第三話
雨が止んでからもう随分と時間が経っていた。
座りながら順繰りと記憶を遡れば、自分は12歳で買い物に家族と街に出た時、トラックに撥ねられてしまった事を思い出した。
撥ねられた時の衝撃や地面に打ち付けられる感触は覚えていないけれど、トラックに跳ね飛ばされたことは間違いないように思う。
しかしここで最初の疑問に立ち返ってみる。
最初に手の平だ、僕の手はこんなにも大きかっただろうか?それに続く手首や腕も、こんなにも筋肉が付いていただろうか?
そこで僕は再び立ち上がって、見える範囲で自分の身体を確かめてみる事にした。
「うん。大きい」
そうだ、大きいのだ。
生前(?)は12歳でハーフだったけれども、周りとあまり変わらない普通の体格だったと思う。
発育は多少良かったのだろうけれども、でも今はどうだろうか?
目線は遥かに高く、身体は屈強。
素足で歩いているにも関わらず、足の裏が痛くならず血も出ない。何よりも思い出して欲しいのが、いや、思い出したくは全くないのだが。身体中から蟲やら何やらが飛び出してきたはずの皮膚が綺麗に塞がっているのだ。
「一体僕はどうしてしまったのだろう…?」
そこまで言った所で驚いて喉元に手を当てた。
なんだか途轍もなく低い声を自分が出していることに気が付いたのだ。確か一年前ぐらいから声変わりして、喉仏が大きくなったような気がしていたけれどこんなにも低くなった記憶はない。
首をひねりながらもどうしたらいいかわからず、再び周りに目を向けてみる。
ここは小高い丘にある墓地で、生えているのは一本の樹のみ。
丘を降りれば細い一本道が見えるが今は水浸しになっているのが見える、多分近くに川があるのだろうと視線を右に移していくと。
あった、川だ。
細い一本道の入り口とその川以外は全て樹で埋まってしまっていて、
それ以外は何も見つけることは出来なかった。
もう一度川に視線を向けてみると、どうやら目が覚めた時に降っていた雨は随分と猛威を振るっていたことが良く分かる。
「流れが早いし、増水して水が溢れてしまっているのかな」
丘を降りて何処かに行くにしてもこの水が無くならない限りは、
まだこの場所からは離れることは出来ないようだ。
うーん、と悩みながら今度は何を考えようと頭を働かせる、何故自分がこのような墓地に一人で居るのかがまだ分かっていないことに気付いた。割と大事な事のはずが色々と衝撃的な事ばかりで失念していたようだ。
視線を足元に戻してみる。
それは目が覚めてから樹の次に見つけた、大きい石のオブジェだ。
多分これは墓石なんだと思う。何故この石が墓石だと思ったかは母さんのお父さん、そう僕の御祖父ちゃんが関係している。
御爺ちゃんのお墓は日本にあって、僕達家族は一年に一回お墓参りに行っていた。
その時に色々な形をした墓石を見たのを覚えていて、きっとこの何かの物語に出てくる盾のような形をした石も墓石に違いないと思ったわけだ。
しかも石はその一つだけではなく等間隔に配置されていて、石の前には二メートル程のスペースが空いており、きっとこの下には安らかに眠っている人達がいるのだろうことがすぐに想像できた。
もうこれは墓地で間違いないだろうと僕は納得したのだ。
そこまで考えた僕は、目の前にある墓石に視線を向ける。
そう、僕が泥の斜面を這い上がってきて直ぐの所にあった墓石にである。
「うん。墓石なんだと思う、思うんだけれど」
僕の目が覚めた場所は土の壁の中、足元は石の床で石が散らばっていた。
石からは焦げ臭い匂いがしていたから、もしかして雷か何かが落ちたのかもしれない。
落雷、あり得るのだろうか?
小高い丘ということはあり得るかもしれないけれど、ここには大きな樹があるのだ。そちらに落ちないで何故この墓石の前のスペースに落ちたのだろうか?
スペースと言ったけれどそちらの方を見ると、見事に土がその部分だけ
丘の下の方へと崩れてしまっている。
雷が落ちた理由は他にあるのかもしれないが、今はそのことは置いておこう。
何かしらの理由でこの場所に落ちた雷は、土の下にあるきっと石の棺か何かを破壊したんだろう。
そうだ、石棺をだ。
その考えに思い至ってから数秒間、僕は頭が真っ白になった。
丘の中心には大きな樹。
その樹から少し離れた位置には墓石。
そしてその墓石の前のスペース、そこの陥没した場所から僕は出てきた。
恐る恐る、陥没した場所を覗き見ると2メートル以上ある大きな石の床が見える。
丁度真ん中あたりには僕が踏み抜いた跡があり、水が溜まっている。
その石床の四方に視線を動かせば、石床を囲うようにあったであろう石壁があるのが分かる。
左右と丘の下の方の石壁は周りの泥と一緒にばらばらに散乱しているけれど、丘の中心の方の石壁はまだ健在のようだ。
そこまで確認すると、砕け散っていた石が何であったのかは想像できる。自分の粗末な服の上下にもまだ少し小石がくっついている事からも判断できるが、元の石はきっと石で出来た棺の蓋だったのではないかと。
そうすると僕はもしかして---
陥没した地面から視線を外し、落ちないように腰を落として盾の形をした墓石の字を読んでみる。
「日本語でも英語でもないけれど、これは」
よく分からない文字の羅列に戸惑うのも一瞬のこと、何故か書いてある文字の意味と、その読み方が分かってしまったのだ。そこまで分かるとさっきまで自分が発していた言葉は全部日本語ではなかったことに気付いた。
「僕は日本語しか話せないはずなのに。どうして?」
友達にもよく母さんがアメリカ人なのだから英語を喋って欲しいと言われたが、僕は日本語しか喋れなかったので期待に応えられなかったのだ。
その僕が自分の知らない言葉を喋り、自分の言葉の意味を理解出来る。
益々頭が混乱してきたけれど、今は墓石に何が書いてあるのかを確認しよう。
そう考えた僕は墓石に書いてある文章を声に出して読んでみたのだ。
「リンドルグ歴952年~990年」
墓石には、そう記されていた。
第三話 了