帰り道
珍しくその日の帰り道は静かだった。
普段はどうしようもない話や、かなのクラスの話で盛り上がったりするのだが、今日は話す気力すら湧かない。
なんとなく、歩いているとポケットの中身が振動した。
宛先を見ると、うるしさん。
「鳴ってますよ? 出なくていいんですか?」
かなはこちらを見つめていた。
特に表情はいつもと変わっていない。
こいつは器用だから、気持ちの整理もつけやすいのかもしれない。
「……今はそんな気分じゃないんだけど」
「ダメですよ。ちゃんと連絡してください」
「……あぁ、分かった」
うるしさんの釣り目と、怒声を思い出す。
恐怖で、見なかったことにしたいがそういうわけにもいくまい。
「悪い、電話にでてくる。なんだったら、先に帰ってもらって……」
「残りますよ」
食い気味の返事。
そ、そうかと返し、かなから距離をとって、応答ボタンを押す。
「お久しぶりです。進捗どうですか?」
それ、言いたいだけだろ……!
心の中で思ったが、声には出さない。
「び、微妙ですね」
「というか、どーせ書いてないんですよね」
目の前で睨まれているかのような、威圧感。
電話越しだというのに、姿勢を正しくしてしまう。
「どちらにせよ、あと一月です」
そう、期限は一ヶ月を切っていた。
今は7月末。ここから夏休みに入り、9月開けには提出していなければいけない。
だが、正直、俺には書ける気がしていない。
「が……がんばります」
「……」
俺の返答に、うるしさんは返事をしない。
通話が切れたか?
困惑し、黙って固まっていると、うるしさんのため息が聞こえた。
「なんども言っていますが、私はあなたに期待しているんです」
はぁ、と気の抜けた返事を返す。
「ですが、今度プロットが出せなかった場合……我々編集者はあなたとの関係を断ちます」
何度聞いても、その宣言は辛い。
だが、どうしても俺には書ける気がしなかった。
「……わかりました」
その後、プツンと聞こえ通話が終わる。
頭に鉛でも詰まっているような感覚。
かなの所に戻ろうとする足が重い。
「……無理なものは、無理だろ」
頭を空っぽにして呟く。
色んな人と会って、色んな方法で解決をした。
その姿に、憧れや尊敬の気持ちもあった。
だけど……。
親父と、姉の姿が思い浮かぶ。
「なんともならねぇんだよ……」
少し離れた場所にいるかなは、俺に背を向けて立っていた。
待たせた事を謝罪をしようと出かかった声が、喉元で止まる。
「嫌ですっ……部活がなくなるなんてっ。お話が出来なくなるなんてっ!」
かなは、泣いていた。
周りの事を気にすることなく、子供のように泣きじゃくっている。
……心臓がズキリと、痛んだ。
部室がなくなって平気なわけがない。こいつも、心を痛めていた。
気配を感じたのか、顔を上げこちらを見る。
「せ、先輩……」
「……悪い」
見るつもりはなかったと、言い訳にもならない言葉を使って目を逸らす。
「す、すみません。笑顔で分かれるつもりだったんですけど」
ばつの悪そうな顔で、こちらを見つめている。
目元は拭ったのだろうか、少し赤い。
「そうか……体調は崩すなよ」
気の利かない一言だって事は、分かっていた。
かなは、苦しそうに笑って俺を見つめる。
「はは。先輩は、最後まで優しいですね」
苦しいのは自分だろう、なのに彼女は笑顔を絶やさない。
その笑顔は、見ていて痛々しい。
「着いたぞ」
重苦しい雰囲気のまま、かなの家まで到着してしまった。
いつもなら横に並んでいるはずの彼女が、今日は後ろにいた。
表情は優れていない。静かに、ぼそりぼそりと囁くような声が聞こえた。
「……小説、書けませんか?」
何かに縋るような声に期待するような目。
俺は、答えられなかった。
しかし、しばらく考え
「できない」
と、言った。
期待させるような言葉は良くない。そのうえでの判断だ。
言うなら、突き放すように。
「ッ……そう、ですよね」
静かに、肩を落としたのがわかった。
かける言葉もなかった。
最初に廃部を告げられた、あの日と同じで俺は無力だ。
この数ヶ月間、そう思いながら過ごし、抗った。
「……悪い」
毎晩遅くまで書いた。でも、出来なかった。
夏休みでなんて期間で、できるわけがない。
「すみません。変なこと言っちゃって」
「……じゃあ、な」
かなに背を向けて、歩き始める。
一歩踏み出すたび、俺の体に重りが乗せられていく気分だ。
一歩一歩が重い。足の幅も段々と狭まくなり、遂に。
ぴたり、と止まる。
おかしい。
意識を戻すと、目の前には一生懸命俺の体を抑える望の姿があった。
「ふぬううううううううううぅぅぅぅうぅうううううう!」
か細い手で、必死に止めている。
「何してんだ、望!」
後ろにはまだ、かなが居る。こんな姿見せたくない。
「先輩……どうしたんですか?」
かなは、異変を察知し俺に近寄る。だが、俺の体は前に進まない。
「何か、足が重いんだ……」
じっと俺の正面を見つめる。そして、
「……望ちゃん」
と、言った。俺は望について一言も話していない。
「かな、ちゃん! 伝えたいこと、あるなら、今、だよ!」
途切れ途切れの声が、耳に入る。余計なことを言うな、と前に進もうと力を込める。
やはり女性一人の力では、抑え続けるのは難しいのだろう。
ゆっくりとだが、進んでった。望の力も緩んでいく。
よし、崩れる……。
「先輩っ!」
不意に、背中が温かくなった。かなが、抱きついてきた。
手を前に回され、ぎゅっと掴まれる。
突然の行動に、心臓が高鳴った。
「一つだけ、わがままを言わせてください」
こつんと、俺の背中に頭をぶつかる。
「こんな事を、言いたく無かったです」
ポタリと、暖かい何かが俺の背中を打った。
「でも、先輩ともあの部室とも、離れたくないので」
その何かは徐々に大きく。広くなっていく。
涙だ。堪えられなかったのだろう。
せきを切ったような涙が、俺の背中を濡らす。
「お願いしますっ! 小説を、書いてくださいっ!」
その声は、叫びに近かった。
「……」
自分自身に嫌気が差す。
ここですぐに答えられない所、書けるか書けないか考えてしまった所。
情けない所。
「わかった」
かなの表情が明るくなった。
「書くよ。小説」
そんな自分を超えるために、俺はかなに宣言をした。
「夏休みまでに、俺は書ききる」
それは、自分への宣戦布告でもあった。