9.待ち人
「遅くなって申し訳ありません!イーノ・ダタカ、ただいま帰還いたしました!」
よく通る声が耳を打った。騒がしいや五月蠅いではなく、ただ強く。
「とりあえず、おかえりなさい。…遅かったね」
「学長!いやー、過酷な任務でした。目標を発見したところまでは良かったのですが、人混みがなんせ―」
「イーノ君、お客様いらっしゃるから…」
ローランにようやく気付き、礼をする。言動とは打って変わり、ピタッと止めの姿勢から緩やかな動、そして完全なる静。昔、東の海から渡ってきた流儀。
「秘書が失礼いたしました」
「かまわんさ。今のは東雲のお辞儀かな?」
「分かりますか!何を隠そう私、学生時代は東雲の歴史・文化を専攻しておりました。かの地域は知れば知るほど独創的で―」
「イーノ君!」
この大きさの声を聞いたのは何年ぶりだろう。奴にしてはこの男を手に余しているらしい。
「頼んでいた件はどうなりました?」
「首尾は上々です!本日は久しぶりに燕庵の弁当、それも六品入りを購入出来ました!」
「君のランチは聞いていませんよ」
「ご心配なく!学長のお昼もちゃんとご用意しております。いや、大変な行列でした」
目を覆いたくなる返答に、ローランはカップ半分ほど紅茶を注ぐ。
「…お使いご苦労様。人探しの方はどうなりましたか?」
「ああ、それでしたら南大門へ行ったのですが入れ違いになりました!」
向かいの席では、額に右手を当て小首を振っている。予想通り今日一番の美味さだ。
「どうしようかと広場へ引き返したところ、偶然露店に並んでいるのを見つけました。日頃の行いですかね!先ほども言いかけたようにすごい人で大変で。せっかくなので私も並んで学長のお昼を買いました。その後燕庵でも列に加わりましたので!」
「…結局、君のお弁当待ちじゃないか。それで、ちゃんとお連れしてくれた?」
「もちろん。さあ、遠慮せず入ってください!」
イーノに促され大柄な少年が応接室に現れた。空間が急に小さく感じられる。自信なさげであどけない表情は、ローランが昨日見上げたそれと同じだった。
今ではお目にかかることもない巨人、ジャイアントと人間の『デミ』。立ち姿だけなら、マスケリンと同じ年の頃とはとても思うまい。その腰の陰から赤茶色の髪がこちらを伺っていた。
「なぜお主が一緒におる?」
「朝市の手伝いで知り合った。モーリス、背はでかいけど大人ほど力が無いからおいらと同じ班に回されて。二人で組んでいたんだ」
「おお、君の話していた食いしん坊のエルフとは御客人の事だったのか!」
お主の方だろうとドワーフを戒めたかったが、それをためらうほど鋭い眼光が口を挟んだイーノに向けられていた。
「…お話しても宜しいですかな。私はクラヴィウス、このアカデミアで学長を務めています。モーリス君に会うのは面接試験以来ですね。また背が伸びたようで驚きました。呼び立てたのは入学試験に関することです。…すでにご存知でしょうが、君の試験結果に誤った判断が下された可能性が指摘されました」
応接室の空気が張り詰める。モーリスと呼ばれた少年は張り出した肩を小さく震わせながらも、その目は真っ直ぐクラヴィウスだけをとらえている。
「調査し協議をおこなった結果、モーリス君をアカデミアの特待生とすることに決定いたしました。昨日までの門前での対応、君が感じた不公平感や悲しみを思うと、本当に申し訳ないことをしました。アカデミアの代表として謝罪いたします」
席を立つと、先ほどの秘書よりも深々と頭を下げる。立派な為政者だ。現にモーリスの敵対心は和らいでいる。
「特待生にはアカデミアから援助が出ます。また本年度開催される祝祭への使節をモーリス君に決めました。アカデミアの代表を務めることで、君の名誉回復をお手伝いできるとの考えからです。是非、引き受けてもらいたいのです」
「…あの、それは入学がかなって、僕がアカデミアに通えるという意味ですか?」
多少は冷静になってきた少年からの、核心を突いた問い掛けがクラヴィウスを襲う。
「今入学すると、他の生徒とはひと月ほどの遅れとなっています。また、祝祭から戻るのは秋になり、更なる遅れが生じます。その為、本年度は休学とし入校は来年度。先の援助にはその間の生活費も含まれています。…本音を言うといくつかの実習に際して、君の身体の大きさにアカデミアが対応できていないため準備の時間を頂きたいのです」
嘘は言っていない。言葉が足りないだけで。為政者の言い回しにモーリスは答えあぐねているが、傍にいる赤茶毛とイーノは手助けをしない。代わりに露店で購入したらしい包みを、待ち遠しそうに見つめていた。
そこに印された柄を見てローランの心音は高鳴った。そんなはずはないと自問自答しながらも、しっかりと確認する。大工道具と鶏の模様。南大門の一等星“鶏の解体屋”の屋号を。