11.接触してきたのは
「殿下! そのお姿は!?」
寮の部屋に着くと、帰りを待っていた侍女達に驚かれてしまった。
そういえば……。
さんざん鬱蒼とした森を歩き、あの廃屋の中に暫く居たのだ。私とルーカスは、埃まみれでかなり汚れていた。御者の微妙な表情を思い出す。
急いで湯浴みをさせられ、皇子の顔に戻る。もちろん服を脱ぐ前に、女神の力は抑えた。
手際よくガウンを着せられて、皇宮から運び込んだ刺繍の施された豪奢なソファーに腰を下ろす。
「お髪、乾かしますね」とマーサが背後に立った。
「いや、今はいい。どうせ短いからすぐ乾くしね。それより、疲れたからマーサの美味しいお茶が飲みたいな」
「かしこまりました! すぐに準備いたしますね」
マーサが部屋を出て行くと、入れ違いで自室で身支度を整えたルーカスがやって来た。
「失礼いたしま――」
ルーカスはこちらに視線を向けた途端、パッと顔を逸らす。
「え、どうかした?」
「………」
尋ねてもルーカスは無言だった。
また、顔が赤い……。湯上がりで暑いのかしら?
様子のおかしいルーカスの後ろから、トルソーと侍女達が紅茶とお菓子を運んできてセッティングする。
それが終わると、侍女達には下がってもらう。
三人で話すのは今日の出来事についてだ。
トルソーには、道すがらたまたまルーカスがミランダと暮らしていた場所を思い出し、見に行ってきたと伝える。まあ嘘じゃない。
日記については明かさないことにした。トルソーが真実を知ったら、グレイ男爵の悪事を見抜けなかった自身を責め、何をするかわからないだ。
懐かしい場所に行き、ルーカスの忘れていた記憶が鮮明になったとして話した。
ミランダとルーカスが、どう過ごしていたのかを聞いたトルソーは目に涙を浮かべた。
ベルゼ・グレイについては、ミアの件から訊くことにした。
案の定、トルソーはミランダの元婚約者を調べ上げていた。
やはり、ミアはグレイ男爵の実子ではないそうだ。
遠い親戚で、平民でありながら魔力の強いミアを養女として引き取ったらしい。
跡取りなら、男児を望むはず。それ以上にミアに価値があったということだろうか。
上位貴族に嫁がせて、繋がりを得るため……とか?
あの日記を読んだ今、とてもそれだけだとは思えない。
グレイ男爵を調べるなら、ミアと積極的に関わるしかないかしら。もの凄く! 面倒な事になりそうだけど……仕方ない。
幸い学園内には、皇族を支えている裏の存在――私の手助けをする者が潜入済みらしい。
そのうち、接触することになるだろうとルーカスは言った。
◇◇◇
いつもなら。
極力面倒ごとを避けるため、ミアに会わないギリギリの時間に教室に入るよにしていた。
……だが、今日からは早めに学園に向かう。
少々早過ぎたのか、教室にはあまり人が居ない。
珍しい時間帯にやってた皇子に、クラスメイトは驚いているようだ。
数名からの挨拶を受けると自席へ着いた。不自然にならないよう、いつも通りにルーカスと会話をしながら周りを窺う。
ミアは、まだ来ていないみたいだ。
「シャルル殿下、今日は随分とお早いですね!」
明るい声でそう話しかけて来たのは、クラス委員長のミハイル。朝から爽やかさ全開だ。
「今朝は早くに目が覚めたから、散歩してきたんだ。朝の空気は気持ちが良いね」
「確かに、この学園の周辺は空気が澄んでますよね!」
そんな軽い会話をしていると、チラホラと他の生徒も集まり、ミアもやって来た。早速こちらを見つけて寄ってくる。
はぁ……来ちゃったよ。
「シャルル様、お早いですね! あ、今日の魔術の授業は一緒の班でなんですぅ。火の魔術とか苦手でぇ。私、ドジしちゃうかもしれないので……色々教えてくださいねっ。ふふっ」
私の腕に軽く触れ、甘ったるい声で耳打ちしてくる。背中がゾワゾワとした。
あ……無理……。
気を引きたいが為の、あざといボディタッチ。女の子慣れしてない男子なら、速攻で落ちそうなものだが。
私の中身、おばちゃんですから……。でも、せっかく近付くチャンスだし頑張らないとよね。
「それは楽しみだね」
ミアの顔を覗き込むよう、意図的に微笑んだ。
