第1話
「さあ始まりました東海オンエア陸上大会1500m牛丼の決勝でございます。」
暇な時間はこうしてスマホが喋るのを、ただただボーっと聞いている。そもそも暇な時間、という表現は間違っているかもしれない。本来ならば、隅に追いやられ、どれが既読でどれが未読か分からない大量の小説やラノベを片づけたり、提出しないと放課後残してでもやらせる面倒くさいタイプの先生が出した課題をしたり、どの方向に人生のベクトルを設定するかも決めていないのに「周りがやってるから」という理由で始めた受験勉強をしたり。時間も、君にはベッドの上でダラダラyoutubeを見る以外にやる事があるのではないかと顔をしかめているに違いない。しかし如何せん、やる気が起きない。やらなきゃいけない事に対してやる気が起きないのだから、やる事は無いに等しい。つまり暇である。夏休みが始まって、3日目の事であった。
サイズが微妙に合ってない遮光カーテンの下から漏れる光で、今は日中であると判断した僕はカーテンを全開にして日の光を浴びる。カーテンを開けると社交的になれる気がするからだ。遮光だけに。下らない冗談がむず痒くさせた右腕をポリポリかきながらリビングに向かう。リビングには誰もいない。父さんは仕事で部屋に籠っているとして、いつもなら「全く、何時まで寝てたの?もう」とブツブツ愚痴をこぼしながら家事をこなしている母さんも、家族の目も気にせずスマホでデジタルタトゥーを露出度の高い服を着ながら撮影している妹もいない。2人の所在を考えても仕方ないので冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出してコップに注ごうと思ったが、注ぐにしては少なすぎる量だったのでラッパ飲みに切り替えた。ラッパ飲みしていると、ペットボトルが部屋から出てきた父さんをボトル越しに僕に見せてくれた。父さんは疲れた様子で冷蔵庫を開けると「パパの分」と書かれた付箋と使い捨てのスプーンがのっかったプッチン出来るプリンを取り、リビングに向かった。
「母さんと咲奈は?」
僕は父さんに聞いた。
「母さんは買い出しじゃないか?咲奈は…友達と遊びにでも行ったんだろう。」
そう言って父さんはソファに体育座りしスプーンをプリンに差し込み、ぐちゃぐちゃにかき混ぜ始めた。父さんはこのプリンの食べ方一つとってもそうだが、変人だ。筋トレで得たゴツイ身体に似合わず、仕事は辞書の編纂という地味なデスクワーク。体育座りしないと落ち着かないし、何か口に入れたらすぐに歯を磨くし。そしてなんといっても変なのは、酒癖。と言っても暴力を振るったりはしてこない。普段喋らない分、ここで喋りたいのか知らないが虚言が口から溢れ出てくるのだ。母さん曰く「父さんはお酒を飲むと空想と現実の区別がつかないのよ。」と言うがまさにその通り。家に無いのにギターを弾けるとか運動音痴なのに野球でホームランを連発したとか、酷い時は世界を救った事があるなんて言い出す始末。小さい頃の僕は、そんなお世辞にもおとぎ話とは言えないホラ話を目を輝かせて聞いていたらしいが、今は冷静に右から左に受け流している。こんな変な父親ではあるが、尊敬する所も勿論ある。それは父さんの仕事だ。父さんは僕が物心ついた時からこの仕事をしている。大学時代、自然言語処理?とかいう分野を研究していたらしく、その研究を生かす為に出版社に勤務し、なんやかんやあって現在の仕事に就いている。父さんが編纂した辞書は、非常に読みやすくそこらの長編小説より読み応えがある。僕はそんな父さんが編纂した辞書を読みながら寝落ちするというのを小さい頃からルーティンとしていた。小学校で作文にこの事を書いて発表した時は、皆に引かれたのを覚えている。
「「ただいまー。」」
飲み干して空になったペットボトルを持ったままボーっとしていた僕に二人分の声が飛びついてきた。
「全く熱くて叶わないわ~。あら、パパ。プリン食べちゃったの?今お昼にしようと思っていたのに」
そう言って両手に持っていたマイバッグを床に下した肥えた母の体の背後から妹が、これまた露出度の高い服を着て
「ねぇ兄ちゃん~、また私のアカウント警告来たんだけどなんで、なんで?」
と言いながらスマホに表示された警告のお知らせ画面と胸の谷間を見せてきた。騒がしい2人が戻ってきたので、妹を「お前の服がだらしないからだろ。」と軽くあしらい、騒がしさが2人に追いつくより先に部屋に戻る事にした。
「恭弥、今からそうめん茹でるからリビングにいなさい。アンタ、部屋に入るとパパみたいに出てこないでしょ。」
母さんの声が僕の麺類ランキング最下位が昼飯になるのを伝えてきたので
「寝起きで腹減ってないから昼飯いいわ。」
そう言って買い込んだ駄菓子で腹を膨らまそうと決め、僕はまた部屋に籠りに入るのであった。