15.これは罠
司祭とベルゼ・グレイが教会の中へと消えると、気づかれないように、周辺を隈なく調べた。
普通の教会で、別段変わった所はない。だが――。
ニコラの資料には数名の孤児を養育していると記載されていた。
なのに、併設されている孤児院らしき場所には人影がない。手入れされていない庭は草ぼうぼうで、こんな天気の良い日に洗濯物すら一枚も干してない。あまりにも生活感が無さ過ぎるのだ。
……何か、変だわ。子供たちは、一体どこにいるのだろう?
施設の違和感に首を捻った。
暫くすると、遠くからまた馬車の音が聞こえてきた。
ようやくカミラが到着したのだ。教会の中が少し騒がしくなってくる。司祭やベルゼの他にも、誰か居そうだ。
向こうからは死角になる窓を見つけると、壁に足をかけ中を覗いた。
「ただいま戻りました」
とカミラは、司祭とベルゼに向かって丁寧に挨拶する。
「例の者はどこだ?」
司祭はカミラを興味無さそうに一瞥すると、やって来た方向に目をやった。
「も……申し訳ありませんっ。失敗しました……」
カミラはカチカチと歯を鳴らし、両手を床につけ頭を下げて震えている。
「魔術を見破られてしまったようで……」と言いかけたカミラを、司祭は無言で殴りつけた。
「役立たずめ!」
まるで、ゴミか害虫でも見るような視線を、カミラに向けている。
『……なっ!』
カッとなり飛び出しそうになると、ルーカスとニコラが慌てて止める。
『今は、まだ我慢です』
『……っ』
どうにか衝動を抑える。
教会の中では、カミラはなす術もなく、髪を掴まれ引き摺られて行く。
いくら何でも、自分の子でしょうがっ!?
我慢しなければと言い聞かせるが、私の怒りはどんどん増していく。
「折角、グレイ男爵がいらっしゃったのだ。お前が失敗したのだから、此奴で代用しようじゃないか?」
司祭は下品に歪んだ笑みを浮かべると、近くに居た者に指示を出す。
奥の方から……やはり引き摺られるように小さな少年が連れて来られ、十字架の下に放り出された。意識が無さそうな少年は、床に打ちつけられ鈍い音を出す。
「やめて! その子には……弟には手を出さないで!」
カミラは悲痛な叫びを上げる。
『……弟?』と、ニコラが怪訝そうに呟いた。
司祭はさも愉快そうにカミラを見ると、そばで控えていた斎服の男から、カミラと引き換えに短剣を受け取る。
そして、躊躇なく少年に向かって剣を振り下ろした。小さな呻き声を上げ、少年はピクリとも動かなくなる。
カミラは男を突き飛ばし、泣き叫びながら少年を抱き抱える。
あっ! 抜いたらダメ――!
カミラは短剣を抜いてしまった。血はどんどんと流れ床に広がっていく。
「いや……止まって!!」と、必死で傷口を押さえる。
このままじゃ……助けなきゃ!
