルッと音を立て、カミラをグルグル巻きにすりる。
そのままカミラは、ゴロンと床に転がされた。
ほんの数秒の出来事だった。
魔王の、もう一方の手から繰り出されたのは、同じく蒼黒の魔力で造られた四角く大きな鉄板のような物。空中で大きく広がったそれは……。
ドンッ――!
と魔物や死霊の上に落ち、シュー……と全てを消滅させた。
それから魔王は、門を抑えている私に向かってゆっくりと歩いてくる。
魔王は私の背後に立つと、後ろから手をまわしてきた。戸惑う私の手を掴み、魔王が持っていた剣のグリップを一緒に握らせる。
「……行くぞ」
魔王は耳元で囁いた。
聞き覚えのある声に、身体が内側がドクリと熱くなる。
次の瞬間――。
鎖に捕われたカミラの肉体から、魔を司る者が離れ、実態を見せた。黒く大きなそれは、勢いよくこちらめがけて襲いかかってくる。
「今だ」
魔王の合図で、剣に二人同時に魔力を注ぎ、魔を司る者に向かって撃ち放つ。
絡み合う七色の光と蒼黒の魔力――光は、全てを呑み込んだ。
「これで本当にさよならだ。神への反逆者……前魔王」
『────……!!!』
声とも音とも違う、断末魔の叫び。
反逆者は塵となり、魔界への門がパタリと静かに閉じた。
◇◇◇
全部、思い出した。
今から約700年ほど前――。
魔界の当時の魔王は、全ての世界を手に入れようと、神々を討ち人間界を恐怖と闇で支配しようとした。
創造の神は怒り、反逆した魔王を消そうとし、新しい魔王を誕生させた。
だが、神に反逆した前魔王は人間界へと逃げたのだ。姿を隠し、虎視眈眈と力を蓄えた。
魔王は魔界を、女神は人間界を守るための存在だ。
交わることのない新しき魔王と女神。何の因果か二人は出逢ってしまった。それが神の御心かはわからない。
いつしか、二人は恋に落ち……愛し合った。
そんな時、反逆者である前魔王が、魔を司る者として暗躍し始めた。人の心の闇に巣食い、それを広げていく。
増幅した負の力で魔界の門を開き、魔王を倒して自分が返り咲こうとしたのだ。
反逆者を倒すため、魔王と女神は二人で共に戦ったが――当時はまだ、お互い未熟で力が足りなかった。
だから、完全に倒すことが出来なかったのだ。
辛うじて封印は上手くいったが、魔王自身も致命傷を負ってしまった。
しかも、前魔王は反逆者として復活するための呪いを残していたのだ。
それを知った魔王は、いずれ反逆者の封印が解かれるであろう時――女神と共に戦うために、復活すると誓った。
女神は、何度生まれ変わってまた魔王と出逢えるよう、自分の光の力を魔王の蒼黒の魔力で染めた。
混じり合った魔王の魔力と女神の力。
生まれ変わった女神の目印として、必ず澄んだ湖のような水色の魔力を持つように。
魔王は女神を見つけるため、魔力の流れを視る力を継承していく――そんな目印の魔法を自身にかけた。
そして、魂の大半を魔剣に封じ、残った欠片をある者に預けて長い眠りについたのだ。
「……魔王」
それは、嘗て女神が愛した魔王。女神としての記憶の中にある、私が心の奥底から求めている唯一の存在。
「永い時を経て、やっとまた逢えた」
魔王は嬉しさの中に切なさを滲ませ、絞り出すように言った。
深い闇の色の瞳で私を見つめ、ルーカスが首に掛けていたチェーンから指輪を取り外す。
ああ、最奥の間の鍵は……。
魔王は跪き、私の左手を取ると薬指に指輪をはめた。
私にはその意味がわかる。
そう――。
わかっては、いるけどねっ!
今の女神は、中身が違うんです。私……おばちゃんなんですよぉぉ。記憶はあるのに、感情がついて行けてない。ああぁぁぁぁ、どうしよう……。
声にならない心の声で、私は叫んでいた。
◇◇◇
辺りを見渡すと、教会はボロボロもいいところだった。
全ての窓は割れ、壁は所々崩れ、床はぱっくり裂けている。酷い有様だ。
そして、床に転がったカミラに、壁に打ち付けられ気絶したままの司祭とグレイ男爵。残りの面々もそのまま拘束された。
ニコラによって、宮廷機関へ纏めて転移陣で送られていく。正式な裁きを受けさせるために、手際良く作成された報告書と一緒に。
生贄とされた子供は、事切れる直前にどうにか癒しが間に合った。
教会内部には、他にも痩せ細った具合の悪そうな数人の孤児達が閉じ込められていた。みんなまとめて、女神の癒しをかけると、驚くほどの回復をみせる。
助けられて本当に良かった……。
だけどね!
この状況はどうしたものだろうかと、頭を抱える。
とてつもない美貌で、ひたすら愛おしそうに私を見つめたあと……後ろから抱きしめて離してくれない魔王。
この場から逃げ出したい、女神の私。
「孤児達の住む教会は、早急に建て直しが必要だな」と、事後処理をしつつ……複雑極まりない表情のニコラ。
もうカオスでしかない。
どうにか腰に回されていた魔王の腕を解き、正面から見上げて問う。
このままでは、埒があかないもの。
「ところで、魔王様にはルーカスの記憶があるのですか?」
「いいや。この身体……ルーカスの中には魔王の魂と、ルーカスの魂の二つが存在している」
「えぇ!? では、ルーカスは別に存在しているのですかっ?」
「そうだが?」と、当たり前のように魔王はサラリと言う。
「シャルルは、ルーカスが気になるのか?」
何故だか魔王は切なそうな表情になる。
「勿論です! 彼は大切な友……」と、そこまで言って気がつく。
こっちの魂は、ずっと剣の中だったのよね?
ルーカスにあったのは、能力を継ぐ為のだけの魔王の魂の欠片ってことよね。
魔王がルーカスでないなら、本来の私が皇子であることや、異世界からの転生者であることを知らないのよね……。これ、最初から説明しなきゃなの?
あ、でも。もしかしたら……と、希望的観測を駄目元で訊いてみた。
「魔王様とルーカスは、記憶を共有することって出来るのですか?」
「できるが」
それがどうした、と言わんばかりの顔をする。
ルーカスと交代した時に、一瞬だけ状況を共有したらしい。確実に敵だけを倒す為に。
うーん、便利だっ!
「魔王様に知っていただきたい事柄があります。他の人の前では言えない、私の秘密……ん?」
見る見るうちに険しい表情になる魔王。
「ま、まさかっ……お前達は、俺の知らぬ間に恋仲に!?」
「は?」
何か勘違いしてらっしゃる……。面倒くさっ。
「無いです! それより、早くルーカスと記憶を共有して来てください」
仕方ないとばかりに、額に白く長い指を置くと瞑目する。身動きひとつしなくなった。
その状態が暫く続き、たった数分間がとても長く感じた。
どうしたのかしら……。まさか、ルーカスに何かあったんじゃ?
ルーカスが魔王に変わってしまい、まだルーカス本人に会えていないせいか不安になる。
ようやくピクリと瞼が動き、眼を開くと魔王は私をじっと見て一言頷いた。
「問題ない」と。
「はい?」
いったい何が問題ないのだろうか?
問題しかないような気がするのだけど……。