ついでに、腕に触れていたミア指先を、手で包み込むように握ってから下ろすと――ミアの頬は赤く染まり、とろけるような表情になる。
周囲からは、またも黄色い悲鳴が聞こえた。
よし、勝った。
どうよ! と言わんばかりにルーカスを見遣ると、『やり過ぎです!』との冷ややかな視線が。
う……怖い。頑張ったのに……。
授業の方は、特に得る物はなかった。
確かにミアの魔力は、下級貴族にしては多い方だと思ったが、ただそれだけだった。
わざと魔力のバランスを崩したり、手の込んだドジっ子アピールでベタベタしてくるので、つい適当に躱してしまったけど。もっと仲良くならないとよね。父親の話題を出しても、不自然に思われないくらい。
正直これ以上、関わりたくないのだけど。
◇◇◇
その日の午後。
ルーカスが次の授業の準備に、席を外した時だった。前にもあった、あの嫌な視線を感じた。
ぐるりと周りを見渡しても、不自然な動きをする者はいない。なのに、ねっとりと絡み付く嫌な感じは、前回の比ではなかった。
これ程、あからさまであれば、魔力の動きが視えたかもしれないのに。ルーカスが居ない時を狙ったとしか思えない。
注意深く周囲を探っていると、突然背後からのんびりとした声が聞こえた。
「シャルル君、今日の実習も素晴らしかった。君の魔術には、見惚れてしまうよ」
担任が話しかけてきたのだ。
「特級魔術師の、フェルゼン先生に褒めていただけ光栄です」
「いやいや、本当にシャルル君の魔術の扱い方は凄いよ。今度、私の研究室に来てみないか?」
曖昧な笑顔で返しておく。うっかり関わって、本当の魔力量がバレたら面倒くさい。
「まあ、そんな顔しないで。気が向いたらおいでよ」と、担任は笑って去って行った。
ふと気付けば嫌な視線は消えている。
以前感じた時も、フェルゼン先生に話しかけられる前だったような……。警戒すべき人物は、今のところミアだけだが。これは偶然?
悟られないようにミアを観察していると、どうやら彼女には親しい生徒がいるようだ。
あの子は確か……カミラだったかな?
華があるミアと違い、随分と物静かな印象を受ける。ミアに上手く使われていて、友達と呼ぶには……あまりも上下関係がハッキリしていてた。取巻きと言った方がしっくりくる。
暫く様子を眺めていると、カミラがはらりと何かを落とした。小さく畳んだ紙のような物。ちょうど良いので近づいて拾ってあげる。
「落としたよ。これ君のかな?」
「ふぇっ!? あ、あ、ありがとう、ございますっ!」
声をかけると、カミラは真っ赤になって、慌ててミアの背後へ隠れた。
「カミラちゃんたらドジね。シャルル様ありがとうございます。カミラちゃん、平民だからって気後れしちゃうんですぅ」
平民を強調されたカミラは、ミアの背後で俯く。
「カミラ嬢、この学園では皆平等だから気にする必要ないよ」
「そうですよね! シャルル様の仰る通りよカミラちゃん」
ミアはくるっとカミラに向き直り、励ますように手を握る。私の視界からカミラを隠すように。
二人のやり取りが見えないと思っているのか、ミアはカミラを蔑むように冷たく睨んでいた。窓にしっかりと映っているとも気づかずに。
やっぱりね。
二人のやり取りは見なかったことにし、ニッコリ微笑むとその場を後にした。
◇◇◇
部屋に戻り、ふぅ……と息を吐く。
いつもの紅茶で癒されながら、今日の出来事をルーカスに話した。
ミアは上手く男に取り入る、小悪魔タイプだ。
普段は『身分なんてよくわかりません』といった感じでグイグイくるくせに、自分より下は蔑む。そんな考えの、魅力も何もない人間だった。
ルーカスが魔力を視たところ、脅威になる程の魔力は無く、中級貴族程度のものだそうだ。
一方で、カミラは平民でありながら、少しだけ癒しが使えるレアな魔力の持ち主だった。
道理で、ミアはカミラを自分の側に置きたがる訳だと思った。
普通に考えれば、癒しが使えるカミラは、平民であっても貴族から一目置かれる。もっと言えば、好意を寄せられてもおかしくない存在なのだ。
そう、ミアが近くで邪魔さえしなければ。