そう思った時には、私はルーカスとニコラの手を振りほどいて、壁を蹴り窓を割って中に飛び込んでいた。司祭とグレイ男爵を魔力で吹き飛ばし、カミラと少年に駆け寄る。
「「ダメだ! 罠だっ!」」
ルーカスとが同時に叫んだ。
少年に癒しをかけようとした刹那――トスッと、背中に鋭い痛みが走った。
「え……」
振り返ると、私の背中にナイフを突き刺したカミラが、ニンマリと笑っていた。
その姿に、目を見開く。
全てを悟ったが――。遅かった。
「……っ!」
私は、馬鹿だ……。
カミラに弟なんているわけなかったのに。母親である聖女は、カミラを産んですぐ司祭に捨てられたのだ。慌ててカミラを弾き飛ばし、その場から飛び退くとルーカスに支えられた。
カミラの手にしていた短剣から、ポタリと赤い雫が落ちた。私の血――。
「しまった!」
私の叫びに、カミラは高らかに笑う。
――手遅れだった。床一面が真っ赤に染まり、次いで黒い渦が巻き出した。
十字架の下には魔法陣があったのだ。
魔法陣の中に横たわる息も絶え絶えの少年の身体と、水色の魔力を持った私の血。それが合わさり生贄として、黒魔術が発動してしまったのだ。
……最悪のシナリオだわ。
全てが罠だったと悟る。
紙に描かれた魅了の魔法陣も、カミラの失敗も、生贄にされた弟すら偽物。自分たちが近寄れないから、皇子である私を、魔法陣に誘き寄せるための芝居。
カミラのあの笑み……本来の、女神の力を手に入れた今だからわかる。
司祭でもグレイ男爵でもない。カミラが本人が、魔を司る者に取り憑かれていたのだ。
背中の傷は、魔力を流すと一瞬で回復した。
しかし、黒魔術の発動はもう止められない。
十字架の下の魔法陣から広がった、真っ黒な闇。その中から、封印の剣が地から湧くように現れ出た。
剣の刺さっている場所から、禍禍しい黒い瘴気が吹き出でくる。魔界との門が開いてしまったのだ。
私の、せいだ……。
茫然と眺めることしかできない。浅薄な自分が嫌になった。悔しくて唇を噛む。
「私の読みが甘かったのです! シャルル様にお怪我をっ……」と、いつもは飄々としているニコラが、苦しそうに顔を歪めた。
その声で我に帰る。
そうだ、悔しい思いをしているのは私だけじゃない。今、出来ることをしないと。
「怪我なんて大した事ありません。もう治りました。私の方こそ制止も聞かずに……失態を。本当に申し訳ありません。奴等をどうにかおさえましょう!」
「では、我々は司祭らと魔物を抑えますので、シャルル様は門の方を!」
女神の力でなければ門を塞げない。
ニコラはそう言うと、ルーカスと飛び出した。
瘴気の力で、封印していた剣が徐々に黒く染まっていく。
それを見て、黒い魔障壁に覆われ宙に浮いたカミラが高らかに嘲笑う。
「我こそは、魔を司りし者。この世界を恐怖と闇で支配する。お前達にはもう用は無い。消えろ――……」
カミラは手を掲げ、闇の力を強めていく。
あれは、もうカミラではなかった。
地面が割れ、その中から禍禍しい気配と共に魔物や死霊が次々と這い出て来る。
ルーカスとニコラが自分の剣に魔力を纏わせ、魔物達を倒していく。
ドンッ――――!!
激しい音が響くと同時に、瘴気によって封印していた剣が吹き飛ばされた。透かさずルーカスが地を蹴って、その剣に向かって手を伸ばす。
早く門を抑え込まないと!
女神の力を一気に解放した。髪が伸び全身から光を放つ。
手に力を集め、更に大きくなった光の力は、出てきた瘴気を魔物ごと門の中に押し込めていく。
カミラの姿をした魔を司る者が、目を見開き叫ぶ!
「き……貴様が女神だと!? ――何故だぁぁぁぁぁっ!!」
憎しみが爆破し、魔物たちの力が強くなった。
「……くっ!」
すごい力で押し返される。
と、その時。
封印の剣を手にしたルーカスが、カミラに向かって大きく振りかぶる。
次の瞬間――黒く染まっていた剣が、眩しい程の青い魔力を放ち、カミラの魔障壁を叩き切った。
「な――――っ!?」
カミラは、バランスを崩し床に落ちる。
トンッと地に降り立ったルーカスは、ずっと纏っていたミランダの魔力を消し、本来のルーカスが持っている真っ青の魔力に包まれていた。
そのルーカスの姿は……いつか見た、艶やかな漆黒の髪と闇のような瞳の魔王そのものだった。ルーカスであってルーカスではない。
ルーカスが魔王だったの!?
「よう、久しぶりだな。反逆者」
魔王は、カミラを射るように見据えると、魔を司る者を反逆者と呼び不適に笑いかけた。
そして、魔王は私に向き直る。
目を見張る程の美貌の魔王。
女神は確かに知っている。
「……会いたかった」
魔王は愛おしそうに目を細め、そう呟いた。




