10.ミランダの日記
ミランダの日記は、まるで自伝のようだった――。
ルーカスがゆっくりとページを捲ると、私も覗き込むようにして文字を追っていく。
トルソーの妹ミランダは、明るく元気な娘だったと聞いている。綺麗な文字と文章からは、聡明さも伝わってきた。
――だが。
明るく振る舞ってはいても、誰にも話せない悩みを抱えていたようだ。
ミランダには僅かではあるが、小さな頃から魔力が視える能力があった。それをずっと隠し続けていのだ。家族が大好きで、家族と離れたくなくて。
代々、皇族に仕える子爵家。
詳しくは書かれていないが、その力があると宮殿へ連れて行かれるという噂を耳にしていたようだ。
トルソーですら、ミランダの能力を知らなかったのね。
ページを進めると、十五年前――ちょうどミランダが失踪した頃の出来事が書かれていた。
ミランダは、この地方にしかない珍しいフルーツを採りに来ていた。婚約者であるベルゼ・グレイ男爵が、そのフルーツが好きだと教えてもらったからだ。
政略的な縁ではあったが、ミランダは魅力的なベルゼに一目惚れしていた。
喜んでもらいたくて、結婚式のサプライズにと、そのフルーツを使ったケーキを作るつもりだったのだ。
夢中で採っていたら急に雲行きが怪しくなり、雷も鳴り出して、嵐になってしまった。
雨を凌ぐために、慌てて近くの教会に入ったのだが――中に入ってから気がついた。
怪しげな人影が、集まって何かをしていたのだ。
ミランダは纏っている魔力の感じから、徐々に不安が込み上げていく。
それ程、彼らの魔力は禍々しかった。
ミランダの頭の中では『逃げなければいけない』と警鐘が鳴り響く。見つからないようにと、そっと後退りした瞬間――稲妻が走り、一人の男の顔がミランダの視界に入った。
それは、誰よりも自分がよく知っているはずの、将来を誓い合った相手。ベルゼ・グレイが不気味な笑みを浮かべていたのだ。
冷水を浴びせられたかのように、全身の血の気が引いていく。ショックから身動き出来ず、そのまま息を殺して隠れていることしかできなかった。
暫くすると、誰かが入ってきて叫ぶ。
「王家……色の……が………産まれ…と!?」
男達は慌ただしく動きだした。
雨音で、ミランダの位置からは、会話の内容までは分からなかったが。「王家」という言葉だけはハッキリと聞こえた。
ベルゼ達は、一人の男に何かを言って立ち去る。男は、見張りとして残された様だった。
目を凝らすと、残された男の先には十字架あり、その下に魔法陣が描かれていてる。魔法陣の中央には身動きしない赤ん坊が居た。
ミランダはハッと息を呑む。生贄――。ゾワリと背筋が寒くなる。
あの子を助けないといけない。ただそれだけの思いで、飛び出してしまった。
家系柄、多少の攻撃魔法は使える。魔法を放ち、怯んだ男に体当たりして赤ん坊を抱き上げた。男が起き上がる前に、走り出す。
赤ん坊を取り戻そうと追いかけて来た男は、ミランダに向かって魔法の弓矢を次々と射った。矢が背中に命中し傷を負ったが、とにかく必死で走った。
隠蔽魔法を使いながら、森の中を無我夢中で走り続け、辿り着いたのがこの納屋だったのだ。
どうにか追っ手は撒けた。
ズキズキする背中の痛みに耐えながら、腕の中の赤ん坊の様子を窺う。息もあり、安堵すると同時に、混乱する頭で色々と考えた。
あの集団の中に、自分の婚約者がいた。
追って来た男はミランダを見たのだ。
このまま家に戻ったら、私もこの赤ん坊も殺されるのではないか――それは、ベルゼの表情から受けた、予感ではなく確信だった。
――もう、戻れない。
ここでこの子と暮らそうと、ミランダは決心したのだ。助けた赤ん坊をルーカスと名付け、この納屋で親子として暮らし始めた。
ルーカスは不思議なことに、ミランダと魔力の波長が合った。つまりルーカスも、魔力の流れが視える者だったのだ。それも、かなり強力でミランダを遥かに超えていた。
それから数年が経ち――。
ミランダは背中に負った傷が原因で、自分の命がもう長くないと悟った。意を決して、誰よりも信頼していた兄トルソーに、ルーカスを託すことにしたのだ。
皇族に仕えることが出来れば、ベルゼ――あの集団でも、ルーカスには手が出せないはずだから、と。
