4 依頼と過去と
「ただいまー」
すっかり暗くなった中、薄暗い家の扉を開けて中に入る。声は小声。
自分の家だというのに肩身が狭い。
理由は……すぐ分かる。
「おい、文夜。こんな時間まで何をやっていた」
廊下の奥から、スッと長い影が俺の前に立つ。身長は二メートル近く。
体格もそれに伴って大きく、いるだけで威圧感が半端ない。こういう所も嫌いだ。
「……部活だよ」
「また小説か」
「……」
返事はしない。無言で父親の横を通り過ぎる。
リビングには、姉の作ったご飯があるはず。そっちに足を向けようとした時。
「いい加減くだらない事はやめろ。来夏のためにも」
来夏。父親の再婚相手の娘。つまり、俺の姉に当たる存在。
その名前で俺の中の何かが切れた気がした。
だが、堪える。こいつに何を言っても無駄だ。顎に力が入り、唇が少し切れる。
「そのうち、そうしてやるよ」
そういい捨てて、二階に向かった。
そこには二つの部屋しかない。俺の部屋と、姉の部屋。
基本俺達は、各々の部屋にこもりっきりだ。だから、誰が何をやってるかなんて知らない。
部屋のノブを握り開けようとした刹那、軋んだ音をたてた。
この音はドアを開ける音だ。家自体の老朽化が進んでしまっているのか、隣の部屋くらいなら鮮明に聞こえる。
俺は今、ドアを開けていない。ノブを握っただけだ。
ということは、誰かが出てきたわけだ。つまり、廊下にいる俺は鉢合わせになってしてしまう。
「あ、文くん」
ピンク色のふわふわした部屋着を、身に纏った女性が出てくる。
その無防備な姿は目に毒。
文豪 来夏。さっきも説明したが俺の姉だ。
風呂上りなのだろうか、鼻腔の奥をくすぐるような匂いが、俺の心を高鳴らせる。
クリーム色のカールを描くような髪、よこしまな心を見透かすような澄んだ、大きな瞳。
体のつくりが分かりやすい薄い部屋着に、俺の視線は十年ぶりに外に出た、ニートの如く泳がせる。
おひょ、ふひょっ、とキョドらないだけ褒めて欲しい。おひょ、ふひょ。
「……何?」
「ご飯食べた?」
「あいつがいたから食ってない」
「もう、ちゃんと食べてさ。仲直りしなよ」
全くと、腰に手を当てて姉はため息を吐いた。
普通の姉と、弟。傍から見たらそうなのかもしれない。だが、これは姉がかなり無理をして、成り立ってるといっても過言ではないだろう。
俺と話しているはずなのに、体の向きは部屋の方に向いている。
早く話を切り上げて、部屋に戻りたいのだ。
俺は察して、適当な返事をして自分の部屋に入り込んだ。
仲良くなんてできるわけがない。姉があんな態度なのも、父親が小説を辞めさせたがるのも全て俺のせいなのだから。
「で、文夜は、妄想の女の子を何とかするのと、小説を書き上げないといけないんだ?」
「そういうことだ」
いつもの昼休み。
俺は、教室の隅っこでパンを貪り食っていた。やっぱコンビニのパンが一番。
「ふーん……で、今その子はいるの?」
「いや。部室にいてもらうことにした」
「へぇ、意外と融通きくんだねぇ」
隣で話しているこいつは、荒野 千春。
目を細めたくなるほど綺麗な金髪。そして、丁度抱きしめやすそうな背丈。
いわく、親が外国人らしくこいつ自身も人形の如く可愛い。
「まぁ、仲良くしてあげてよね!」
ぱぁっと、ひまわりが咲き誇るようなかわいらしい笑顔。
その可愛らしい姿は、十人中誰に聞いても美少女であるというだろう。
「……本当にかわいいよな。お前」
「や、やめてよ! 男なんだよ、僕はっ! かっこよくなりたいの!」
男なのだ。
怒りながら八重歯を見せる姿は、恐怖ではなく何故か男心をくすぐらせる。
怒った姿も可愛い。
一頻り怒り終えた跡、一息ついて座りなおす。
「ふむぅ……もう。そんなことばっかり言ってると、もう助けてあげないからね」
そう、こう見えて俺はなんどか千春に救われているのだ、命を。
なりふり構わなかった中学時代、人気の無い神社に忍び込んだ事があった。
その時、とんでもない寒気に襲われ、何かに首を締め上げられた。
そこで助けてくれたのが、千春だった。
「わりぃ、わりぃ。でも千春も大変だよな。親父さんの跡、継ぐんだろ?」
「うぅ……神社なんて興味ないんだよぉ」
やだよー、と足を投げ出す千春。
だが、俺は内心、跡を継ぐことは悪い選択じゃないと思っていた。
