依頼の終わり
薄っすらとだけど、覚えている。
人間、ノートを塗りつぶすだけじゃ忘れられない事はある。
別館の踊り場。私の目には、昔の学校が写っていた。
昔の出来事が、今のように鮮明に写しだされる。
あの日、私は泣いていた。
「貴様は、何者だ?」
顔を上げると、中学時代の文夜が居た。
いつの間にこの男は近寄ってきたのよ。
「な、なんでもないわよ!」
クラスの仕事や、勉強、生徒会。全てを請け負った私は、耐え切れず潰れかけていた。
授業を抜け出して、逃げた先がここだった。
「なんでもない、なんにでもない、か……いい答えじゃないか」
「ばっかじゃないの!」
私の頭上で偉そうに、よくわからない言葉を言い続ける男。
コイツと私が生きている世界は、違う。
ただただムカついて、暴言を言いまくった。完璧な八つ当たりだ。
でもコイツは、飄々とした顔で聞き、
「そうか」
と言った。
その言葉に頭がカッと熱くなる。
「あんたにっ! 何が分かるのよ、いい成績を取って、クラスをまとめなきゃいけなくて! 皆の意見を聞いて、仮面のように表情を切り替えて……。もうこんな世界いやなのっ! ……最悪」
そんな悲痛な叫びも、彼は興味もなさそうな顔をして言った。
「だったら、自分で創っちまえよ。自分の望む世界を」
「……はぁ?」
何言ってんのよ、こいつ。
その表情は、中二病とかじゃなくて幼い子供のように無邪気に見えた。
「出来たら、苦労なんてしないわよ!」
「簡単だ。書くだけだ」
文夜は、懐から何か取り出した。
はい、といって手渡してきたのは新品のノート。
「これは、お前自身を綴るノートだ。自分だと思って大切に書け」
「……」
その気迫に押されて、手に取った。
「一ページ目は、そうだな。自分の目標を書くといい」
「目標?」
「世界を征服したいとか、能力を手にしたいとか。なんでもいい」
「……はぁ」
「まぁ騙されたと思って書いてみろ」
文夜は高そうな万年筆を懐から出し、手渡す。
多分、かっこつけて高いのを買ったのね。
普段触れたことの無い質感。
コイツの前で何かを書くのは少し恥ずかしかったので、背中を向けて書き込む。
「「なりたい目標。
完璧な自分になって、全部完璧に出来るようになる」」
と、思いの丈を書き殴った。
「いい目標じゃないか」
振り返ると、文夜は私の肩越しにノートを盗み見ていた。
「なに見てんのよ!」
怒りで手が出そうになるが抑える。
「まぁ、それを目標にしろよ」
そう言って、文夜は静かに笑って去っていった。
だれも居ない踊り場に残される。
あいつは、私に気を使った……?
「なによ、あいつ」
ノートに目標を書かせた。それだけなのに、心が少し落ち着いた気がした。
その時から、何でかわからないけど、あいつの事が知りたくなった。
「「あいつに認められるような人間になる!」」
と、殴り書きをし、中二活動を始めた。
だから、これは私の本当の黒歴史。
「……」
ノートを握り締めた桜の前に立つ。
今思うと桜が中二病になった原因って、俺のせいだったんだな。
しゃがみ込んでいる桜を、ちらりと見る。
無言で震えている……!
怒りだろうか、羞恥だろうか、殺意だろうか。
「……最悪っ」
桜の声に反応するように、ビクリッと震えた。
な、殴られる……。
立ち上がった桜にびびる俺。
「思いださせたからには……責任とりなさいよ」
な、なんのことだよ。
「このノートの続き。私、書けそうだから帰る」
「お、おう」
そう言いながら、ふんっと振り向いて歩き出す。
俺、どこか不完全なところでもあったのか。極力似せたはずなんだけど。
「あと、もういいから」
くるりと彼女はこちらに振り向き、俯きながら小さな声を漏らした。
普段自信に満ちている彼女にしては、珍しい。
「なにが?」
「依頼……もういいから」
「そうなのか?」
確かに、桜自身が書けるようになるのが目的だったからそれでいいんだけど……。
「んじゃ。……ありがと」
最後に彼女は今までに見たことないような、柔らかな笑顔を残して去っていった。
「……え」
残された俺は、呆然と立ち尽くす。
桜のあんな顔はじめて見た。
「これで依頼は終わり……なのか?」
と首を傾げていると、階段の上から何かがにゅっと顔を出した。
「まだですよ」
「うわっ!」
驚いて声が震えた。
階段の上から小さく駆けよってくる、かな。
「ですが、依頼は終わりですね」
「そう、なのか」
となりに、望も並んでいる。
どういうことだ?
俺は頭に? を浮かべる。
「黒歴史は終わってないんですよ」
「だから、どういうことだ?」
「好きになったものは変えられないんです。忘れようとしても」
えらく抽象的で、理解が難しい。
「まぁ、先輩にはわかりませんよーだ!」
と言いながら、かなは舌を出して笑った。
「私は、わかる」
望も分かったようで、小さな胸を張る。俺だけが置いてけぼりの気分だ。
こうして桜の依頼は終わりを迎えた。