念のため、ミランダは本来のルーカスの魔力を隠した。ルーカスに自分の最後の魔力を流し込み、ミランダの魔力の色を纏わせるようにして。
そうして、二人でこの納屋を出ることにしたのだ。
【 息子には、きっと出生の秘密があるのだろう。この手記を、ルーカスと共に隠そう。いつか、大切な我が子の助けになるように 】
最後はそう締め括られていた。
なんて強い女性なのだろう……。
ミランダは、たとえルーカスを産んでなくても母親だったのだ。同じ母として、とても共感した。
ルーカスは何も喋らない。
日記を見つめ、零れ落ちる涙にさえ気づいていない様だ。
「とても、愛されていたのね」
私の言葉に、ルーカスは首を横に振る。
「私のせいで、母は! ……いいえ、この女性はっ。私と出会わなければ死なずに済んだ……他人です!」と
ルーカスは苦しそうに顔を歪めた。真っ白になるほど握り締めている手は、震えている。
ああ、ルーカスは自分を責めてしまっているのだ。ミランダは、そんなこと望んでいないのに。
「違うわ。ルーカスのお母さんよ」
小さな子供のよう震えるルーカスを、そっと抱きしめた。
ルーカスは、ビクッ――と身体を強張らせる。
「ミランダは母親だったのよ。命がけであなたを救い、息子として育て、生きていく未来を望んだの。母親はねぇ、子供の為なら何だってできるのよ。どんなに苦しくても、あなたを手放さなかった。それが事実でしょう?」
「ですがっ、血も繋がっていないのに!」
「そんな事はどうでもいいのよ」
大人びていても、ルーカスはまだ十五歳だ。
「血の繋がりが何だというの? それは些細なことよ。ミランダがあなたを息子として繋いだ命なの。あなたが纏っている魔力は、ミランダの想いそのものでしょ。しっかりしなさい。ルーカスは愛されて育ったのだから」
抱きしめている手に力をいれると、ルーカスは腕の中で嗚咽と共に小さく頷いた。
親はいつかは先に逝くもの。子供にはそれを乗り越えて強く生きてほしい。そうよね……ミランダ。
懐かしい娘の顔を思い出した。
ルーカスは一頻り涙を流し、漸く落ち着いたのか、顔を上げた。
「あの……取り乱して、すみませんでした」
いつものルーカスに戻ったようだ。茹で蛸みたいに真っ赤になった。
……あ。
抱きしめたままだったと気づく。慌てて腕を緩め、ルーカスを解放した。
今日はもう時間もないからと、学園へ戻ることにする。ミランダの日記から、ルーカスをあの教会へ近づけてはいけない気がした。
ルーカスは申し訳なさそうにしたが、却って良かったかもしれない。
ミランダが流行り病で亡くなった話は、秘密を守る為の嘘。
日記のおかげで調べるべき人物がはっきりする。
ベルゼ・グレイ男爵と、その集団。それから――ミア・グレイ。
だって、時系列がちょっとおかしいのだ。
ミランダとベルゼは婚約していた。妹思いのトルソーなら、ミランダの婚約者の身辺はしっかりと洗っているはず。
だから、ベルゼに隠し子がいたとは考えられない。
ミランダが連れ去った時、ルーカスは一歳前後。今は十五歳だ。
婚約が解消されたのは、ミランダが行方不明になった一年後。その時点でルーカスは二歳になっている。
婚約解消前にベルゼが子供をつくるとは思えない。もし、ミランダが見つかったら状況が悪くなるからだ。
トルソーならきっと……失踪について様々な可能性を考えて、ベルゼも監視していただろうから。
ここで疑問。
なぜミア・グレイは、私やルーカスと同じ十五歳なのか。ミアは本当にベルゼの娘なのか。
「……様……シャルル様?」
ハッと顔をあげると、ルーカスに心配そうにこちらを窺っていた。
「ちょっと考え事をしていたの」
「……日記のことでしょうか?」
ルーカスには嘘をついたところで意味がない。だから、考えていた事をそのまま伝えた。
「わかりました。まずは伯父に確認致しましょう。それから……」と、顎に手を置いたままルーカスは何かを考えている。
そして、顔を上げたルーカスの瞳には、もう迷いは無かった。
「あの教会に何があるのか……私はグレイ男爵を調べます」
ルーカスの強い意志を感じる。
漢らしくなった姿に、自然と笑みが溢れた。