「お前の霊感で人を救ってやれよ。お前にはそれが出来るんだしさ」
「……かっこいいかな?」
「? 何が?」
「人を救えたら、かっこいい?」
「あぁ、かっこいいな。俺なら男でも惚れちまうだろうな」
「ふーん。そっか」
そういいながら千春は、ちびっと牛乳を舐めていた。
その放課後。
「さて、インスピレーションを沸かせる練習をしましょうか!」
なんだよ、湧かせる練習って。
放課後の部室でかなは大声で俺達に今日の目標を伝えた。
そもそもここ、使用禁止なのでは……。
そんな俺の思考をよそに、かなはホワイトボードにせっせと文字を書いていく。
「まぁ先輩が小説さえ書ければいいんですよ! まぁ、秘策もありますし」
「まぁ頑張るけどさ。てか、何だ秘策って。嫌な予感しかしないんだが」
「ふっふっふ。簡単に言わない、秘匿するから秘策なんです」
「……」
こうなったら、かなは譲らない。意外と頑固な性格だったりする。
もう分かりきっているから、俺は口を閉ざした。正直、怖い。
「きっと悪いようにはならないはずですよ?」
「……すでに悪そうな結果が見えるんだが。まぁ、俺だってやれるだけやるよ」
「私も、がんばる」
その隣で望はふんすっ、と気合を入れる。どこからか用意した鉢巻きを、額に巻く。
昨日は望に、部室で待機をしてもらった。
このまま部室で寝泊りできるようであれば、そのままいてもらおうと思ったが。
「夜の学校、怖い! 許さない!」
などと、涙目で怒られたので今晩は俺の家を開けなくてはいけない。
うーん、あの家族との関係を見られたくないのだが。
「私だって負けませんよ、望さん!」
見えているのか、見えていないのか。
お互い視線を合わせて火花をバチバチ散らせる。あ、でも見えてないんだろうな。今一焦点が合ってないし。
ちなみに、今後望の通訳は省略させていただく。
「昔の先輩は、好奇心があってそれが執筆の原動力となっていたんですよね?」
「多分、そうだな」
あの頃は、望のようなキャラクターを毎日書いていた。
なんとなく、この世の中を理不尽に感じて。自分だけの物語を作りたくなって。
色々試行錯誤して、気がついたら賞を貰っていた。
「で、原点に戻ったほうがいいと思いまして。先輩の処女作品の「あれ、お姉ちゃん! ドキドキワクワク共同生活?」をもう一度読んでみました」
「ぐごっ!」
「文夜、大丈夫? もしかして……風邪?」
望が心配そうに駆け寄る。いや、風邪ではないんだ。精神的な病気だと思うんだ。
前言撤回だ。あの頃の俺はおかしかった。戻れるならば、バトルものを書きたい。なぜ、痛々しいラブコメディを書いてしまったのだ、俺!
「この先輩の愛に溢れた小説は、50万部突破し8巻で終わってしまいました」
「……そうなんだ」
と、望は静かに視線を落とす。
何か思うところでもあるのか?
「この話、私好きだったんですけどね。まだ、続きそうでしたし」
そう。まだ、続きは書けたはずだった。
だが、7巻が出たとき。それは、父が丁度再婚をした時だった。
その時からだったと思う。親父は、俺の作品を見て書くのをやめろと言い出した。
その言葉に反抗して、色々あって。
結局今に至るんだよな。
不意に、過去のことを思い出して小さく息が漏れる。
「「……」」
二人は、心配そうに俺の顔を覗く。
その姿に申し訳なくなり、
「まぁ、大丈夫だ。俺だってやれることはやるし、部室も無くさせない」
と、虚勢を張った。が、これは失敗だった。
「そうですよね。なんでもやってくれますよね」
ぞっとするような満面の笑み。震えを覚えるような状況ではないのに何故か、体は言うことを聞かない。
「いや、なんでもではないぞ? 言葉狩りはやめようね!」
俺の諭しは、笑顔という鉄仮面によって弾かれる。
「でも、後輩の友達の相談くらいは……出来ますよね?」
「……へ? いや?」
「よかったです。先輩がノリ気で!」
へ? いや? のどこにノっている要素があるんだ。
俺の言葉を聞かずに、話は進展していく。
「良かったです。もう呼んじゃってたので」
かなは顔をほころばせる。
その顔は何度か見たことがある。そして大概、碌なことが無かった。
扉の方向に向かい、とっての部分に手をかける。
「困ってる人を、助けてあげましょうよ」
ガラッと、開けられた先には一人の女性が立っていた。
うん、帰りたい!